新型コロナ感染予防の追加対策と料金等の変更のお知らせ

 

7月の長雨がようやく終わったと思ったら、8月が始まったと同時に猛暑続き!
 
8月の下旬になってもまだまだ暑い日が続いていますが、お日様の光や吹き抜ける風に少しづつ秋の気配が感じられ、何となくほっと出来る日が増えて来た様に思います。
 
皆様は、いかがお過ごしでしょうか?
 
 
6月19日にコロナ感染防止のための自粛・休業要請が全国で解除されましたが、今も感染は広がっており、注意を払いながらの生活が続いています。
 
当院での感染予防対策の取り組みについてのお知らせを、4月と5月にこちらのブログにアップしましたが、それ以降に追加した対策などについて今回のブログで改めてお知らせ致します。
 
また、11月1日より施術料金が、9月よりキャンセル料やメール相談について変更が生じますので、そちらの詳細についても重ねてお伝えさせて頂きます。
 
長い文章になりますが、最後までお付き合い頂けましたら幸いです。
 
 
 

〈感染予防対策について〉

 
新型コロナウィルスの感染経路は当初、咳やくしゃみ、話すことで飛散する可能性のある唾液や鼻汁の飛沫を介しての飛沫感染と、そうした飛沫が付着した場所や物に触れることで起きる接触感染によると考えられていましたが、7月頃から空気感染の可能性も指摘される様になりました。
 
空気感染は、飛沫の中に含まれていたウィルスが、飛沫の水分が蒸発した後に病原体のみで空中に浮遊している状態になっても活性を保つことで生じるため、空気中に飛沫を放出しないことが最大の予防策になります。
 
そこで、クライアントの皆様にもご来院の際には是非ご協力を賜りたいことがありますので(結構沢山あります!^^)、下記に列挙致します。ご一読下さいませ。
 
 
皆様のご協力をお願いしたい感染対策
 
①引き続きの検温
施術の3日前から体温の計測をお願いしておりますが、引き続きご協力をお願い致します。ご来院の際に、当日の体温をお聞かせ下さい。(ご自身での検温をお忘れになられた場合は、来院時、お着替え前に検温をお願いさせて頂きます。)
 
②入室前の手指の消毒
インターホンの上にアルコールスプレーをご用意することに致しました。インターホンを押す前に、プシュッと一押し、消毒をお願い致します。
 
③うがい薬
長時間、継続的に口内を殺菌してくれるうがい薬(アルコール不使用です。甘いミント風味になっています。)をご用意しています。クライアント様にご来院後すぐのうがいをお願いすると共に、「感染しない・させない」為に、施術者も一緒にうがいを行います。
 
④院内でのマスクの着用
施術中と施術後のお茶の時間は、マスクは外してリラックスした状態でお過ごし下さい。施術前のお話の時間や、お茶を召し上がり終わった後に引き続きお話をされる際には、マスクの着用をお願い致します。
 
⑤施術中の私語は、控え気味でお願いします!
院内でお話しする際には、マスクを着けた状態でお話しすることを意識して頂けますと、大変助かります!マスクを着用しない施術中は出来るだけ私語をお控え頂けます様、ご協力をお願い申し上げます。
 
 
当院で行っている追加の対策のご案内
 
⑥施術ベッドの呼吸孔の保護
施術ベッドには頭部に孔が開いており、うつ伏せに寝た際にはその孔を通してベッドの下の空気を呼吸することになります。ここは最も感染のリスクの高いところですので、孔の縁からその下の空間に至るまで、ラップで覆うようにしました。
2枚のラップを用いて、空気がしっかり出入りする様にセッティングしています。ラップは施術毎に張り替えた上で、飛沫が触れる可能性のある箇所は消毒もしますので、呼吸空間は清潔で安全に保たれています。
 
⑦抗ウィルス加工のリネン類で顔の周囲を保護
施術中、マスクは外して頂いています。その為、仰向け姿勢の間は抗ウィルス加工の施されたタオルをお顔に掛けさせて頂きます。口元まで隠れる様にタオルを掛けることで、クライアント様と施術者の双方を感染リスクから守ります。
お顔の上に乗せるタオルだけでなく、ベッドの頭部周囲で用いるリネン類は全て、抗ウィルス加工の生地やタオルを使用しています。
 
⑧80ppm以上の次亜塩素酸水による消毒
次亜塩素酸水は自作出来る消毒・除菌剤で、濃度が80ppm以上であれば拭き掃除でもコロナウィルスに対して有効であることが、厚生省と消費者庁から発表されています。(参照:https://www.meti.go.jp/press/2020/06/20200626013/20200626013-4.pdf)
塩と水道水から手軽に作れる消毒液ですが、熱や光で塩素が抜けて濃度が低下しやすい性質があります。当院では次亜塩素酸水を専用の機器を用いて少量ずつ自作し、試験紙で濃度を確認して使用しています。
 
⑨新規のお客様の受け入れは、継続して自粛しています。
今現在は、まだ新規のお客様を受け入れるのは早い様に感じております為、自分の感覚を信頼して受け入れの自粛を継続しています。既存のクライアント様からご紹介があった場合に限り、新規の方のご予約を承らせて頂きます。
 
⑩キャンセル料は通常通り発生致します。
自粛期間中、コロナに関連してのキャンセルの場合にはキャンセル料は頂戴致しませんでしたが、自粛期間終了後から一定の期間が経過していることと、感染予防に対する情報が社会全体で広く豊富に共有される様になっている現状を踏まえて、キャンセル料は通常通り発生致します。(キャンセル料の設定に変更があります。詳細は後述致します。)
 
 
 
コロナの感染防止に関するお知らせは、以上となります。
 
 
以下では、11月と9月から実施する料金等の変更についての詳細をご案内致します。
 
 

〈料金等の変更のご案内〉

 
①施術料金の変更(11月1日より実施)
初めてご来院頂く場合、施術料は1回24,000円となります。
(初回のみ、施術後にメールサポートがあります。メールは施術から4〜5日後にこちらからお送りし、クライアント様よりのご返信に再度回答をお送りする形で、1往復半までとさせて頂きます。)
 
2回目以降、施術をリピートして受けて下さっている場合は、施術料は1回22,000円となります。
(メールサポートはありません。必要なご相談やご質問は、施術後や次回の施術時に直接伺わせて頂きます。身体だけでなく心理的なことなども、必要があれば遠慮なくどうぞ。)
 
*施術前後に設けているお話の時間は、今まで通り、前後合わせて30分まで1回の施術料に含まれます。
 
 
②年数を経ての再来院の場合(9月1日より)
直近のご来院から3年以上経過している場合は、初回の施術としてご予約を承らせて頂きます。カルテも改めてのご記入をお願い致します。
 
 
③メールでのご相談について(9月1日より)
これまで有料にてメールでのご相談を承って参りましたが、8月いっぱいでこちらのサービスは休止させて頂くこととなりました。
 
感染予防対策やカルテ等の管理業務の増加に伴って、回答文を作成する時間を捻出することが困難になった為です。
 
今の時点では、電話やオンラインでご相談を承るなど、他の形態への切り替えは考えておりません。ご要望があった場合は対応を検討致しますが、出来るだけ施術の際にご質問・ご相談頂けますと幸いです。
 
 
④キャンセル料の変更(9月1日より)
キャンセル料は、ご予約の3日前から発生する形に変更になります。
キャンセル料は、以下の通りになります。

<連絡なしのキャンセル>
日程変更の有無に関わらず一律:10,000円
 
<キャンセル(他日への振替なし)の場合>
  • ご予約の3日前:3,000円
  • ご予約の2日前:4,000円
  • 前日:6,000円
  • 当日:8,000円

<日程のご変更※:初めての方>
  • ご予約の3日前:3,000円
  • ご予約の2日前:4,000円
  • 前日:5,000円
  • 当日:6,000円
<日程のご変更※:リピートの方>
  • ご予約の3日前:1,500円
  • ご予約の2日前:2,000円
  • 前日:3,000円
  • 当日:4,000円
※「日程のご変更」は、同月内での他の日程へのご変更の場合となります。
月をまたぐ場合には、「キャンセル(他日への振替なし)」としてのお取り扱いとなります。
 
 
 

<結びに代えて>

 
neMu no kiを始めた当初から、魂の歩みをサポートできる様な施術を提供したいと言うのが、施術者としての私の密かな野望(笑)でした。それがどの様な形の施術なのか、見当も付きませんでしたが。
 
今年の4月で開院してから丸11年が経ち、今は肉体の調整を通して「魂の歩み」のサポートが出来るような、そうした質のサポートだと言える様な施術になって来ているのを日々感じています。
 
継続的にご来院して下さっているクライアント様たちも、それぞれの身体の変化を通してその様に感じ取って下さっている様に思います。
 
「私」と言う存在を構成している物理的な肉体と、目に見えない感情や思考の意識/エネルギーの領域。これら全ての歯車が噛み合って、クライアントの皆様がより良く「私」を生きることが出来るように。
 
これからも、更に良き施術を提供して参りたいと思います。
 



緊急事態宣言下でも健全な呼吸を保つために〜紫の炎を呼吸する

 

コロナウィルス感染拡大による緊急事態宣言が出てから、ほぼ1ヶ月経ちました。皆さん元気にお過ごしでしょうか?

この1ヶ月の間、ご連絡を下さったクライアントさん達とやり取りをする中で、少しずつお伝えして来たことがあります。それは、「呼吸」についてです。

ウィルスと言う姿の見えないものが、会話や触れ合いによって人から人へと伝わって行く。感染の媒介となるのは私達の唾液であり、呼吸だとされています。

人に感染さないように、感染されないように、私達はマスクや眼鏡を付けて、除菌するためのものを持って日常を過ごしています。

そうやって意識しながら身を守るのは、今は大切なことです。でも、人とすれ違う時に無意識に息を詰めていたり、呼吸を小さくしている自分がいることにふと気付きました。

これは私だけでなく、感染に対して気を配っている多くの人にとっても起きていることかも知れない。そう思いました。

では、「感染」が頭の片隅にあることで、抑えがちで重々しいものになっている呼吸を、健全なものに変えるにはどうしたら良いか?

問題は「呼吸」にあるのではなく、吸っている空気にあります。それなら、空気に対する意識を変えれば良い訳です。

そこで浮かんだのが、紫の炎を呼吸すること。

感染するかも知れないと言う意識は、具体的にはウィルスを含んだ空気や飛沫を吸ってしまうかも知れないと言うイメージに対する恐れです。こうした恐れを持っていると、そうした現象を自分の元に呼び込み易くもなります。

吸い込む空気そのものへのイメージを良い方向に変えると、それは同時に感染への恐れを手放して行くこと、感染を自ら呼び込むことを防ぐことにも繋がると思います。

では、紫の炎の呼吸の説明をしますね!

 

紫の炎とダイヤモンドの光の呼吸

 

まず自分の周りを大きく紫の炎で包み、その紫の炎を呼吸の際に吸う様にしてみて下さい。

紫の炎は、御焚き上げの炎の様に、ゴオゴオバチバチ言うような勢いのものをイメージします。

(もし、映像として紫の色や炎の形が浮かばなくても大丈夫です。紫の炎で自分を包んでいると意図すれば、エネルギーのレベルではその様になっています。)

吸い込んだ紫の炎は身体の内側に行き渡り、細胞の一つ一つ、身体の隅々まで満たします。

身体の隅々まで行き渡って一つ一つの細胞をクリアにした紫の炎を、吐く息で一つ一つの細胞、一つ一つの毛穴から、身体の外へ放ちます。

もう一つイメージを加えられるようなら、紫の炎と共にダイヤモンドダストの様なキラキラした光の粒子も一緒に吸い込むと、より良いと思います。

一度、普通に空気を吸うのと、紫の炎を吸うのと、ダイヤモンドの光も加えて吸うのとを、それぞれ試して感覚を比べてみて下さい。

通常の呼吸よりも、紫の炎やダイヤモンドの光をイメージして呼吸する方が、呼吸が軽く楽なものに感じられると思います。

これは、単なるイメージではなく、実際に軽く明るいエネルギーを身体の中に意識的に取り入れることになります。

今は、地球と言う大きな規模で、私達みんなが奥底に抱えている様々な恐怖や不安の感情(病気や死や困窮などへの。)が動いていると思います。それが集合意識を通して各個人に働きかけるため、訳もなく不安や恐怖や心配を感じることがあると思います。

そうした状況下にあっても、紫の炎で自分を大きく包み、炎を呼吸し続けるすることで、気持ちを楽な状態に保ち易くなると思います。

最後に、紫の炎とダイヤモンドの光の呼吸を一日中続けるのに、ずっとイメージし続ける必要はありません。

紫の炎の呼吸を行いながら、「この呼吸を今日一日し続ける。」と意図すると、そうなります。あとは、そうなっていると信頼して下さいね!()

