ねむ♫/ 1月 31, 2022/ neMu ブログ⑤:心・意識/ 0 comments


日本ではこのところ
立て続けに悲しい事件が起きています。

訪問診療をしていた医師が亡くなったり、
受験に訪れた学生が大きな怪我を負ったり。

電車の中での事件も幾つか起きていて、
周囲に注意を配りながら生活することが
必要だなと思います。

先日ラジオを聞いていたら、
事件に巻き込まれた医師と
一緒に働いていた方の投稿が読まれました。

患者さんにもスタッフにも親切で、
危険があるような状況にも赴いて行くような,
人望の厚い医師であったそうです。

そうした方がなぜ事件に巻き込まれて
命を落とすような目に遭うのかと、
私たちは理不尽に思って悲しむ訳ですが、

ただ悲しむだけではなく、
ここから私たち自身の行動を振り返ることも出来ます。


先日、比較的混んでいる電車の中で
くしゃくしゃの鼻紙(一旦使ったと思われる)
を取り出して振り回した後、
大きな音を立てて鼻をかみ始めた女性がいました。

私は正面に座っていたので、
すぐに座席から立って移動しました。

女性の周囲に居た人たちは
ギョッとした様子は示したものの、
その場からは動きませんでした。

日本人は礼節や礼儀を大事にしますが、
その性質と表裏一体のパターンとして、
人目に映る自分の姿を気にする傾向も持ちます。

こうした場面でさえ、
席を立つのは礼儀に反する
と感じる方もいるかも知れませんし、

他者を疑うようで嫌だと
感じる方もいるかも知れません。

私自身がその場面で感じたのは、
誰も動こうとしなかったことへの
驚きでした。


人を信じて丁寧な態度を保つこと以上に、
何よりも重要なのは自分を信じることです。

自分の「嫌だな」とか
「まずい感じがするな」とか、
時にはもっと曖昧に
「よく分からないけど止めておこうかな」
という形で現れるかも知れない感覚や直感を、

そう感じる理由は分からなくても
無条件に信頼することです。

そして、それに従って行動することです。



20代で馬の仕事をしていた時、
まだ人を乗せることに馴れていない
新馬の調教をすることもありました。

最初は
鞍を背中に付けて動くことから
馴れさせて行きます。

鞍自体は動かない物体ですが、
馬が動くと鞍は背中の上でゴソゴソと動き、
馬の脇腹や背中に色んな刺激を与えます。

新馬はそうした刺激が一々気になって、
最初の内は身体をよじらせたり、
後脚を跳ね上げて鞍を落とそうとしたり、
様々に反応を起こします。

私たちも、
電車の中で自分の身体に
人のカバンや肘が当たるとついつい
身体を避けたくなりますが、
それと同じです。

やがて鞍による刺激に馴れ、
背中にも力が付いて来た頃合を見計らって、
人を乗せる練習を始めます。

鞍とは違い、
人にはその人自身の重心とバランスがあります。

直線運動はまだ良いのですが、
少しでも曲線的な運動が入ってくると、
馬体が曲線に入った瞬間に
人と馬の重心とバランスにはズレが生じます。

それが極わずかなものであっても、
新馬にとってはそれは非常に不安定な感覚で、
新馬自身のバランスが崩れるように感じます。

当然、
自分を不安定にさせる人間はお荷物なので、
振り落とそうとして背中をよじってみたり
後脚を蹴り上げたり。

人間のスキを狙って、
次々に攻撃を繰り出して来ます(笑)

乗り手は馬の気配を察知して、
馬が実際の攻撃行動を起こす前に
その動きを封じながら、

馬体がまともな直線や曲線を描いて運動する様に、
馬のバランスと動きを制御します。

制御と言っても
力づくでのコントロールではなく,
攻撃に使おうとしていた馬の力を
運動の方向へと転換させるもので,
合気道のイメージに近い様に思います。

…とは言え,
力と力でぶつかり合って,
馬とガチンコでケンカをしちゃうことも
実際にはままありましたが^^;


この時のことを思い起こすと、
乗り手としての私は
馬は悪さをするものだと疑っていた訳でもなく、
信頼していなかったわけでもありませんでした。

馬はこちらの意図を
いずれは理解できるはずだと信頼して、
悪さを覚えないように
(人間に悪戯をする馬になってしまうと
場合によっては生きる道を絶たれます。)、
悪さをさせない様に乗っていました。


これは、
相手が人間でも同じことだと
ふと思いました。

自分の直感や感覚が
黄色信号を点滅させているのに、
礼儀とか相手への信頼…なんて言って
自分を信頼せずにいると、

場合によっては
自分を被害者にするだけでなく、
相手を加害者にしてしまうこともあるわけです。

これは、
被害者になる人にも問題がある、
と言っているのではありません。

私たちがまずは
自分の直感や感覚を信頼することで、

被害者になる可能性のある人が
事件を止めることもできるのだと言うこと、

被害者と加害者が生まれる
その両方の可能性を阻止することも
出来るのだと言うことを、
私たちは知る必要があると思うのです。



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