自然界が教えてくれる「自然体」でいることの大切さ /9・10月の営業のお知らせ

 

** 台風で被害に遭われた地域の皆様が一日も早く日常に戻ることが出来ますよう、心よりお祈り申し上げます。

 

 

目次

 

 

ここ数年、長くて厳しい残暑が9月まで続いていて、秋らしい秋を体験していないのを寂しく思っていたのですが、今年は8月の末頃から急に冷え込むと、足早に秋がやって来ました。

 

少し前から、風に乗ってかすかに金木犀の香りが漂う日もありますね!

 

香りを辿って行くと、まだ少数だけれど、金木犀の小さな花が咲き始めています。本当にちっちゃな花なのに、随分遠くまで香りが届くんですよね。

 

そうか。
開花し始めの頃は、余計に芳香が強いのかも知れません。「これからいよいよ出番だわ~!」っていう勢いがあって。

 

 

 

幸せな自然体

 

9月の初め。

 

抜けるような青空の下、涼しく爽やかな風の吹く秋らしい日がありました。

 

風に誘われるまま川沿いに散歩に出かけると、そこかしこにレースのような花が咲いていました。辺り一面に、香水のような品のある良い香りも漂っています。

 

 

あ~、秋だなぁ~。
なんて空気が美味しいんだろう。

 

ミツバチとカナブンの一種かな?
その香りで呼ばれたんでしょうね。可愛らしい仙人草の中に首をつっこんで、花粉まみれです。

 

 

正しく自然と一体。粉にまみれてても(まみれてるからこそ!?)、その姿はとっても幸せそう。

 

思わず仙人草の前にしゃがみこむと、しばらく彼らの幸せな様子を観察。私も童心に帰ったみたい。妙に楽しいなぁ~。

 

 

 

それからしばらく日を経て、通勤中のこと。頭上でガサガサと大きな音がしました。

 

何だろうと思って見上げてみると、その先にいたのは一羽のカラス。電線の上に止まっているんですが、落ち着かない様子で姿勢をこっちに向けたりあっちに向けたりしています。

 

何をしたいんだろう?と思って改めて見てみると、カラスのいる電線に向けて枝を伸ばしていた柿の木に、葉に紛れるようにして青い実が生っています。

 

カラスはその実をつつきたくて、安定して姿勢を保てるポジションを探していたのでした。

 

しばらくの間、ああでもないこうでもないと姿勢を変えた末に、最後は電線からエイッと思い切って飛び降りました!

 

…と。
思い切った感じの大きな身振りだった割にはごくごく近くにあった枝に止まると、無事に実をつつき始めました。

 

なんだぁ。そんなに近くを狙ってたの?だったら、あんなに電線の上で迷う必要なかっただろうに。
思わず苦笑い。

 

でも、食べたい!っていう自分の欲求に、素直に一生懸命になっていたせいなのかな。迷ってた姿も何だか軽やかで楽しそうで、思わず私もウフフッて笑っちゃいました。

 

 

 

そして、先日のこと。

 

用水路わきの道を散策していたら、水路の中にプカプカ浮いているカモを発見しました。

 

黒と黄色のくちばしに、美しく青い翼鏡(よくきょう)。カルガモです。全部で5羽。狭い水路なので、すごい人(鳥)口密度!(笑)

 

ここは良く散歩で通りますが、カルガモを見かけたのは初めて。しかもこんなに沢山。

 

あ~、カメラを持って来れば良かった!

 

それにしても…。
みんな成鳥だし、普通に大きさがあるのに、5羽が一カ所に密集してる。仲が良いんだなぁ~。しかも身体の向きが揃ってて、シンクロみたい!

 

5羽描くのは大変なので、1羽だけ…。

 

少し先に行けば大きな川もあるのに、幅1mちょっとのところに何でわざわざ?他に競合する鳥がいない水辺で、のんびり過ごしたかったのかな。自分たちだけの空間を楽しみたかったとか?

 

よく見ると、カルガモのいる辺りは植物が茂っていて、周囲よりも特に涼しそうです。

 

 

カルガモとの間は、かなりの至近距離。そのまま歩いて行くと水面から飛び立って逃げそうだったので、カルガモから視線を外して目線を地面に落としながら、用水路とは反対側の端っこに沿って側道を進みました。

 

カルガモたちは止まってるかな?
チラッと横目で見てみると、彼らもこちらへ向かって移動して来ており、私とすれ違う姿がより間近く見えました。

 

あれれ?
逃げるでも止まるでもなく、逆に近づいて来てたんだ。変なの~。こちらの気遣いを分かってくれたのかな?面白いな。それだったら嬉しいな。

 

少し先の方に行くと、5羽そろって仲良く止まりました。やっぱり涼しそうな日陰の場所。「気持ち良いね~!」なんて話していたりするのかしらん。

 

カルガモたちにとっては、みんなで心地よい時間と空間を共有することが幸せの形みたいです。

 

 

どの生き物も、日常的な些細な風景の中で出会ったのだけれど、その姿はどの瞬間を切り取っても本当に自然体。(当たり前なんだけれど!)

 

だから、見ているこちら側もほのぼのした気持ちになって、あ~幸せ、楽しいなぁって、彼らと一緒になって感じるんですよね、きっと。

 

 

 

自然体を妨げるジャッジの意識

 

そう言えば、馬の仕事をしていた20代の頃に、こんなことを考えたことがありました。

 

人間は顔だちや性質が可愛いとか可愛くないとかで優劣を付けてしまうことがある。でも、馬はどんな個体でもみんなどこかしら可愛いって思える。それはどうしてだろう?と。

 

例えば馬と言ったって、顔立ちが美しく整っていることもあれば、ちょっと面白い愛嬌のある顔のこともあります。

 

目が離れていたり、反っ歯だったり、額に大きくへの字の模様があるから「へーちゃん」なんて呼ばれていたり。いやいや、冗談じゃなくて。

 

それに、みんなが競走馬のようにスラっとしていて格好良いわけではありません。中には頭が大きくて首の太い子もいるし、太っちょでお尻の大きいのや、胴体が太くて丸太みたいだから乗り手が足で挟めない、なんていう子もいます。

 

みんな色々です。

 

性格だって、明るいのもいれば、もしも人間だったら自閉症か鬱って診断されるかも知れない、そうでなくても、付き合いにくいって嫌厭されちゃうかもなぁ、と言うような陰の気が強い子もいる…。

 

でも、それはそれ。
不思議と、それぞれみんな可愛いんです。

 

ウマが合う合わないって言うのは(馬だけに…)もちろんあるけれど、どんな姿でもどんな性質でも、例え言うことを全く聞いてくれなくたって(←コラーとかコノヤローとは思いますが。)、そのせいで嫌いになったりなんて無いんです。

 

これは私だけではなくて、世話をしたり、馬と触れあっている馬好きな人たちの表情や態度を見れば、みんなもそんな風に感じているだろうなと分かりました。

 

で、それは何でだろう?と思ったのです。

 

人間同士だと、あの人は言うことを聞いてくれないとか、性格が暗いから、という要素が好き嫌いにつながったり、顔立ちで優劣のジャッジが下ることがあるのに、どうして相手が動物だとそういうことが起こらないのだろう?と。

 

当時考えた答えは、動物には自意識がないから、でした。

 

私は美しいとか、私は可愛くないというような、自分が他者からどんな風に見られるか?と気にするような意識を動物たちは持っていない。だから、いつも自然体でいられる。

 

そうやって自然体であることが、可愛さを感じさせるんじゃないか、という理解です。

 

今なら、これをもう一歩踏み込んだ表現に変えます。彼らが優劣や好き嫌いと言った、言わば価値判断=「ジャッジ」に関わる意識を全く持っていないから、と。

 

ジャッジの意識がなければ、他者を優劣や上下で価値づけることもなければ、自分自身に価値づけをして、自ら卑下するようなことも起こりません。

 

 

 

自分を偽らない素直な表現

 

馬たちと寝起きを共にしていた期間は6年半。今思い返すと、本当に本当に貴重な時間だったなぁと思います。

 

観光客や、普段は馬場の中で練習している乗馬クラブの会員さんなんかがやって来る馬専門の牧場で、その人たちを連れて外乗に行くのが主な仕事でした。

 

富士山が近い土地柄だったこともあり、秋や春などの観光シーズンは忙しく、馬の仕事量も多くなります。

 

忙しい日がしばらく続いたある朝、「仕事だよ~」と小屋に迎えに行くと、中にはこちらにお尻を向けて微動だにしない馬もいます。あらら、普段はちゃんとこっちを向いてくれるんですけどねぇ。

 

つまりこれ、出勤拒否の意思表示なんです(;^ω^)

 

もしこれが人間だったら、仕事が嫌いになって、もう無理!もう辞める!って怒り出しそうなところですけれど、彼らの場合は違います。辛いから怒るって言うことはなくて、辛いから「辛い」って意思表示をしている、という感じなんです。

 

ストレートに自分の感じていることを出して来るけれど、そこには辛い仕事をさせる人間への憤りはありません。「こいつらのせいで自分は辛いんだ!」なんて考えはないんですね。ただ、自分が身体で感じたことを素直に表現しているだけ。

 

(このセリフ、ジャッジの意識の一例です。この言葉の裏側には、例えば「相手がもっと配慮のある人なら…」というような形で、相手を他の存在と比較し、その価値を値踏みする意識が隠れています。そしてこの例からも分かるように、ジャッジの意識は被害者意識と表裏一体でもあります。)

 

こうした表現は、相手を傷つけることがありません。それに、馬自身も自分が表現したいことを抑えてはいないので、とても素直で分かりやすく、付き合い易いんです。そして、このような存在は一緒にいるだけでこちらの心も落ち着き、癒されて行きます。

 

馬たちのこうした姿を見ながら、私も彼らと同じような素直さを持ちたいと無意識の内に感じていた様に思います。

 

私は当時、人の感情に敏感なために気を遣いすぎたり、人の感情が自分に向けられた刃のように感じたりと、人の感情に巻き込まれがちな傾向があったために、人間が苦手でした。

 

そんな中、馬たちの腹蔵ないコミュニケーションに触れたことで、私は初めて気を遣うことなく他者と関わり、その中で安らぎと信頼を感じる経験を持つことが出来ました。馬たちは、私にとって最善のセラピストだったのです。

 

相手に自分の感情を投げ付けることなく、自分の感じたことを、ただ感じたままに素直に表現できる存在であること。そして相手の言葉にも、ジャッジすることなく耳を傾けられること。

 

自分がどんな人間になりたいのか、その理想とする姿も馬たちが教えてくれたと思います。馬たちと過ごした日々からずっと、これは私の中の大切なテーマであり続けています。

 

 

 

9・10月の営業予定

 

9月も半ばを過ぎてしまいましたが(^_^;)、確認のためにブログを見て下さっている方もいると思いますので、営業の日程をお知らせ致しますね!

 

9月は22日(金)、23日(土)29日(金)、10月は14日(土)、26日(木)が臨時でお休みとなります。

 

それ以外は、通常通り11時~20時の間でご予約をお受けしています。(最終受付時間は、17時です。)

 

以前に比べてフレキシブルにご予約をお受けしていますので、定休日となっている水日に関しましても、もしご希望がありましたらまずはご連絡下さいませ。

 

それでは!
皆様からのご連絡をお待ちしています!(*’▽’)
気持ちの良い秋をお過ごし下さいね~!

 

voice#11:良い作品を作るための体調管理に(絵本作家/48歳)

 
ご感想を寄せて下さったY.Kさんは、とても可愛らしい動物の絵とユーモアあふれる文章で構成された絵本を作成されています。制作の作業は、作品の柔らかな雰囲気からは想像もつかないほど緻密かつ細密であり、大変エネルギーを使うもののようです。
 
若い頃は、描く際に足を組まずにはいられなかったというY.Kさん。その姿勢による歪みが身体に残っていたために、作品作りに打ち込んでいる時に限って顎関節に痛みが生じていたと言うことが、施術を重ねる中で次第に分かって行きました。

 
 

数ある施術院の中から「neMu no ki に行ってみよう!」と思われた決め手がありましたら、教えて下さい。

携帯で、確か「顎関節症 国立」と打ったら出てきました。

女性の先生というのがまず良いなぁーと思い、決めては紹介に載っていた先生の顔です!(o^^o)!この方は治してくれるかは分からないけど、人間的に良い方だと感じ、行ってみようと思いました。

 
 

初めてご来店された時には、どのようなお悩みや症状をお持ちでしたか? もしくは、どのような変化を望んでいましたか?

絵本を描いていますが、細密な線画の絵本を描き終えた時に、顎関節症になりました。

ずっと同じ姿勢で描くので身体のバランスが崩れたんだと感じました。一番辛いのは痛くてご飯をしっかり噛めない事でした。痩せてしまい、このまま絵も描けなくなったらどうしようかと、私にとってとても深刻な問題でした。

 
 

neMu no ki の施術:筋膜バランス整体は、あなたにとってどのような体験でしたか? もしくは、施術をどのように感じましたか?

一回目を終えて顎の痛みに変化はありませんでしたが、一番驚いたのは立った感覚が変化した事でした。

顎関節症は身体全体のバランスからきていると感じていたので、続けて通わせて頂ければ治ると思いました。何回か通い、身体全体の今まで溜まっていた緊張がとれていくのが分かりました。

毎回施術が終わると、まるでお風呂上がりの様なポカポカした、リラックスした身体になるのを感じました。先生に話を聞いてもらう事も、吐き出させて頂いてる感じで心も身体もほぐれていく感覚でした。

 
 

ご来店当初のお悩みや気になっていた症状は、施術によって変化したと感じられましたか? それはどのような変化でしたか?

