ねむ♫/ 6月 21, 2009/ 初期の頃のブログ

 

 

パソコンがここしばらくダウンしてしまい、

書くことがたまってしまったにゃ・・・

 

 

さて、まず頭に浮かんで来たのが

「場の専有理論」。

今日はこれについて書くことにしよう。

 

 

こむずかしいネーミングだが、

しばらく前から興味を持っている

POP(プロセス志向心理学)についての書籍

(藤見幸雄著「痛みと身体の心理学」

http://www.amazon.co.jp/%E7%97%9B%E3%81%BF%E3%81%A8%E8%BA%AB%E4%BD%93%E3%81%AE%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E8%97%A4%E8%A6%8B-%E5%B9%B8%E9%9B%84/dp/4106035383/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1245589367&sr=1-2

の中で見つけた言葉だ。

 

 

この言葉の要旨を説明するとすると、

 

 

人間関係を、拮抗する役割によって

構成される「場」として捉え、

例えば一人が被害者という役割を専有すると、

もう一方は必然的に

残りの加害者役を担うことになる、

というもの。

 

 

こういう対比関係というのは、

無意識の中で日常的に使われている。

 

 

例えば、

「私ばっかりまじめに仕事して、

あの人はいつもさぼってばかり・・・。」

なんて不平の中にも、

 

 

私=被害者または搾取される側、

あの人=加害者または搾取する側、

という役割の割り振りが見て取れる。

 

 

そして、こうして

自分を固定的な役割の中に

はめ込んで考えることが、

その人間関係自体を

固定的な場の中に押し込めることになるのだ。

 

 

なるほど、この「場」の中に

はまらない様にする事は難しいかもしれないが、

はまっている事が自覚できれば、

 

 

更にはその役割に自分をはめているのが

他ならぬ自分自身なのだと自覚できれば、

 

 

人間関係の中で不必要に

傷ついたりすることもなくなってくる。

 

 

私達は、「自我」という

他者との間に境界線を持つ存在である。

 

 

自我は、他者との関係性の場の中で

その在り方を発露させて行く。

 

 

自分自身を客観的に捉える視点

(NLPなどではメタポジションと呼ばれている。)

を持っていれば、

 

 

関係性の場を通して、

自分がどういう価値観を持ち、

どんなものの捉え方をするか、

自分自身の自我の在り方が

明確になっていく。

 

 

関係性の場の中を

蜘蛛の網に掛かることなく、

ひらりひらりと身をかわして

自由にのびのび飛び回る

蝶でありたいものである。

 

 

 

 

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