十五夜と秋のはじまり  

 

 

皆さん、こんにちは!
先日の910日は十五夜でしたね。お月見はできましたか?

諸事情あって、その日は夕飯の後ばったり倒れるように寝てしまった私は、夜中に起き出して台所を片付け終わった後、十五夜のお月様のことを思い出しました。

真夜中のお月見を通して、月の光とそのエネルギーについて感じたり気づいたことがあったので、今回の記事ではその体験をシェアさせて下さいね。

 

 

植物を育む月の光

 

せっかくだからお月さまを眺めてみようかなと思ったものの、夜更けも夜更け。そろりそろりと遠慮がちに南側の窓を開けました。夜気はひんやりとして気持ち良く、90度から西へと傾き始めていた月は、あまりにも清澄で明るく美しく輝いています。しかも満月。

月を眺めているのが心地良くて、なかなか窓辺から離れる気が起きません。そこで歯ブラシを持って来て、縁台に並んでいる植物たちと一緒にベランダで歯磨きをしながらお月見をすることにしました。

居並ぶ植物たちは、ゴム科のウンベラータにバラ、ニラ科のツルバキアにラベンダー。月の光に照らされた植物たちの様子を見る内に、8本の小さなラベンダーの挿し穂たちに目が止まりました。

先日植え替えたばかりの、まだ小さく頼りない挿し穂たち。やっと立ち上がっている様に見えていたその姿が、今はまるで月に向かって両手を大きく広げているかのようです。小さな葉っぱの先端まできれいにぴんと伸ばし、葉っぱを出来る限り大きく開こうとしているようでした。

その様子を見て、あぁ、そうか〜と気づいたこと。

それは、植物は太陽の光を浴びて(むしろ太陽の光だけで)育っていると思っていたけれど、本当はこうして、夜の間に照らしてくれる月の光によっても育まれていると言うことです。

 

 

太陽と月の役割分担

 

太陽は金色の光、月は銀色の光。

月光は太陽光の反射なので、色味は実際のところは変わらないのではと思いますが、古くからそう言われています。それに、太陽と月の金銀の色分けは、私たちにとっても不思議と体感的に納得が行くものだと思います。(ちなみに、シュタイナーの『星と人間』によれば、古代の医者たちは観察によって、月と関連している鉱物は銀であると認識していたそうです。同書p.158160

銀色の光を金色との対比で見た時、それは女性的なエネルギーを持ちます。月のエネルギーを体感すると、それは慈愛に満ち、穏やかで優しく、気持ちの良い冷涼さを含むエネルギーで、確かに銀色に通じているように感じます。温め熱する太陽とは対照的です。

(ここはしばしば勘違いが起きやすい部分かも知れません。女性が穏やかで優しい存在だとか、女性は本来そうあるべきという話ではなく、男性的なエネルギーとの対比から見た時に、女性的なエネルギーの性質にはこうした特徴があると言うことです。女性的なエネルギーすなわち女性性は、男性の中にも存在しています。逆に、女性の中にも男性性が存在します。私たちの中には、女性的なエネルギーと男性的なエネルギーの両方が共存している訳です。)

力強く温めて活気を与えてくれながらも、時にはそれが鼓舞を通り越して過酷さになることもある太陽。その光に照らされていると、最初は行動することを後押ししてもらえ、動くことを楽しく感じます。ですが、太陽の光が強過ぎたり長い間光を受け取っていると、やがてそれが疲労に変わることもあります。

ですが太陽が沈んだ後、夜の間に月の光で冷却されることで、その日に体験した過酷さや疲労はすーっと落ち着きます。こうした体験は誰でも覚えがあると思いますが、月の光が浄化の力を持つと言われる所以はこの辺りにあるのではないかと思います。

月に向かって背伸びしているかのようなラベンダーの挿し穂たちの姿は、植物たちもこうした月の力を感じ取っていることを気付かせてくれました。(考えてみたら、人間よりもはるかに敏感に感じているはずですよね!)

月が居てくれるから、植物も私たち人間も、活動と休息のバランスが取れた調和の中で日々成長して行けるんですね。

 

 

十五夜が秋を運んで来る

 

そんな体験のあった十五夜明けの朝、目が覚めたのは7時過ぎでした。

夏場だと、この時間にはもうお日様の力が強くなってきて、そろそろ暑さを感じ始めます。ところがこの日の朝はまだ涼しく、更には部屋の中にいても空気の感じがいつもとはっきり違っていました。

しばらくそのエネルギーを感じていて、はたと気づきました。昨晩の月の光のエネルギーが含まれてる!

これまでも、早朝の空気が日中の空気とは全く違うのを不思議に思っていて、植物たちが夜間に行っている呼吸のせいで、空気がきれいになるからかなぁと考えていました。でもそうではなくて(それもあるでしょうけど)、早朝は空気の中に月のエネルギーが色濃く残っていることがその独特な質感の理由なのかも知れません。

今年の十五夜は満月だったこともあり、本当に美しく輝いていました。すべてを清らかな状態に戻していくような性質のエネルギーを、とても強く放っていたように思います。

この記事をまとめているのは十五夜の翌日の昼前ですが、この時間になってもまだ昨晩と同じ月のエネルギーが色濃く残っています。それが、昨日までとは全く違う大気の感覚、落ち着いていて心地良くひんやりしていて、「あぁ〜、秋になったなぁ〜!」と思わず大きく伸びをしながら喜びたくなるような、そんな質の空気を作り出しているようです。

月のエネルギーが早朝の空気を特別なものにしているだけでなく、秋をより秋らしい空気へと変えているのかも知れません。


あまりに気持ち良い朝だったので、起きて早々、顔も洗わずに散歩に出ました。

よく散歩する川沿いの森も、いつもと空気が違います。森の植物たち一本一本、その葉っぱの11枚に至るまで、イメージ的には白く微細な霧のような光に包まれている、あるいは光を放っている様に見えます。月の光を十分に浴びて、彼らの持っている清らかさや神聖さが回復されたように感じました。

川岸でゆっくり瞑想をした後、満ち足りた気持ちで部屋に戻って来ました。

部屋の窓という窓を大きく開けていると、まだ満月のエネルギーをいっぱい含んだままの爽やかで心地良い空気と共に、穏やかなそよ風に運ばれて金木犀の香りがわずかに届きました。


とても気持ちの良い秋の始まりです。

皆さんも季節の移ろいを存分に楽しんでくださいね!