ねむ♫/ 6月 16, 2011/ 症例② 身体のスペシャリストに向けて/ 0 comments

施術を重ねていって変わるのは、体の形だけではない。
形が変わるというのは、構造が変化するということ。
当然、構造への依存傾向の強い「機能」
(血管の管が太くまっすぐな方が、血流だって気持ちよく流れたり ・・・)の良し悪しも、変化する。
でも、最も重要なのは、
施術によって筋膜の固着や癖が修正され、ブロックのない自然な体の状態に戻っていくことが、
実は本来のセルフイメージに近づいていくことを可能にする点だ。
これは、最近になって私自身新たに気づいたことだ。
(なぜ体を整え、楽になることが重要なのか、その意義と意味を考えている過程で気づいた。)
つい先ごろ6月の頭の頃、
大学生の頃にちょっと厄介に思っていた腰の不調の原因に、セルフメンテナンスの段階が差し掛かっていた。
腰は確かに痛みが起きやすいところで、施術時の中腰姿勢は療術学院に通っていたころから結構キツイと思っていた。特に、アロマの施術はキツかった。
が、みんなそうなのだろうと勝手に思っていたため、それは大して問題とも思っていなかった。
ところが、自分で腰に関わるクセ付けのプロセス*を追いかけ始めると、
それが思っていた以上にガンジガラメで、複雑で重層的な走行を示した。
下腹がぽこんと出やすかったことやトイレが近かったこと(これは、恥骨上の筋肉の緊張が直接の原因だった)などの、様々な状態を引き起こしながら、
なお頑として腰椎だけは固めた状態を死守してきたことが分かった。
表からは分からなかったが、フタをあけてみたら、じつは結構深刻な状態だったのだ。
それがやっと終了したと思ったら、今度は右肩だ。
右肩はこれまたなかなか改善しなかった右胸郭の下方変移と、
右前頸(頭痛やたちくらみを頻発させていた直接の原因であった。)特に甲状腺周囲の脈管とおぼしき細かい緊張とを伴っていた。これは、本日6月15日になってやっとひと段落したが、これとて実は幼少時に背中を2回強打して生じた背中・胸郭の変調の一環に過ぎない。
こうして長い道のりを通りながらも、体は確実に、
そのクセを現在に至るまで体の中にひた隠しにし連綿と貯留させ続けてきた、
言わば拘束具を解除され、偏りやこだわりのない自由な状態を回復しつつある。
この自由を回復する過程が、果たして人生の中で完遂するのかどうかという問いはさておき、
この自由な状態というのは、何なのだろうか。
痛みを感じず、どのような動きの中でも体を軽く感じられる。この感覚そのものが自由とも言える。
しかし、非常に大きく変わったことは、鏡の中に見る自分の姿に満足を感じることであろう。
もっと具体的に正確に言うなら、自分の見た目に違和感を感じないのだ。
たとえば、もっと太ももは細い方が良いのにとか、私のアゴはなぜ長めなんだろうとか。
これを察するに、私達の中には、あらかじめ自分に対する青写真が事細かくあるのだと思う。
社会生活に適応していく中でどれだけ容姿が変化しようとも、
本来持って生まれた青写真はそのまま維持され続けるのだろう。
自分らしさや自分の生まれた意義、それはこうした青写真に刻まれている。
形が本来の青写真=計画とは異なったものとして現れ始めた時、自分を嫌いになったり自分の姿の中に違和感を感じるという方法によって、私達は本来あるべき方向からズレていることを教えられているのではないだろうか。

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