 

新型コロナウィルス感染症への当院の対応と対策

 

47日には政府から、10日には東京都からも、新型コロナウイルス感染症の拡大防止に向けた緊急事態宣言が為されました。

当院では41日付けで、ご予約を頂ているクライアントの皆様に対して当院における感染症対策の詳細を一斉メールにてご案内しておりますが、

緊急事態宣言を受けた今、衛生面における安全について、今まで以上の配慮と誠意、そして良い意味でのシビアさを持って判断し取り組んで行く必要があると感じています。

(整体院の内、利用者が身体機能の維持を主たる目的として利用している施設については、休業要請の対象外となっています。参照URL:https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/1007617/1007679.html

ご利用のメーラーによっては、先にお送りした電子メールを確認出来ないこともある様ですので、サイト上で改めて当院の取り組みをお知らせし、クライアントの皆様にご確認頂ければと思います。

また、電子メールでご案内した内容に幾つかの修正や変更も加えていますので、既に目を通して下さっている方も今一度ご確認頂けましたら幸いです。

 

目次

  1. 当面の施術の提供について
  2. お客様の受け入れについて
  3. 当院での具体的な対策
  4. ご来院の際にお願いしたいこと
  5. コロナウィルスに関連したキャンセルについて

 

<当面の施術の提供について>

当院では9日〜18日の10日間、感染拡大防止の対策の一環として休業と致します。19日以降は再開し、当面は様子を見ながら施術を提供して行く予定でおります。

ですが、ご来院を予定されている方の中には、少なからず不安や心配を感じている方もいらっしゃるかも知れません。

感染症は一人の問題では収まらず、周囲の人をも巻き込むものです。クライアント様ご本人はもとよりご家族の中でも、この様な時に施術に行って大丈夫なのかと、懸念や心配が生じることがあると思います。

そこで、当院で行っている対策を皆様に詳しくお知らせし、また更に、ご来院に際しては皆様にも一緒に取り組んで頂きたいこともこの場をお借りしてご提案したいと思います。

当院では取り得る限りの対策を施しますが、ご来院されるかどうかの最終的な判断は、それぞれのクライアント様が、ご自身にとって最善だと思える様にして頂くのが望ましいと考えています。

その判断の材料の一つとして、この記事を役立てて頂ければと思います。

 

<お客様の受け入れについて>

当院のクライアント様は、定期的に来院して下さっている方が9割を占めており、それぞれの方の体調や生活の様子などは自ずと理解出来ていると思います。

クライアント様のご事情を施術者が肌感覚で感知出来ていることは、院内での感染を予防する上でも実は非常に重要なことだと感じています。

安全の確保は、施術を提供する側の取り組みだけでは十分ではなく、利用者であるクライアントの皆様にもご協力頂く必要があります。

十分な信頼関係が築けていると、同じ思いを持ってこうした取り組みを行うことが出来るため、安全性の確保もより効果的に行えると思います。

そこで当院では、緊急事態宣言の期間中は、既に継続的にご来院下さっているクライアント様方のみ、ご予約を承ることと致しました。

新規のお客様と、最後にご来院されてから1年以上経過していて現状を把握出来ていないクライアント様は、現在は受け入れを控えさせて頂いています。

なお、現時点(413日現在)での予約状況をご案内しますと、7月半端までいっぱいとなっております。ご予約の際には、7月下旬以降の日程でご検討下さい。

 

<当院での具体的な対策>

・施術者自身の、毎朝の検温による体調把握。

・施術中は終始、マスクを着けた状態にて施術。

・施術後のお茶とお菓子の用意も、マスクを着けて行う。

・施術中は原則として窓を開けておき、十分な換気を保つ。(窓は施術ベッドのすぐ横に位置しており、クライアント様の顔・頭の周囲の空気を常時入れ替えています。)

・気温が低い、あるいは強風や埃などにより窓を開けておくことが難しい場合でも、30分毎に1回は窓を開けての換気、もしくは換気扇を用いての空気の入れ替えや、殺菌作用&抗ウィルス作用を持つ精油の持続的な噴霧により、院内の空気を清浄に保ちます。

・施術中は身体はタオルで覆い、お顔は手拭いで(フワリと苦しくない様に)覆うため、施術者の皮膚と直に接触することはありません。

・施術中は、基本的に私語を交わすことはありません。(集中力を必要とする施術であるためです。)

・体調についての聞き取りや説明のための会話は、施術前後に設けたお話しのための時間でまとめて行います。この間は適切な距離を取り、施術者はマスクを着用します。

・施術に用いたタオル類、手拭い、着替えは、お一人お一人全て交換し、洗い立てのものを使用。

・ベッドに直接掛けている大判の厚手のタオルは、表裏それぞれ2回ずつ用いますが、使用後はその都度カーペットクリーナーでクリーニングし、アルコール消毒を行い、1間ほど外気に晒すか、オイルヒーターを用いて熱に晒します。

(施術中に発汗があった場合や、クシャミや咳が出た様な場合は、すぐに交換します。)

・施術に用いる枕は、ラップで全体を覆った上で更に手拭いで全体を包み、顔に触れる面には更に専用の布カバーを掛けた上でフェイスペーパーも用い、4重に包みます。施術終了後はそれら全てを取り替えます。枕自体もアルコールスプレーを噴霧した上で、オイルヒーターの熱に1時間以上晒します。

・ベッドの有孔部分(鼻や口を出すところ。この上に枕を置きます。)は、施術後にアルコール消毒します。

・トイレや玄関等のノブやスイッチのアルコール消毒。

・トイレ用のタオルもご予約毎に入れ替え、お一人お一人に新しいものをご用意しています。トイレの掃除もきちんとしてあります。

・ご予約は一日に一人のみ承る形ですので、施術者以外の第三者との接触の危険はありません。

・クリスタルを用いて施術室と施術者にそれぞれ結界を張り、施術室のエネルギーがクリアに保たれる様にしています。

 

<ご来院の際にお願いしたいこと>

・症状はなくとも、普段と違う感じがしたり、何となく止めておいた方が良いのではと感じた場合には、その直感や感覚に従って下さい。

・施術者も、検温を毎朝行う様にしています。クライアントの皆様にも、出来ればご来院の3日前から検温をして頂けたらと思います。

37°以下は平熱とされています。コロナウィルスで目安とされているのは37.5℃ですが、念のために37.0℃を超えている場合や平熱を大きく超えていると感じる場合は、大事を取ってご来院は控えて頂ければと思います。

・ご来院の際には、お互いの検温結果をまずはじめに報告し合い、双方の安全と安心を確認出来ればと思います。

・ご事情があって検温出来なかった、検温を忘れたと言う場合には、ご来院時に検温をお願い致します。(体温計はこちらでご用意します。)

・ご来院時には、まず手洗い・うがいをお願い致します。

・施術中、仰向けの際には口元まで手拭いを掛けさせて頂きます。(苦しくない様、フワリと。)それにより、急なクシャミや咳が出た場合でも、その飛沫が飛散するのを防ぐことが出来ます。

・精油を噴霧する機器の音の煩さや、継続的な換気による寒さなど、ご不便をお掛けすることが出て来るかも知れませんが、温かいお気持ちでご協力下さい^_^

 

<コロナに関連したキャンセルについて>

今後、状況が収束するまでの間、コロナウィルスもしくはコロナウィルスが疑われる理由でのキャンセルの場合、キャンセル料は頂きません。

例えば、ご予約の当日に急に熱が出たり、あるいはご家族に疑わしい症状が出た場合は、決して無理をせずにキャンセルのご一報を下さい。

施術者からも、私自身や身内の者に急に熱が出る様なことがあれば、ご予約日の朝に急なキャンセルのご連絡を入れさせて頂くことがあるかも知れません。どうぞご了承下さい。

 

最後に、皆様にはいつも紫の炎についてお話ししています。

コロナウィルスに感染するのではないか?と言う恐れを持っていると、それを引き寄せ易くなります。

日頃から、ご自身を大きく燃え盛る紫の炎でしっかりと包み込み、感染への不安や恐れを手放して行く様に、意識して取り組んでみて下さい!()

 

クライアントの皆様のご協力を仰ぎながら、出来得る最大限の安全を保って、施術を提供して参ります。

 

 

ちょっとだけオムニバス


目次

文字との対話
前置きを少し
純粋なるカマキリの祈り

 


文字との対話



文章を書くのは何のためか?

これは、
こうしてホームページに投稿する記事を書く度に、
この10年自分に投げかけ続けて来た問いです。

前回記事を書いたのは
去年の11月のこと。

本当に書きたい、と感じるまで
無理に書くのは止めよう。

そう考えて
記事を書くのをストップしてから、
早1年と1ヶ月。

いや~、さすがに
そろそろ書かないと!
…と浮かぶ焦りを手放しつつ、

でもそろそろ書いても良いのかなぁ、
書きたい気もするなぁと感じ始めたつい最近のこと。

ふと、こんなことに気付きました。



今まで、文章は一人で書いていると思っていた。
でも、違った!

文章は何よりも、文字との対話なんだ、
と。

文章を書くことは、
自分の思考や意識を文字にすること。

そうやって一つ一つ丁寧に拾い出して
選択的に並べた文字を見ながら、
自分の内なる世界の真実がどんなものであるか、
それを自分で気づいて行く。

自分の内なる世界に気付く作業には、
文字の協力が欠かせない。

文字達は鏡となって、私自身の意識を反射する。

そう言う働きをしてくれるから、
私の意識は自分で選び記した文字から
自分を知ることが出来る。

一人じゃなかった!
一人でやっていたのではなかった!

 文字達との協働作業無くしては、
そうした自分を解き明かす鍵としての文章は
生まれて来ないんだ!



誰かのために書くこと、
ましてやお店に人を呼び込むために
文章を書くようなことは、

私と言う人間の生き方の方向性、
もっと言えば私の魂にはそぐわない、
私にとっては意味を感じられない事だと言うのは
以前から分かっていました。

それでも文章を書いている。
これは一体何のためなのだろう。
どうして自分は文章を書くのだろう?

ず~っと探し続けて来たその答えは、
「何のため?」という問いかけに対して
想定していたものとは全く違う方角から
不意にやって来たわけです。



目からウロコ。
晴天の霹靂。
そうか~、そうだったのか~。

文字を通して自分を知るため。
文字を通して、自分の意識の在り処や
意識の行こうとしている所を知る為。

今、
文字そのものと対話するために、
こうして文章を綴っています。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像



前置きを少し…。



順序が逆になりましたが、
皆様、大変ご無沙汰していました。

1年という時間が経つ間に、
平成が31年で幕を閉じて令和が始まり、

沢山の台風が日本を訪れて、
多くの場所が姿を変え、

消費税が8%から10%へと変わり、
それを待たずして
neMu no ki も料金設定が変更になり、

色んなお店のレジ打ちのお姉さん方が
様々な決済方法にスムーズに対応できるように
なって来た頃に
天皇陛下の即位式やパレードがあり、
日本中がラグビーで熱狂し…。

今は12月中旬。
日中19度という破格の暖かさの中、
遅い紅葉・黄葉が青空に美しく映えています。

目まぐるしく新旧が入れ替わり、
更には何とも風変わりな一年でもありました。

そんな2019年の出来事の中で、
強く印象に残っていて
どうしても書きたいことがあります。

その中の一つが、
次に紹介する
「カマキリの祈り」です。


純粋なるカマキリの祈り



わ~!
驚いた!

何がって?
花を摘みに庭に出たら、
こんな姿のカマキリがいたの。


花はムクゲ。

次の日に見た時には萎んでいたから、
この日がムクゲにとって
最も美しくきれいに開いた、
晴れの日。

全ての花びらを大きく目いっぱい広げた
そのムクゲの花芯に向かって、 
カマキリがまっすぐに立っている。



顔は花芯の少し下の高さにあって、
少し上目遣いに見上げる位置関係。

後ろ足は左右で高さの違う葉に乗せ、
前足は花びらの縁にそっと触れている。

決してバランスを取りやすいようには
見えないのだけれど、
風がそよいで葉がそよりと揺れても 
カマキリはぴくりとも動かない。



「珍しいものが観られるよ~!」 
私の声で母が庭に降りて来たのと
同時くらいだったかな。

それまでは、 周りをウロチョロしながら
様子を覗き込んでいた私を気にしてか、
カマキリもキョロキョロと目線を
動かしていたのだけれど、

急に覚悟を決めたみたいに
頭をすっと下げると、
静止したの。

きちんと合わせた両の鎌の上に
顔を近づけて、
それはまるで花芯に向かって
こうべを垂れるかのよう。

まさに、祈りの姿。


お尻から胸まで
す~っと美しく立ち上がっている、
その力みのない自然な姿勢を観ていたら、
何だろう。

広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩を観ている様な、
神妙な気持ちになっちゃった。

Public Domain(菩薩半跏思惟像 像高131.2cm 中宮寺/朝日新聞社、昭和17年 小川晴暘)


母の目にも、これはやっぱり
祈りに見えたそうで。

― こんなに真剣に、何を祈ってるんだろうね?
― 世界平和かなぁ。



摘み終わった花を片手に
出勤する時にも
カマキリは祈り続けていて、

後で母に聞いてみたところ、
20分以上はそのままの形だったそう。

祈りの姿勢を解いた後は、
鎌を片方ずつきれいに舐めて
丁寧にゆっくり
身体のお手入れをしていたんだって。



この日は8月22日。
ようやっと文章にまとめたのはその2か月後。
更に2か月を経て、今。

この4か月の間に、
本当に色々な事があったと思う。

記事のURLを決めるために、
カマキリを英語でなんて言うのか
調べてみた。

それでもって、



わ~!
またまた驚いた!

