現実を作り出す「意図」の力とそのメカニズム

 

目次

 

 

 

 

無意識にやっている、「恐れ」に基づく選択

 

私たちは日常の中で、

様々な形で判断したり選択したりする場面に出会います。

 

もう9年ほど前になるのですが、

セッションルームの開店準備を行っていた時期のことです。

 

どんな部屋を借りるかから始まって、

壁紙の色、床材の質感、施術ベッドはどうするか…。

 

とにかく、自分で決めなくては行けないことが

次から次に出て来ます。

 

最初の内は、

あんな風にしたい、こんな風にしようか、と

色々と想像しながら選ぶのが楽しかったのですが、

 

次第に、「選んで決める」と言うことに対して

苦痛を感じるようになったことを覚えています。

 

 

 

選んで決めることが大変だと感じたのは、

「失敗してはいけない」という思いが

生じ始めたためでした。

 

沢山のものを選び、購入する中で、

「ありゃ~」と感じるような事が起きると、

同じ失敗を繰り返すまいとして慎重になります。

 

同じ轍を踏まないために、

様々なリスクを洗いざらい計算して検討します。

 

しまいには、

購入するのがどんな小さな物であっても、

 

セッションルームの雰囲気に

どんな風に影響を与えるだろうか、とか、

もっと手頃で良いものがあったりするのではないか、

いや、ここは金額よりも質を優先すべきか…。

 

なんていう迷いが、いちいち

頭の中をグルグル巡るようになり、

決断するまでに時間を要するようになりました。

 

 

 

こんな風に、私たちは日頃、

「失敗しないように」「損をしないように」

「出来るだけ適切なものを」

というような意識を持って

選択や判断に当たっていることが多いと思います。

 

それは買い物だけに限りません。

 

カフェに入って何を頼むかとか、

週末は自分の趣味と友人からの誘いの

どちらを優先したら良いのかとか、

 

彼女の言い分に賛成できないけれど、

果たして正直に言った方が良いのかとか、

 

あるいはもっと大きく、

人生の岐路に立っていて、

自分がどの道へ進んだら良いか

悩んでいる時など、

ありとあらゆる場面に当てはまります。

 

 

 

「失敗しないように」

「間違った選択をしないように」

と考えている時、

私たちの中にあるのは「恐れ」の感情です。

 

本当は、私たちには望ましい理想があり、

いつだってそれに従って

良い選択をしたいと考えているはずです。

 

でも、それに反して実際には、

私たちが選択に際して持つ「意図」は

恐れを反映している場合が多いようなのです。

 

 

 

望みに基づく前向きな意図と、

失敗を避けようとする、恐れに基づく意図。

 

(「意図」と言う言葉がピンと来ない方は、

動機や目的、ヴィジョンなど、

ニュアンスが重なる他の言葉に

適宜置き換えて読んでくださいね。)

 

意図の持ち方が異なれば、

生み出される結果にも違いが現れます。

 

その例を見てみましょう。

 

 

 

「恐れ」が現実になるメカニズム~うつ症状との関連

 

脳と言うのは、

私たちの心や意識の中にあるものを

現実化しようとして働きます。

(これは主に大脳の役割ですが、

それについてはまた書く機会がある時に。)

 

ただし、これは必ずしも

私たちが望むような形で現実化が成される

とは限らないところがミソです。

 

例えば、

こんな話をよく耳にすると思います。

 

小さい頃、母親に理不尽な怒られ方をして、

自分が母親になったら絶対にあんな風には

子供を怒らないゾ!と心に決めていたのに、

自分が母親になってみたら、

 

嫌だったその怒り方と

そっくり同じことをやっていた…。

 

 

 

脳は、私たちが「こういうのは嫌だな~。」

と思っているものも、現実化します。

 

どういうことかと言うと、

脳は私たちの意識が何かにフォーカスしていると、

それに関連する情報を収集し、分析し始め、

現実化へ向けて準備を進めます。

 

嫌だな、嫌だな、と思いながら

繰り返し同じ情景に焦点を当てて見ていると、

意識はそこで展開している事柄を鮮明に記憶します。

 

「嫌だな~」の気持ちが強ければ強いほど、

強い感情と結びついて記憶は克明になり、

より強く刻まれます。

 

「嫌だと意識する→記憶する」

という内的な作業が繰り返される内に、

思考の中にはその記憶に対応した「回路」が

出来上がって行くのです。

 

ある日、母親になった自分が、

幼少だった自分が怒られた時と

同じような状況に出くわします。

 

「同じような状況」をきっかけとして、

思考の中に出来上がっている回路は

自動的に作動し始めます。

 

