私たちは皆それぞれ、
全く異なる背景を持って
今を生きています。
これは言葉で言う以上に、
本当に本当に、
いくら強調しても
強調し過ぎることが出来ないくらい
本当に異なっています。
ここで言う背景とは、
私たちが人生の中で体験する
一つ一つの出来事です。
それらの出来事の集積が、
今現在の「私」を
他の誰とも違う独自の存在にしています。
あるクライアントさんは、
お母さんのお腹の中に居た時に
三重に絡みつく臍の緒と格闘しながら、
必死に生き延びようとしていました。
辛くも無事に産まれ出てきたものの、
幼少期は疲れ易く、
子供なのにいつも
「横になりたい」と感じていたそうです。
お腹の中にいた時に死力を尽くして闘っていた、
そのことを周りの人は当然知りませんし、
母胎から出た後はご本人も格闘の記憶を
きれいに忘れてしまっていました。
単純に他の子供と比較すれば、
覇気がなく見えたり
怠けているように見えただろうと思いますし、
そう言われて傷ついたこともあったかも知れません。
あるいはご本人も、
自分のことを弱い人間だと
思い込んでいたかも知れません。
でも本当は、
産まれ出てきた時にはすでに
力を使い切ってヘトヘトで、
更には十分に回復するために必要な
理解や機会を得られなかったために、
子供時代までヘトヘトを引きずりながら、
それでも何とか踏ん張って、
残りの力を振り絞って
日々を過ごしていたわけです。
この症例が示しているように、
私たちは自分の背景にある出来事が
自分にどう影響しているのか、
その実際のところを知りません。
そしてそのせいで、
自分を理解するには
他者との比較を基盤にするしかなく、
背景が全く異なる他者と比べて※
自分はダメな人間だと思い込み、
苦しんだりしているのです。
(※ 背景が全く異なると言うことは、
比べるための共通の土台がないと言うことです。
つまり、自分と他者は本来
比較しようにも比べようがないと言うことです。)