何がって?
カマキリは英語でpraying mantiseって言うのだと
初めて知ったから!

prayingは、祈り。

うわっ、
祈りって言葉が入ってた!

一体語源は何だろう?

調べてみたら、
mantiseという言葉自体も
ラテン語で僧侶や預言者という意味だと言う。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412539149

英語圏の人たちにとっては、
カマキリってそんなに尊いイメージの
存在だったのか~。



祈る僧侶。

最初に名付けた人も、
弥勒菩薩みたいなあの姿を
見たのだろうか?

あの気高いカマキリの姿を。




「身体の声を聴く施術」が出来るまで / 年末年始までの営業予定

 

目次


知性ある身体

身体を信頼する
揺らぐ自己信頼
コントロールを手放す
パターン化した緊張
変化しない自由
善悪のジャッジを超えて
年末年始までの営業予定

 

すっかりブログの更新が

のんびりになっておりまして、

 

10月の営業のお知らせをしないまま

11月に入り、しかも

11月も中旬となりましたが(^^;

皆様お元気でしょうか?

 

 

今年は、

neMu no ki にとっては

開業10年目の年。

 

施術は、この10年の間に

大きく変化して来たなぁと

改めて思います。

 

施術の方法は、

基本的には変わりません。

 

ですが、

相手にしている「身体」そのものが

その現れをどんどん変えて行きました。

 

 

 

 

知性ある身体

 

初めの頃は、

物理的な肉体の「質感」を頼りに、

施術を行っていました。

 

この時期、

私が向き合っている「身体」は、

あくまで観察されて施術を施される

受動的な「客体」でした。

 

それはやがて、

望む変化を自ら選んで

その方法を能動的に示す、

施術の「主体」となって行きます。

 

身体は

単純な物理的な肉体ではなく、

能動性と知性を持つものとして、

その本来の姿を現し始めたと感じました。

 

 

10年経た今、

施術の中での身体は、

自らの中に蓄積して来た体験を

まるで地図のように、

体表というキャンバスに描き出します。

 

地図は、

「音」によって描かれます。

 

身体の声とでも言うべき、

身体から響いて来る

音なき音を施術者が聴き、

 

様々な方向へ自由に移動する

その音を追いかけて行く内に、

それは地図となります。

 

 

 

 

この10年で起きた変化は、

施術における身体と施術者との

関係性の変化ももたらしました。

 

「施術者が行う施術」から、

身体が主体となって展開する

「身体が行う施術」へ。

 

こうした変化が生じたのは、

施術者としての私自身が

自らの意識を大きく切り替える事を

望んだことが始まりでした。

 

 

 

身体を信頼する

 

「自然治癒力」と言う

言葉があります。

 

もし、身体が本当に

自然治癒力を持つのなら、

 

当事者ではない治療者や施術者が

経験則やデータを元にして

方針を決めて治療や施術を行った後、

 

そこから先だけ

本人の身体の回復力に任せる様な

従来の治療や施術の在り方は、

 

治療者や施術者にとって

都合が良いだけだと思いました。

 

身体の回復力、

その治癒力を本当に信頼するなら、

 

どのように治癒を進めていくか

その方針を決める事自体も

身体に任せるべきだし、

 

身体にはそれを決められる力が

あるはずだと思ったのです。

 

身体の持っている力が

どのようなものか

まだ全く分からないけれど、

とにかく信頼して委ねてみよう。

 

身体を信頼して、

施術の全てを身体に委ねよう。

 

そう意図したのが始まりです。

 

 

 

そうした意識を持って

向き合う内に、

 

身体は最良の方向へ向かうために

必要なことを全て知っており、

またそれを表現するための

叡智も持っている、

 

つまり「知性」ある生命だ

ということが、

明確になって行ったのでした。

 

このようにして

変化して行く身体と

向き合うことは、

私自身にも大きな変化を

もたらしました。

 

今回は、

そんな風にして起こった

私自身の内側の変化の一つを、

お話しようと思います。

 

 

 

揺らぐ自己信頼

 

スピリチュアリズムや

精神世界に興味のある方は、

リーディングやチャネリング

と言う言葉を

聞いたことがあると思います。

 

霊的な存在とコンタクトを取り、

あるいは彼らに自らの身体を

一時貸すことによって、

彼らの言葉をこの世界に

もたらすことを表します。

 

リーディングやチャネリングを行う

能力者にとっては、

自分が本当にそうした存在と

繋がることが出来ているか、

また彼らの言葉をちゃんと

聴くことが出来ているかなど、

 

多くの人からは目に視えない存在を

媒介しているがために、

責任を持ってその役割を

担おうとすればするほど、

自分を疑う要素が出て来ます。

 

霊的な存在の姿を見たり

声を聴くことが出来れば、

行き先を迷うこともなく

生きるのは楽なように思えますが、

 

そうした役割を確かに担うには、

他の人が視たり聴いたり

することのないもの、

 

つまり

その存在の根拠を

自分以外の人間に求めることが

出来ないもの、

 

そうした性質のものを

感じ取っている自分自身への、

丸ごとの信頼が必要となります。

 

 

「身体の声」を聴くことへと

施術が変化し始めた時、

これと同じ事情により

私の中でも自分への信頼が

ぐらつき出しました。

 

身体の声をちゃんと

聴き取れているかどうかは、

施術が終了すれば分かります。

 

身体の変化の仕方と

そこに描かれる地図とが、

それを示すからです。

 

ですが、

施術を行っている間は、

身体がどこへ進もうとしているのか、

どこにどのような変化を

もたらそうとしているのか、

 

行き先の読めない状態で

身体に耳を澄ませることになります。

 

 

 

コントロールを手放す

 

このような時、

「こうかも知れない」という

見立てを立てれば

少しは安心できるかも知れません。

 

ですが、「見立て」は

施術者が身体の変化を

方向づけする意識なのです。

 

そうした意識を持つと、

実は身体はそのように反応します。

 

身体は、身体の持ち主だけでなく

周囲の人の意識の動きにも

敏感に反応しています。

 

そして、その意識が

誰からもたらされたものなのかを

区別しません。

 

身体自身が望むような変化を

現実化させて行くサポートをするなら、

 

施術者が身体の変化の方向を

決めるような意図を持つことは、

身体にとって邪魔になります。

 

予断、判断はすべて手放して、

身体の望むことだけを

聴き取る意識が必要なのです。

 

 

 

予断も判断もしないで

臨床に立つと言うのは、

丸腰で戦いの場に

赴くようなもので、

恐さを伴います。

 

最初の内は、

今回も最後に決着するだろうか、

ちゃんと全ての辻褄が合う形で

結果が出るだろうかと、

施術の度に不安がよぎりました。

 

あるいは、

微細な音なき音を

聴き取れなかったらどうしようと

思う時もありました。

 

施術者という役割を支え、

施術者であることに

価値と保証を与えてくれるのが、

施術で生じる「結果」だと

思っていたため、

 

結果をコントロールしたくなる誘惑、

分かりやすい大きな変化を

身体に生じさせたいと思う気持ちは、

幾度も執拗に現れました。

 

 

 

こうした誘惑を手放して、

結果にこだわる意識から

自分を解放しないと、

目指している施術には

手が届かないことは感じていました。

 

誘惑を手放すには、

背後にある自分の感情と

それを生み出している思考に

向き合うことが不可欠です。

 

施術者として結果を出さないと

という責任感や、

結果が伴わなければ

お客様が離れていくかも知れない

という恐れ、

 

明確な結果を出すことで

認めてもらいたいと思う気持ちや、

自分がやっていることは

本当に正しいのだろうかという

自分への信頼の欠如…。

 

驚くほど沢山、

手放すべきものが見つかりました。

 

 

 

そうした感情や思考を

一つ一つ丁寧に拾い出し、

手放す作業を行う内に、

 

コントロールを欲する気持ちの

背後に隠れていた大きなものに

気付きました。

 

それは、身体の声として

感じ取っていることは、

自分が勝手に作った

思い込みではないのかという

自己不信でした。

 

そのため、

確実な証明や保証を

「結果」という形で

求めようとしていたのです。

 

ですが、

本当は外側から

保証されることではなく、

 

自分が感じたことと自分自身を

掛け値なく「信頼」することが

重要だったのです。

 

ただひたすら

身体を信頼してみよう。

 

施術の初期の頃に

そう決めた自分が、

自分を信頼出来ていなかったことに

気付けたのでした。

 

 

 

パターン化した緊張

 

自分の内側が

整理されて行くと、

 

結果をコントロールしたい

という意識は

自分のハートの周囲を

ぎゅっと押さえ込み、

 

そこに絶え間ない緊張を

生み出していたことも、

 

感覚としてはっきりと

捉えられるようになりました。

 

徐々に軽減してはいましたが、

施術の度に感じていた

ハートの周囲の緊張は、

 

放っておくと

施術すること自体を苦痛にし、

施術に臨む気持ちを

萎えさせる可能性のあるものでした。

 

 

 

施術の間に感じる緊張は、

いかなるものであれ

施術者に疲労を残します。

 

長い時間の施術や

集中力を要する施術では、

一回一回の施術は

本当に楽に行えることが重要です。

 

とりわけ、

人と人との関係性を司り、

施術の際には

最も活躍するチャクラが位置する

ハートの周囲に緊張があると、

 

施術は必要以上に疲労を生む

辛く苦しいものとなります。

 

 

 

更に問題なのは、

コントロールの欲求と

結びついた形で

ハートに緊張があることで、

 

意識の上ではコントロールを

手放しているにも関わらず、

 

施術の際にはその緊張が、

コントロールしようと

自動的に反応を起こす、

言わばプログラムのような形で

作動することでした。

 

結果へのコントロールを

完全に手放すためにも、

何としてもハートの緊張を

手放す必要がありました。

 

 

 

変化しない自由

 

思いに反して、

コントロール意識と癒着して

パターン化してしまっていた

ハートの緊張は、

容易には解けませんでした。

 

何とかしようと

四苦八苦していた

ある日の施術中、

 

ふと

「変化しようがしまいが、

身体の自由。

どっちでも良いんだ!」

と気付きました。

 

それはハートの緊張の話ではなく、

クライアントの身体のことです。

 

施術者なのに、

クライアントの身体が

変化してもしなくても

どっちでも良いなんて、

 

それまでの自分なら

何て無責任な、あり得ない!

と思ったはずです。

 

でもその時は、

急にそう閃きました。

 

そう思った途端に、

ハートの周囲が

フワッとゆるむと、

 

何の緊張も感じることなく

臨床に臨んでいる自分がいることに

気付いたのです。

 

コントロールしようとする意識を、

ついにやっと、本当に

手放せたのだと分かりました。

 

手放したと言うより、

今まで握りしめていたものを

ぽ~んと気持ちよく

放り捨てたと言った方が、

その時の実感に近いかも知れません。

 

 

当のクライアントさんの

身体はと言うと、

 

どっちでもどうぞと言われて

変化をやめるどころか、

自由にエネルギーを吸収して

大きく素早く変化を起こしました。

 

まるで、全ての枷が外れて

やっと自由に変化が出来る、

とでも言う様に。

 

変化する・しないも含めて

全てを身体の意思に委ねること。

 

それが身体にとっては

何よりも望ましいサポートなのだと、

心底理解した瞬間でした。

 

 

 

善悪のジャッジを超えて

 

変化するもしないも、

身体の自由。

 

そう思えた時に、

実はもう一つ

手放していたものがありました。

 

それは、

変化することは良い事、

変化しないのはダメな事、

と無意識の内に決め付けていた

思考のパターンです。

 

これは、

物事を善悪の両極に分断させる

ジャッジの意識でした。

 

ジャッジの意識を持つと、

一旦ダメだと判断したものは

その全てが「ダメ」に見え、

 

そこに含まれている

豊かな価値や意味に

気付くことを妨げます。

 

これを手放せたことで、

「変化しない」という現象にも、

身体にとっては必然性と理由が

ちゃんとあること、

 

変化する時はもちろんのこと、

期待したようには

身体が変化しない時にも、

 

どちらにも同じように

重要な意味があるのだと、

信頼できるようになりました。

 

そして、

それは身体だけでなく、

全ての物事に関しても

そうなのだと。

 

 

 

身体の声を聴いて行う施術は、

こうしてやっと、

一切を身体に委ねて

行う施術になりました。

 

確実な結果(変化)を出す

責任から解放されて、

 

施術者は、身体の変化を

クライアントと共に見守る

オブザーバーとなりました。

 

施術は楽ちんだし、

どんどん楽しくなっています!