そして、嫌がっていた母親の言葉が

今度は自分自身の口から飛び出る、

と言う現象が起きます。

 

つまり、望まない言動のパターンが、

知らないうちに脳の中の自動反応式の

回路として組み上がっていたわけで、

 

(厳密には、

この回路は身体の動きや感情も

要素として組み込んでいるので、

脳や思考の中だけで

形成されているわけではありません。

ここでは説明をシンプルにするために、

こうした表現を用いています。)

 

言ってしまった後で

「え~っ!?」と気付いて、

自分で愕然となったりするわけです。

 

(こうした回路も

変えることが出来るものなので、

これを読んで不安に感じた方も、

どうぞ安心してくださいね。)

 

つまり、脳と言うのは、

意識が集中しているものを

現実世界の中で何らかの形を取らせて

現出させる、

 

あるいは

意識の作用に物理的な形を用意する、

と言う役割を担っているのであって、

 

意識が集中しているその対象のものが、

私たちの良心や願望に照らし合わせて

好ましいか好ましくないか、

正しい方向性かどうか、

と識別するようなことはしてくれません。

 

もし、脳みそに

こうした自動識別装置が付いていたら、

選択することや判断することは

どんなに簡単だろう!と思いますが、

 

そうなると、今度は

私たちが持っている自由意思が

機能しないことになります。

 

自由意思を持っていることによって、

私たちは選択や判断の困難さとも

向き合うことになっているわけです。

 

 

 

上述したような、

「嫌だな~」と思っていた母親の行動を

そのまま無意識に踏襲してしまった例は、

「こうはなりたくない」という

「恐れ」に基づく意図を持っていたために、

それが現実化した一例です。

 

恐れや不信に基づいて

選択や判断が成された時、

現れる結果は自分の望んだものとは

異なっているもののように感じます。

 

この場合、

意図・選択は無意識になされているので、

現れた結果(母親の行動の踏襲)を

自分の選んだものだと認識することが

困難なためです。

 

でも、実はすべての結果=現実は

自分で選んでいるものなんですね。

 

もし、「ああいうのは嫌だな~」

と思いながら母親を見るのではなく、

「私はこういう風にありたいな。」

と理想的な姿を思い描けていたなら、

母親の行動を再現することはなかったでしょう。

 

前者は恐れに基づく意図、

後者は前向きなヴィジョンに基づく意図です。

 

 

 

私たちが選択や判断をする機会は

一日の間に何十回となくあります。

 

恐れや不信から選択することが

パターン化していると、

そのすべての機会において

様々なリスクを頭の中に並べ立て、

計算をして…

というプロセスが繰り返されることになります。

 

この思考を毎日毎日繰り返すことは

トレーニングを重ねているようなものなので、

本人としては望んでいないのに

このパターンはどんどん強化されます。

 

やがて、些細なことでも迷うようになり、

次第に自分一人では何も判断できなくなったりします。

 

これは私自身

体験があるので言えるのですが、

 

こうした思考のパターン化こそが、

現代社会においてうつ症状を作り出す

大きな原因となっていると思います。

 

では、こうしたパターンを手放して

現実を望ましいものにするには、

どのように自分の意識と

取り組んでいったら良いのでしょうか?

 

「意図」の使い方を

変えて行く必要があります。

 

 

 

 

結果を決めるのは、意図(動機)

 

意識の在り方に応じて、

私たちの目の前の現実の中に

それが結果と言う形を伴って

現れてくる。

 

こうした言説は、

成功哲学や精神世界系の分野では、

比較的よく目にします。

 

少し話が飛躍するようですが、

アメリカに心理学者でありながら

有名なサイキックヒーラーでもある

ドリーン・バーチュー女史と言う方がいます。

 

彼女は天使を見ることが出来、

対話することも出来るのですが、

その彼女の著作の中に、

 

「天使に頼んだり祈ったりする時は、

どうなりたいかだけを伝えるように。」と

いう意味合いのことを

天使から告げられたと言う記述が出て来ます。

(『新版・女神の魔法』ドリーン・バーチュー著 島津公美訳/p.209)

 

これは、望んでいる結果を思い描けば、

それを実現する方法は天使が選ぶ。

だから、私たち人間がやるべきことは

望みを明確に意図するだけということでもあり、

 

(むしろ、私たち人間の狭い視野の中で

実現に至る方法まで考えてしまうと、

かえって望みの実現を遠ざけることも

文意から汲み取れます。)

 

結果=現実を生み出す因子として

選択・行動以上に意図が重要であると言うことを、

この記述からも読み取ることが出来ます。

 

 

 

とは言っても、現実には

結果を出すには選択・行動が必要だもの。

それなら、選択・行動だって

結果に影響するよね?