顎関節症が完全に治りました。少しずつ楽になり、いつの間にか治っていた感じです。

立っている感覚がスッキリして、お腹を壊す事が少なくなり、ずっと感じていた首や肩の凝りもとれていました。

 
 

継続的に(リピートで)ご利用頂して下さっているのは、どのような点からですか?

体調が良くないと良い作品を作る事は出来ないと思っています。顎関節症で通わせて頂きましたが、身体全体を整えて下さるので、これからも是非続けていきたいと思っています。

 

(Y.K/48歳)

  

現実を作り出す「意図」の力とそのメカニズム

 

目次

 

 

 

 

無意識にやっている、「恐れ」に基づく選択

 

私たちは日常の中で、

様々な形で判断したり選択したりする場面に出会います。

 

もう9年ほど前になるのですが、

セッションルームの開店準備を行っていた時期のことです。

 

どんな部屋を借りるかから始まって、

壁紙の色、床材の質感、施術ベッドはどうするか…。

 

とにかく、自分で決めなくては行けないことが

次から次に出て来ます。

 

最初の内は、

あんな風にしたい、こんな風にしようか、と

色々と想像しながら選ぶのが楽しかったのですが、

 

次第に、「選んで決める」と言うことに対して

苦痛を感じるようになったことを覚えています。

 

 

 

選んで決めることが大変だと感じたのは、

「失敗してはいけない」という思いが

生じ始めたためでした。

 

沢山のものを選び、購入する中で、

「ありゃ~」と感じるような事が起きると、

同じ失敗を繰り返すまいとして慎重になります。

 

同じ轍を踏まないために、

様々なリスクを洗いざらい計算して検討します。

 

しまいには、

購入するのがどんな小さな物であっても、

 

セッションルームの雰囲気に

どんな風に影響を与えるだろうか、とか、

もっと手頃で良いものがあったりするのではないか、

いや、ここは金額よりも質を優先すべきか…。

 

なんていう迷いが、いちいち

頭の中をグルグル巡るようになり、

決断するまでに時間を要するようになりました。

 

 

 

こんな風に、私たちは日頃、

「失敗しないように」「損をしないように」

「出来るだけ適切なものを」

というような意識を持って

選択や判断に当たっていることが多いと思います。

 

それは買い物だけに限りません。

 

カフェに入って何を頼むかとか、

週末は自分の趣味と友人からの誘いの

どちらを優先したら良いのかとか、

 

彼女の言い分に賛成できないけれど、

果たして正直に言った方が良いのかとか、

 

あるいはもっと大きく、

人生の岐路に立っていて、

自分がどの道へ進んだら良いか

悩んでいる時など、

ありとあらゆる場面に当てはまります。

 

 

 

「失敗しないように」

「間違った選択をしないように」

と考えている時、

私たちの中にあるのは「恐れ」の感情です。

 

本当は、私たちには望ましい理想があり、

いつだってそれに従って

良い選択をしたいと考えているはずです。

 

でも、それに反して実際には、

私たちが選択に際して持つ「意図」は

恐れを反映している場合が多いようなのです。

 

 

 

望みに基づく前向きな意図と、

失敗を避けようとする、恐れに基づく意図。

 

(「意図」と言う言葉がピンと来ない方は、

動機や目的、ヴィジョンなど、

ニュアンスが重なる他の言葉に

適宜置き換えて読んでくださいね。)

 

意図の持ち方が異なれば、

生み出される結果にも違いが現れます。

 

その例を見てみましょう。

 

 

 

「恐れ」が現実になるメカニズム~うつ症状との関連

 

脳と言うのは、

私たちの心や意識の中にあるものを

現実化しようとして働きます。

(これは主に大脳の役割ですが、

それについてはまた書く機会がある時に。)

 

ただし、これは必ずしも

私たちが望むような形で現実化が成される

とは限らないところがミソです。

 

例えば、

こんな話をよく耳にすると思います。

 

小さい頃、母親に理不尽な怒られ方をして、

自分が母親になったら絶対にあんな風には

子供を怒らないゾ!と心に決めていたのに、

自分が母親になってみたら、

 

嫌だったその怒り方と

そっくり同じことをやっていた…。

 

 

 

脳は、私たちが「こういうのは嫌だな~。」

と思っているものも、現実化します。

 

どういうことかと言うと、

脳は私たちの意識が何かにフォーカスしていると、

それに関連する情報を収集し、分析し始め、

現実化へ向けて準備を進めます。

 

嫌だな、嫌だな、と思いながら

繰り返し同じ情景に焦点を当てて見ていると、

意識はそこで展開している事柄を鮮明に記憶します。

 

「嫌だな~」の気持ちが強ければ強いほど、

強い感情と結びついて記憶は克明になり、

より強く刻まれます。

 

「嫌だと意識する→記憶する」

という内的な作業が繰り返される内に、

思考の中にはその記憶に対応した「回路」が

出来上がって行くのです。

 

ある日、母親になった自分が、

幼少だった自分が怒られた時と

同じような状況に出くわします。

 

「同じような状況」をきっかけとして、

思考の中に出来上がっている回路は

自動的に作動し始めます。

 

そして、嫌がっていた母親の言葉が

今度は自分自身の口から飛び出る、

と言う現象が起きます。

 

つまり、望まない言動のパターンが、

知らないうちに脳の中の自動反応式の

回路として組み上がっていたわけで、

 

(厳密には、

この回路は身体の動きや感情も

要素として組み込んでいるので、

脳や思考の中だけで

形成されているわけではありません。

ここでは説明をシンプルにするために、

こうした表現を用いています。)

 

言ってしまった後で

「え~っ!?」と気付いて、

自分で愕然となったりするわけです。

 

(こうした回路も

変えることが出来るものなので、

これを読んで不安に感じた方も、

どうぞ安心してくださいね。)

 

つまり、脳と言うのは、

意識が集中しているものを

現実世界の中で何らかの形を取らせて

現出させる、

 

あるいは

意識の作用に物理的な形を用意する、

と言う役割を担っているのであって、

 

意識が集中しているその対象のものが、

私たちの良心や願望に照らし合わせて

好ましいか好ましくないか、

正しい方向性かどうか、

と識別するようなことはしてくれません。

 

もし、脳みそに

こうした自動識別装置が付いていたら、

選択することや判断することは

どんなに簡単だろう!と思いますが、

 

そうなると、今度は

私たちが持っている自由意思が

機能しないことになります。

 

自由意思を持っていることによって、

私たちは選択や判断の困難さとも

向き合うことになっているわけです。

 

 

 

上述したような、

「嫌だな~」と思っていた母親の行動を

そのまま無意識に踏襲してしまった例は、

「こうはなりたくない」という

「恐れ」に基づく意図を持っていたために、

それが現実化した一例です。

 

恐れや不信に基づいて

選択や判断が成された時、

現れる結果は自分の望んだものとは

異なっているもののように感じます。

 

この場合、

意図・選択は無意識になされているので、

現れた結果(母親の行動の踏襲)を

自分の選んだものだと認識することが

困難なためです。

 

でも、実はすべての結果=現実は

自分で選んでいるものなんですね。

 

もし、「ああいうのは嫌だな~」

と思いながら母親を見るのではなく、

「私はこういう風にありたいな。」

と理想的な姿を思い描けていたなら、

母親の行動を再現することはなかったでしょう。

 

前者は恐れに基づく意図、

後者は前向きなヴィジョンに基づく意図です。

 

 

 

私たちが選択や判断をする機会は

一日の間に何十回となくあります。

 

恐れや不信から選択することが

パターン化していると、

そのすべての機会において

様々なリスクを頭の中に並べ立て、

計算をして…

というプロセスが繰り返されることになります。

 

この思考を毎日毎日繰り返すことは

トレーニングを重ねているようなものなので、

本人としては望んでいないのに

このパターンはどんどん強化されます。

 

やがて、些細なことでも迷うようになり、

次第に自分一人では何も判断できなくなったりします。

 

これは私自身

体験があるので言えるのですが、

 

こうした思考のパターン化こそが、

現代社会においてうつ症状を作り出す

大きな原因となっていると思います。

 

では、こうしたパターンを手放して

現実を望ましいものにするには、

どのように自分の意識と

取り組んでいったら良いのでしょうか?

 

「意図」の使い方を

変えて行く必要があります。

 

 

 

 

結果を決めるのは、意図(動機)

 

意識の在り方に応じて、

私たちの目の前の現実の中に

それが結果と言う形を伴って

現れてくる。

 

こうした言説は、

成功哲学や精神世界系の分野では、

比較的よく目にします。

 

少し話が飛躍するようですが、

アメリカに心理学者でありながら

有名なサイキックヒーラーでもある

ドリーン・バーチュー女史と言う方がいます。

 

彼女は天使を見ることが出来、

対話することも出来るのですが、

その彼女の著作の中に、

 

「天使に頼んだり祈ったりする時は、

どうなりたいかだけを伝えるように。」と

いう意味合いのことを

天使から告げられたと言う記述が出て来ます。

(『新版・女神の魔法』ドリーン・バーチュー著 島津公美訳/p.209)

 

これは、望んでいる結果を思い描けば、

それを実現する方法は天使が選ぶ。

だから、私たち人間がやるべきことは

望みを明確に意図するだけということでもあり、

 

(むしろ、私たち人間の狭い視野の中で

実現に至る方法まで考えてしまうと、

かえって望みの実現を遠ざけることも

文意から汲み取れます。)

 

結果=現実を生み出す因子として

選択・行動以上に意図が重要であると言うことを、

この記述からも読み取ることが出来ます。

 

 

 

とは言っても、現実には

結果を出すには選択・行動が必要だもの。

それなら、選択・行動だって

結果に影響するよね?

と思いますよね。

 

意図や意識の在り方によって、

選択や行動は左右され、自ずと決まって来ます。

 

これも、例を見てみましょう。

 

 

 

例えば、アパートのお隣に

新しい人が引っ越してきて、

ドアの開け閉めなどの

騒音が気になるな…と思った場合。

 

音に少し気を付けてもらえるよう、

直接話しをしに行ったとします。

 

ここでの最大の目的=意図は、

静かにしてもらうことです。

 

聞いてもらう立場なので、

少し下出になるかも知れません。

 

「この建物は思ったよりも

音が響きやすいようなんです。

私も出来るだけ気を付けますので、

少し気にかけて頂けたらと思いまして。」

 

ところが、

「先住者に対する配慮が足りない」

なんて気持ちがちょっとでもあったりすると、

 

こちらの希望を聞いてもらう

という意識はうっかり消え去り、

相手を責める気配が出て来ます。

 

「音がうるさいので、

少し静かにしてもらえますか?」

 

…ありゃ~(;^ω^)

 

意図の持ち方・意識の在り方は、

選択や行動(言動)に

目に見えぬ形で影響を与え、

それらを自ずと決定づけます。

 

 

 

恐れによって、現実化の過程はゆがむ

 

と言うようなわけで、

何らかの結果が生まれてくる

現実化のプロセスを考えると、

 

まず、

それをやることで自分が何を得たいのか、

その意図(目的・ヴィジョン・動機)を決めて、

それに従って選択・行動が成されることで

そこに結果が自ずと生じてくる。

 

意図→選択・行動→結果、

こういう順序になる訳です。

 

ここで、もし意図の中に

「恐れ」が紛れ込んでいる時には、

前向きで自発的であるべき

意識的な意図の代わりに、

恐れが作り出す言わば「妄想」が

結果を生み出す因子として作用し始めます。

 

 

 

先ほど、選択・行動は

意図や意識の在り方に

影響を受ける、と書きました。

 

前向きな意図の場合、

選択・行動も前向きになるので、

方向性は同じです。

 

一方、

恐れによる妄想の場合は、

 

現実がその妄想通りになるのを

避けようとして

選択・行動がなされるため、

 

意図(この場合は妄想)と

選択・行動の示す方向性は、

逆の向きになります。

 

意図と選択・行動の関係性が、

ここでは歪んでしまっています。

 

 

 

さらに、これらの結果として

現れる現実を比べてみると、

 

前向きで意識的な意図の場合は

選択・行動も前向きでしたから、

結果もそれに準じて現れます。

 

仮に思ったような結果ではなくても、

因果関係がすっきりしているので

次に取るべき行動がすぐ分かり、

がっかりしたり凹んだりすることも

あまりないかも知れません。

 

一方、

恐れによる妄想の場合、

選択・行動は妄想とは逆方向でしたが、

「現れる結果は意図に従う」わけなので、

結果・現実は妄想に則したものになります。

 

ここにもまた、歪みが生じています。

 

このようにして、

意図、選択・行動、結果の間の

関係性が歪み、

それぞれの方向性に混乱が生じた時、

 

私たちの目の前に現れる「現実」は、

私たちの手には負えない

コントロール不能のもののように

見えて来るのです。

 

 

 

 

現実化の過程を正常化するには

 

では、私たちが

「意図→行動→結果」の間に

健全な関係性を取り戻すには、

どうしたら良いのでしょうか?