 

また、施術者の役割が変わると、

こんなことも分かって来ました。

 

それは、施術は身体に

変化を起こすためのものではなく、

 

施術を受ける前に

その時に必要な変化を

身体はすでに起こしていること、

 

そして、施術はその変化が

肉体にはっきりとした形で

現実に現れるよう、

 

変化を確定し、

その現実化を助ける為の

ものであると言うことを。

 

 

 

年末年始までの営業予定

 

あっという間に

季節が過ぎて、

今年も残すところ1ヶ月半。

 

わ~、そう書いて

ちょっとビックリ!

 

少し気が早いですが、

年末年始までの営業予定を

お知らせしますね。

 

 

 

11月はすでに

ご予約がいっぱいですが、

 

 

キャンセルやご変更が

出る場合もありますので、

ご希望の方は遠慮なく

お問合せ下さい。

 

12月は以下の日程が

臨時休業となります。

10(月)、17(月)、

18(火)、25(火)

 

これらの代替日として、

通常は定休日の水・日を

以下の日程で開院します。

12(水)、19(水)

23(日)26(水)

 

年末年始の休業は、

12月28日~1月2日です。

 

年始は3(木)~5(土)を

開院致しますが、

7(月)~11(金)まで

再度お休みとなります。

 

年末年始のご予約をお考えの方は、

お早めにお問合せ頂ければと思います。

 

 

 

今年は秋に入ってからも

暖かさ(暑さ?)を感じる日が

多くありましたが、

 

だんだんと気温が下がって、

やっと秋らしくなって来た気がします。

 

晴れた日には

本当に青空が美しいですし、

 

隣家の柿の木も

豊かな彩を見せてくれていて、

勝手ながら借景を

楽しませて頂いています!(笑)

 

皆さんも、どうぞこの季節を

目いっぱい楽しんで下さいね~!

 

 

ハートの中心に居る感覚 / 9月までの営業予定

 

目次


9月までの営業予定

意識の在り処
聖なるハートの中心
中心に居ることの難しさ
現実世界の体験を変える体内感覚
自他の境界を見失わせる「前のめり」
「受け取る」ことを阻む体内感覚
中心からズラす力の正体

 

 

9月までの営業予定

 

またまた、ブログをアップするのに

時間が掛かってしまいました!

 

あまりにも間が開くと

「営業してるの?」なんて

密かに心配されている方も

いらっしゃるかも知れませんが、

 

大丈夫です!

neMu no ki は猛暑に負けず

元気に営業しておりますよ~!

 

 

今回は、まずはじめに

今後の営業予定について

お知らせさせて頂きますね。

 

neMu no ki は

9月の3日から1週間、

営業をお休み致します。

 

定期的に通って下さっている方には

早めにお伝えしていましたので、

8月はほぼご予約がいっぱいです。

 

残すところ25日(土)の

一枠のみとなっています。

 

また、同じ理由により、

9月も中旬までいっぱいです。

 

施術をご希望される方は、

出来るだけお早めにお問合せ下さいね!

 

 

 

意識の在り処

 

さて。

今回の記事の本題です。

 

あなたの意識は

どこにいますか?

 

そう聞かれた時に、

すんなり自分の内側に

意識を向けられる人もいれば、

ちょっと戸惑う人もいると思います。

 

意識は、私たちの身体の中に

力が集中しているような、

「焦点化」している感覚を

生み出します。

 

先を読み進める前に、

少し自分の身体の内側に

意識を向けてみて下さい。

 

あなたの意識はどこにいますか?

頭の中でしょうか、

胸の辺りでしょうか?

 

頭と感じた人は、

その焦点を一旦

胸へ下ろしてみて下さい。

 

そして、胸の中心へと

その力の焦点を移してみて下さい。

 

頭の中に居た時と

胸に移ってみた後では、

感覚は変わりますか?

 

胸の中心ではどうでしょう。

 

自分の中の静けさや

寛ぎの感覚などには、

違いを感じられるでしょうか?

 

 

 

聖なるハートの中心

 

少し前の、まだ涼やかだった

初夏の頃のこと。

 

私には、

お気に入りの散歩道が

幾つかあります。

 

その中の一つ、

緑濃く繁るアカシヤや

豊かに実をつけた桑の木が

爽やかな風にそよぐ堤防沿いを

のんびり歩いていた時に、

 

「ハートの中心に戻る」

体験をしました。

 

自分がハートの中心にスポンと

はまったのを体感しました。

 

 

この日は、

ハートの中心の感覚を捉えようと

意識しながら歩いていました。

 

ここで言うハートとは

エネルギーセンターとしての

ハートチャクラです。

 

心臓が正中よりも

少し左寄りであるのに対して、

ハートは正中に位置します。

 

つまり、ハートチャクラは

胸のど真ん中にあります。

 

そして更にその中心には、

聖なるハートの空間

もしくは聖心と呼ばれる「場」があり、

 

私たちはここを通じて、

自分という存在の根源と

他のすべての生命の中心とも

繋がっているそうです。

 

 

この日は、周囲の光景も

ひときわ心地よく、

美しく感じました。

 

「きれいだな~。

気持ち良いな~!」

 

自然の美しさに感激しながら

歩いていたことで、

普段より呼吸も

深くなっていた気がします。

 

ふと、

心臓の周囲の緊張が

解け始めたのを感じました。

 

心臓の外壁がふわ~っと緩み、

それに伴って内部の空間も

大きく広がって行きます。

 

心臓の中で空間が広がる感覚は、

私たちが安心や寛ぎを感じる時の感覚と

とても良く似ています。

同じものと言って良いと思います。

 

 

 

まもなくして、

先程の広がって行く動きとは逆に、

今度はハートの中心に向けて

何かがひゅ~っと集まり始める

感覚が生じました。

 

流れは勢いよく中心に集まると、

最後にスポンという感覚と共に

ハートの中央部で留まりました。

 

 

 

その中央部には、

まるで小さな球形の鋳型が

密かに設置されていたかのようで、

 

流れは球の天辺から流れ込むと

鋳型の内部に満ちて行きました。

 

ちなみに、

球形(もしくは宝珠型)と感じたのは

流れが鋳型を満たし切った時でした。

 

鋳型が満ちた瞬間に

スポッとハマった感覚が生じ、

 

それと共に、

流れによって満たされた空間の形が

分かったのでした。

 

 

 

スポンと

ハマるべきところに

ハマった感覚を感じた時に、

 

自分の意識が

「自分」という存在の中心に

ピタリと収まったのだと分かりました。

 

 

中心に居ることの難しさ

 

こうして、

自分の中心と一致している状態と

そこから来る絶対的な安心感は、

しばらくの間続きました。

 

でも、一度体験したことが

そのまま定着するという具合には

なかなか行かないのですね。

 

やがて、

一体化していた中心から

意識が離れて行こうとして、

身動きし始めました。

 

 

 

意識は中心から前へと

ズレて行こうとします。

 

それを引き戻して、

中心に収め直します。

 

それでもやはり

落ち着かない様子で

また勝手に前に動くので、

また引き戻します。

 

身体の中で

こんなやり取りを

繰り返している内に、

気付きました。

 

前にズレて行くと、

心臓の前面にモヤモヤ

ビリビリするような

苦しく不快な感覚が現れます。

 

中心に戻ると、

寛いだ感覚がふわ~っと全身に広がり

心だけでなく思考も落ち着きます。

 

ハートの中心が

自分の意識にとって

本来居るべき場所であるのは、

こうした感覚からも

確かなようです。

 

それにもかかわらず、

放っておくと意識は中心から離れて

勝手に前にズレて行こうとします。

 

一体何が、

起きているのでしょうか?

 

 

 

現実世界の体験を変える体内感覚

 

前にいる感覚と

中心に居る感覚とを

交互に体感している内に、

 

それぞれの感覚の違いが

こんなことを教えてくれました。

 

自分の意識が

ハートの中心よりも前にいる時は、

 

本来の自分の在り方よりも

前のめりになっている状態であること、

 

そして、本来の自分の前に

自分で立ちはだがっているような

状態でもあること。

 

 

 

身体の中で生じ、

私たちが意識的・無意識的に

味わっている体内感覚は、

単なる感覚というだけの

ものではありません。

 

実はこうした体内感覚は、

自分の外側に見ている現実世界を

どのようなものとして体験するか、

それを左右します。

 

(より正確に言うなら、

私たちが外側の世界を

どのような現実として体験しているか、

体内感覚はそれを映し出す

鏡でしかありません。

 

ですが、この鏡が一たび

固定的な形で据えられると、

自分で作り出したこの鏡に

今度は私たち自身が

左右されるようになり、

 

外側の世界を

パターン化した形で

体験し続けることになります。)

 

例えば、

今まで見て来たように、

 

ハートの中心に居る時は

安定感や確実性、

居るべき場所に居ると言った、

肯定的な感覚・感情と共に

私たちはいます。

 

こうした感覚・感情にある時、

普段なら腹が立つ様な事も

大して気にならず、

「あら、そう?」と言うように

サラッと受け流すことが出来るなど、

 

外側の世界の中に見出す刺激にも

容易に左右されることはありません。

 

では、もう一方の

ハートの中心から前にズレた

前のめりの体内感覚の時には、

私たちは外側の世界をどんな風に

体験するのでしょうか?

 

 

 

自他の境界を見失わせる「前のめり」

 

前のめりは、

何かあった時にはいつでも

すぐに現場に駆けつけて対応しようと、

アクセルをふかしている状態と言えます。

 

この時、

私たちは自分と他者の間の

境界を飛び越えて、

相手の領域へ踏み込みがちになります。

 

前のめりであるがゆえに、

互いの境界がどこにあるのかを

見失いやすいのです。

 

また、これは相手の領域に

自分から寄って行っている状態でもあるため、

 

相手の領域で起きている事柄でも、

まるで自分の身に起きていることの様に

はっきりした体内感覚を伴って

体験し易くなります。

 

その結果として、

必要以上に他者の問題に

首を突っ込んでしまったり、

 

相手の気持ちを確かめずに

自分の勝手な判断で

(と言う意識は本人にはないのですが)

相手の領域の問題を結論付けてしまう、

というようなことが起き易くなります。

 

 

 

「受け取る」ことを阻む体内感覚

 

更にもう一つ、

ハートの中心から前にズレて

自分で自分の前に

立ちはだかっている時には、

 

他者が与えてくれるものを

無意識に弾き返し、

自分が受け取ることを

自分で阻止し易くなります。

 

と言うのも、

本来の自分の前に

自分で立ち塞がっている状態とは、

 

外から来る刺激に対して

自己防衛をする構えであり、

すぐに応戦するための

臨戦姿勢であるからです。

 

そのため、

外側からやって来るものは、

 

それが情報であれ

他者の思いやりであれ、

自分に有益なものであれ

そうでないものであれ、

 

その種類や性質を

見極める暇もなく、

反射的に打ち返す反応が

自動的に起きてしまうわけです。

 

 

 

と言うことは、

 

自分が思ったように

他者から認められていないと

感じたり、

 

自分が与えている程には

他者や社会から多くのものを

与えてもらえていないと

感じるような場合も、

 

それは

外側の世界のせいではなく、

 

自分の体内感覚の不安定さから

現実をそのように

感じているだけなのかも知れません。

 

 

 

中心からズラす力の正体

 

散歩の時のお話に

少し戻ります。

 

前にズレると、心臓の前面に

モヤモヤ・ビリビリするような

苦しく不快な感覚が現れたと、

前述しました。

 

この不快感は、

自分を中心からズラそうとする力の

性質を物語っていました。

 

それは、

不安や焦り、恐れや疑いと言った

否定的な思考や感情です。

 

 

否定的な感情や思考を抱く時、

私たちの中には必ず

何らかの緊張が生じています。

 

この緊張は概念的なものではなく、

物理的なレベル、つまり肉体に生じます。

 

どの感情・思考に対して

どこにどの様に緊張が現れるかは、

 

