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十五夜と秋のはじまり  

 

 

皆さん、こんにちは!
先日の910日は十五夜でしたね。お月見はできましたか?

諸事情あって、その日は夕飯の後ばったり倒れるように寝てしまった私は、夜中に起き出して台所を片付け終わった後、十五夜のお月様のことを思い出しました。

真夜中のお月見を通して、月の光とそのエネルギーについて感じたり気づいたことがあったので、今回の記事ではその体験をシェアさせて下さいね。

 

 

植物を育む月の光

 

せっかくだからお月さまを眺めてみようかなと思ったものの、夜更けも夜更け。そろりそろりと遠慮がちに南側の窓を開けました。夜気はひんやりとして気持ち良く、90度から西へと傾き始めていた月は、あまりにも清澄で明るく美しく輝いています。しかも満月。

月を眺めているのが心地良くて、なかなか窓辺から離れる気が起きません。そこで歯ブラシを持って来て、縁台に並んでいる植物たちと一緒にベランダで歯磨きをしながらお月見をすることにしました。

居並ぶ植物たちは、ゴム科のウンベラータにバラ、ニラ科のツルバキアにラベンダー。月の光に照らされた植物たちの様子を見る内に、8本の小さなラベンダーの挿し穂たちに目が止まりました。

先日植え替えたばかりの、まだ小さく頼りない挿し穂たち。やっと立ち上がっている様に見えていたその姿が、今はまるで月に向かって両手を大きく広げているかのようです。小さな葉っぱの先端まできれいにぴんと伸ばし、葉っぱを出来る限り大きく開こうとしているようでした。

その様子を見て、あぁ、そうか〜と気づいたこと。

それは、植物は太陽の光を浴びて(むしろ太陽の光だけで)育っていると思っていたけれど、本当はこうして、夜の間に照らしてくれる月の光によっても育まれていると言うことです。

 

 

太陽と月の役割分担

 

太陽は金色の光、月は銀色の光。

月光は太陽光の反射なので、色味は実際のところは変わらないのではと思いますが、古くからそう言われています。それに、太陽と月の金銀の色分けは、私たちにとっても不思議と体感的に納得が行くものだと思います。(ちなみに、シュタイナーの『星と人間』によれば、古代の医者たちは観察によって、月と関連している鉱物は銀であると認識していたそうです。同書p.158160

銀色の光を金色との対比で見た時、それは女性的なエネルギーを持ちます。月のエネルギーを体感すると、それは慈愛に満ち、穏やかで優しく、気持ちの良い冷涼さを含むエネルギーで、確かに銀色に通じているように感じます。温め熱する太陽とは対照的です。

(ここはしばしば勘違いが起きやすい部分かも知れません。女性が穏やかで優しい存在だとか、女性は本来そうあるべきという話ではなく、男性的なエネルギーとの対比から見た時に、女性的なエネルギーの性質にはこうした特徴があると言うことです。女性的なエネルギーすなわち女性性は、男性の中にも存在しています。逆に、女性の中にも男性性が存在します。私たちの中には、女性的なエネルギーと男性的なエネルギーの両方が共存している訳です。)

力強く温めて活気を与えてくれながらも、時にはそれが鼓舞を通り越して過酷さになることもある太陽。その光に照らされていると、最初は行動することを後押ししてもらえ、動くことを楽しく感じます。ですが、太陽の光が強過ぎたり長い間光を受け取っていると、やがてそれが疲労に変わることもあります。

ですが太陽が沈んだ後、夜の間に月の光で冷却されることで、その日に体験した過酷さや疲労はすーっと落ち着きます。こうした体験は誰でも覚えがあると思いますが、月の光が浄化の力を持つと言われる所以はこの辺りにあるのではないかと思います。

月に向かって背伸びしているかのようなラベンダーの挿し穂たちの姿は、植物たちもこうした月の力を感じ取っていることを気付かせてくれました。(考えてみたら、人間よりもはるかに敏感に感じているはずですよね!)