 

この関係性に秩序を取り戻すには、

日々の努力が必要になります。

 

そもそもの原因は、

日々の選択・判断の際に

無意識に「恐れ」と

繋がっていたことにあります。

 

と言うことは、

すべての選択・判断を

前向きな意図から行うように

変えて行くことが出来れば、

「意図→(選択・判断)行動→結果」の間には

秩序が戻るはずです。

 

(意図を明確にする際に、

そこにどうしても恐れが入る

ということもあると思います。

 

意図そのものをクリアにする為には、

恐れと向き合う取り組みも大切です。

恐れの感情を手放す方法については、

以下の記事を参考にしてくださいね。)

天使に願いを~ネガティブな思考や感情を楽しんで手放す方法/1~2月の営業予定

 

 

取り組むのは、

どんな些細なことでも構いません。

 

例えば、

この仕事を今日中に仕上げないと、

と言うようなシチュエーション。

 

今までは

「できなきゃ上司に叱られる」

と思っていた(無意識の妄想)所を、

 

思い通りに仕上がって

満足している自分の姿を

思い描いてみる(意識的な意図)、

というような具合です。

 

あるいは、

それを受け取ったお客様が

満面の笑顔になっているのを意図する、

というのも良いですよね。

 

 

 

日常的に行っている

ちょっとしたストレッチだって、

 

「ここが固いんだよな~。

やっぱり伸びないな~。」

と思いながら(無意識の妄想)やるのと、

 

「これをやると、流れが良くなって

身体が柔らかくなるはず。」と信頼して、

それを意識的な意図として行うのとでは、

実際に身体の反応も異なります。

 

どんな些細なものであっても、

行動する際にはそれに先立って

こうした前向きな「意図」を

自分の中で思い描く、

 

それを徹底して行うことが出来れば、

意図→行動→結果のプロセスが

秩序を取り戻すだけでなく、

 

先の例で挙げたような

母親の負のパターンを再現するような

自動反復の思考の回路も、

健全な形で書き換えられて

行くだろうと思います。

 

 

 

起きる現実に、信頼を持つ

 

ちなみに、

自分が本当に望んでいることを

まず意図する習慣が出来ると、

結果にも頓着しなくなります。

 

なぜかと言うと、例えば

望まない結果が出てきた場合でも、

それを見て

「なぜ失敗したのか?」と

後ろを向いて考えるのではなく、

 

自分は本当はどうしたかったのか、

本当に望んでいたものは何だったのか、

ということが自分の中でより明確になり、

結果を飛び越えたさらに先へと

目線が行くからです。

 

現れてくる結果は、

自分がいかに失敗したかを

責める材料ではなく、

 

目的を再確認するため、あるいは、

自分の本当の望みが何かを、

より深く理解するために

存在するようになります。

 

 

 

また、望ましい結果を意図することは、

その結果が起きることを

結果に先んじて信頼することでもあります。

 

つまりこの取り組みをすることは、

まず信頼の気持ちを持つこと、

そして結果の如何に関わらず、

その信頼の中にいられるようになる、

と言うことを目指すことにもなるのです。

 

 

 

 

「意図」の持つ本当の重要性:バウンダリ―の強化と、本質的な自己との一体化

 

実は、「意図」の重要性は

意図自体にあるのではなく、

 

意図をするということを通して

2つの重要なことが

可能になる点にあると思います。

 

その一つ目は、

自分自身への信頼を回復し、

自分と他者の世界の間に

健全な線引きをすることが出来る点です。

つまり、自己のバウンダリ―の強化です。

 

自分への信頼を失い

自己不信を深めて行く時、

 

私たちは無意識的に、

自分の取った選択や行動が

間違っていたのではないかと、

自問を繰り返します。

 

そして、

もしかしたらその選択や行動に

利己的な気持ちや自己防衛、あるいは

邪な考えが入り込んでいたのではないか、

と自分の心の中を疑い始めると、

 

自分自身に対する信頼は急速に、

根本から揺らいで行きます。

 

ですがもし、選択・行動をする前に

自分の意図を意識的に把握する習慣を

身につけることが出来れば、

このような形で自分自身を疑うことはなくなり、

自分への信頼が増して行きます。

 

また、自分が前向きな良き意図から

選択・行動したことを自覚していれば、

仮に他の人がそれを否定的に見たとしても、

それはその人なりの受け止め方として

割り切って考えることが出来ます。

 

こうして自分と他者の世界の間に

適切な線引きをすることが出来るので、

他者の世界の中にある

本来は他者自身が向き合うべき問題を、

不必要に抱え込んでしまう様なことから

自分を守ることも可能になります。

 

 

 

二つ目は、

意図をするということを通して、

私たちが一日の内に何度も

高い次元の自己と繋がる機会を

持つことが出来る点です。

 

前の章の最後に述べた、

「結果を見る前に

まず結果を信頼する。」

 

これは高い次元の意識の在り方であり、

全ては調和の中に現れてくる、

ということに対する信頼でもあります。

 

 

 

私たちが何か選択をする時、

そこで考えられる選択肢は

大抵の場合、複数あります。

 

その選択肢の一つ一つには、

その選択を行った「私」がいます。

またその「私」の数だけ、世界もあります。

 

つまり、選択肢の数だけ

幾人もの「私」が同時に存在し、

また幾つもの並行世界が存在していると

考えてみて下さい。

 

もし、恐れに屈して

選択肢Aを選んだ時、「私」は

恐れの中に住み、視野の狭まっている「私A」と、

 

結果を信頼する前向きな意図で

選択肢Bを選ぶ時は、「私」は

今の自分よりも開けた視野を持つ

高い次元にいる「私B」と、

 

それぞれの機会の中で

一体化することになります。

 

 

 

一日の中で何度も行う「選択」において、

すでに高い次元の並行世界にいる

自分自身と繋がることを

繰り返し意図することが出来たなら、

 

私たちは日常の地道(地味(;^ω^))な

取り組みを通して、

高い次元の自己であり本質的な自己である

ハイヤーセルフへと、

私たち自身を近づけて行くことが

出来ると思うのです。

 

 

 

___________________________

 

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自然の中で、童心に返る時間。/4~5月の営業予定

 

 

 

今年の桜は、

入学式にちょうど合わせた様に

ゆっくり咲き始めました。

 

すぐに散るかな?と思いきや、

強烈な雨風に幾度も見舞われつつ

のんびり咲き続けていた気がします。

 

4月7日の時点で

こんな感じ。

 

 

 

いつになく

長い桜の時期が終わると、

今度はあっと思う暇もなく初夏!

 

春と夏って、

こんなに近接していたかなぁ?

 

 

 

窓を開けていると、

強い日差しの中で

柔らかな新緑が輝き、

 

心地よく熱を含んだ風が、

葉の間をサワサワと

通り過ぎていきます。

 

明るく朗らかで豊かな季節。

外の空気を吸うたびに、

自然の中に飛び出したくて

ウズウズして来ます。

 

 

 

気持ち良く晴れた

先々週の日曜日のこと。

 

この時期は、

夕暮れ時もまた格別

美しいんですよね。

 

母と美しい時間帯の景色を

一緒に楽しみたいなと、

散策に出かけることにしました。

 

 

 

人を結びつける自然の力

 

私の自宅の近所には

自然公園があります。

 

公園とは言っても、

丘陵の一部をそのまま

公園にしているので、

散策路はいっぱしの山道です。

 

ちょっとした沢のある個所や、

木の根に頼りながら

急勾配をのぼるところなど、

規模は小さいながらも

山歩きの楽しさを十分味わえます。

 

私にとっては、

ここでの山歩きは

自然との繋がりを体感し、

新鮮な活力を充電するための

大切な時間になっています。

 

 

意識や心を開放する時間でもあるためか、

時には面白い出会いも起こります。

 

先日は、

お花にとても詳しい方に

途中で出会い、

しばらくご一緒しました。

 

色んな花の写真を撮っては

一覧表にして配っているそうで、

自作の資料を見せてくれました。

 

聞けば、

保育園の先生をしていて、

自然に興味を持ってもらえるように

子供達に配るのだと、

楽しそうに話してくれました。

 

人生の楽しみ方を

教えてくれる存在が身近にいるのは、

子供にとって貴重なことだと思います。

 

今すぐには芽が出なくても、

心に何かは必ず

残ると思いますから。

 

 

 

その日の帰りがけ、

公園のふもとにある

竹藪を抜けると、

お寺の境内に満開の枝垂れ桜。

 

「わ~…」

 

母にもぜひ

見せてあげたいなぁ。

そう思いながら帰途につきました。

 

 

 

痛みによって強まった、身体への信頼

 

母は73歳。

昨年、ぎっくり腰になりました。

 

その通院の中で、

知らぬ間に胸椎も

圧迫骨折していたことが

判明しました。

 

当初は痛みも強く、

背中や腰を伸ばすのは

かなり大変だったようです。

 

しばらくして受けた

健康診断の際には、

身長も縮んでしまったと

ガックリ。

 

でも、定期的に施術を

受けに来ることもあって、

1年以上経過した今では

背中が次第に伸びて来ています。

 

年齢には関係なく

身体はちゃんと変わるんだと、

母も自分の身体に

信頼を感じるようになったみたいです。

 

以前に比べると、

身体と相談しながら

無理せずに楽しく過ごしている、

そんな感じに見えます。

 

その様子を見るたびに、

ギックリも圧迫骨折も

決して無駄ではなかったのだな

と思います。

 

 

 

とは言え、長い距離を

楽しく歩けるようになるまでは、

まだ少し時間が必要そうです。

 

公園までは徒歩30分。

距離があるため、

車で向かいました。

 

 

 

駐車場に車を停めると、

お寺の境内に立ち並ぶお墓に

「お邪魔します」と断りしつつ、

枝垂れ桜のもとへ。

 

すでに散り始めてはいるものの、

濃いピンクの色味が美しく、

枝ぶりにも華やぎがあります。

 

 

しばらくすると、

母は下草を観察し始めました。

 

植物好きな人間にとっては

下草だって同じように魅力的で、

桜とも優劣はなさそうです。

 

沢山のスギナが生え、

風でフサフサと

柔らかく涼しげな葉が

豊かに揺れています。

 

その合間から、

沢山のツクシも

顔を出していました。

 

「あ~、つくし!」

 

 

 

近年はツクシを見かけることが

少なくなりました。

 

どこかで見つけたら教えてねと、

春の始めに母が言っていました。

 

それが、

こんな所に生えてた!

しかも沢山!

何だか嬉しいね~。

 

 

そんなことを話しながら

お寺の階段を下ってくると、

 

「ツクシだったら、

うちの竹藪にいっぱいあるけど、

採っていく?」

 

通りかかったおばちゃんが

ふいに声を掛けてくれました。

 

あまりに思いがけない事に

母と顔を見合わせていると、

 

「すごく沢山生えてるんだよ。

どうせ刈らなきゃいけないからさ。」

 

「ツクシを摘むのはともかく、

どんなに沢山生えてるか、

見てみたい!」

 

 

 

おばちゃんが向かった先は、

公園のふもとにある竹藪でした。

 

竹藪はかなり奥行きがあるのですが、

一番手前のお寺寄りのスペースは

下草の茂る野原になっています。

 

その一面を覆いつくす勢いで、

ツクシとヨモギが生えていました。

(写真を撮り忘れましたが~。)

 

ツクシの穂が

半分開いているものを摘んで

頭をちょんと突くと、

ふわ~っと霧のようになって

胞子が飛び出しました。

 

「ほら見て!ふふふ」

 

こんな些細なことで、

思わず童心に返ります。

 

豊かな実りのある土地があるって

良いなぁ~と思っていると、

 

「ここは、どうせ

刈ってもらわなきゃいけないんだ。

お金を払って

手入れしてもらわなきゃいけないから、

こういうのがあるってのも大変なものでね。」

 

なるほど。

じゃあ、遠慮なく

摘ませてもらっちゃいます!

おばちゃん、ヨモギも欲しいなぁ。

摘ませてください!

 

 

 

ツクシとヨモギだと、

今晩は天ぷらかな~。

 

十分に摘ませてもらって、

おばちゃんにお礼を言って

別れました。

 

おばちゃん家の夜の食卓には、

きっと「甘草」が出たはずです。

 

その日の昼間、

お寺の横の土手で

甘草を摘んでいた人達がいて、

食べ方を教わったのだそうです。

 

おばちゃんはきっと、

公園に遊びにくる人達と話すのを

楽しみにしているのでしょうね。

 

 

 

時の止まった路地

 

お寺から少し歩くと、

公園のふもとに沿って

不揃いな石畳が続く

小道への入り口があります。

 

左側の土手には、

夕日に映える赤紫のヤブケマン。

右側には古い農家。

 

 

懐かしい空気の漂う

この路地に来ると、

タイムスリップした気分になります。

 

入り口が狭く分かり難いこともあり、

元気で活動的だった頃に

この近辺は何度も歩いている母でさえ

この道は初めて来たとのこと。

 

初めてなのに

懐かしい空気の場所。

 

何だかお母さん、嬉しそう。

 

美しい紅梅のある家や、

花が咲いているアケビを見ながら、

夕日に向かってゆっくり歩きます。

 

 

この路地の終端には、

レンゲの花が咲く

田んぼがあります。

その向こうは、神社。

 

お寺から始まって

神社に続く道のり。

 

この日の最終目的は、

母にこのレンゲを見てもらうことでした。

 

 

 

田んぼ~童心を蘇らせる心象風景

 

私が小さかった頃、

自宅から少し離れた所には

田んぼの残る地域がありました。

 

稲を刈った後の田んぼでは、

地力を回復する為に

レンゲ草の種を撒いたのだそうです。

 

植物の中でも、

マメ科は栄養価があります。

 

馬の仕事をしていた時も、

馬達を放牧しておくと大抵は

マメ科かイネ科の植物を

好んで食んでいたのを思い出します。

 

休耕田にレンゲ。

きっとこの風景を見たら、

母も懐かしくて

喜ぶだろうなぁと

思っていました。

 

 

 

案の定。

 

レンゲを片手に、

顔がニヤけてますよ。

お母さん!

 

 

…ね!

子供みたいな良い表情!

 

 

 

今度は、

隣の田んぼにあぜ道を発見。

 

足元は大丈夫?

滑って落ちたら水の中だよ?