私たちがそれぞれ経て来た

体験や経験によって

少しずつ異なります。

 

ですが、例えば

人との関わりの中で

痛みを感じる体験をすると、

 

愛情のやり取りを司る

ハートチャクラの表面には、

自分を守るための防壁が築かれます。

 

エネルギーの動きが凝集し、

硬い殻のように固まっているのを

イメージしてもらえば良いと思います。

 

外側からの様々な刺激を

その殻によって遮断して、

対処しようとするわけです。

 

エネルギーにこうした変化が

生じるのと同様に、

 

心臓そのものの表面にも、

緊張によって組織を固めたり

厚みを持たせることで、

外の世界から自分を守るために

変化が生じます。

 

 

 

こうして形成された複層的な防壁は、

「凝集」や「緊張」という

活動的な力を帯びた、

言わば生きている能動的な盾です。

 

そして厄介なことに、

私たちを守っているこの忠実な力と、

私たちは多くの場合「一体化」しています。

 

そのため、

私たちが本来の自分に戻ろう、

ハートの中心に戻ろうとした時に、

 

この生きている盾は

私たちが多くの恐れや不安を

抱えていたことを思い出させ、

 

ハートの中心から

防衛のための前線へと、

私たちを引き戻す力として

作用することになります。

 

 

 

本来の自分に還るために

根本から変化しようとする時、

 

それは肉体の変化だけでも

心理・思考面の変化だけでも

為すことは出来ません。

 

肉体の変化は、

パターン化した体内感覚から

抜け出すことで、

現実をより歪みのない形で

体験することを助けてくれます。

 

そうした肉体の変化に加えて、

 

これまで自分自身が

同一化して来た「盾」を、

自分から良い意味で分離して行く

必要があります。

 

盾を形成していた感情や思考は

どのようなものか、

それを一つ一つ意識的に見つけ直し、

それら全てを手放す作業を行います。

 

自分を防衛へと引き戻す

感情や思考のパターンから、

自分自身の力によって

自分を解き放って行くことが、

とても大切になるのです。

 

 

(感情や思考のパターンを手放す方法について知りたい方は、

当サイト内のブログ記事より

『天使に願いを~ネガティブな思考や感情を楽しんで手放す方法』

をご参照ください。)

 

 

身体の錬金術 ~ neMu no ki 10年目に寄せて/6月までの営業予定

 

目次

私たちは「身体」ではない
意識の働きである「私」
自己変容の夢
2つの原体験~弓と馬
逆転した的と矢
馬の気持ちに寄り添う
信頼がもたらした奇跡の調和
体験の意味を求めて
中心軸を乱す力
筋膜的な感覚の世界
身体のブループリント
6月末までの営業予定

 

 

桜の時期があっという間に終わり、

気が付けば花粉症も終盤となって、

すっかり辺りは新緑の季節!

 

…すでに新緑も深まって来てるかな?

 

大変お久しぶりの記事となりました!

皆さん、お元気に過ごされているでしょうか?

ブログをアップしようしようと思いつつ…。

 

花粉症に関連した記事を書いていたのですが、

季節に追い越されてしまいました(;^ω^)

 

そうこうしている内に、4月下旬。

 

実は、neMu no ki は

4月の中旬に誕生しました。

 

2009年のことでしたので、

今年で丸9年。

10年目に突入、という計算になります。

 

ここまでの道のり、

ずっと前を見ながら歩み、

少しずつでも確実に成長して来れたなぁと、

自分のことながら感じています。

 

初期の頃から変わらずに

来院して下さっているお客様もおり、

 

お客様に育てて頂きながら

ここまで来られたことに、

深い感慨と感謝を覚えています。

 

皆さん、本当にありがとうございます。

そして、

本当によく頑張って来たなぁ~。

 

 

…と言うわけでして、予定変更。

 

今回のテーマは10周年に寄せて、

改めて「身体」というものと

私自身との関わりについて、

自由に書いてみようと思います。

 

 

 

私たちは「身体」ではない

 

先日のこと。

 

施術が終わった後、

クライアントさんに身体の説明をしていました。

 

何か日常的に気を付けることはありますか?

と聞かれたので、

 

意識的にやるべきことは特にありません。

ただひたすら、

身体がどの様に変化するかを見守り、

観察してあげて下さい。

と答えました。

 

クライアントさんは笑いながら、

「まるで身体が

自分と一体じゃないみたいですね。」

と言いました。

 

その通りです。

私たちは身体そのものではありません。

 

自分の中では

当然のことになっていましたが、

クライアントさんの意外そうな声を聞いて、

「私たちが身体そのものではない」

と言う事柄について

改めて考えてみたくなりました。

 

 

 

意識の働きである「私」

 

「自分」が身体と一致していない、

自分と身体は別物だと感じたのは、

幼稚園の頃だったでしょうか。

 

家のすぐ近くには公園があって、

そこへは坂道を下って行きます。

 

車の滑り止めなのでしょう、

坂道には大きなドーナツ型の凹みが

幾つもあり、

 

公園に向かって

駆け出そうとすると、

必ずと言って良いほど

足を取られました。

 

自分で思っている程、

足が上がっていなかったのでしょう。

 

バターンと派手に転倒すると

膝小僧には大きな擦り傷が出来、

 

ジクジクする痛みと

思うように遊べないもどかしさで、

悲しい気持ちになりました。

 

 

 

小さい頃、

歌を歌うことも好きでした。

 

小学校に入る前から

ピアノを習っていたので、

音程はちゃんと取ることが出来ました。

 

でも、ある一定の高音域になると、

頭の中では音をイメージ出来ているのに、

声は上がらなくなります。

 

理由はわからないけれど、

喉が締め付けられる感じがして、

潰れた声になるのです。

 

 

 

こうした体験を通して、

 

身体は自分の思い通りにならない、

身体は私を裏切っている。

 

そんな風に思うようになっていました。

 

やりたいことを妨げ、

自分を裏切っている身体は、

自分と異なる異質なもの。

 

身体なんていらない。

心だけで良いのに。

 

今となっては懐かしいです。

当時はそんな捉え方をしていました。

 

 

 

この頃は、

「自分は身体そのものではない」

という表現にはなりませんでしたが、

 

「自分」は心や意識と言う

目に見えない「働き」であって、

 

目には見えなくても、

「私」という意識として

存在している「自分」は、

物質的な身体とは別物だ。

 

ということを、

体験的に知っていたと思います。

 

そして、

小学校の中学年か

高学年の頃になると、

 

体育の時間、

思ったように逆上がりが

出来ない自分を前にして、

こんな考えが浮かびました。

 

今でもよく覚えています。

 

同じように手足を持ち、

同じように全てに

神経が通っているのに、

 

運動が得意の人もいれば、

自分のように苦手な人もいる。

 

身体を作っているものに

差があるわけではない。

私も健全な身体を持っている。

 

それならこの能力の差は、

一体どこから生まれるんだろう?

と。

 

今にして思えば、

これが「身体」と言うものへの

私なりの探求の入口に

なっていたのだなと思います。

 

 

 

 

自己変容の夢

 

大学生の時、

「錬金術」という言葉と出会いました。

 

選択必修科目に

比較宗教学という授業があり、

そこで初めて

神秘主義的な世界を知りました。

 

中でも「錬金術」は

特に興味を惹かれるものでしたが、

 

それは

卑金属が貴金属に変わる

疑似科学としてではなく、

 

純粋に形而上学的なものとして

魅力を感じました。

 

二つの極にあるものを統合し、

それによって

「高く純粋なエッセンス」が

物質の中に現れ出ると、

 

鉛のように卑しい性質のものですら、

金のように貴いものへと変容する。

 

 

ただ、それには大前提があって、

それが可能となるのは、

術者自身の変容が伴った時である。

 

錬金術は、

私の中にそう響きました。

 

 

 

当時の私にとって

卑しくて不要なものと言えば、

何といっても「身体」でした。

 

10代の多感な時代、

体験していた心理的な困難さも

すべて含めて、

 

あらゆる苦しみの原因は

身体や姿形を持っていることにある、

と考えるようになっていました。

 

自分の一部でありながら、

嫌い疎んじていた身体ですが、

 

その中からもし

「高く純粋なエッセンス」を

引き出すことが本当に出来れば、

 

身体は尊いものへと変わり、

自分という存在そのものが

大きく変化するに違いない。

 

 

錬金術と出会ったことで、

 

自分でありながら

コントロールの利かない身体と、

自分自身とが変容する可能性を、

見つめるようになりました。

 

 

 

2つの原体験 ~ 弓と馬がくれた贈り物

 

錬金術と出会った前後の時期、

2つの不思議な体験がありました。

 

 

 

一つ目は、弓道場での出来事でした。

 

当時、弓道は習い始めてから

1年経ったかどうかの初心者でしたが、

私には一つのこだわりがありました。

 

それは、

的を射ようと意図しないこと。

 

 

 

和弓には、

動作の「型」があります。

 

「型」に即して的確に身体を使うと、

弓は驚くほど軽やかに、大きく開きます。

 

弓が楽に大きく開けば開くほど、

矢は勢いよく真っすぐ

ブレることなく飛んで行きます。

 

矢が的を射抜くかどうかは、

弓を引く姿勢と動作の中に

どれだけ調和と秩序を体現できたか、

その結果でしかありません。

 

まず的を射ようと思わなければ

的に矢は当たらないよ、と

アドバイスをくれる方もいましたが、

 

的を射るために弓を引くつもりはない

という気持ちは、

どんな言葉にも勝りました。

 

 

 

逆転した的と矢

 

ある日、

弓を引き分け始めると、

 

自分の身体の軸が

真っすぐに立ち上がり、

右半身と左半身のバランスが

それまでになく整っているのを

感じました。

 

弓の張力も

驚くほど軽く感じ、

簡単に大きく広がります。

 

弓を最後まで引き分けると、

矢は口の横にピタリと添い、

スッと静止しました。

 

全てが収まるべきところにある。

そんな感覚を感じながら、

 

的を狙うでもなく

息を詰めるのでもなく、

 

ただ身体のバランスに

確かな秩序があるのを感じながら、

なおも弓を引き続けました。

 

 

 

矢は、

弓から離れた瞬間に

的に当たると分かりました。

 

矢はすぐに一つの点となり、

進んでいるのか静止しているのか

判別できませんでしたが、

 

今は点となった矢に、

的が近づいてくるのが見えました。

 

的は次第に大きくなると、

自らの中心に寸分の狂いもなく

矢を真っ直ぐ受け止めました。

 

 

全ては滞りなく、

当然のように流れて行きました。

 

全てはゆっくりと見え、

一部始終がはっきりとしていました。

 

 

 

馬の気持ちに寄り添う

 

二つ目は、馬場での出来事でした。

 

大学の馬術部は夏休みの間、

暑さを苦手とする馬達を連れて

長野で合宿をするのが、

恒例となっていました。

 

その年、

合宿先の馬場は改築して、

屋根付きの覆い馬場となっていました。

 

 

 

普段乗せてもらっていた馬は

チャウと呼ばれる雌馬で、

落ち着いた大人しい性格でした。

 

合宿所に着くと、先発組の先輩が

チャウに騎乗しているのが見えました。

 

…あれ?

 

馬場の中にいるチャウは

落ち着かない様子です。

 

 

 

乗り手の言うことが

まるで耳に入らないようで、

神経質に足踏みをし続けています。

 

何かがすごく気になって

この場から逃げ出したい、

とでもいう様な動き。

 

そんなチャウを見ていて、

ふと気付きました。

 

そうか、屋根が付いたことで

知らない場所に来たと思って、

不安に感じているんだ。

 

ゆっくり歩かせれば

きっと落ち着くのに、と。

 

 

 

鞍上にいた先輩はこちらに気付くと、

不意に乗り替わるように言いました。

 

当時の私はほぼド素人でしたから、

通常ならあり得ない危険な提案です。

 

でも、私には確信がありました。

 

上手く御すことは

そもそも出来ないんだから、

とにかくチャウを落ち着かせよう。

きっと出来る。

 

 

 

信頼がもたらした奇跡の調和

 

チャウの背中からは、

状況が呑み込めない事への

不安が伝わってきました。

 

彼女の焦りに

巻き込まれないように、

自分の意識と呼吸を鎮めます。

 

やるべきことが

はっきり分かりました。

 

3~4歩進んだら、

ゆっくり止まる。

 

再び歩き出す時には

出来る限りそっと指示を出して、

チャウが安定した気持ちのまま

ゆっくり歩き出せるようにする。

 

これを、

落ち着いたと感じるまで

ひたすら繰り返そう。

 

 

 

馬場を半周する頃、

チャウの歩様がゆっくりになり、

動きが自覚的になりました。

 

もう大丈夫。

 

自分の置かれている状況が

理解できたようです。

 

それなら

今度は少し速歩(はやあし)をしよう。

更に環境に慣れるように。

 

そう考えて、

先ほどより少し素早く

脚で指示を出しました。

すると、

 

ふわっ…

 

チャウが足を前に踏み出すと、

まるで雲に乗っているような

浮遊感を感じました。

 

 

馬の速歩は上下動が大きく、

リズムに合わせて乗るのは

いつも一苦労だったのに。

 

今は馬の方が

こちらの動きに合わせてくれているのは、

明らかでした。

 

寸分違わぬ完全なタイミングで、

チャウがリズムを支えてくれています。

 

言葉では表現し尽くせない

心地良く軽やかな乗り心地、

そして一体感。

 

馬に乗ることが、こんなに気持ちよく

楽しいことだったなんて!

