選択に迷った時には。

 
選択に迷う時とは・・・
 
 
例えば、
原発反対のデモは気になるし、参加しないことには若干引け目を感じたりもする。
では参加するか?と問われると、う~んと考えてしまう。
そんな場合。
(今の時制、あまり良い例えではないかも知れませんが・・・。
デモに参加されている方々には、心から敬意を表します。)
 
 
こんな感じの迷い方をする場面、
生活の中で度々経験しませんか。
私自身こんな迷いを、ちっちゃい事柄に対しても持ったりします。
その度に、う~ん、と立ち止まるのですね^^;
 
 
迷った時には、ワクワクする方を選択してみたら?
巷ではそんなアドバイスをしてくれたりします。
でも、なんでワクワクが良いのでしょう?
理由が分からないと納得できないイイジマは、
そんな風に言われると余計に、う~ん・・・です。
 
 
上に挙げたデモの例で考えてみた場合、
なぜ迷うのでしょうか?
自分が原発に反対だと思っているのなら、
デモに参加するのは自分の意思表明になりますし、
実際にそこに向けて行動を起こした、という満足を得られるでしょう。
 
 
でも・・・
さて、沢山の「でも」が浮かんできます。
行動を押しとどめる理由はいくらでも挙げられます。
デモでは現実は変えられないのではないかとか、一人で参加するのは不安だとか、
他の誰かがやってるから大丈夫だとか、そんな時間の余裕はないとか。
 
 
いえ、決してデモに参加しろっていう話ではありません。
これは、選択に迷った時の分かり易い状況として、
その一例として挙げているだけなので、
読んでいて思わず気色ばんだりしないでくださいね^^;
 
 
さて、理由はどうあれ、
動かない=動く選択をしないというのは、
そこに自分を動かすだけの動機がないからです。
 
 
人は、自分の内なる目的やテーマに沿った事柄に対しては、
非常な熱意を感じます。
そしてそういう場合、
実際の行動や結果を伴いやすいと思うのです。
なぜなら、
行動せずにはいられないし、
実現するまで諦めずに続けるからです。
 
 
一方、
例えば世間体や常識、建前によって動いている場合、
あるいは人に言われて何となくやっているという場合、
これは自分の内側からの動機や衝動によって行っているのではないため、
何らかの結果を得たり行動し続けるのは難しくなります。
(人に言われて始めたことでも、続けられている場合は、
自分の内なる目的にどこか合致していると思いますよ、
きっと。)
 
 
 自分の内なる目的に沿っている事柄は、
もしかしたらワクワク感じるかもしれませんね。
そういう意味では、
ワクワクするものを選択するのは、一つアリかもしれません。
 
 
ですが、
ここではもう一歩突っ込んで考えます。
自分の内なる目的に沿っていると言うのは、
実際にはどういうことなのでしょうか。
 
 
 例えばイイジマの場合、
人が本来の自分らしさに向かって脱皮し、変化し、統合していく過程をサポートすること。
これが内なる目的です。
なので、人が成長・変化していく様を見ると、
大きな喜びを感じたりします。
(蛇足ですが、今の仕事は正しくこの目的にドンピシャなのです。^^)
 
 
ここに原発のデモ参加、という選択を持ってくると、
デモに参加すること自体には
私の目的と直接的に合致するところは見つけにくいようです。
 
 
ですが、もし、
デモを通して参加者がどう意識や思考を変化させたか、
という部分に焦点を当てるなら、
これは合致してきます。 
立場としてはデモの参加者であるよりも、
第3者として外側から参加者一人一人をつぶさに観察することの方が
私にとっては重要だ、と言えるかも知れません。
 
 
 選択の際に、
自分の内なる目的に合致しているということに加えて、
その選択が
自分の目的に更なるエネルギーを注いでくれて、
目的の遂行を促進する力となってくれるかどうか。
・・・という視点で見ることが出来れば、
迷いを少し整理しやすくなるのではないかと思うのです。