 

なんていう私の心配をよそに、

スタスタと慣れた足取りで

あぜ道を歩いて行く母。

 

 

 

あれれ、

コンクリの上よりも速いみたい。

 

キョロキョロと植物を見ながら、

あっという間に行っちゃった。

楽しそうだなぁ。

 

農家育ちですもの、

こういう道の方が

実は慣れているんだよね。

 

 

 

ほら!ここ、

こんなにクレソンあるよ!

 

 

 

うふふ、良かった。

去年は痛みとの闘いで、

花見も出来なかったんだものね。

 

一年間、

思ったように動けずに

元気のない様子をしていたけれど、

 

復活したら

以前よりももっと柔軟で、

自由に日々を楽しむことを

し始めた様な気がします。

 

健康でいる自分を、

心から楽しんでいるのだろうと

思います。

 

 

 

今日、誕生日を迎えた母に、

感謝の気持ちを添えて

この記事を贈ります。

 

 

 

4~5月の営業のお知らせ

 

最後になりましたが、

まもなくやってくる

ゴールデンウィークと

5月の営業のお知らせです。

 

それにしても、

ついこの間お正月だった

みたいな気がしているのですが、

もうゴールデンウイーク!

季節は本当に足早ですね~!

 

 

 

4月中の臨時休業はありませんが、

5月は5日(金)・6日(土)が

臨時でお休みとなります。

 

定休日は毎週水・日曜日です。

 

それ以外は、祝祭日に関わりなく

営業を予定しています。

 

 

 

以前施術を受けて下さった方が、

施術の終了後、

「新車になったみたい!」

と仰っていたことがありました。

 

身体がピカピカの

新品になったような感じがした、

と言うことだったようです。

 

普段は自分のケアに

ちゃんと時間を割く余裕がない!

という方にこそ、

 

連休などの機会を使って、

オーバーホールをするつもりで

全身の調整を受けて頂けたら良いな

と思います。

 

皆さんからのご連絡を、

心よりお待ちしています!

 

 

過去を生きる細胞~古傷の臨床 /3月の営業予定

 

3月の営業予定

 

街中を歩いていると、

沈丁花や梅の香りが

時折ふわっと

鼻をくすぐる様に

なりましたね。

 

それに、

暖かい日差しと風に…

マスク姿の人たち!

 

あ~、いよいよ

春が来たんだなぁと

色んな意味で思います( ^ω^ )

 

私自身も

馬の仕事をしていた頃に

花粉症を発症して、

かなり長い付き合いになります。

 

でもこれは

私にとっては

恰好の教材でもあって、

 

自分の身体で色々と試しながら、

本当のところ

花粉症とは一体

どんな原因で出て来るのか、

どうしたら状態を

緩和させることが出来るのかと、

 

毎年この時期になると

原因究明のための取り組みを

自分を実験台にしつつ

細々としています。

 

そんな中で、今年は少し

花粉症のメカニズムについて

理解が深まったところがあり、

もしかしたら次回の記事で

お伝え出来ることが

あるかも知れません。

 

 

 

さてさて。

 

今回の記事では、

古傷の細胞たちは

傷を受けた時点の状態を

今もなお生き続けている、

 

ということを

分かりやすく示してくれた

症例のお話をして行きます。

 

その前にまずは、

3月の営業のお知らせを簡単に。

 

3月の臨時休業は

16日の木曜日のみです。

 

それ以外の日は

通常通りの営業で、

定休日は水・日曜日、

営業は11時から20時まで

となります。

 

施術の最終受付は

17時とさせて頂いております。

 

(ご予約・お問い合わせはこちらへ。)

 

 

 

過去を生きる細胞~古傷の臨床

 

「身体の方も、

これで一段落したんですね。」

 

施術が終わり、

身体がどんな変化を生じたかの

説明をしていた際に、

Mさんはそう言いました。

 

も?

と言うことは他にも何か?

 

そう問い返す前に、

Mさんが言葉を継ぎました。

 

 

 

衝撃的な事故

 

Mさんは3年前、

バイクに乗っていて

軽自動車にぶつかられ、

バイクごと横倒しになりました。

 

よそ見をしていたのか、

相手の運転手は

それに全く気づいておらず、

 

車に引っ掛けられたまま

Mさんは5メートルほど

地面を引きずられたのだそうです。

 

対向から来た他の車が

事態に気づいてくれたことで、

軽自動車はやっと止まりました。

 

 

 

慌てて駆けつけて来た

近隣の人たちに助け起こされ、

何とか救急車に乗ったMさん。

 

バイクの

下敷きになっていた左足は、

 

内股の上部が深く切り裂け、

地面に擦りつけられた

大腿外側部では皮膚が削れており、

後日皮膚移植を行ったそうです。

 

救急車の車内で

内股の傷口を確認した隊員は、

 

「大きな神経や血管は

無事ですよ!

良かったですね~。」

 

と声を掛けてくれたそうですが、

 

それが目視できるほど

傷が深いのかと、

Mさんはかえって

ショックを受けました。

 

 

 

古傷をたどって

 

Mさんが当院を訪れたのは

先月のある日のこと。

 

その目的は決して、

大きな痛みを伴う事故の古傷を

癒すことではありませんでした。

 

それにもかかわらず、

施術を進めて行く内に

アプローチは自ずと、

事故の時の傷跡に向けて

集約して行きました。

 

 

 

最初は、

左足の踵から小趾へと

アプローチが生じました。

 

足の形状と

アプローチの過程から見ると、

左足はどうしても

外側に頼って荷重せざるを

得なかった様子で、

 

 

踵は外側に傾き、

小趾は地面に向かって

押し付けるようにして

踏ん張っていたことを、

身体が教えてくれます。

 

この施術は、

身体の声を聴きながら行います。

 

身体がどこに触れて欲しいか、

どこにアプローチして欲しいかは、

身体が示してくれます。

 

それは物理的なサインを伴って

体表に現れます。)

 

 

 

外側荷重のパターンが

左足に生じた原因は、

内股に受けた深い傷のように

思われました。

 

内股にケガをすれば、

足の内側には

力が入りにくくなり、

外側の筋肉の力に

頼らざるを得なくなります。

 

 

 

小趾の踏ん張りを支えていた

緊張を解いていくと、

ぎゅっと閉じていた小趾の根元が

外へ開きました。

 

 

 

 

 

この変化によって、

足指の付け根全体を

広く使えるようになれば、

外側荷重のパターンは

緩和するはずです。

 

そう考えて

左大腿外側の傷跡の

硬くしこっていた組織に

触れてみると、

ここにも

変化が生じ始めていました。

 

組織が柔らかくなり、

しこりの緩む気配が兆しています。

 

この様子を観察したことで、

最初の踵~小趾へのアプローチは

古傷と繋がっているのではないか

と感じたのです。

 

 

 

これらの変化は、

次に起きるべき変化の

下準備だったようです。

 

今度は、

左大腿部の外側の傷跡と

内股の傷跡とをつなぐように

アプローチが生じました。

 

同時に傷を負ったとは言え、

別々の2つの傷です。

 

ですが身体は、

それらを結び付ける

「ライン」があることを

示し始めました。

 

 

 

大腿の外側の傷跡から

腸脛靭帯沿いを上へ。

 

車に引きずられた際に

大腿の外側部、

すなわち腸脛靭帯の

下部では皮膚が削れ、

上部は強い擦過のためでしょう

血が溜まったのだそうです。

 

傷は塞がっても、

傷口だった箇所や

血が溜まって伸びた箇所では

組織の膠着や緊張が残存します。

 

身体が体表に映し出すサインを

追いかけていくと、

まさしくその腸脛靭帯を

辿って行きました。

 

サインを追いかけて

先へ進んで行くのに伴って、

組織の緊張や膠着は

おのずと解けて行きます。

 

 

 

身体からのサインは、

音の響きに似ています。

 

次に触れて欲しいところを

身体が「トーン」と

音で示してくれる感じです。

 

どんどん移動して行く

その音を追いかけて行くと、

その間に身体は

自分自身がどんな風に

緊張していたのかを

把握し直せるようなのです。

 

そして、

自分はどこがどんな風に

緊張していたのかを

身体自身が再確認出来れば、

身体はそこから抜け出すことが

可能になるようです。

 

 

 

腸脛靭帯に沿って

上にのぼり、

大転子にたどり着くと、

ラインはそこから内へ曲がって

股関節頭へと向かいました。

 

 

 

大転子も股関節頭も、

上縁が詰まったように

固まっていましたが、

それは受傷時に

股関節が曲がっていたことと

現象的に合致します。

 

その固まっている状態を

解きほぐそうとするように、

しばらくの間

サインは小さな範囲に

細かく現れ続けました。

 

やがて、

そこに硬さを残したまま

移動し始めたサインは、

内股の方を目指し始めました。

 

 

 

古傷からの回復

 

Mさんの内股上部の傷は

水平方向に切り裂け、

幅10センチほどもありました。

 

股関節頭から辿って来た

サインは、今度は

その傷を縫い合わせた縫合痕を

辿るかの様に、移動を続けます。

 

サインの描き出したラインは、

ジグザグというか

網の目というか…。

 

あたかももう一度

傷を縫い直しているかのように、

繊細な移動を繰り返しました。

 

 

 

深い傷によって

筋組織が大きく切断された傷口は、

傷が治ったはずの今でも

表面からふれると凹んでいました。

 

傷口を縫い直すように

サインを追いかける内に、

凹みに変化が生じ始めました。

 

筋肉が奥の方から

ふ~っと膨らんで来ます。

凹みも、浅くなって行きます。

 

傷口を挟んで

分断されていた筋肉にも、

今までとは違った感触が

生じてきました。

 

それは、

傷口の上下の筋肉を

結び付ける力が、

回復して行く感触です。

 

 

 

エネルギーの疎通の重要性

 

これはどういう事かと言うと、

 

物質的な意味では

傷口は治って閉じたとしても、

エネルギー的な面では

健全さを回復できていなかった

ということです。

 

エネルギーと言うと

単なる概念的なもののように

感じる向きもあるかも知れませんが、

 

エネルギーの流れが

全身の細胞をまとめ、

一つの生命体として

活動することを可能にしています。

 

ケガなどによって

組織同士のつながりが

一旦切断されると、

物質的な肉体だけでなく

身体を巡るエネルギーも

その部分で遮断が生じます。

 

傷口に緊張や膠着などの

「状態の異常」が残ることで、

エネルギーの流れは

遮断されたままになります。

 

 

 

傷口を縫い直すように

サインを辿るうちに、

傷跡の細胞たちの緊張は

解けて行きました。

 

それに伴って、

傷口の上下の細胞たちの

エネルギーの疎通も回復したのです。

 

分断されていた細胞たちが

お互いの繋がりを回復し、

内股がしっかりとして来ました。

 

内股の筋肉に

力が戻ったからでしょう、

外側の腸脛靭帯もさらに

緩んで行きます。

 

 

 

サインは

移動を始めました。

 

水平の傷跡を外へと辿って

大腿直筋の上部へ出ると、

そこから上へと向きを変えて

ふたたび股関節頭へ。

 

バイクに乗った状態での

事故だったため、

受傷時に股関節と膝は

屈曲していました。

 

これら2つの関節を

またいで働く大腿直筋は、

この影響で強い緊張を抱え、

粘土のような無機質さのある

硬い手触りになっていました。

 

上手く機能できていなかったのは

内股だけではなかったことが

分かります。

 

内股も大腿の前面も

力が入りにくかったとあれば、

 

皮膚が削れるほどの

ケガをした箇所であっても、

どうしても大腿の外側に

荷重を頼らざるを得なかったわけです。

 

この部位の傷跡は

硬くしこった状態になっており、

Mさんも気になっていたそうですが、

 

傷を受けた衝撃と緊張を抱えつつ

身体の荷重を一手に引き受けていた

この箇所の細胞にとっては、

なかなか解けない

硬いしこりと思われるほどの

強い防御が必要だったとも言えます。

 

 

 

股関節頭へアプローチが始まると、

大腿直筋は徐々に緩み始め、

膝の方へ向かって伸びて行きました。

 

これは裏を返せば、

大腿直筋は今まで

股関節頭の方へ向かって

引き上がっていたのであり、

 

例えば歩行中などで

股関節を伸ばす動きの時でも、

内在的には股関節が曲がっている

と言う状態にあったことが分かります。

 

 

 

大腿直筋は柔らかさを回復し、

粘土から本来の筋肉へと

戻って行くようでした。

 

緩みながら

伸びやかさを取り戻して行く筋肉が、

「は~、良かった~…。」

 

と、安堵の溜息をついたように感じました。

この日の施術は、ここで終了になりました。

 

 

 

身体は、私たちと共に歩んでいる。

 

施術後のお茶の時間に、

施術の総括をお伝えしました。

 

身体の細胞は

事故の時の状態を

ずっと生きていたこと、

 

それを今日

身体は手放すつもりで

ここに来たのだろう、

 

という風な

お話しをすると、

 

Mさんは冒頭の様に

「これで身体も一段落したんですね。」

と。

 

 

 

事故によって思いがけず

示談金を得たMさんは、

それを元手に

勉強を始めたのだそうです。

 

仕事に活かせる内容で、

資格試験もありました。

 

事故では

大怪我をしただけでなく、

長年連れ添って来て

自分の一部のように感じていた

大切なバイクも失ったそうです。

 

辛い経験だったけれど、

それを出来るだけ

ポジティブなものに変えたい、

そういう気持ちも手伝っての

決意でした。

 

ですが、

忙しい時間を縫って

全ての科目を修了するのは

かなりの努力が必要だったそうで、

 

仕事で疲れて帰ってから

勉強する気力を起こす際には、

事故の時の衝撃と悔しさを思い出して

励みとしていたのだそうです。

 

3年前の事故を

きっかけにして始まった勉強は、

奇しくも今からひと月ほど前に

修了したばかりとのことでした。

 

 

 

この話を聞いたときに、

こんな風に感じました。

 

事故の時の痛みは、

Mさんが勉強を完遂できるよう

助けてくれていたのだな、

 

身体にとっては、

今だからやっと

事故の時の緊張を

手放せるのだな、と。

 

そして、身体はこんなにも

私たちを助けてくれて

いるのだな、と。

 

 

 

過去の時間の中に

踏み止まっていた細胞たちは

きっと、

 

「今」の時間の感覚を

Mさんと共に、

これからゆっくり

取り戻して行くのだろうと思います。

 

 

 

 

結びにかえて ~ 痛みを役割から解き放つ

 

楽になりたいと思って

施術を受けているのに、

思ったように変わらない時、

 

その痛みには、

私たちそれぞれを支える為の

何らかの役割が

あるのかも知れません。

 

痛みを手放すことは、

痛みが担ってくれている役割から

痛みを解放する事でもあります。

 

そう理解をしたうえで、

痛みを本当に手放したいと

思っているか、

手放す準備は出来ているかと、

自分に問いかけてみて下さい。

 

もし、

そう問いかける中で

痛みを抱え続けていた理由や

必要性に気づけたなら、

 

その時

身体はおのずと

痛みを手放し始めます。

 

 

 

おわり

 

 

天使に願いを~ネガティブな思考や感情を楽しんで手放す方法/1~2月の営業予定

 

1月ももう下旬! 新年を迎えてのご挨拶が

大変遅くなりました~!