 

 

 

運動をしている間、

私の手と馬の口とを繋ぐ手綱も、

ロックされているかのように

同じ長さに保たれていました。

 

いつも手綱がすぐに緩むので、

「ちゃんと握れ!」って

怒られてばかりだったのに。

 

その手綱の張力を使って、

チャウはきれいに首を丸めています。

 

まるで、それが彼女にとって

最も自然で楽な姿勢であるかのように、

自ら屈撓していました。

 

チャウの信頼が伝わって来ます。

 

 

 

私の手が

手綱を引いているのでもなく、

チャウの口が

手綱を引っ張っているのでもなく。

 

どこからか「調和」が

降って来たかのように、

 

私たちの間には

完全に釣り合いの取れた

「拮抗」が存在していました。

 

 

 

体験の意味を求めて

 

これら2つの体験は、

互いによく似ていました。

 

今思えば、あれは

「高く純粋なエッセンス」が

何なのかを知りたいという、

私の願いに対する答えだったと分かります。

 

でも当時は、

そこに通底しているものが何なのか、

幾ら考えても分かりませんでした。

 

 

 

錬金術では、

実践的・実験的であることが

大切にされていましたから、

 

錬金術的な世界観に

大いに影響されていた私は、

あの体験の意味を理解するために

何か行動をする必要があると

考えました。

 

そこで選んだのが、

流鏑馬をやっている牧場で働くこと。

 

弓と馬という

2つの原体験のど真ん中に、

飛び込むことに決めたのでした。

 

 

 

中心軸を乱す力の発見

 

馬たちとの生活の中で

何よりも大きく変化したのは、

身体感覚の感受性でした。

 

馬たちの身体は、

全身センサーとでも言えるような

敏感さと繊細さを持っています。

 

彼らと肌を接して触れ合う内に、

彼らが肉体を通して感じ取っていることを、

共振的に感じるようになって行きました。

 

 

 

そうした彼らにとって

騎乗されることがストレスとならないよう、

 

毎日の乗り運動においては

自分のバランスに細心の注意を払いました。

 

左右のバランスが崩れて

馬の身体に歪みが生じないよう、

自分の中心軸を通すことだけに

意識を注ぎました。

 

中心軸に意識を合わせ続けている内に、

身体の中にその軸を乱そうとする

無駄な力が働いていることに

気付き始めました。

 

例えば、一部の筋肉は

意識が通いにくくなっていて、

それが「思った通りに身体が動かない」

という状況を作り出していたり、

 

またその逆に、

使わない様に意識をしても

勝手に作動してしまう箇所もあって、

 

それが本来働くべき筋肉を制して

先んじて動いてしまうことで、

 

動きののびやかさや美しさが

阻害される、ということが生じていました。

 

~同じ仕組みの身体なのに、

なぜ能力に違いが生まれるのか?~

 

幼い頃に抱いた問いへの糸口が、

見つかったと感じました。

 

 

 

筋膜的な感覚の世界

 

様々な施術方法を学び始めて1年を経た頃、

「筋膜」という組織を扱う施術に

出会いました。

 

筋膜には、

身体の各部で生じている

歪みや緊張がつぶさに投射されると知り、

 

ここに求めている答えがある、

と思いました。

 

とは言え、

目には見えない体内の組織です。

 

実際に自分の手が触れているのが

筋膜であることを信じながら、

 

毎日、暇さえあれば

筋膜を意識しながら身体に触れて

手の感覚を育て、

 

また、筋膜の中に

歪みや緊張の兆候を探しては

それを整え直して、

施術の練習を重ねました。

 

電車の中でも

テレビを観ている時でも、

とにかく四六時中でした。

 

 

 

そうした中で、

 

筋膜に生じている歪みの感覚は、

ストッキングを捻じれて履いた時の

何とも収まりの悪い気持ち悪さに似ている、

と感じることが幾度か重なりました。

 

そして、たまたま目にした

ロルフィングのwebサイトで、

「筋膜はストッキングのようなもの」

という記述を見つけます。

 

感じていたことは

合っていた。

 

感じ取っていたのは

確かに筋膜の感覚だと

思わぬ形で太鼓判をもらい、

 

自信を持って進みなさいと

言われたような気がしました。

 

それ以降、

筋膜に映し出される

緊張や歪みの情報を

正確に拾うことと、

 

それらの背後には

どのような姿勢や動きの

影響があったのかを

丁寧に分析・洞察することに、

一層力を注ぎました。

 

 

 

身体のブループリント

 

筋膜を通して身体と繋がり、

身体が伝えてくれる感覚への

信頼が深まると、

 

身体は多くのことを

教えてくれるようになりました。

 

感覚と感情は実は同じものであって、

それを異なる入口から

取り出しているだけであることや、

 

身体は自分が本来あるべき姿形を

知っており、

いつでもそこに向かって

戻って行こうとしていること…。

 

そうなのです。

 

つまり身体は、

本来のあるべき姿のイメージを

自分の内側に青写真もしくは鋳型として

持ち続けています。

 

筋膜に生じている

歪みや緊張が解けると、

身体は秩序と調和のとれた形へと

自ずと戻って行きます。

 

無理に力を加えたりしなくても、

身体自身の中で

変化して行くべき方向性を

ちゃんと知っており、

それを私たちに示すことも出来るのです。

 

身体の中に知性があると知った時、

身体への敬意が生まれました。

 

そして、施術が

施術者の判断によるのではなく、

 

身体自身の意思と判断を尊重し、

そこに純粋に寄り添うものになれたなら、

 

身体にとっての

「高く純粋なエッセンス」に他ならない

身体本来の姿=ブループリントが、

現実の身体として体現されるだろう。

 

そう思うようになりました。

 

 

 

6月末までの営業予定

 

最後になりましたが、

ここから6月末までの営業予定をお知らせ致します!

 

臨時でお休みとなる日は、

5月21日(月)、6月18日(月)となります。

(もし他にもお休みとなる日が出て来た場合には、ここに随時追加して行きますので、ご確認下さい。)

 

ゴールデンウイーク中も、通常通りの営業を致します。

祝祭日に関わりなく、毎週水・日曜が定休日となります。

営業は11時から20時まで、最終の施術受付時間は15時半とさせて頂いております。

 

リピートで来て下さっているお客様は、

ご事情がおありの場合は定休日でもご予約を承ることが可能ですので、

必要な場合には遠慮なくお問合せ下さいませ。

 

それでは、皆様のお越しを心よりお待ちしています。

今後とも、neMu no ki をどうぞよろしくお願い申し上げます!

 

 

時間と感情 / 2月の営業とキャンセル等の規定変更のご案内

 

目次

時間感覚を生み出す感情
電子に生じる歪み
恐れを現実化する電子の歪み
歪みが自分を本質から遠ざける
感情と時間をつなぐ、電子の回転
電子の共鳴
自分と一致して生きるには
2月の営業予定
各種の料金・時間設定に関するご変更

 

 

 

年が明けてから丸ひと月。

(と言うか、もう2月(^^; )

 

今年はお正月から

の~んびりしたペースだったせいか、

1か月の経過もゆっくりだった気がします。

 

大急ぎで頑張って

間に合わせの大掃除をするのではなく、

無理のない範囲で本当にやりたい事だけをしよう。

 

そう年末に決めたことで、

その後の流れも穏やかだった気がします。

 

 

 

時間感覚を生み出す感情

 

時間の感覚は、

その時々で違った印象を

私たちにもたらします。

 

急いでいる時には

あっという間に時間も過ぎて行き、

下手をすると

時間に追われている感じさえします。

 

ゆったりした気持ちでいる時は

時の流れもゆっくりしていて、

全てが穏やかに感じられます。

 

またあるいは、

退屈なことや面白くないことに

関わっている時には、

時間が経つのは嫌と言う程遅く感じ、

 

何かに夢中になって

時計を見るのも忘れて

取り組んでいる時には、

時間は飛ぶように過ぎていたりもします。

 

 

 

このように挙げてみると、

時間の感覚と言うのは

私たちの気持ちや感情の状態に

直結していることが分かります。

 

では感情と時間とは、

どのように関わっているのでしょうか?

 

 

 

電子に生じる歪み

 

最近、ある本の中に

面白い記述を見つけました。

 

それは数年前から

持っている本でしたが、

そうした記述があったことには

今頃になって初めて気付きました。

 

情報と言うのは、求める本人が

それを理解できる段階に至るまでは、

目の前に現れて来ないものなのだな

と思います。

 

 

 

その中には

『生命の最小の現れ』としての

電子について触れており、

こんな風な説明がありました。

 

 

(以下、読みやすい形になるよう、

元の文章を抜粋・要約しています。

『』内は、元のまま引用しています。)

 

 

 

電子は『純粋な宇宙の光の物質』で、

神と人が発揮する創造的な力(※1)に

稲妻のように反応すると、

(※1:具体的には、意図や意思を指していると考えられます。)

 

 

その力の働きに応じて形を変え、

物理的な世界を作る素である原子を

作り出すのだそうです。

 

 

そして、

 

 

『原子を構成する電子の数は

意識的な「思考」の結果であり、

意識的な「思考」で決まります。

 

 

それらが中心核のまわりを回る速度は

「感情」の結果であり、

「感情」で決まります。

 

 

中心核内部で激しく旋回する動きは

「神の息」です。

 

 

…中略…

 

 

電子のエネルギーはとても中立的で、

完全に生命に尽くすものです。

 

 

電子は、生命のほかの意識部分によって

条件付けされるときにのみ、

形となって現われます。

 

 

どのように条件付けされるかに応じて、

さまざまな形、姿、濃度を取ります。

 

 

…恐れや怒りや貪欲で創造するとき、

あなたは電子を誤用していて、

いのちに捧げる(電子の)原初の目的を

歪めて創造しています。』

 

 

(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著/『新しいレムリア』)
>p.283~285:復活の炎の章

 

 

 

恐れを現実化する電子の歪み

 

ここでの大前提として、

私たちの意識や意思、意図が

現実を創造している、

という理解があります。

 

その理解の上に立って

ここで言われているのは、

 

私たちがどの様な意識に基づき、

どの様な現実を作り出すことを

望むかによって、

 

現実を実際に作り出す

素材としての電子が

「条件付け」されることになる、

と言うわけです。

 

仮に、何らかの恐れを持って

現実を生み出した場合、

その思考に動員された電子や

おそらくは電子が描く軌道も、

恐れにより歪みを帯びることになります。

(歪みという条件付け=パターン化が起きます。)

 

そのため、自分の自覚としては

理想的な現実を思い描いていたはずなのに、

 

実際には

電子に付与された歪みによって

隠れていた恐れが反映されるため、

「現実」は恐れていたことが

形となって現れることになります。

 

例えば、

ヤマが外れたらどうしようと思いながら

試験勉強をしていたら、

ちょうど確認を省いたところが

出題されていたというように。

 

(もし、この人物に

どんなことを考えながら勉強していたの?

と質問をしたら、

「ヤマが当たると良いなぁと思って」

と答えるかも知れません。

 

そこで、本当にそういう言葉だった?

と更に詳しく聞いてみると、きっと

「ヤマが外れたらどうしよう、だった。」

と答えるでしょう。

 

つまり、私たちは無自覚の内に

恐れを含む言葉を心の中で使いながら、

それを意識していないことが多いのです。)

 

 

 

歪みが自分を本質から遠ざける

 

ここで言われている「歪み」は、

臨床を通して触れる身体の中に

私自身が観て取っているものと、

とても近いものだと感じました。

 

身体が帯びている歪みは、

単に肉体だけではなく

感情や意識なども含めた

あらゆるレベルにおける「歪み」を

反映しています。

 

こうした「歪み」こそ、

私たちの構造のまとまりや機能を

物理的に低下させるだけでなく、

 

私たちを自分の本質から遠ざけている力が

目に見える形で表現されたものだと、

経験を重ねる中で確信するようになりました。

 

肉体・感情・意識・エネルギーなどの

あらゆる階層で生じている「歪み」は、

全て同期してもいます。

 

ですが、「歪み」が電子のレベルから

起きているものならば、

それも当然のことだと納得できます。

 

 

 

…だいぶ脱線してしまいましたが(#^.^#)

 

以上のようなわけで、

この本の記述は

感覚的に信頼できると、

私自身は感じたわけです。

 

 

 

感情と時間をつなぐ、電子の回転

 

さて!

