① 身体は、いつだって調和へ向かっている。

 
身体は、全体として均衡を作り出すべく、各部分にあるクセや緊張を互いに補完し合っています。
噛み砕いて言いますと、身体の調和は「調和の取れた各部分の総和(どこの部分を取り上げても、バランスが取れている)」ではなく、
「各部分には多少の無理があったとしても、全体としての均衡が保てていればOK」という基準でつくられているようです。
(注: これは、私の経験則に照らした理解です。)
 
 
各部分には、その人が身体を今までどう使ってきたのか、どんな習慣的なクセを持っていたのか、その情報がこまごまと蓄積されています。
いったん捻挫をすれば、その時に足首まわりに起きた筋肉や靭帯の緊張や引き伸ばし、それをつつむ結合組織の膠着などの物理的な変化は、
痛みが引いて治ったと感じたのちにも、実はそのままずっと保持されます。
 
 
そうした組織・細胞の変調した状態があると、身体全体としては機能しにくくなります。
ふとした時に痛みが生じる危険もあります。
そのため、足首をかばうのに都合の良い「身体の使い方」のプログラムが、足首捻挫の上に上書きされます。
 
 
これは、言わば、捻挫グセを計算に入れたバランス補完のプログラムですから、
クセのなかった時の身体の調和の在り方に比べると、その自然さ、滑らかさは低下します。
(本人は変化している身体の只中にいてその感覚に慣れてしまっているため、動きや体内感覚の質の低下に気づかないことがほとんどです。
この身体に対する鈍感さが、現代社会において心身両面での病を作り出す大きな原因の一つだと、私は考えています。)
 
 
クセを補完するプログラムによって、また別のところにあったクセとの力関係で、他の箇所に痛みが生じたりもします。
 すると、またその複数のクセを補完するプログラムを・・・。
私達が数十年生き、それぞれの人生を歩んでいる間、
身体は必死に調和の取れた状態を支えようと、努力し続けてくれているのです。