どんだけのんびりなんだ!

っていう感じですが、

 

本年もどうぞ

よろしくお願い致します!

 

今年の年始めは、

空気がとてものんびりと

しているように思いました。

 

例年は、元日に3軒

初詣のはしごを

していたのですが、

 

今年は 初詣に行かなやきゃ!

という気持ちを手放して、

 

本当に自分の好きなように

時間を過ごすことにしました。

 

 

 

そう言えば、

私が子供の頃のお正月は

市内のお店と言うお店の

シャッターが閉まっていて、

町中ひっそりとしていました。

 

三が日の間は

日中でも人の気配がなく、

 

静かで平和なその空気には、

子供心ながらに

特別さを感じたものでした。

 

今年のお正月は

本当に何十年ぶりかで、

そんな「特別」な感じに

近い感覚を味わえたような

気がします。

 

でもそれは、

マイペースに過ごしたから

というだけでは無く、

 

自分の内側に

起きつつある変化が、

反映されたせいでも

あったように思うのです。

 

 

 

ネガティブな思考を手放す

 

昨年の末頃、私は

ある取り組みを始めました。

 

自分の内なるおしゃべりに

自覚的になり、

 

そこで浮かんでくる

ネガティブな思いや考えをすべて

きれいに手放すことです。

 

言うのは簡単だけれど、

実際にやるとなると

どうしたら良いのかわからず、

かなり難しそうなことに

思えますよね。

 

でも、出来るんです。

と言うか、私には

必ず出来ると信頼を感じて

取り組み始めたことがありました。

 

 

今回の記事では、

それが実際に

どんな取り組みなのか、

その詳細について

お話しして行きたいと思います。

 

自分の意識を

クリアにしていく方法の

お話ですので、

 

瞑想をやりたいのに

雑念が浮かんで来て

上手く行かないと言う方や、

 

どうしても

ネガティブな思考から

抜け出せずに

苦しんでいる方には、

 

きっと役に立つ

内容だと思います。

 

その前にまずは

1~2月の営業予定の

お知らせを。

 

 

 

1~2月の営業予定

 

1月23日(月)と

2月27日(月)は

臨時でお休みさせて頂きます。

 

それ以外は通常通りの

営業となります。

 

定休日は毎週水・日曜日、

営業時間は11時~20時、

施術の最終受付時間は

17時とさせて頂いております。

 

施術のご予約は

前日までに

ご連絡下さいます様、

皆様にご協力を

お願いしております。

 

キャンセルや

日程のご変更の際には

ご予約2日前から

キャンセル料が発生

致しますので、

どうぞご注意下さいませ。

 

 

 

感情や思考は「感覚」から生まれる

 

ネガティブな思いや考えを

抱えている時は、

何よりも自分自身が

辛く感じるものです。

 

思いや考えには

「感覚」が伴います。

 

むしろ実際には、

まず感覚が生じます。

 

何かのきっかけで、

気付くか気付かないかの

かすかな感覚が生じると、

 

それはほどなく

「言語」の形態をまとって、

感情や思考として

意識に上ってきます。

 

 

 

浮かんできた思いや考えが

ネガティブなものである時は、

 

モヤッとしたり

イラッとしたりするような

不快な感覚が先行しています。

 

何せ不快なので、

身体はこの感覚を黙って

抱えたままにしておくことが

出来ません。

 

不快さを解消しようとして

身体は自ずと反応を起こします。

 

時には自分でも抑制できずに

相手に怒りをぶつけたり、

 

内側から出ようとする

衝動的な力を

ぐっと押さえ込もうと、

感情を飲み込んでいる自分に

気付いたりします。

 

どちらの場合にしても、

不快な感覚は残念ながら

解消されることがないのは、

誰しも経験を通して

理解されていることだろうと思います。

 

 

 

意識が身体に及ぼす影響の深刻さ

 

ネガティブな思いや考えを

手放すことは、

実は私たちが

健康を保つうえでも

大変重要なことです。

 

私たちの身体は

「嫌だな~」

「失敗した!」

「急がなきゃ」

「なんで私って…」

と言ったような、

 

私たちが日頃

何気なく口にする、

些細な自己非難の

言葉にさえ反応しています。

 

私たち自身の

何気ない一言によって、

身体は緊張し、

身構えるのです。

 

特に緊張が起きやすいのは、

心臓や背中の辺りで、

時には後頚部にも

感じられるかも知れません。

 

私たちが意識せずに

「あ~」と思うたびに、

心臓や背中、首では

律儀に反応が起き、

緊張によって硬くなることを

繰り返しているわけですから、

 

一日経つ内には

身体は何もしなくても

相当バリバリです。

 

それを毎日繰り返すとなると…。

 

健康に良くないわけが

分かりますよね( ;∀;)

 

 

 

さてさて。

 

自己非難や他者への怒りなど

ネガティブな要素を含む

思いや考えは、

 

発散したり

抑え込むことによっては

解消できないことは

先に述べました。

 

これらを手放すのに

カギとなるのは、

「芽」の段階で

察知することです。

 

「芽」とはつまり、

感情や思考になる前の

感覚の段階を指します。

 

それは、

自分の胸の辺りや

みぞおちの辺りに

もわっと湧いて来たり、

 

時には頭の中で

カッと点火するような、

かすかで瞬間的なものです。

 

そうした感覚が

生じたことに気づいたら、

それを自分の中で

解消しようとせずに、

 

私たちよりも

高い次元の存在へと、

処理を委ねます。

 

 

 

天使に願いを。

 

自分の中に

不快さの「芽」が

生まれるのを感じるのは、

 

例えばこんな場面かも

知れません。

 

電車の中に、

大きな声で

電話をしている人が

いた時、

 

たまたま目のあった人に

不機嫌そうな顔で

にらまれた時、

 

朝、出勤前の

急いでいる時間に

父親がトイレを

占拠していた時、

 

いつもきれいにしている

自宅の前で、

タバコのポイ捨てを

発見した時。

 

 

どれも些細なことですが、

数限りない状況で

不快さの「芽」は

生じる可能性があります。

 

それに伴って

身体と心まで

緊張させてしまわない為に、

 

私は自分の守護天使に

「芽」を引き渡して、

光に変えてもらうようにしました。

 

不快さが

生じそうになったら、

心の中で

天使に呼びかけます。

 

「天使さん、

あの方に光と祝福をお願いします。」

 

こうして、不快さを感じる

きっかけになった人や物へと、

光を送ってもらえるように

依頼するのです。

 

 

 

急に天使が出て来たので、

驚いた方もいらっしゃるかも

知れませんね( ^ω^ )

 

この方法は、

ある書籍からヒントを得て

やり始めました。

 

その書籍には「祈り」について

こんなことが書かれていました。

 

「愛とは人の心を

開くエネルギーであり、

私たちは思いによって

それを送るのです。

 

私たちが純粋な愛の光を

人々に送ったとき、

天使の力が

それに結び付いて

奇跡を起こします。

 

もし、そのとき

天使に助力を

お願いすれば、

それはもっと

パワフルになります。」

 

「戦争の起こっている

場所のことを考えるときには、

そこで起こっている悪い事柄に

焦点を合わせないことです。

 

闇の力にエネルギーを

与えることになります。

 

その代わりに、光が

その場所に射しこむように

イメージしてください。

 

天使たちがそこにいる人々を

助けてくれるよう

お願いするのです。

 

あなたの祈りが、

天使たちがそこを訪れ

救うための

光の道筋となります。」

(引用:ダイアナ・クーパー著

『エンジェル・ストーリー』 p.34)

 

 

 

これを読んだ時に、

こんな理解が浮かびました。

 

私たちは他者の配慮のなさや

思いやりのなさを見咎めて

ついつい責めたくなりますが、

 

その代わりに

その人に向けて

光と祝福を送って下さいと

天使に祈ることは、

 

その人に対して直接

天使が働きかけるための

光の道筋を作る事になり、

 

その人が本来持っている

配慮や思いやりの気持ちが

より良く機能するように、

 

間接的ながらも

サポートの手を

差し出すことになるのだ、と。

 

(天使は高い次元の存在で

高い周波数を纏っているため、

 

低い意識でいる人には

近寄りたくても

近寄ることが出来ず、

直接サポートすることが

難しいのだそうです。

 

そこへ、

その人へ向けて祈りが届くと、

 

それが天使の通る

光の道となって

天使がサポートすることが

可能になるようです。)

 

 

 

天使の存在を

信じているかどうかは

ここではひとまず

置いておいて頂いて、

 

願えば変化は起きます。

そして、それは

私たちの内側の感覚で

実際に感じることが出来ます。

(詳しくは後述します。)

 

 

 

あまりに腹が立つような時には、

相手のために祈るのは

難しく思えるかも知れませんが、

 

実際に試してみて、

祈ることで不快感が

解消されるのを

実感するようになると、

 

不快感を握りしめて

腹を立て続けるよりも、

祈ることの方が

明らかに実用的だと

感じられるようになります。

 

 

 

天使に祈った際には、

私たちが気付けなくても

天使はちゃんとそれに

応えてくれているので、

 

「ありがとうございます。」

 

とお礼を言い添えることも

忘れないようにします。

 

 

 

ジャッジの意識や過去の記憶も手放す。

 

実際に天使に祈る際には、

怒りや自己非難が生じそうな

場面だけではなく、

 

自分の中で

他者に対するジャッジが

起きそうになった時にも

必ず行うようにしました。

 

例えば、

目つきの悪い若者を見て

「わ、怖そう」

と思うようなことも、

 

道端で寝起きしている

人を見て、

「大変だろうな~。」

と思うようなこともです。

 

自分の価値基準や

先入観があると、

 

他者との間に

必要のない溝が生まれ、

その人の真実の姿を

見誤りがちになります。

 

ニュートラルに物事を

受け止められるようになるには、

 

小さなジャッジの「芽」も

天使にすべて引き渡して、

これもまた光へ変えてもらうのが

一番良いと思いました。

 

 

 

また、天使には

時空間をまたぐ移動も

可能なはずですから、

今現在における

ネガティブな思いや考えに限らず、

 

思い浮かんで来た

過去の出来事についても、

祈りの対象にしました。

 

過去の出来事で関わった人や、

その時の自分自身もです。

 

思い出した瞬間に、

少しでも自分の内側に

モヤッとする感覚を

感じそうなものは、

片っ端から祈りました。

 

 

 

過去の記憶は、

その痛みが本当に

解消された時には

思い出さなくなり、

 

仮に思い出しても、

その時の感情は伴わず、

冷静に見られるように

なります。

 

思い出す度に

実感を伴う内は、

 

それがまだちゃんと

処理できておらず、

手放せていない証拠なのだ

と言うことも、

 

天使の力を借りることで

改めて分かりました。

 

 

 

 

感情は、理解だけでは解消されない。

 

これをやり始めて数日は、

人とすれ違うたびに

立て続けに天使に向かって

祈らなくてはいけないような、

大変な状態でした。

 

いかに普段、

自分が些細なことに

頻繁に気を取られていたか、

嫌でも分かります。

 

その量の多さには、

自分でも心底驚き、

呆れました。

 

私は、

自分と向き合うことを

大切にできている人間だと

自分では思っていましたが、

 

自分の意識が

これほどまでに外側に

向いている状態だったかと、

初めて気づかされた思いでした。

 

 

 

自己弁護をするようで

恐縮ではありますが(^▽^;)、

 

施術者と言う仕事柄、

自分の内的な問題とは

今までかなり丁寧に

向き合って来ていると思います。

 

学びを深めて行くと、

 

自分の外側に見えているものは

すべて自分の内側の世界の

「投影」であることを、

理解するようになります。

 

その理解は、

自分の内側で起きる

感情のカラクリを

見破ることを

可能にしてくれますが、

 

腹が立つことや

感情の波が起きること自体を

無くしてくれるわけでは

ありません。

 

そのために、

学びが深まって行くほどに

かえって自分の感情に

出口を見出せなくなるという、

 

難しい循環に

嵌まり込んでいた可能性も

あったのかも知れないと

思います。

 

 

 

知っている人だと、腹は立たない。

 

天使に向かって祈ることで

面白いと感じたのは、

 

モヤモヤとした感覚が、

胸の辺りからスッと

引き抜かれるように

消えて行くことです。

 

不快さの「芽」自体を

摘んでもらったから

なのでしょうね、

 