それでは時間の話に戻りましょう。

 

引用文の中程に、

電子が中心核を回る速度が

感情によって決まる、

という説明がありました。

 

電子の数を左右するのが思考で、

電子の回転速度が感情。

 

回転速度と言うことは、

電子の軌道とも関係があると

考えて良さそうです。

 

感情の状態に応じて、

電子の回転速度だけでなく

電子が描く軌道の形にも

変化が生じると仮定してみます。

 

 

感情によって決められる

電子の回転運動ですが、

 

その回転は、

回転の中心に位置する中心核と

呼応しているはずです。

 

中心核の中で生じている動きは

「神の息」でした。

 

『激しく旋回する動き』と

記述がありましたから、

非常に速い速度で旋回しているのでしょう。

 

ですが、

そこはあくまで「神の息」ですから、

どんなに目まぐるしい速度の中でも

永遠不変の秩序と調和が

保たれているはずです。

 

 

 

電子の共鳴

 

ここからは、

想像力を働かせてみます。

 

楽しさや幸福感の中に居る時、

感情は軽やかです。

 

この時、

感情のエネルギーは

心地よくスムーズに流れているので、

電子の回転も一定の速度を保ち、

軌道も美しく整っていると想像できます。

 

「神の息」の速い回転に対しては、

回転数(周波数)は異なっているでしょうが

共鳴の形で気持ち良くリズムが合います。

 

意識や感情は、いわば

「神の息」のリズムの内側にいますが、

そこから見える周りの世界は

感情自身のリズムを反映するため、

ゆったりした気持ちでいる時には

世界もゆっくり流れているように見えます。

 

 

一方、

やらねばならないことで

意識がいっぱいになっている時は、

感情的には焦りや不安を感じています。

 

こうした時、私たちの内側は

雑音が鳴り続けているような感覚です。

 

雑音を回転に置き換えてみると、

不安定で荒い軌道に、

不揃いでリズムを持たない回転

というイメージが浮かびます。

 

例えば、

なかなか眠れずに焦っている時、

一定のリズムで時を刻む

秒針の音を聞いてしまうと、

余計に焦りを感じるようになりますが、

 

自分が不安定な状態でいる時に

何かが一定不変のリズムで動いていると、

 

その揺るがない安定感との間に

大きなギャップを感じ、

自分の不安定さをより鮮明に

自覚するようになります。

 

焦りや不安によって

速度も軌道も乱れている

電子の気持ちになってみると、

 

「神の息」は残酷なほど

一定不変のリズムを奏でているように

感じることでしょう。

 

そのリズムに追い立てられている状態が、

つまりは私たちが時間に追われている感覚を

作り出していると想像できます。

 

 

…面白いですね~!(#^.^#)

 

 

 

同じように、

退屈な時には時間の経つのが遅く

楽しい時にはあっという間に過ぎるのも、

 

感情による電子の回転のリズムと

神の息による中心核の回転とが

共鳴しているかいないか、

と言う観点で理解できそうです。

 

 

 

自分と一致して生きるには

 

心地よい、楽しい、ゆったり、

寛いでいる、夢中になっている。

 

こうした状態でいる時、

私たちは自分の本質と共にいる、

と言うことが出来ます。

 

自分の本質と一致しているから

楽しく感じ、寛いでいられるわけです。

 

一方、焦ったり不安な気持ちでいる時、

私たちはどこかで無理をしていたり、

自分を信頼できていなかったりします。

 

つまり、

自分自身に対して正直ではなく、

強い言葉で言えば

自分と乖離しているとも言えます。

 

こうした状態にいる時、

実は私たちは

電子という最小単位から、

狂ったリズムで存在している

ということになるのですね。

 

おぉ~…。

 

想像しただけでも、

大変そうです。

 

 

 

自分自身に正直に生きる。

自分と一致して生きる。

 

こうした生き方は、

本当に行おうとすると

時に様々な困難に

出会ったりします。

 

ですがそれは、私たちがまだ

歪みを抱えているせいなんですね。

 

歪みを手放そうと意識し始めた時

私たちの電子は共鳴へと向かい始め、

 

その共鳴によって、

私たちが自分と一致して

生きようとする試みもまた、

大きな追い風を受けるように

なるのではないかと思うのです。

 

 

 

2月の営業のお知らせ

 

まずは、2月の営業日について

お知らせ致しますね!

 

12日の月曜日が臨時休業となる他は、

通常通りの営業を予定しています。

 

定休日は毎週水・日曜日、

営業時間は11時から20時となります。

現在の施術の最終受付時間は、

15時半とさせて頂いております。

 

また、

繰り返し利用して下さっている

クライアント様で

ご事情のある場合に限りますが、

水・日曜日の定休日も

ご予約を承っております。

 

水日ならば都合がつくのになぁ!

と思っていらっしゃる方は

どうぞ一度ご相談下さいね。

 

 

 

各種の料金・時間設定に関するご変更

 

最後になりましたが、この度

従来のneMu no ki のシステムの中で

二つほど変更・改善を行いましたので、

皆様にご案内申し上げます。

 

1つ目は、キャンセル料についてです。

 

ご予約間近での日程変更やキャンセルについて

今まで一括したキャンセル料を設けていましたが、

条件に応じてのより詳細な形に改善致しました。

詳しくは、こちらからご覧下さい。

http://inemurino-ki.com/prior-agreement/#cancel

 

 

 

二つ目は、施術前後でのお話の時間と

メールでのサポートに関してです。

 

当院では、施術の前と後に

お話の時間を設けています。

 

この時間は、

施術を単なる施術で終わらせることなく

良きセラピーとして機能させる上で、

実はとても大切な要素になっています。

 

そのため、これまでは

お客様に好きなだけ自由に

お話をして頂けるようにと考え、

そのように環境を設定して参りました。

 

ですが、

セラピーをより豊かなものとするために、

今後はお話の時間に敢えて

区切りを設けさせて頂くことに致しました。
また、

メールを通してのご相談やご質問も

これまでは自由にご利用頂いておりましたが、

 

セラピー後のフォローアップ以外は

有料の形で承らせて頂くこととなりました。

 

お話の時間とメールサポートに関する詳細は、

こちらにてご案内しております。

http://inemurino-ki.com/duration-and-charge/#charge

 

 

 

この度のシステムの変更を通して、

クライアントの皆様には

今まで以上に気兼ねなく安心して、

公平な形で利用して頂くことが出来、

 

更に、このように

これまで曖昧であったものに

明確な形を与えることによって、

 

皆様との関わりはより健やかで

かつ質の高いものになるのではないか、

私自身はそのように

期待を寄せています。

 

ご利用下さっている皆様にも

どうぞご理解頂けますように、

お願い申し上げます!

 

 

形の向こう側にあるもの/年末年始と1月の営業予定

 

 

目次

「形」とは何か?
形態と形成
形態は過去のもの
形の背後にあるカラクリ
形を見ることから抜け出す
「形成」を捉える
今、ここにある。
年末年始と1月の営業予定

 

 

「形」とは何か?

 

私達はなぜ、

「形」を持っているのか。

 

これは私にとっては

長い間の疑問になっていて、

今も答えを探しながらいます。

 

物理的な身体を持っていることの

理由についてもですが、

 

例えば一つ一つの臓器は

なぜあのような姿形をしているのか、

なぜあの形でなくてはいけなかったのか、

と言った点にも興味は尽きません。

 

なぜ、私たちは

形や形態を持っているのか。

これは正面から取り扱うにはまだ難しい題目ですが、

 

形とは一体何なのか、

形は私たちに

何をもたらしているのかについて、

今回はお話してみたいと思います。

 

 

 

形態と形成

 

「ゲシュタルト」と言う言葉があります。

 

ゲーテによれば、

「形態」を表すゲシュタルトという言葉は

何らかの姿形を伴って現れるあらゆる存在を

まとめて指し示すものなのですが、

 

彼はこの言葉に

ある問題が含まれていることを

指摘しています。

 

それは、

この言葉を用いることによって

生動し変化するものが捨象

される点です。

 

つまり、

あらゆる存在が持っている

生き生きとした活動性を、

この言葉は切り捨ててしまう、

というわけです。

 

彼はまたこの言葉によって

相互に作用しあって

全体を形成するそれぞれが固定され、

他とのつながりを断って

一定の性格を示すことになる

とも説明しています。

(註:「」内の太字はゲーテの表現。)

 

本来は、

すべての存在は「全体」の中にあり、

豊かな関係性やつながりの中で

互いに影響を与えたり受け取ったりしています。

 

例えば、対話している相手によって

自分の異なる面が出ることを

誰しも体験したことがあると思いますが、

 

「私」が示している姿も、

その時々の状況や関係性の中で

豊かに自由に変化しているわけです。

 

ところが、ひとたび

「ゲシュタルト/形態」という

表現を用いると、

 

豊かな「全体」の中から

特定の瞬間や部分が

バラバラに切り取られます。

 

そして、それ単独で示す姿を

固定的に捉えることになる、

というわけです。

 

たまたまムスッと機嫌の悪い時に

ぱちりと写真を撮られて、

「あなたって本当に愛想ないわよね~!」

と決めつけられてしまう感じ、

と言ったら良いでしょうか。

 

 

もし、

私たちが直観的に理解しているような

自然のありのままの姿に近づこうとするなら、

形態ではなく「形成」を大切にする必要がある、

とゲーテは続けます。

 

例えば肉体について考えてみると、

肉体は一瞬たりとも

静止したり固定化することはないので、

本質的には「形態」ではありません。

 

仮に意識的にすべての動きを止めても、

呼吸や心臓の拍動によって

身体の活動は維持され、

全身の細胞は振動し続けます。

 

目で見て分からなくても、

そうした運動によって私たちの姿形は

毎瞬ごとに様相を変え続けているわけです。

 

このように、変化し続けて

運動してやむことがない」ものに対して、

ドイツ語ではゲシュタルトという表現と分けて

形成(ビルドゥング)と呼ぶことを、

ゲーテは理に適っていると考えていました。

(参照:潮出版社『ゲーテ全集14/自然科学論』p.43~44)

 

 

 

形態は過去のもの

 

「形態」と「形成」と言う言葉に対する

ゲーテのこうした考え方に触れた時、

 

彼の頭の中にあった理解は、

量子力学でいうところの粒子と波動に

とても近かったのではないかと感じました。

 

量子は、粒子と波動の両方の性質を

同時に持ちます。

 

波動は、

粒子が常に運動し続けている状態であり、

その運動全体が波動です。

 

波動は動き続けているので、

それがある特定の時に

空間のどの位置を占めるかは不確定です。

 

すなわち、

時空間の中で明確な座標を示すことができない

という特徴を持ちます。

 

一方の粒子は、

時空間の中で静止している点なので、

座標を持ちます。

 

 

 

波動を粒子に変え

粒子を波動に変えるのは、

観察者の存在です。

 

外側から私たちが「見る」と、

その見られた瞬間において、

波動であった量子は

時空間の特定の位置に貼り付けられ、

固定されて粒子となります。

 

 

 

観察者の目が離れると、

粒子は波動に戻ります。

 

 

 

形を生み出し、さらに

変化していく過程である「形成」は、

固定することのできない波動と同じです。

 

一方、形成の中から

一瞬間を切り出したものが

「形態」ですから、

これは粒子と同じです。

 

そして形態は、

切り出した瞬間に過去になります。

形成は一瞬も止まることなく、

常に前へと進んでいるからです。

 

そうだとすると、

形や形態を見ながら生活している時、

私達は「今ここ」ではなく、

過去を生きていることに

なるのかも知れません。

 

 

 

 

形の背後にあるカラクリ

 

こんなことに思いを巡らした数日後、

近所の丘陵公園へと散歩に行きました。

 

この日はとても陽の光が美しく、

木々は紅葉していて、

全てが本当に美しい日でした。

 

リラックスした気持ちで森の中を歩き、

ちょっと知らない小道に入ってみたり…。

 

そんなことをしながら歩いている時に、

ふと頭に浮かびました。

 

今まで私は植物を見る時に、

「形」で捉えようとしていたのだと。

 

そして、

形態で見ているということは

定義づけをしているということであり、

ジャッジでもあるのだと。

 

 

 

普段何気なく使っている

自分のものの見方は、

物事を流動して変化していく

ありのままの姿を捉えるものではなく、

 