と思いますよね。

 

意図や意識の在り方によって、

選択や行動は左右され、自ずと決まって来ます。

 

これも、例を見てみましょう。

 

 

 

例えば、アパートのお隣に

新しい人が引っ越してきて、

ドアの開け閉めなどの

騒音が気になるな…と思った場合。

 

音に少し気を付けてもらえるよう、

直接話しをしに行ったとします。

 

ここでの最大の目的=意図は、

静かにしてもらうことです。

 

聞いてもらう立場なので、

少し下出になるかも知れません。

 

「この建物は思ったよりも

音が響きやすいようなんです。

私も出来るだけ気を付けますので、

少し気にかけて頂けたらと思いまして。」

 

ところが、

「先住者に対する配慮が足りない」

なんて気持ちがちょっとでもあったりすると、

 

こちらの希望を聞いてもらう

という意識はうっかり消え去り、

相手を責める気配が出て来ます。

 

「音がうるさいので、

少し静かにしてもらえますか?」

 

…ありゃ~(;^ω^)

 

意図の持ち方・意識の在り方は、

選択や行動(言動)に

目に見えぬ形で影響を与え、

それらを自ずと決定づけます。

 

 

 

恐れによって、現実化の過程はゆがむ

 

と言うようなわけで、

何らかの結果が生まれてくる

現実化のプロセスを考えると、

 

まず、

それをやることで自分が何を得たいのか、

その意図(目的・ヴィジョン・動機)を決めて、

それに従って選択・行動が成されることで

そこに結果が自ずと生じてくる。

 

意図→選択・行動→結果、

こういう順序になる訳です。

 

ここで、もし意図の中に

「恐れ」が紛れ込んでいる時には、

前向きで自発的であるべき

意識的な意図の代わりに、

恐れが作り出す言わば「妄想」が

結果を生み出す因子として作用し始めます。

 

 

 

先ほど、選択・行動は

意図や意識の在り方に

影響を受ける、と書きました。

 

前向きな意図の場合、

選択・行動も前向きになるので、

方向性は同じです。

 

一方、

恐れによる妄想の場合は、

 

現実がその妄想通りになるのを

避けようとして

選択・行動がなされるため、

 

意図(この場合は妄想)と

選択・行動の示す方向性は、

逆の向きになります。

 

意図と選択・行動の関係性が、

ここでは歪んでしまっています。

 

 

 

さらに、これらの結果として

現れる現実を比べてみると、

 

前向きで意識的な意図の場合は

選択・行動も前向きでしたから、

結果もそれに準じて現れます。

 

仮に思ったような結果ではなくても、

因果関係がすっきりしているので

次に取るべき行動がすぐ分かり、

がっかりしたり凹んだりすることも

あまりないかも知れません。

 

一方、

恐れによる妄想の場合、

選択・行動は妄想とは逆方向でしたが、

「現れる結果は意図に従う」わけなので、

結果・現実は妄想に則したものになります。

 

ここにもまた、歪みが生じています。

 

このようにして、

意図、選択・行動、結果の間の

関係性が歪み、

それぞれの方向性に混乱が生じた時、

 

私たちの目の前に現れる「現実」は、

私たちの手には負えない

コントロール不能のもののように

見えて来るのです。

 

 

 

 

現実化の過程を正常化するには

 

では、私たちが

「意図→行動→結果」の間に

健全な関係性を取り戻すには、

どうしたら良いのでしょうか?

 

この関係性に秩序を取り戻すには、

日々の努力が必要になります。

 

そもそもの原因は、

日々の選択・判断の際に

無意識に「恐れ」と

繋がっていたことにあります。

 

と言うことは、

すべての選択・判断を

前向きな意図から行うように

変えて行くことが出来れば、

「意図→(選択・判断)行動→結果」の間には

秩序が戻るはずです。

 

(意図を明確にする際に、

そこにどうしても恐れが入る

ということもあると思います。

 

意図そのものをクリアにする為には、

恐れと向き合う取り組みも大切です。

恐れの感情を手放す方法については、

以下の記事を参考にしてくださいね。)

天使に願いを~ネガティブな思考や感情を楽しんで手放す方法/1~2月の営業予定

 

 

取り組むのは、

どんな些細なことでも構いません。

 

例えば、

この仕事を今日中に仕上げないと、

と言うようなシチュエーション。

 

今までは

「できなきゃ上司に叱られる」

と思っていた(無意識の妄想)所を、

 