モヤモヤがぶり返すことも

ありません。

 

 

 

祈っても

不快さが消えない時には、

祈り方をより

詳細にしてみます。

 

自分が不快に感じたのは

何に対してだったのか、

それを具体的に

把握し直した上で、

改めて祈ります。

 

私の場合は、

不快さを感じるのは

大抵の場合、

配慮と思いやりの欠如を

感じる時なので、

 

「あの方の配慮と

思いやりの気持ちを浄化し、

光で満たしてください。」

と言うような感じになります。

 

 

 

他の例も挙げてみるなら、

 

家族のケンカを見ると

辛い気持ちになる場合や、

 

人前に立つと

緊張を感じてしまう場合は、

 

ケンカをしている当人達や

その場に同席している人達に向けて

 

「彼らの理解力と受容力に

光と祝福をお願いします。」

というような感じになります。

 

 

 

もう一つ

興味深く感じたのは、

 

天使を通じて

祝福をお願いした相手は、

不思議と身近に感じることです。

 

祈る前に比べると、

「知っている人」という

感じがするのです。

 

失礼があると

知らない人だと立つ腹も、

知っている人だと

意外と「まぁいいか。」

となったりしますよね。

 

祈ることで現れる親近感は、

エネルギー的に

同期が生じることを

示しているのかも知れませんが、

 

理由はともかく、

祈るとその人のことが

気にならなくなったりします。

 

 

 

内側の静けさが、自分を自分と向き合わせてくれる。

 

始めの頃に比べて

不快さを感じる場面が

次第に少なくなり、

 

頭の中で

勝手に起きていた

ネガティブなおしゃべりも、

随分と静かになって来ると、

 

自分の内的世界に

静けさと穏やかさを

感じるようになりました。

 

散歩をしたり

瞑想をしたりしていて

雑念が浮かぶことも

少なくなりました。

 

頭の中のおしゃべりや

勝手に浮かぶ雑念とは、

処理できていなかった

ネガティブな思いや考え

そのものだったのでしょう。

 

そして、

こんなことに気づきました。

 

自由な時間が出来た時、

今までの私は

何となくテレビを見たり

ネットで物色をすることで

時間をつぶしがちな傾向が

あったのですが、

 

それは自分の内側に

つねに不快感が

くすぶっていたせいで、

 

静かにして

自分と共にいようとすると

それが浮かび上がって来る為、

 

無意識的にそれを

避けようとしていたのだな、と。

 

 

 

今でももちろん

テレビやネットは

見る時もありますが、

 

以前に比べてずっと

多くの時間を、

 

自分の内側に意識を向けて

自分とゆっくり一緒にいる、

ということに

使えるようになったと思います。

 

 

 

 

お節介な鳥と、いたずらな馬~12月と年末年始の営業予定

 

12月もすでに下旬!

 

年末年始の営業のお知らせを

早くしないと~!と思いつつ、

 

一緒にアップしようとしていた

記事がなかなか完成せずに、

今に至ってしまいました~( ;∀;)

 

今年はどうやら

人間に関する臨床例は

上手くまとめられない頭に

なっているみたいです。

 

最後こそはと

思っていたんだけどなぁ。

 

年の瀬も迫って来たので

抵抗するのはやめにして、

ここから年始にかけての

営業のお知らせと、

 

クスッとしたくなる

生き物の可愛らしいお話で

皆さんに和んでいただいて、

今年の締めにしたいと思います(^^♪

 

 

 

年末年始の営業の予定

 

年末までもう少しですが、

ここから先の12月の営業予定を

念のためにお知らせしますね。

 

23日(金・祝)、26日(月)

はお休みとなります。

 

代替として、

25日(日)、28日(水)

は営業致します。

 

年末は12月29日(木)まで、

年始は1月6日(金)からの

営業となります。

 

 

 

ご希望日の当日に

ご予約のご連絡を

頂くことがあるのですが、

 

長丁場の施術で

事前の準備なども必要ですので、

当日のご予約は

お受け出来ない場合が多いことを

ご理解頂けますと幸いです。

 

ご予約の際にはできるだけ

お早めにご連絡を下さいます様に、

ご協力のほどお願い申し上げます(^人^)

 

 

 

世話焼きのジョウビタキ

 

縁側に座り込んで

暖かな日差しの中で

歯磨きをしていた時のこと。

 

3メートルほど先の木の枝に

きれいなオレンジ色の胸をした

ジョウビタキが一羽、止まりました。

 

こちらの目と向こうの目が

正面からバッチリ合いました。

 

お、目が合った。

しかも、両目とも合ってるぞ。

こりゃ~逃げるだろうな。

 

ところが、

歯磨きをしている人間は

攻撃して来ないだろうと

見切ったのかどうかは

分からないけれど、

意外にもジョウビタキは逃げません。

 

むしろ、より近くの木に

飛び移ってきました。

 

 

 

冬のこの時期になると、

庭では椿が咲き始め、

 

南天や百両、

ピラカンサスなどの

様々な赤い実が生り、

 

初春の開花に向けて

ロウバイが蕾をつけ始めます。

 

赤い実もロウバイの蕾も、

鳥たちにとっては

恰好のエサとなります。

 

ジョウビタキは

ピラカンサスの実を

狙っていたようです。

 

ピラカンサスの向こうにある

椿の幹の前を通り、

私の視線から隠れるように

ピラカンサスの葉の茂みの

向こう側に止まりました。

 

人間と目が合っても

動じなかったのに、

椿の幹の前を通る時には

なぜかワタワタ慌て気味。

 

人目を感じたままなので

さすがに焦ったのか、

それともただ単に

不器用だったのか( ^ω^ )

 

何となく人間ぽくって

面白いやつだな~と気になって、

しばらく観察することに。

 

 

 

ジョウビタキの仲裁

 

庭には、他に

2羽のムクドリも来ていました。

 

ほどなくして、2羽は

ギャーギャーと争い始めました。

 

俺のいる枝に来るな、

お前こそあっちに行け、

…的なケンカのようです。

 

なかなか止む気配がないので、

途中で柏手を勢いよく

「パン!」と打ってみましたが、

 

足元で昼寝をしていた柴犬が

半ばビックリ顔で

「お仕事ですか!?」

と起き上がっただけで、

争いに夢中の当事者たちは

気づく様子もなし。

 

「困ったもんだね~。」

と犬と顔を見合わせていると、

 

先ほどのジョウビタキが

地面すれすれに飛んで、

2羽のいる木の下の方へと

移動して行くのが見えました。

 

2羽の方へ視線を上げると、

「チョ、チョ、チョ、チョ。」

と小さく鳴き始めました。

 

(「地鳴き」の中の、

低い音だけを出していたようです。

BIRDER.jp のサイトで鳴き声が紹介されています。↓

http://www.birder.jp/featureprograms/2015-01/2015-01-2.htm

 

何やってんの~、

ちょっと止めなよ~、

…的な感じ。

 

ムクドリと言えば

ジョウビタキの倍はあろうかと言う

身体の大きさ。

 

もし2羽のケンカに

巻き添えでも食ったら…

なんてことは、

ジョウビタキは考えていないようです。

 

勇敢と言うか

正義感が強いと言うか

向こう見ずのお節介と言うか(^▽^;)

 

関係のないことなのに、

わざわざ近づいて行ってまで

首を突っ込むとは。

 

でも、

小さく低い声で鳴いて

穏やかに話しかけるなんて、

気遣いも感じられます。

 

しばらくの間、

彼は小さく鳴き続けながら

2羽の仲裁を試みていましたよ。

 

平和や調和を

愛する鳥なんじゃないかなぁ、

きっと。

 

…さてさて。

いい加減に歯磨き粉も

流しに行かなくちゃ!(^▽^;)

 

 

 

ニワトリと馬の心理ゲーム

 

ジョウビタキの

思いやり溢れる場面を見ていて、

ふと昔見た光景を思い出しました。

 

まだ馬専門の牧場に

勤めていた頃のこと。

 

当時牧場にいた馬たちは

いずれ劣らぬ個性派ぞろいで、

 

丸太の様な胴体を

左右に揺らしてのっしのっし歩く

食いしん坊のおばちゃん馬とか、

 

狭いところが怖いのに、

超がつくほど真面目過ぎて

拒否することも出来ず、

鼻をフーフー言わせながら

一生懸命に狭いところを

通る馬とか、

 

とにかく色んな

面白くて可愛らしさのある

「濃ゆい」馬たちがいました。

 

 

 

源太は、馬のくせに

サラリーマンっぽい、

と言われていました。

 

どういう事かと言うと、

 

翌日も仕事があるから

目いっぱいやらない、

と言うことを

モットーにしている感じです。

 

重種の血が混ざる彼の馬格は

大きくてしっかりしていて、

与えられたお仕事は

真面目にやっているんだけれど、

 

いつもどこか余力を残していて、

お~い、一生懸命やってる!?

とついツッコミたくなる…(;・∀・)

そんなところのある馬でした。

 

 

 

ある日、

源太の小屋の窓枠に

ニワトリが止まっているのが

目に入りました。

 

何となく気になって

見ていると、

 

小屋の中にいる源太が

ニワトリの正面に立って、

 

ニワトリを鼻で

ツンと突つきました。

 

ニワトリは正面から押されて

バランスを崩し、

オトトトト…と

羽をバタつかせます。

 

のけぞった姿勢から

何とか立ち直ると、

まっすぐ止まり直しました。

 

それをじ~っと見ながら

待っていた源太は、

起き上がったニワトリを

再びツン。

 

オトトトト…。

 

 

 

羽をバタバタしながら

再び体勢を立て直し、

起き上がるニワトリ。

 

…源太はと言えば、

またもやツン。

 

オトトトト…。

 

ツン。

 

オトトトト…。

 

以下、繰り返し。

 

 

 

思いがけない場面を

目撃した私は、目がテン。

 

作業の途中だったので、

このやり取りの結末は

残念ながら見届けることが

出来なかったのですが、

 

目撃していた間だけでも

かなりの回数、

この起き上がりコボシ運動は

繰り返されていました。

 

 

 

小屋の窓枠の下には

飼桶が下がっていましたから、

 

ニワトリは

源太のご飯の残りを

漁りに来たのだろうと思います。

最初は。

 

それが

どういう風の吹き回しか…。

 

 

 

押されて嫌なら

ニワトリは逃げれば良いですし、

 

食事を狙われて嫌なら、

ニワトリが体勢を戻す前に

源太は何度だって

ツンと突っつく余裕がありました。

 

それに、突き方そのものを

もっと強くすれば、

ニワトリは簡単に

地面に落ちたでしょう。

 

あれは、源太に

知性と優しさがなければ

出来ないことだったと思います。

 

そして、お互いに

結構楽しんでいたんだと

思うんです。

今考えても。

 

 

 

ニワトリが

落ちるか落ちないか、

そのギリギリの力で押す。

 

押されたニワトリも、

懸命に戻ってくる。

 

ここで起きていたことは

傍から見れば

源太のいたずらなんだけど、

 

彼らの間には、

思いやりとか楽しさの共有

みたいなものがあったからこそ、

飽きもせずに何度も何度も

繰り返していたんじゃないかな

と思うんです。

 

ニワトリは後ろ姿だったから

表情は見えなかったけれど、

彼が起き上がって来るのを

見守る源太の目には、

 

「あ、戻って来た」

…的な感じで、

普段のサラリーマン源太にはない

楽しそうな色が

浮かんでいましたもの。

 

 

 

むすびに代えて

 

今年は年明けから

動物と関わることが

多い一年でした。

 

子供たちと交流する

お仕事をしているポニー達の

メンテナンスをさせて頂く

機会に恵まれたり、

 

足が変形して

跛行していた老齢馬に

定期的な施術をしたり、

 

チビ助の頃から知っていた

知人の猫が旅立ちの時を迎え、

その最期の3日間、

ヒーリングをさせて頂く

機会を頂いたり。

 

 

 

施術を受けている彼らが

時には寝落ちして、

行儀よく揃えて伸ばした前足に

きっちり乗せていたはずの小さな頭が

不覚にもカクッと横に滑り落ちたり、

 

鼻面を下げた状態で

ウットリと寝入ってしまって、

気づいたら長い鼻先が

すっかり地面にくっついていたりと、

 

心から施術を楽しんで

リラックスしてくれている

彼らの姿を目にして、

 

施術をすることの喜びと意味を

私も改めて感じた一年でした。

 

あ。

言葉を超えたところで

動物と交流していたせいで、

人間の臨床について

思考がまとまらなくなってたのかも~(^▽^;)

 

と言うのは半分本気ですが、

臨床で私自身が体験し、

目撃する「奇跡」を、

来年はもっともっと

表現していけたら良いなと思います。

 

 

 

それでは。

みなさんもどうぞ、

良き新年をお迎えくださいね。

 

今年も最後まで

お付き合い下さいまして、

ありがとうございました(#^.^#)

 

 

 

サイトと室内の改変と、料金のご変更のお知らせ

 

 

すっかり寒くなりましたね~!

 

秋らしい日を十分味わう前に

冬が来てしまった感じがします。

 

皆さんは風邪など引くことなく

元気でお過ごしでしょうか?