それをある特定の視点で切り取り、

そこで「これはこういうものだ」と

定義を決定づけしようとするものだ、

と気づいたのです。

 

そしてまた、

その一瞬間の印象によって

存在を固定されてしまう側からすると、

これはジャッジに他なりません。

 

「形態を見る」ことの

背後にあるカラクリが、

不意に見えた気がしました。

 

 

 

形を見ることから抜け出す

 

形から物事を捉える目を持って、

私達は生きています。

 

と言うことは、

あらゆる瞬間において、

変化し続ける周囲の情景や環境から

ある一面を選択して切り取り、

それを「形態」として認識し続けている、

ということになります。

 

これは例えるなら、

身体と言う全体性を把握するために

まずはバラバラに細部を切り出して、

部分の描写をしていく、

そんな解剖学的な作業と

似ているかも知れません。

 

分解された身体は、

精巧に組み立て直しても

生きた身体には戻らないように、

 

切り出した「形態」を

どれだけ積み重ねてみても、

自分を取り巻く環境や状況の

本質に辿り着くことは難しそうです。

 

形を見るというのは、

私たちが生まれてから

ずっと使い続けて来た、

現実を把握する方法です。

 

そこから抜け出すには、

どうしたら良いのでしょうか。

 

 

 

「形成」を捉える

 

ゲーテは

自然の生きた直観に到達しようとすれば、

われわれ自身が、この生きた自然の示す

実例そのままに形成を行えるような、

 

動的で伸びやかな状態に

身を置いていなければならない。

と言っていました。

 

それなら、

「形成する力」につながろう。

 

シンプル過ぎる試みのようですが、

私たちの意識の力は現実に働きかけ、

変化を生み出します。

 

意図を定め、信頼し、

改めて葉っぱを眺めました。

 

まもなく

自分の内的な感覚に

かすかな動きが生じ、

葉っぱの中のエネルギーの流れと

自分の感覚がつながった、

と感じました。

 

自分の視野に意識を向けると、

目が捉える景色も

少し変わっています。

 

今までは、例えば植物なら

葉っぱの形や幹の形と言う具合に

植物の部分部分が目に入りがちでした。

 

それが、木全体であったり

山の中でその植物が

どう在るかと言うような、

「全体性」がおのずと映り込んできます。

 

 

また、それまでは

観察する私と観察される植物の間には

「あなたと私」という

越えられない壁がありました。

 

それが今は、

植物の中のエネルギーが

自分を通り抜けて行きます。

 

自分もここの一部なのだ、

一体だという実感がありました。

 

歩き進むと、

森が力を与えてくれるのを

感じます。

 

森の中をそよぎ渡るように

大きな生命力が動いています。

 

その中を歩いて行くと、

歩く毎にその生命力が

流れ込んで来る、

そんな感覚でした。

 

 

 

今、ここにある。

 

もしかすると

森の精霊たちの力だったのしょうか、

大切な体験をさせてもらえたことに

感謝をしながら、

帰路に着きました。

 

途中、

橋に差し掛かった時に、

立ち止まって川を眺めました。

 

少し前に台風があったので、

川はとても澄んでいます。

 

川は台風によって

浄化されていました。

 

青色を湛えた美しい水面を見ている内に、

自分の内側を川が通り過ぎていくように

感じました。

 

川の上に立っていることで、

私も川と一緒に浄化されているのだ、

と分かりました。

 

 

 

きっとこういうことが、

「つながっている」

と言うことなのかも知れない。

 

形の奥にある流れと繋がった時、

そこには観察者も

観察されるものもなく、

すべてが共に変化して行くものの

一部としてあり、同時に全体としてある。

 

…そんなことを思っていると、

小さな川が注ぎ込んでいる合流地点に

アオサギが佇んでいるのが

目に入りました。

 

合流地点に重なるように

鎮座している大きな石の上に、

長い首をスッと伸ばして

微動だにせず立っています。

 

 

静かな、大きな存在感。

 

このアオサギは今、

居るべき場所にいるのだと

感じました。

 

そしてその姿は、

私が理解したことは合っている、

というサインのように思えました。

 

そう感じた瞬間、私の胸の中心から

大きな空間がふわ~っと

広がり始めました。

 

その大きく寛いだ感覚は、

深い安堵感と穏やかさに

変わって行きます。

 

身体のあらゆる感覚が

軽やかになると、

私は自分が子供の様に

自由になったのを感じました。

 

 

 

年末年始と1月の営業予定

 

ここのところ、朝晩の冷え込みも厳しさを増してきて、寒い日が続いていますが、みなさんお元気でいらっしゃいますか~?

 

本当に寒いですけれど、その一方で、今年は例年になく青空も陽の光も美しい日が多いように感じます。空気も澄んでいますよね。

 

…なんて、季節の移ろいを見守りながら楽しんでいる内に、年末が目前!

年末年始の営業予定のお知らせがすっかり遅くなってしまいましたが、お伝えさせて下さいね!

 

年末は29日までの営業で、年始は1月7日(通常は定休日の日曜日に当たっていますが、営業を予定しています。)から開始致します。

 

年内はご予約をお受けすることの出来る空枠がございませんので、これからご予約をお考えの方は、新年に入ってからのお日にちでご検討頂けましたら幸いです。

 

1月は、臨時でのお休みの予定はありません。

 

定休日は毎週水・日曜日となります。

リピートで来て下さっているお客様に限ってのお話ではありますが、ご事情があって水曜日や日曜日でとお考えの場合には承ることも可能ですので、その際にはどうぞご相談下さい。

 

営業時間は11時から20時まで、最終の受付時間は16時となります。

 

ご予約のない日は、急遽休みとさせて頂くことがあります。また、当日のご連絡ですと施術のための準備が間に合わないこともありますので、ご予約の際には前日までにご連絡を下さいますよう、ご理解とご協力をお願い致します。

 

 

少し早いご挨拶ではありますが、今年も一年間ネムノキを応援して下さった皆様に、心より御礼を申し上げます。皆様にとって、来年が今年よりもさらに豊かな一年となりますように。

 

それでは!

どうぞ良いお年をお迎え下さいね~!!

嵐のあとで~新生する自然 / 11月の営業予定

** 台風の被害に遭われ、復興の途上にある地域の皆様が、一日も早く日常に戻ることが出来ますよう、心よりお祈り申し上げます。

 

目次

 

 

自然の驚異的な力

 

10月下旬、大きな台風が関東を直撃しました。

 

数日間続いた大雨がようやくあがり、

久しぶりにお日様の出た朝。

いつも散歩に行く浅川へと、足を向けました。

 

浅川は陣馬山を源流とする川で、

市街地では川幅が100m以上あります。

日野市と国立市の境に近いあたりで

多摩川に合流しています。

 

川の両岸には堤防を利用した遊歩道があり、

穏やかな川面や多摩丘陵を眺めながら

のんびり歩くには最高の場所です。

 

川には所々に大きな中洲があって、

季節になると美しい菜の花畑になったり

名前は分からないけれど

可愛らしい紫の小花を沢山咲かせたり、

 

折々で表情を豊かに変えて、

私たちの目を楽しませてくれていました。

 

 

この日の浅川は、

今まで見たことがないほどの水量。

水の流れの勢いも音も、迫力が違います。

 

私の住んでいる辺りは

台風らしい大雨はほんの一時でしたが、

上流の地域では随分と

雨が降ったのでしょう。

 

それにしても、

何だか川の様子が違います。

意識して川を見てみると…。

 

あれ!?

川の形が違う!

 

中洲がごっそり

無くなってる!

 

わずかに川面から

土が顔を出しているところも

あるにはありますが、

中洲が元々あった位置とは違います。

 

ついこの間まで

あんなに繁茂していた植物も、

中洲と共に流れ去ったのでしょう。

影も形もありません。

 

川の淵の一番深かったところも、

以前は川幅の真ん中辺りだったはず。

それが、向こう岸になっています。

 

 

 

今までにも雨量が多くて

増水したことはありましたが、

川の形がはっきり分かるほどの変化は

初めて見ました。

 

例年なら

10月の1か月分に当たる量の雨が、

この時の台風で降ったそうです。

 

雨の降り方はモザイク式で、

降りが強いところもあれば

弱いところもあったりしましたが、

 

この川の上流域は、局地的に

雨量の多い所だったのかも知れません。

 

しかも短時間の内に、

一気に降ったのではないでしょうか。

 

大量の水流が一気呵成に下って来なければ、

川の様相があれほど変化したりは

しないはずです。

 

大きな中洲一面に菜の花が広がる

あの見事な景色は、

もう見られないんだな~。

 

失った美しい景色。

寂しさがよぎりました。

 

 

 

新生する大地

 

川の様子を近くでよく見ようと、

川岸に降りていきました。

 

水辺には階段が5段あったのですが、

下3段は土砂で埋まっています。

 

菜の花の咲く中洲は

向こう岸にあったのですが、

今やこちら側が中洲になりつつあるようです。

 

押し流されて来た土砂が堆積して

にわかに出来た浅瀬。

そのきれいに洗われた砂利の上を

清らかな水が流れていきます。

 

 

 

初めて見る景色。

 

慣れ親しんだ川なのに、

初めて見る景色。

 

初めてなのだけれど、

やっぱり見慣れた川。

 

日常の中に

異世界の入り口が開いたような、

何とも言えない不思議な感覚です。

 

 

中洲になりつつある砂地の、

かろうじて乾いている所に

腰を下ろしました。

 

近くに転がっているのは

ザリガニの殻のようです。

激しい水流に呑まれて

砕けてしまったのかも知れません。

 

ちぎれた根っこや、

掘り返されて

どこからか流れ着いた球根も

転がっています。

 

一見、

傷だらけの痛々しい残骸

のようにも見えましたが、

それとは異なる印象が

ふと脳裏に浮かびました。

 

あぁ、そうか!

 

こうして流されてきた根や球根が、

今度は根付いて

新しい野を形成していくんだ。

 

大地も川も、こうやって

新陳代謝をしているのか!と。

 

エジプトはナイルの賜物、

という言葉も浮かんで来ました。

 

ナイルの氾濫によって

土壌は地力を回復し、

それがエジプトに恵みをもたらす。

 

それを今、

目の当たりにしているのだと

思いました。

 

 

現実は意識の鏡

 

そう気づくと、

失った景色への悲しさは溶け、

 

新しく生まれ変わった川が

これからどんな美しい景色を

作り出していくのか、

そちらの方が楽しみに思えてきました。

 

そしてそんな風に目線が変わると、

新生した川の美しさが

どんどん意識の中に流れ込んで来ました。

 

川の水は台風前よりも澄んでいて、

以前あった川特有の不快な匂いも

すっかり消えています。

 

不思議なことに、

これだけ激しい流れでありながら

濁流にもなっていません。

 

深い淵では青味を湛えて流れる、

その様子は

厳かでさえあります。

 

都下とは言え、

人口の多い東京の

市街地を流れる浅川。

 

その浅川が

澄んだ青味を帯びているのは、

初めて見ました。

 

空気も水も、

清々しく澄んでいる。

 

この川はきっと、

浄化されたに違いありません。

 

 

「クプクプクプ」

 

浅瀬を流れていく水が、

小気味よい音を立てています。

 

今、川自身は

どんなことを感じているんだろう?

 

音に意識を向けながら

軽く目を閉じ、

流れていく水に

意識をつなげました。

 

 

ごくわずかに、

音の響き方が

変化して行きます。

 

クプクプなんだけど、

コロコロと転がるような…。

 

あぁ、笑ってるんだ。

 

彼らが立てていたのは

笑い声でした。

 

クスクスと軽やかな

笑い声をあげながら、

彼らは嬉しそうに

通り過ぎて行きました。

 

 

 

11月の営業予定

 

もう11月!

11月になると、急に「年末」と言う感じが出て来ますね~。

 

今年の秋は台風も多いですが、比較的過ごしやすい気温で、青空の美しい日も多いような気がします。いつもの年に増して、自然の中を歩きに行きたい!と感じることが多いです。

 

最後になりましたが、11月の営業予定をお伝え致しますね。

 

臨時でお休みとなるのは、16日(木)です。それ以外の日は、通常通り営業致します。

 

定休日は毎週水・日曜日、営業時間は11時~20時、施術の最終受付は17時(予約は前日までにお願い致します。)となります。

 

また、従来は男性のお客様は女性のお客様のご紹介がある方のみとさせて頂いていましたが、当院でご提供する施術の繊細さをご理解下さる方でしたら、男性の方でもご予約をお受けさせて頂く運びとなりましたことを、ここでお伝えさせて下さい。

 

 

 

すでに忙しい時期に入っている方もいらっしゃると思いますが、師走に入る前にご自身のメンテナンスの機会を持たれてはいかがでしょうか?

 

皆様のご来院を心よりお待ちしています!