思い通りに仕上がって

満足している自分の姿を

思い描いてみる(意識的な意図)、

というような具合です。

 

あるいは、

それを受け取ったお客様が

満面の笑顔になっているのを意図する、

というのも良いですよね。

 

 

 

日常的に行っている

ちょっとしたストレッチだって、

 

「ここが固いんだよな~。

やっぱり伸びないな~。」

と思いながら(無意識の妄想)やるのと、

 

「これをやると、流れが良くなって

身体が柔らかくなるはず。」と信頼して、

それを意識的な意図として行うのとでは、

実際に身体の反応も異なります。

 

どんな些細なものであっても、

行動する際にはそれに先立って

こうした前向きな「意図」を

自分の中で思い描く、

 

それを徹底して行うことが出来れば、

意図→行動→結果のプロセスが

秩序を取り戻すだけでなく、

 

先の例で挙げたような

母親の負のパターンを再現するような

自動反復の思考の回路も、

健全な形で書き換えられて

行くだろうと思います。

 

 

 

起きる現実に、信頼を持つ

 

ちなみに、

自分が本当に望んでいることを

まず意図する習慣が出来ると、

結果にも頓着しなくなります。

 

なぜかと言うと、例えば

望まない結果が出てきた場合でも、

それを見て

「なぜ失敗したのか?」と

後ろを向いて考えるのではなく、

 

自分は本当はどうしたかったのか、

本当に望んでいたものは何だったのか、

ということが自分の中でより明確になり、

結果を飛び越えたさらに先へと

目線が行くからです。

 

現れてくる結果は、

自分がいかに失敗したかを

責める材料ではなく、

 

目的を再確認するため、あるいは、

自分の本当の望みが何かを、

より深く理解するために

存在するようになります。

 

 

 

また、望ましい結果を意図することは、

その結果が起きることを

結果に先んじて信頼することでもあります。

 

つまりこの取り組みをすることは、

まず信頼の気持ちを持つこと、

そして結果の如何に関わらず、

その信頼の中にいられるようになる、

と言うことを目指すことにもなるのです。

 

 

 

 

「意図」の持つ本当の重要性:バウンダリ―の強化と、本質的な自己との一体化

 

実は、「意図」の重要性は

意図自体にあるのではなく、

 

意図をするということを通して

2つの重要なことが

可能になる点にあると思います。

 

その一つ目は、

自分自身への信頼を回復し、

自分と他者の世界の間に

健全な線引きをすることが出来る点です。

つまり、自己のバウンダリ―の強化です。

 

自分への信頼を失い

自己不信を深めて行く時、

 

私たちは無意識的に、

自分の取った選択や行動が

間違っていたのではないかと、

自問を繰り返します。

 

そして、

もしかしたらその選択や行動に

利己的な気持ちや自己防衛、あるいは

邪な考えが入り込んでいたのではないか、

と自分の心の中を疑い始めると、

 

自分自身に対する信頼は急速に、

根本から揺らいで行きます。

 

ですがもし、選択・行動をする前に

自分の意図を意識的に把握する習慣を

身につけることが出来れば、

このような形で自分自身を疑うことはなくなり、

自分への信頼が増して行きます。

 

また、自分が前向きな良き意図から

選択・行動したことを自覚していれば、

仮に他の人がそれを否定的に見たとしても、

それはその人なりの受け止め方として

割り切って考えることが出来ます。

 

こうして自分と他者の世界の間に

適切な線引きをすることが出来るので、

他者の世界の中にある

本来は他者自身が向き合うべき問題を、

不必要に抱え込んでしまう様なことから

自分を守ることも可能になります。

 

 

 

二つ目は、

意図をするということを通して、

私たちが一日の内に何度も

高い次元の自己と繋がる機会を

持つことが出来る点です。

 

前の章の最後に述べた、

「結果を見る前に

まず結果を信頼する。」

 

これは高い次元の意識の在り方であり、

全ては調和の中に現れてくる、

ということに対する信頼でもあります。

 

 

 

私たちが何か選択をする時、

そこで考えられる選択肢は

大抵の場合、複数あります。

 

その選択肢の一つ一つには、

その選択を行った「私」がいます。

またその「私」の数だけ、世界もあります。

 

つまり、選択肢の数だけ

幾人もの「私」が同時に存在し、

また幾つもの並行世界が存在していると

考えてみて下さい。

 

もし、恐れに屈して

選択肢Aを選んだ時、「私」は

恐れの中に住み、視野の狭まっている「私A」と、

 

