私たちは皆それぞれ、
全く異なる背景を持って
今を生きています。
これは言葉で言う以上に
本当に本当に、
いくら強調しても
し過ぎることの出来ないくらい
本当に異なっています。
ここで言う「背景」とは、
私たちが人生の中で体験する
一つ一つの出来事です。
それらの出来事の集積が、
今現在の「私」を
他の誰とも違う独自の存在にしています。
あるクライアントさんは、
お母さんのお腹の中に居た時に
三重に絡みつく臍の緒と格闘しながら、
必死に生き延びようとしていました。
臍の緒は、
左の足首、肩回り、首のまわりに
それぞれ個別に巻き付いていました。
辛くも無事に産まれ出ては来たものの、
幼少期は疲れ易く、
子供なのにいつも
「横になりたい」と感じていたそうです。
お腹の中にいた時に
死力を尽くして闘っていた、
そのことを周りの人は当然知りませんし、
母胎から出た後はご本人も
格闘の記憶をきれいに忘れてしまっていました。
他の子供と同じと考えて
単純に比較する大人の目線には、
覇気がなく見えたり
怠けているように映ったでしょうし、
実際にそう言う人がいて
傷つく体験もあったかも知れません。
あるいはご本人も、
自分のことを弱い人間だと
思い込んでいたかも知れません。
でも本当は、
産まれ出てきた時にはすでに
文字通りの死闘によって力を使い切り、
ヘトヘトの状態でした。
ですが、
十分に生命力を回復するために必要な
周囲の理解や機会を得られなかったために、
そのヘトヘトは
子供時代まで持ち越されました。
小学校高学年の頃に
スポーツを始めたのをきっかけとして
少しづつ元気を取り戻したそうですが、
そこまでの間は
ギリギリの状態で踏ん張って、
実は残った力を振り絞るようにして
日々を全力で過ごしていたわけです。
この症例が示しているように、
私たちは自分の背景にある出来事が
自分にどう影響しているのか、
その実際のところを知りません。
そしてそのせいで、
自分を理解するには
他者との比較を基盤にするしかなく、
背景が全く異なる他者と比べて※
自分はダメな人間だと思い込み、
苦しんだりしているのです。
(※ 背景が全く異なると言うことは、
比べるための共通の土台がないと言うことです。
つまり自分と他者は本来
比較しようにも比べようがなく、
あえて厳しい言い方をすれば、
比較しても意味がないと言うことでもあります。)