DSC_0002_27

 

時折サイトを見て下さっている方は、

サイトのスタイルが変わったことに

気づいて下さったのではないかと思います。

 

実はサイトだけでなく、

院内の内装であったり

料金設定であったりと、

今回は多岐に渡って

お知らせしたい変更事項があります。

 

 

 

サイトの改変について

 

今まで、当ホームページは

茶系の背景色に同系色の文字でしたので、

読みづらいというご指摘を頂くことがありました。

 

今回スタイルを変更し、

白の背景に灰色の文字という

シンプルなものになりました。

 

目から入ってくる刺激が減ったことで、

全体的に読みやすくなったように

感じて頂けるのではないかと思います。

 

 

 

目などの感覚器官から受け取る

こうした刺激は、

脳にとってはすべて

処理すべき「情報」です。

 

私たちが意識的に

「情報」として認識している

文章や画像と言ったものだけでなく、

 

それらの背景にあるものが

メインの情報に付随する形で、

脳に一緒に流れ込んでいることになります。

 

色味やデザインがシンプルになると、

目を刺激し、脳に負荷をかける

「情報」の全体量が減ります。

 

だから、文章の書き方が変わったり

文量が減ったわけではなくても、

読むのが何となく楽に感じる、

というようなことが起きます。

 

 

 

サイトは必要に応じて

すぐに手を加えられるようにと、

自分で作成しています。

 

今回、セッションルームの

内装を変えたのに合わせて、

サイトのスタイルも変えることにしました。

 

 

 

ウェブサイトは

お店の在り方を外の世界へ表すための

「器」ですから、

 

見てくださった方が

院内の様子や行っている施術の雰囲気を

想像し易いものであること、

 

当院の性質とサイトの持つ雰囲気とが

合致していることが重要だと、

私は考えています。

 

そのために、

これまでは文字の読み易さを

妥協せざるを得ませんでした。

 

 

 

正直なところ、

スタイルを変更すると

サイト全般を手直しする必要が

出てくるので、

作業に取り掛かるのには

なかなかに覚悟が要ります(;・∀・)

 

今回、

本体である店舗の方が変わったので、

サイトも読み易いスタイルへと

変える覚悟がやっと決まった、

というような次第です。

 

 

 

ドロップダウンメニューの不具合

 

とはいえ、

100%良い!と言うものにするのは

難しいものですよね~。

今回も少々問題がありそうです(^▽^;)

 

スマホでご覧頂く際には大丈夫なのですが、

パソコンでご覧の場合には

以下の点にご注意頂けたらと思います。

 

 

 

お使いのパソコンやブラウザによって

異なるかも知れませんが、

プルダウンメニューが

うまく機能しない場合があるようです。

 

パソコンサイトの最上部にある

メニューバーは、

一つの項目にカーソルを当てると

その項目に連なる他の項目が

下に飛び出てくる形式になっています。

 

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画像中の赤い矢印の先にあるのが、

プルダウンのメニュー表示です。

 

プルダウンの中の項目にカーソルを当てようと

カーソルを動かした途端に、

プルダウン表示そのものが

消えてしまう不具合が

生じるかも知れません。

 

パソコンの機種によって

不具合が生じたり生じなかったりするので、

サイトのシステムが原因と言うことでは

ないようです。

 

そのため、問題が発生した際には

各自でのご対応をお願いする次第です。

ご不便をおかけしてしまい

大変申し訳ございません。

 

対処して頂く方法としては、

二つやり方があります。

 

①プルダウンメニューは開いたまま、
Tabキーを使って希望の項目のところへ移動する。

 

②各ページにある、 「NEXT」ボタンを使う。

ボタンの位置は、通常はページの最後尾にあります。

更新した記事が随時アップされる形式のページでは、
下の画像中、赤い矢印で示してありますように、
記事の説明文のすぐ下に「NEXT」ボタンがあります。

 

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サイトをご利用の際に

その他にも不具合を見つけたり

ご不便を感じることがあった場合には、

ぜひ教えてくださいね!

 

 

 

セッションルームの変身

 

セッションルームは、 今までコルクだった床を

白い木目のクッションフロアに

張り替えました。

 

プチ・リフォームと

言ったらよいのでしょうか、

 

今は自分好みの空間を作るための

便利で扱いやすい材料が沢山、

商品化されているんですね。

 

だから、張り替えは

自分で出来ましたよ!(^^♪

 

 

 

母が「面白そうだから、手伝うよ!」

と言ってくれたのですが、

その気持ちだけ、ありがたく頂戴しました。

 

家具を移動しながら

床材を敷いていくので、

室内はカオス状態。

 

複数の人間が

居られるほどのスペースは

なかったなぁ~。

手伝ってもらっていたら、

お母さんケガしていたかも!

 

2日に分けて

トータルで8時間ほど。

なかなかの労働でしたけど、

出来栄えもなかなか良いですよ~!

 

nemu-inside-1

 

床が白くなったことで

室内は明るさが増し、

空間が広々として

ゆとりを感じるようになりました。

 

施術をする際にも、

今まで以上にどっしりとして、

ゆったり構えている自分がいます。

 

足元の色味が変わることで

こんなにも印象が変わり、

 

その印象の変化が

こんなにも心理面に影響するのかと、

思わぬ効果に驚きです。

 

 

 

また、以前より

空間が調和しているようにも

感じます。

 

nemu-inside-2

 

そのせいなのでしょう、

セッションルームの中で

ただただ座って

ぼ~っとしていると、

やたらと幸せを感じます。

 

勝手に

ニタニタしちゃう感じです。

 

それじゃあ

仕事にならないじゃないかって?(^▽^;)

あはは~、ごもっとも。

 

ですが、

クライアント様をお迎えする空間として、

今までより一段も二段も

格が上がったのではないかと思います。

 

 

 

施術を支える空間の質

 

当院の施術は、

ご存知頂いています様に

3時間を上まわる長丁場です。

 

長い時間をかけて

全身を緻密に見ていくことで、

施術で生じる変化は

肉体以外にも及びます。

 

施術の間、肉体の動きや形を

制限していたパターンが体表に現れます。

それを詳細に読み取り、

パターンを解除していきます。

 

こうしたパターンは、

心理面や思考面において

パターン化したものとも

リンクしており、

 

肉体の変化に伴って

変化は多層的に生じます。

 

 

 

どういうことなのか、

少し詳しく説明してみますね。

 

肉体と感情のパターンが

つながっている一例を挙げれば、

 

たとえば怒りを感じるときに

頭がカ~っとなる人もいれば、

胸がムカムカする人もいます。

 

怒りという感情が、

頭や胸と結び付いているわけです。

 

 

 

カ~っとなるにしても

ムカムカするにしても、

何らかの内的感覚が生じやすい部位には

緊張があります。

 

怒りが頭や胸の緊張とつながっていると、

怒りの感情を感じた際に

頭や胸に不快感が生じるだけでなく、

 

何らかの理由で頭や胸に緊張を感じると、

それが怒りという感情に

変換されやすくなります。

 

つまり、

パターンは肉体や感情で

別々に形成されるのではなく、

 

身体に刻まれた

ある一つのパターンは、

感情や思考、運動や姿勢と言った

いわば様々な次元の活動によって

共有されているとも言えます。

 

 

 

また、感情の持つ傾向性は

「性質」であって、

変化しにくいものと考えがちですが、

 

肉体と感情は双方向で作用しあうので、

肉体側のパターンが変化すれば

「性質だから」と諦めていたものも

一緒に変化する可能性があります。

 

思考面においても同様で、

固定化された頑固な考え方も

(つまり、パターン化された考え方)

身体からの働きかけで

変化のきっかけを得ることがあります。

 

(きっかけから本当の変化を生むには、

その方自身の意識の在り方が

重要だったりしますが、

そのお話はまた別の機会に。)

 

 

 

と言うような具合で、

施術による変化は

肉体だけにとどまらない、

複層的なものになります。

 

施術を受けて下さった後に

身体がクリアになった感じがして、

「新車になったみたい!」

と表現して下さった方や、

 

「オーバーホールするつもりで

施術を受けに来ました。」

と、リピートして下さる方もいます。

 

施術に何を感じるか、

施術がどのような体験になるかは、

その方の受け止め方によって

異なるものではありますが、

 

受けに来て下さる方にとって

施術がとても大切な機会になることは

確かだと思います。

 

何よりも、

自分自身を変化させるために

行ってみよう、とみずから気持ちを決めて

足を運んで下さるわけですから。

 

 

 

迎える側としても出来る限り、

この時間がより良いものとなるように

心を配ります。

 

その際に最も重要な要素になると

私が感じているのは、

 

変容の時間を過ごす「場」が

調和の取れたものであるかどうか、

その空間にいて

心地よさや安心を感じられるかどうか、

 

すなわち、

施術を行う空間の帯びる「質」が、

来て下さる方たちの変容を支えるのに

十分に適したものであることなのです。

 

 

 

料金設定のご変更

 

今まで、施術の料金は

時間に応じて変わる

変動制を採ってきました。

 

一つには、

身体の変化する速度や

辿っていく過程の複雑さが、

人によって異なるためです。

 

 

 

2つ目の理由は、

施術自体も成長・変化を

して行くためです。

 

全身を視るには、

身体から得る沢山の情報を

整理できる能力が必要になります。

 

施術の経験を重ねると、

身体の側から大切な情報が

開示された様に感じることがあり、

 

それまで目の端には入っていたけれど

その意味や重要性の分からなかった現象が、

見落とすことの出来ない大切なものだったと

急に気づいたりします。

 

そうして気づいた事柄があっても、

それはすぐに

施術に反映できるわけではありません。

 

身体の持つ重要性に

一つ一つ気づいていき、

咀嚼と反芻を繰り返しながら

それを自分の扱える情報として

消化できたあかつきに、

 

施術にまた一つ

新しい過程が加わり、

施術の質が向上するのと共に、

所要時間も変わって来ます。

 

そのため、時間の枠組みには

臨機応変の自由さが必要でした。

 

 

 

施術の質的な変化を

何度か経る内に、

身体の物質的な現象を読み解く

整体として始まった施術は、

 

身体から「ひびき」として現れる

サインを受け取り、

身体自身の判断に委ねて

施術が進行していく

エネルギーワークへと、

 

ここ1年の間に

その性質が大きく

変容して来ました。

 

これは、身体自身が

先行して起こしている反応(=サイン)を、

後から追いかける様になったということであり、

 

身体の変化の速度や

身体のサインを辿り、読み解く正確さは、

どんどん良くなって行きます。

 

 

施術中、

クライアント様の全身のバランスが

ほぼ余すところなく

視野に入るようになり、

所要時間の幅も

安定して来ている現状と、

 

変動制の料金設定は、

利用して下さる方にとっては

心理的に不安に感じる面があるのを

今まで憂慮して来たこともあり、

 

この機会に、料金を以下の様に

1回毎に一定とすることに致しました。

 

初回来院時:21,000円

リピート(2回目以降):18,500円

 

この新しい料金設定の適用は

12月1日の施術からとなります。

 

何卒ご理解くださいます様に、

お願い申し上げます。

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ホトトギス(山野草) ~ 11月の営業予定

 

10月は営業予定のお知らせを

すっかりしそびれました!

 

ついひと月前の10月の始めまでは

夏のように暑い日もあったのに、

今は想像もできないくらい

朝晩冷え込むようになりましたね~。

 

 

秋を象徴するホトトギスも、

そろそろ咲き終わりの時期。

 

思い切って、

花を沢山頂いてきました!

(ホトトギスの皆さん、ありがとう~。)

 

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白く細い花びらの菊のような花は、ヨメナ。

そう母は言うのだけれど、

ネットの画像で調べてみると違うような…。

あなたはだあれ?

 

濃い紫の実はヤブミョウガ。

緑色の小さな花がらが

いくつも集まっているように見えるものは、

フェンネル。

 

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先ほどのホトトギスは縦長のシルエットで

はっきりとした斑が入っていたけれど、

こちらは少し丸みを帯びて

グラデーションが美しい。

 

上のは日本固有種に由来するもので、

下のは台湾系のホトトギスだそう。

 

同じホトトギスでも

かなり醸し出す空気は違っていて、

台湾の方は優しく可愛らしい感じ。

 

日本のものの方は何と言うか、

妖艶さがあると言いますか…。

 

でも日本で妖艶って、

何かイメージじゃないなぁ(^▽^;)

 

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野紺菊の優しい紫は、

青竜という名前を持つ

青味の強いホトトギスと

同じ色調。

 

ね?

抜群のコンビネーションでしょ?

昔から相棒でした、っていう感じで

お互いによく馴染むんです。

 

 

 

11月のお知らせ

 

ではでは、

11月の営業のお知らせに入りますね。

 

臨時でお休みさせて頂くのは

3日(木・祝)、5日(土)、7日(月)

となります。

 

施術者として

自分自身がさらに成長するために、

エネルギー世界の勉強に行って来ます。

 

それ以外の日は

通常通り営業いたします。

 

 

前日までにご予約のない場合には、

急遽休みとなる場合もございます。

 

ご予約の際には、

なるべくお早めにご連絡下さいますように

お願い申し上げます!

 

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自然に倣って、草花を活ける~9月の営業予定

 

長く暑い夏を

ふぅふぅ言いながら過ごして来て、

やっと9月!

でも、まだまだ暑さは続きますね~。

 

すっかりブログの更新が伸びてしまい、

ほぼ2か月ぶりと

大変お待たせ致しました!