結果を信頼する前向きな意図で

選択肢Bを選ぶ時は、「私」は

今の自分よりも開けた視野を持つ

高い次元にいる「私B」と、

 

それぞれの機会の中で

一体化することになります。

 

 

 

一日の中で何度も行う「選択」において、

すでに高い次元の並行世界にいる

自分自身と繋がることを

繰り返し意図することが出来たなら、

 

私たちは日常の地道(地味(;^ω^))な

取り組みを通して、

高い次元の自己であり本質的な自己である

ハイヤーセルフへと、

私たち自身を近づけて行くことが

出来ると思うのです。

 

 

 

___________________________

 

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天使に願いを~ネガティブな思考や感情を楽しんで手放す方法/1~2月の営業予定

 

1月ももう下旬! 新年を迎えてのご挨拶が

大変遅くなりました~!

どんだけのんびりなんだ!

っていう感じですが、

 

本年もどうぞ

よろしくお願い致します!

 

今年の年始めは、

空気がとてものんびりと

しているように思いました。

 

例年は、元日に3軒

初詣のはしごを

していたのですが、

 

今年は 初詣に行かなやきゃ!

という気持ちを手放して、

 

本当に自分の好きなように

時間を過ごすことにしました。

 

 

 

そう言えば、

私が子供の頃のお正月は

市内のお店と言うお店の

シャッターが閉まっていて、

町中ひっそりとしていました。

 

三が日の間は

日中でも人の気配がなく、

 

静かで平和なその空気には、

子供心ながらに

特別さを感じたものでした。

 

今年のお正月は

本当に何十年ぶりかで、

そんな「特別」な感じに

近い感覚を味わえたような

気がします。

 

でもそれは、

マイペースに過ごしたから

というだけでは無く、

 

自分の内側に

起きつつある変化が、

反映されたせいでも

あったように思うのです。

 

 

 

ネガティブな思考を手放す

 

昨年の末頃、私は

ある取り組みを始めました。

 

自分の内なるおしゃべりに

自覚的になり、

 

そこで浮かんでくる

ネガティブな思いや考えをすべて

きれいに手放すことです。

 

言うのは簡単だけれど、

実際にやるとなると

どうしたら良いのかわからず、

かなり難しそうなことに

思えますよね。

 

でも、出来るんです。

と言うか、私には

必ず出来ると信頼を感じて

取り組み始めたことがありました。

 

 

今回の記事では、

それが実際に

どんな取り組みなのか、

その詳細について

お話しして行きたいと思います。

 

自分の意識を

クリアにしていく方法の

お話ですので、

 

瞑想をやりたいのに

雑念が浮かんで来て

上手く行かないと言う方や、

 

どうしても

ネガティブな思考から

抜け出せずに

苦しんでいる方には、

 

きっと役に立つ

内容だと思います。

 

その前にまずは

1~2月の営業予定の

お知らせを。

 

 

 

1~2月の営業予定

 

1月23日(月)と

2月27日(月)は

臨時でお休みさせて頂きます。

 

それ以外は通常通りの

営業となります。

 

定休日は毎週水・日曜日、

営業時間は11時~20時、

施術の最終受付時間は

17時とさせて頂いております。

 

施術のご予約は

前日までに

ご連絡下さいます様、

皆様にご協力を

お願いしております。

 

キャンセルや

日程のご変更の際には

ご予約2日前から

キャンセル料が発生

致しますので、

どうぞご注意下さいませ。

 

 

 

感情や思考は「感覚」から生まれる

 

ネガティブな思いや考えを

抱えている時は、

何よりも自分自身が

辛く感じるものです。

 

思いや考えには

「感覚」が伴います。

 

むしろ実際には、

まず感覚が生じます。

 

何かのきっかけで、

気付くか気付かないかの

かすかな感覚が生じると、

 

それはほどなく

「言語」の形態をまとって、

感情や思考として

意識に上ってきます。

 

 

 

浮かんできた思いや考えが

ネガティブなものである時は、

 

モヤッとしたり

イラッとしたりするような

不快な感覚が先行しています。

 

何せ不快なので、

身体はこの感覚を黙って

抱えたままにしておくことが

出来ません。

 

不快さを解消しようとして

身体は自ずと反応を起こします。

 

時には自分でも抑制できずに

相手に怒りをぶつけたり、

 

内側から出ようとする

衝動的な力を

ぐっと押さえ込もうと、

感情を飲み込んでいる自分に

気付いたりします。

 

どちらの場合にしても、

不快な感覚は残念ながら

解消されることがないのは、

誰しも経験を通して

理解されていることだろうと思います。

 

 

 

