心・技・体ってどういう状態?

今朝ジョギング中にふと、心技体とはどういう状態なのか、なんてことについてヒラメキました。・・・こうやって、よく突拍子も無くひらめくんです。

一時、『阿羅漢』というカンフー映画にハマリました。主演している若きリー・リンチェイ(現在はジェット・リーという芸名。最近公開していた『エクスペンダブルズ』にも出演していました。)が見せる少林拳は素晴らしくキレがあり、ビデオテープがよれよれになって擦り切れる寸前まで繰り返し観ました。

分野は異なりますが、バレエダンサーの熊川哲也氏のパフォーマンスもリー・リンチェイに近い感じで惹き付けられるものがあるんです。二人の動きに共通して感じる魅力って何だろう?・・・と考えてみると、何よりも緩急の自在さが浮かんできます。

緩急自在といっても、月並みのものではないんです。緩と急の落差がとても大きい。速い動きから瞬時に全ての動きがピタッと止まり、一旦無になる。そこからまた噴き出すように新しい動きが生じてくる。そんな現象が非常に速い速度の中で繰り返し立ち現れてくる・・・そんな感じに見えます。
どうしてあんなに落差のある動きが安定して出来るのか?
その答えが、心技体、なんですね。

速い動きも、ただ速いだけだと粗雑になってしまう。スピードがありつつ「魅せる」と言う事は、その中に技やポーズが安定して行われている丁寧さがある証拠だと思います。意識が先行して先の動作を考えながらやっていると、動きの一つ一つが流れてしまいます。
意識は、エネルギーそのものです。これが心と身体をつなげています。意識が行っているところには、すでにエネルギーが届いています。先の動作に意識が行っていると、今動作をおこなっている身体にはエネルギーが通っていないことになります。空っぽなわけです。
見てる側は、実はこのエネルギーと身体が一致しているかどうかを無意識に、肌で感じています。意識が一致していない場合、速い動作から急停止しようとしてもエネルギーは先走っているので、身体がブレたり流れたりします。こういう状態では、見てる側は美しい「停止」とは感じられないのです。
意識が「今ここ」の動作に集中できていると、「今現在」の動きにエネルギーが通います。魂の入っているパフォーマンスになるわけです。これが、心技体の意味するところ、の様ですヨ^^
 今日のneMu の花
左下から・・・万両(赤く下がった実)、ハナイソギク(白い花)、桜タデの赤い葉、ベニシタン(赤い実)
後ろの列・・・ヤブ茗荷(黒い実)