月が居てくれるから、植物も私たち人間も、活動と休息のバランスが取れた調和の中で日々成長して行けるんですね。

 

 

十五夜が秋を運んで来る

 

そんな体験のあった十五夜明けの朝、目が覚めたのは7時過ぎでした。

夏場だと、この時間にはもうお日様の力が強くなってきて、そろそろ暑さを感じ始めます。ところがこの日の朝はまだ涼しく、更には部屋の中にいても空気の感じがいつもとはっきり違っていました。

しばらくそのエネルギーを感じていて、はたと気づきました。昨晩の月の光のエネルギーが含まれてる!

これまでも、早朝の空気が日中の空気とは全く違うのを不思議に思っていて、植物たちが夜間に行っている呼吸のせいで、空気がきれいになるからかなぁと考えていました。でもそうではなくて(それもあるでしょうけど)、早朝は空気の中に月のエネルギーが色濃く残っていることがその独特な質感の理由なのかも知れません。

今年の十五夜は満月だったこともあり、本当に美しく輝いていました。すべてを清らかな状態に戻していくような性質のエネルギーを、とても強く放っていたように思います。

この記事をまとめているのは十五夜の翌日の昼前ですが、この時間になってもまだ昨晩と同じ月のエネルギーが色濃く残っています。それが、昨日までとは全く違う大気の感覚、落ち着いていて心地良くひんやりしていて、「あぁ〜、秋になったなぁ〜!」と思わず大きく伸びをしながら喜びたくなるような、そんな質の空気を作り出しているようです。

月のエネルギーが早朝の空気を特別なものにしているだけでなく、秋をより秋らしい空気へと変えているのかも知れません。


あまりに気持ち良い朝だったので、起きて早々、顔も洗わずに散歩に出ました。

よく散歩する川沿いの森も、いつもと空気が違います。森の植物たち一本一本、その葉っぱの11枚に至るまで、イメージ的には白く微細な霧のような光に包まれている、あるいは光を放っている様に見えます。月の光を十分に浴びて、彼らの持っている清らかさや神聖さが回復されたように感じました。

川岸でゆっくり瞑想をした後、満ち足りた気持ちで部屋に戻って来ました。

部屋の窓という窓を大きく開けていると、まだ満月のエネルギーをいっぱい含んだままの爽やかで心地良い空気と共に、穏やかなそよ風に運ばれて金木犀の香りがわずかに届きました。


とても気持ちの良い秋の始まりです。

皆さんも季節の移ろいを存分に楽しんでくださいね!


嵐のあとで~新生する自然 / 11月の営業予定

** 台風の被害に遭われ、復興の途上にある地域の皆様が、一日も早く日常に戻ることが出来ますよう、心よりお祈り申し上げます。

 

目次

 

 

自然の驚異的な力

 

10月下旬、大きな台風が関東を直撃しました。

 

数日間続いた大雨がようやくあがり、

久しぶりにお日様の出た朝。

いつも散歩に行く浅川へと、足を向けました。

 

浅川は陣馬山を源流とする川で、

市街地では川幅が100m以上あります。

日野市と国立市の境に近いあたりで

多摩川に合流しています。

 

川の両岸には堤防を利用した遊歩道があり、

穏やかな川面や多摩丘陵を眺めながら

のんびり歩くには最高の場所です。

 

川には所々に大きな中洲があって、

季節になると美しい菜の花畑になったり

名前は分からないけれど

可愛らしい紫の小花を沢山咲かせたり、

 

折々で表情を豊かに変えて、

私たちの目を楽しませてくれていました。

 

 

この日の浅川は、

今まで見たことがないほどの水量。

水の流れの勢いも音も、迫力が違います。

 

私の住んでいる辺りは

台風らしい大雨はほんの一時でしたが、

上流の地域では随分と

雨が降ったのでしょう。

 

それにしても、

何だか川の様子が違います。

意識して川を見てみると…。

 

あれ!?

川の形が違う!

 

中洲がごっそり

無くなってる!