意識が身体に及ぼす影響の深刻さ

 

ネガティブな思いや考えを

手放すことは、

実は私たちが

健康を保つうえでも

大変重要なことです。

 

私たちの身体は

「嫌だな~」

「失敗した!」

「急がなきゃ」

「なんで私って…」

と言ったような、

 

私たちが日頃

何気なく口にする、

些細な自己非難の

言葉にさえ反応しています。

 

私たち自身の

何気ない一言によって、

身体は緊張し、

身構えるのです。

 

特に緊張が起きやすいのは、

心臓や背中の辺りで、

時には後頚部にも

感じられるかも知れません。

 

私たちが意識せずに

「あ~」と思うたびに、

心臓や背中、首では

律儀に反応が起き、

緊張によって硬くなることを

繰り返しているわけですから、

 

一日経つ内には

身体は何もしなくても

相当バリバリです。

 

それを毎日繰り返すとなると…。

 

健康に良くないわけが

分かりますよね( ;∀;)

 

 

 

さてさて。

 

自己非難や他者への怒りなど

ネガティブな要素を含む

思いや考えは、

 

発散したり

抑え込むことによっては

解消できないことは

先に述べました。

 

これらを手放すのに

カギとなるのは、

「芽」の段階で

察知することです。

 

「芽」とはつまり、

感情や思考になる前の

感覚の段階を指します。

 

それは、

自分の胸の辺りや

みぞおちの辺りに

もわっと湧いて来たり、

 

時には頭の中で

カッと点火するような、

かすかで瞬間的なものです。

 

そうした感覚が

生じたことに気づいたら、

それを自分の中で

解消しようとせずに、

 

私たちよりも

高い次元の存在へと、

処理を委ねます。

 

 

 

天使に願いを。

 

自分の中に

不快さの「芽」が

生まれるのを感じるのは、

 

例えばこんな場面かも

知れません。

 

電車の中に、

大きな声で

電話をしている人が

いた時、

 

たまたま目のあった人に

不機嫌そうな顔で

にらまれた時、

 

朝、出勤前の

急いでいる時間に

父親がトイレを

占拠していた時、

 

いつもきれいにしている

自宅の前で、

タバコのポイ捨てを

発見した時。

 

 

どれも些細なことですが、

数限りない状況で

不快さの「芽」は

生じる可能性があります。

 

それに伴って

身体と心まで

緊張させてしまわない為に、

 

私は自分の守護天使に

「芽」を引き渡して、

光に変えてもらうようにしました。

 

不快さが

生じそうになったら、

心の中で

天使に呼びかけます。

 

「天使さん、

あの方に光と祝福をお願いします。」

 

こうして、不快さを感じる

きっかけになった人や物へと、

光を送ってもらえるように

依頼するのです。

 

 

 

急に天使が出て来たので、

驚いた方もいらっしゃるかも

知れませんね( ^ω^ )

 

この方法は、

ある書籍からヒントを得て

やり始めました。

 

その書籍には「祈り」について

こんなことが書かれていました。

 

「愛とは人の心を

開くエネルギーであり、

私たちは思いによって

それを送るのです。

 

私たちが純粋な愛の光を

人々に送ったとき、

天使の力が

それに結び付いて

奇跡を起こします。

 

もし、そのとき

天使に助力を

お願いすれば、

それはもっと

パワフルになります。」

 

「戦争の起こっている

場所のことを考えるときには、

そこで起こっている悪い事柄に

焦点を合わせないことです。

 

闇の力にエネルギーを

与えることになります。

 

その代わりに、光が

その場所に射しこむように

イメージしてください。

 

天使たちがそこにいる人々を

助けてくれるよう

お願いするのです。

 

あなたの祈りが、

天使たちがそこを訪れ

救うための

光の道筋となります。」

(引用:ダイアナ・クーパー著

『エンジェル・ストーリー』 p.34)

 

 

 

これを読んだ時に、

こんな理解が浮かびました。

 

私たちは他者の配慮のなさや

思いやりのなさを見咎めて

ついつい責めたくなりますが、

 

その代わりに

その人に向けて

光と祝福を送って下さいと

天使に祈ることは、

 

その人に対して直接

天使が働きかけるための

光の道筋を作る事になり、

 

その人が本来持っている

配慮や思いやりの気持ちが

より良く機能するように、

 

間接的ながらも

サポートの手を

差し出すことになるのだ、と。

 

(天使は高い次元の存在で

高い周波数を纏っているため、

 

低い意識でいる人には

近寄りたくても

近寄ることが出来ず、

直接サポートすることが

難しいのだそうです。

 