 

中には、neMu no ki は

活動しているんだろうか?と

心配して下さっていた方も

いらっしゃるかも知れませんが(^人^)

 

 

 

その人の歴史に触れる臨床

 

今年は年明けから、

ブログではなく施術のレポートとして

文章を綴って来ました。

 

今年は人だけでなく、

動物に施術をさせてもらう機会にも

何度か恵まれたのですが、

 

人にしても動物にしても、

一回一回の施術で触れるのは、

その存在の生きて来た

「蓄積された時間」そのものであり、

言わばその個人や個体の歴史です。

 

それはいわば一回一回の施術が、

それぞれ異なる存在を対象とした

フィールドワークになっている様な

感じでもあります。

 

そうした

重みと深みを持つ臨床を通して、

感じたり理解した体験の

できるだけ全ての側面を

言葉にしようと試みました。

 

それは、私自身が臨床を経験する中で、

「身体」は単なる物質ではなく、

私たちという存在の表現そのものであり、

身体が示す現象や事柄はすべて

私たちそのものである、ということを

理解するに至った為です。

 

だから、出来るだけ

その理解が生じた現場を

その時のままの形で

皆さんと共有できたらと、

そんな風に思いう内に、

レポートとしてのボリュームを持った

文章になって行きました。

 

 

臨床の一部始終を

筋道の通った文章として

再編成し直すのは、

予想以上に骨の折れる作業でした。

 

この作業に何度か挑戦した後、

文章を書く気力をすっかり

使い果たしたのでしょう、

 

ぷっつりと、書こうとする意欲が

途絶えてしまいました(^▽^;)

 

 

感覚や観察を通じて

感じ取ったり理解した事柄と言うのは

さながらプリズムのようなもので、

 

それは、文章にしたり

言葉に置き直そうとした時の

自分の意識の在り方や、

自分の意識の成長の度合いに応じて、

当初とは全く異なった意味合いを

持つものに見えて来たりもするものです。

 

その為、その体験を振り返る度に

それまでとは違う

解釈や気付きが出て来たりもします。

 

一つの体験が与えてくれる

様々な方向におよぶ豊かな気づきは、

体験した本人にとっては

どれ一つとっても重要です。

 

一つの骨子に沿って文章を書く時、

様々な方向に伸びた体験の枝葉は、

打ち落として行かなくてはいけません。

 

それはあたかも、自分の内側の世界で

バサリバサリと刀を振るって、

切った張ったの騒ぎを

やっているようなもので、

 

自分自身の内なる豊かさを

自ら削いでいく作業でもありました。

 

「言葉」はある意味、

本当に刃物なんですよね。

 

だからこそ、思った以上に

エネルギーを消耗したのだと思います。

 

 

こうして、

書くことに向かえなくなった自分を

見守りながらいる内に、

7月は書ける題材が浮かんで来ました。

でも8月は、復活ならず。

 

一旦頑張り過ぎてしまうと、

復活には時間がかかるものです。

 

9月に入ってから

ここ数日でやっと、

書こうかなという気持ちが

少し戻って来た様に感じます。

 

と言う訳で、性懲りもなく

臨床に関する話を少し

書き始めたのですが、

まとまるにはもう少し

時間が必要そうです。

 

もうすでに

9月は始まっているので、

今回のブログではまず

営業日のお知らせをしなくては。

それと、

 

neMu no ki の院内には、

いつも小さな活け花が二つ

飾ってあるのですが、

 

「どうしたら、

こういう風に活けられるの?」

とご質問下さるクライアントさんが

嬉しい事に結構たくさんいらっしゃいますので、

 

今回は、

野の小さな花を可愛く

バランスよく活けるコツについて、

写真を使いながらご紹介して行こうと思います。

(沢山の蚊に追い掛けまわされながら、

必死に撮影して来ましたヨ~!( ;∀;) )

 

 

 

9月の営業予定

 

9月は、10日と24日の土曜日、

27日の火曜日とが、

臨時でお休みとなります。

 

その代替日として、

ご要望に応じる形で

18日(日)と21日(水)は

営業を予定しています。

 

それ以外は、通常通りの営業です。

定休日は毎週水・日曜日、

祝祭日も、水・日以外は営業致します。

 

営業時間は11時~20時、

施術の最終受付は17時となります。

 

(集合住宅の一室ですので、

まわりへの影響を考慮して

最終受付は早めとなっています。

 

17時ではどうしても難しいという

ご事情がある場合には、

遠慮なくその旨をご相談ください。)

 

 

 

自然の中に在るが如く

 

花は、野にあるが如く。

 

これは、
茶花を活ける時の心得だそうで、

 

花を活けるコツと言えば

究極的にはこの一語に尽きるだろうと

まずは念頭に置いて頂いて(#^.^#)

 

今は、野辺や山道だけでなく、

住宅街の公園などでも

咲いている草花を摘むことは

禁止されている所が

多いかも知れませんが、

 

シチュエーションはともかくとして、

何種類かの花が咲いていて、

その中から花材を選んで

活ける場合を想定して

説明をして行きますね。

 

 

 

花は、生命力に余裕のあるものを選ぶ

 

まず一輪、

メインになりそうな顔をしていたり、

メインにしたいなぁと思える花を

選びます。

 

秋なので、

ホトトギスを選んでみました。

ホトトギス(地植え)

 

 

選ぶ際には、花弁の開き具合や

枝と花の角度などをよく観察します。

 

枝が曲がっていたりすると

後で他の花と合わせにくく、

活ける際の難易度が上がります。

 

花弁は、出来るだけ

きれいなものを選びます。

 

開き切っているものよりは、

まだ完全なる開花に

余裕を残しているものの方が

望ましいです。

 

開き切っている花は

花の持ちが悪いことが

多い為なのですが、

 

観る人にとっても、

生命力に余裕のある花の方が

観ていて元気になる感じがしたり、

ほっとする感じがあります。

 

「その花を目にする事で

自分はどんな感覚を感じるか」

ということを

意識的に認識しておくことは、

花を活ける上ではとても

重要になって来ます。

 

ちなみにホトトギスは、

私の個人的な印象ではありますが、

ひっそりと木陰に咲くけれども

凛として一本芯の通っている様な、

強く可憐な雰囲気の花に見えます。

 

それは、

ホトトギスの生えている場所から、

花の形や色味であったり、

枝のすーっと真っ直ぐ伸びている様子、

植物を構成している組織の強さまで、

 

ホトトギスの様々な特徴が

感覚的にまとまった形で受け止められる事で、

おのずとそうした印象に

見える様になるのだろうと思います。

 

メインの植物は、

葉の存在も大切です。

 

形の良い、合わせやすい葉を選び、

花の長さに合わせて添えます。

 

左手の中で、

花と葉のバランスを決めます。

ホトトギスの花と葉を、左手の中で合わせる

 

自然に咲いている状態で見ると、

ホトトギスの花の位置は

葉よりも高いというだけでなく、

うっそうと茂る葉群(はむら)から

伸びあがる様にして咲いています。

ホトトギスの枝ぶり

 

そのニュアンスを

殺さない様にして葉を添えると、

しっくり感じられるバランスを

見つけ易いのではと思います。

 

 

 

異なる花を合わせる:「空間」の中の関係性

 

ホトトギス一輪でも

十分に素敵なのですが、

もう少し賑やかにして行ってみます。

 

花を取り合わせる時に

「難しい~」と感じる方は、

「まとまり」のあるバランスを見つける事に

難しさを感じているのではないかと思います。

 

枝の伸び方や

花の付いている角度など、

同じものは一つとしてありませんよね。

 

それぞれ個性を持っている植物を

上手く合わせるには、

 

植物が「空間」をどの様に使っているか

と言う視点でもって、

メインの植物をよく観察してみます。

 

「空間」が把握出来たら、

その中でそれぞれの植物が

居心地の良い配置を見つけるようにすると、

植物同士の関係性には自ずと秩序が現れ、

調和して見える様になります。

 

 

具体的にやっていってみますね。

 

まず、ホトトギスの形を確認します。

 

茎から花にかけてのラインは

右に弧を描いており、

右下に空間があります。

 

ホトトギスをメインにするなら、

ホトトギスよりも前に配置するのは

ホトトギスよりも小さい植物、

 

ホトトギスよりも大きいものは、

後ろに配置します。

 

小さい植物は

ホトトギスの懐に入れる様なイメージで、

右下に開いた空間に配置します。

花のバランスをみる

 

ふたたび自然の状態を考えると、

隣り合って生息している植物は、

互いに枝葉を伸ばす領域を

調節し合っています。

 

中には精力が強いのでしょう、

他の植物のスペースをすっかり

侵食してしまうものもいますが(^▽^;)

 

長年、同じ場で

他の植物たちと共生しているもの達は、

 

枝葉が擦れて傷つくことのないよう、

相手が伸ばしている所は避けたり、

互いに伸ばし方を加減しながら、

上手く生きる術を知っている様です。

 

他の花を合わせる時には、

メインの植物が

空間を解放している部分を見つけ、

そこに配置してあげるようにすると、

植物は互いのスペースを邪魔することなく、

一緒に、心地よくいられるようになります。

 

 

 

加えたい要素を見つける

 

下の空間に配置する植物を、

ひとまず2種類選んでみました。

合わせる花のバランスを見る

 

ラベンダーに似ている花は、

ブルーサルビアの、まだ蕾です。

 

枝の枝垂れている濃い紫の花は、

デュランタ。

宝塚と言う品種名がついています。

 

花の大きさや量、

枝垂れの強度などによって、

どちらの植物も

華やかさが変わります。

 

地味目のホトトギスと比べて

目立ちすぎない様に、

適度なものを選びます。

 

 

う~ん。

紫だらけダ~!(^▽^)

 

3種類ともどちらかと言うと

シュッとした姿の細身の植物ですし、

何となく少なくて、寂しい気がします。

 

と言う事は。

色味に幅を持たせて、

全体的にボリュームが増すと、

雰囲気がだいぶ変わりそうです。

賑やかになって楽しそう!

 

 

ボリューム感があって、

賑やかな色の植物…

(と唱えつつ、庭の花を物色。)

 

あった!

オミナエシ。

オミナエシ

 

ちょっとくさいのが

玉にキズなんですけどね、

秋らしさもありつつ、

華やかで可愛い花です。

 

オミナエシは本当は

ホトトギスよりも背丈の

高い植物なのですが、

 

これだけのボリュームだと

ただでさえ目立ってしまうので、

一番下の方へ配置します。

 

足元の方に

ボリュームのある花を持ってくると、

花器の中にいれたオアシスも

上手く隠すことが出来るので、

一石二鳥です。

花器とオアシス

 

ちなみに、この写真の

注ぎ口のある小さな器は、

元々食器として作ったものを

花器として使っています。

 

中に入っている

緑のスポンジ様の物体がオアシス。

 

ダイソーなどの100均に行くと、

ガーデニング用品の売り場に

置かれています。

 

小さい花を活けるのに適した

丁度良い花器というのは

なかなか見かけないかも知れませんが、

 

例えば

小さな香炉と小皿を合わせるなど、

アイデア次第で使えるものが

きっとお家の中にあると思います。

花器の一例

 

月見ウサギの小皿の

真ん中にあるのは、

ウサギの香炉。

 

重さのある植物を立てると

倒れてしまうのですが、

ささやかに活けても十分、

存在感があります。

ほら、ね!

ウサギ香炉を使ったミニ活け花

 

 

 

仕上げ:「あそび」を持たせる

 

花の取り合わせは、大体これで

ヨシとして。

 

でもね、何となくこれだと

アソビが足りない感じがするんですよね。

 

ちゃんとした顔の植物ばかりで、

風が吹いて来ても

そよとも揺れなそうな…。

 

そう考えると、

そよっとそよぐものは

決して花じゃないんですよね。

葉っぱの方です。

 

葉っぱも観察すると、

色んな印象のものがあって、

しかも活け花全体の雰囲気を

かなり変えてくれます。

 

丸い葉っぱは全体の雰囲気に

柔和さや可愛らしさを与えてくれるので、

個人的には好きでよく使います。

 

ここでは、

風の軽やかなニュアンスを

上手く表現してくれる葉っぱが

あると良いなぁ。

姫ススキ

 

これは、姫ススキ。

細くて強い葉っぱで、

先端まできれいに伸びています。

 

先端の方が枯れて来ているものは、

そこだけくるんと

美しい弧を描いていて、

「あそび」の感覚を与えてくれます。

姫ススキノ葉を添えて、ニュアンスを出す

 

 

姫ススキはシューっと立ち上がってるから、

風と戯れると言うよりも

凛と自立している感じカモ(^▽^;)

まぁ、それもヨシです!

 

少し客観的にバランスを観てみて…。

ふむ。

花が右に偏っているかな。

もう少し緑が多い方が

「自然」の感じに近いかも。

 

今度こそ、軽やかになったかな?

もみじを選びましたヨ。

モミジと姫ススキを添えて

 

ここまでバランスが決まったら、

これを仕上がりのイメージとして

覚えておきます。

 

あとは花器の大きさに合わせて

茎の長さを切り、

イメージに則して

オアシスに挿して行きます。

 

花を挿す際には

花を選んだ時と同じ順番で行うと、

イメージ通りのバランスを

保ちやすくなると思います。

ホトトギスにオミナエシ

 

 

もし花瓶に生ける場合は、

花瓶の口が大きすぎると

せっかく決めたバランスが

崩れてしまうので、

 

花瓶に生ける前に

花の根元を針金でまとめます。

これも、100均で

園芸用の緑の針金を入手できますよ~!

 

 

 

見えないものを見る訓練

 

自己流ながらも

お店の花を活け始めておよそ8年。

 

花を活けることって、

植物同士を取り合わせて

その中に自分なりの「調和」を

再現する事なんだと思うんです。

 

そして、花を活けることって、

実は人間を視ることと

同じじゃないのかなぁって思います。

 

「関係性」は目には見えませんが、

 

お互いのほんのわずかな距離感や

ほんのちょっとした言葉掛けや、

一見些細に思えることが

見えない関係性を作るうえでは

すごく重要な要素になっていたりします。

 

それを、植物の間にも

感じ取ることが出来るか。

 

花を活けることが、

実は施術者としての自分にとって

感覚を育てるための大切なトレーニングに

なっているなと思うんです。

 

 

秋は沢山の花が咲く季節。

「この花は可愛いなぁ~。」と

思わず目を惹かれた時には、

ぜひ時間を作って

植物と向き合ってみて下さいね!

nemu-ウキウキ