そこへ、

その人へ向けて祈りが届くと、

 

それが天使の通る

光の道となって

天使がサポートすることが

可能になるようです。)

 

 

 

天使の存在を

信じているかどうかは

ここではひとまず

置いておいて頂いて、

 

願えば変化は起きます。

そして、それは

私たちの内側の感覚で

実際に感じることが出来ます。

(詳しくは後述します。)

 

 

 

あまりに腹が立つような時には、

相手のために祈るのは

難しく思えるかも知れませんが、

 

実際に試してみて、

祈ることで不快感が

解消されるのを

実感するようになると、

 

不快感を握りしめて

腹を立て続けるよりも、

祈ることの方が

明らかに実用的だと

感じられるようになります。

 

 

 

天使に祈った際には、

私たちが気付けなくても

天使はちゃんとそれに

応えてくれているので、

 

「ありがとうございます。」

 

とお礼を言い添えることも

忘れないようにします。

 

 

 

ジャッジの意識や過去の記憶も手放す。

 

実際に天使に祈る際には、

怒りや自己非難が生じそうな

場面だけではなく、

 

自分の中で

他者に対するジャッジが

起きそうになった時にも

必ず行うようにしました。

 

例えば、

目つきの悪い若者を見て

「わ、怖そう」

と思うようなことも、

 

道端で寝起きしている

人を見て、

「大変だろうな~。」

と思うようなこともです。

 

自分の価値基準や

先入観があると、

 

他者との間に

必要のない溝が生まれ、

その人の真実の姿を

見誤りがちになります。

 

ニュートラルに物事を

受け止められるようになるには、

 

小さなジャッジの「芽」も

天使にすべて引き渡して、

これもまた光へ変えてもらうのが

一番良いと思いました。

 

 

 

また、天使には

時空間をまたぐ移動も

可能なはずですから、

今現在における

ネガティブな思いや考えに限らず、

 

思い浮かんで来た

過去の出来事についても、

祈りの対象にしました。

 

過去の出来事で関わった人や、

その時の自分自身もです。

 

思い出した瞬間に、

少しでも自分の内側に

モヤッとする感覚を

感じそうなものは、

片っ端から祈りました。

 

 

 

過去の記憶は、

その痛みが本当に

解消された時には

思い出さなくなり、

 

仮に思い出しても、

その時の感情は伴わず、

冷静に見られるように

なります。

 

思い出す度に

実感を伴う内は、

 

それがまだちゃんと

処理できておらず、

手放せていない証拠なのだ

と言うことも、

 

天使の力を借りることで

改めて分かりました。

 

 

 

 

感情は、理解だけでは解消されない。

 

これをやり始めて数日は、

人とすれ違うたびに

立て続けに天使に向かって

祈らなくてはいけないような、

大変な状態でした。

 

いかに普段、

自分が些細なことに

頻繁に気を取られていたか、

嫌でも分かります。

 

その量の多さには、

自分でも心底驚き、

呆れました。

 

私は、

自分と向き合うことを

大切にできている人間だと

自分では思っていましたが、

 

自分の意識が

これほどまでに外側に

向いている状態だったかと、

初めて気づかされた思いでした。

 

 

 

自己弁護をするようで

恐縮ではありますが(^▽^;)、

 

施術者と言う仕事柄、

自分の内的な問題とは

今までかなり丁寧に

向き合って来ていると思います。

 

学びを深めて行くと、

 

自分の外側に見えているものは

すべて自分の内側の世界の

「投影」であることを、

理解するようになります。

 

その理解は、

自分の内側で起きる

感情のカラクリを

見破ることを

可能にしてくれますが、

 

腹が立つことや

感情の波が起きること自体を

無くしてくれるわけでは

ありません。

 

そのために、

学びが深まって行くほどに

かえって自分の感情に

出口を見出せなくなるという、

 

難しい循環に

嵌まり込んでいた可能性も

あったのかも知れないと

思います。

 

 

 

知っている人だと、腹は立たない。

 

天使に向かって祈ることで

面白いと感じたのは、

 

モヤモヤとした感覚が、

胸の辺りからスッと

引き抜かれるように

消えて行くことです。

 

不快さの「芽」自体を

摘んでもらったから

なのでしょうね、

 

モヤモヤがぶり返すことも

ありません。

 

 

 

祈っても

不快さが消えない時には、

祈り方をより

詳細にしてみます。

 

自分が不快に感じたのは

何に対してだったのか、

それを具体的に

把握し直した上で、

改めて祈ります。

 

私の場合は、

不快さを感じるのは

大抵の場合、

配慮と思いやりの欠如を

感じる時なので、

 

「あの方の配慮と

思いやりの気持ちを浄化し、

光で満たしてください。」

と言うような感じになります。

 

 

 

他の例も挙げてみるなら、

 

家族のケンカを見ると

辛い気持ちになる場合や、

 

人前に立つと

緊張を感じてしまう場合は、

 

ケンカをしている当人達や

その場に同席している人達に向けて

 

「彼らの理解力と受容力に

光と祝福をお願いします。」

というような感じになります。

 

 

 

もう一つ

興味深く感じたのは、

 

天使を通じて

祝福をお願いした相手は、

不思議と身近に感じることです。

 

祈る前に比べると、

「知っている人」という

感じがするのです。

 

失礼があると

知らない人だと立つ腹も、

知っている人だと

意外と「まぁいいか。」

となったりしますよね。

 

祈ることで現れる親近感は、

エネルギー的に

同期が生じることを

示しているのかも知れませんが、

 

理由はともかく、

祈るとその人のことが

気にならなくなったりします。

 

 

 

内側の静けさが、自分を自分と向き合わせてくれる。

 

始めの頃に比べて

不快さを感じる場面が

次第に少なくなり、

 

頭の中で

勝手に起きていた

ネガティブなおしゃべりも、

随分と静かになって来ると、

 

自分の内的世界に

静けさと穏やかさを

感じるようになりました。

 

散歩をしたり

瞑想をしたりしていて

雑念が浮かぶことも

少なくなりました。

 

頭の中のおしゃべりや

勝手に浮かぶ雑念とは、

処理できていなかった

ネガティブな思いや考え

そのものだったのでしょう。

 

そして、

こんなことに気づきました。

 

自由な時間が出来た時、

今までの私は

何となくテレビを見たり

ネットで物色をすることで

時間をつぶしがちな傾向が

あったのですが、

 

それは自分の内側に

つねに不快感が

くすぶっていたせいで、

 

静かにして

自分と共にいようとすると

それが浮かび上がって来る為、

 

無意識的にそれを

避けようとしていたのだな、と。

 

 

 

今でももちろん

テレビやネットは

見る時もありますが、

 

以前に比べてずっと

多くの時間を、

 

自分の内側に意識を向けて

自分とゆっくり一緒にいる、

ということに

使えるようになったと思います。

 

 

 

 

voice#7 身体の変化と感情の解放 (シンクロスイマー/40代)

 

以下は、初めて施術を受けて下さったクライアントさんが、
施術の後で気づいた身体の変化についてメッセージを下さったものです。

肉体の変化を感じとり、
それが何年も前に抱いた感情的な感覚と結びついて理解されていくことで、
施術を単なる施術としてではなく、より深い体験として味わって頂いているのが
よく伝わって来ます。

こうした体験の豊かさは施術者の力によるものではなく、
実はクライアントさんご自身が今までどの様に身体と向き合って来たかによって、
体験の意義づけが全く変わって来るのだという事を教えてくれています。

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(原文のまま転載していますが、
読みやすいように適度な長さに切って
改行を加えています。)

こんにちは。
先日は、丁寧な施術どうもありがとうございました。
身体とこころの変化を受け止めながら過ごしています。

 

身体について、昨日施術後にはじめて泳いだのですが、
身体全体のつながりを感じることができ、
バランスが良い感触を受けています。
全体がすっぽりひとつにまとまっているような感じかなぁ。

 

骨折をした右足くるぶしの部分は引き続き、放熱している感じで
時々そこの部分だけ熱く感じる時があります。
存在感を感じるというような感覚?
右のうちかかと(注※踵の内側)にしっかり着地できている感もあります。
捻じれも少しずつ解消できるようになりたいです。

 

骨折してから30年近く、
目を向けていなかった ところにスポットが当てることができて、
とてもよかったと思ってます。

 

まだ高校生でしたが、
骨折したときに消化できていなかった感情も
再度一緒に思い出しています。

 

横隔膜が上下に動くようになって、
ハートにスペースができたからなのか、
圧縮されて押し込められていた感情が出てきています。

 

施術当日の夜は、心臓が時々チクチクする感じがあって、
ずっと緊張していたんだなぁ・・・と
心臓に負担をかけてしまって申し訳ない気持ちになりました。

 

日常生活の中で様々な葛藤があって、
感情と思考が混乱して神経がピリピリしてしまっているのかもしれません。
感情を感じないようにして無感覚になるのではなく、
ちゃんと感じて解放できるようになればよいなと思って います。

(S.Iさん/シンクロスイマー 40代)