 

わずかに川面から

土が顔を出しているところも

あるにはありますが、

中洲が元々あった位置とは違います。

 

ついこの間まで

あんなに繁茂していた植物も、

中洲と共に流れ去ったのでしょう。

影も形もありません。

 

川の淵の一番深かったところも、

以前は川幅の真ん中辺りだったはず。

それが、向こう岸になっています。

 

 

 

今までにも雨量が多くて

増水したことはありましたが、

川の形がはっきり分かるほどの変化は

初めて見ました。

 

例年なら

10月の1か月分に当たる量の雨が、

この時の台風で降ったそうです。

 

雨の降り方はモザイク式で、

降りが強いところもあれば

弱いところもあったりしましたが、

 

この川の上流域は、局地的に

雨量の多い所だったのかも知れません。

 

しかも短時間の内に、

一気に降ったのではないでしょうか。

 

大量の水流が一気呵成に下って来なければ、

川の様相があれほど変化したりは

しないはずです。

 

大きな中洲一面に菜の花が広がる

あの見事な景色は、

もう見られないんだな~。

 

失った美しい景色。

寂しさがよぎりました。

 

 

 

新生する大地

 

川の様子を近くでよく見ようと、

川岸に降りていきました。

 

水辺には階段が5段あったのですが、

下3段は土砂で埋まっています。

 

菜の花の咲く中洲は

向こう岸にあったのですが、

今やこちら側が中洲になりつつあるようです。

 

押し流されて来た土砂が堆積して

にわかに出来た浅瀬。

そのきれいに洗われた砂利の上を

清らかな水が流れていきます。

 

 

 

初めて見る景色。

 

慣れ親しんだ川なのに、

初めて見る景色。

 

初めてなのだけれど、

やっぱり見慣れた川。

 

日常の中に

異世界の入り口が開いたような、

何とも言えない不思議な感覚です。

 

 

中洲になりつつある砂地の、

かろうじて乾いている所に

腰を下ろしました。

 

近くに転がっているのは

ザリガニの殻のようです。

激しい水流に呑まれて

砕けてしまったのかも知れません。

 

ちぎれた根っこや、

掘り返されて

どこからか流れ着いた球根も

転がっています。

 

一見、

傷だらけの痛々しい残骸

のようにも見えましたが、

それとは異なる印象が

ふと脳裏に浮かびました。

 

あぁ、そうか!

 

こうして流されてきた根や球根が、

今度は根付いて

新しい野を形成していくんだ。

 

大地も川も、こうやって

新陳代謝をしているのか!と。

 

エジプトはナイルの賜物、

という言葉も浮かんで来ました。

 

ナイルの氾濫によって

土壌は地力を回復し、

それがエジプトに恵みをもたらす。

 

それを今、

目の当たりにしているのだと

思いました。

 

 

現実は意識の鏡

 

そう気づくと、

失った景色への悲しさは溶け、

 

新しく生まれ変わった川が

これからどんな美しい景色を

作り出していくのか、

そちらの方が楽しみに思えてきました。

 

そしてそんな風に目線が変わると、

新生した川の美しさが

どんどん意識の中に流れ込んで来ました。

 

川の水は台風前よりも澄んでいて、

以前あった川特有の不快な匂いも

すっかり消えています。

 

不思議なことに、

これだけ激しい流れでありながら

濁流にもなっていません。

 

深い淵では青味を湛えて流れる、

その様子は

厳かでさえあります。

 

都下とは言え、

人口の多い東京の

市街地を流れる浅川。

 

その浅川が

澄んだ青味を帯びているのは、

初めて見ました。

 

空気も水も、

清々しく澄んでいる。

 

この川はきっと、

浄化されたに違いありません。

 

 

「クプクプクプ」

 

浅瀬を流れていく水が、

小気味よい音を立てています。

 

今、川自身は

どんなことを感じているんだろう?

 

音に意識を向けながら

軽く目を閉じ、

流れていく水に

意識をつなげました。

 

 

ごくわずかに、

音の響き方が

変化して行きます。

 

クプクプなんだけど、

コロコロと転がるような…。

 

あぁ、笑ってるんだ。

 

彼らが立てていたのは

笑い声でした。

 

クスクスと軽やかな

笑い声をあげながら、

彼らは嬉しそうに

通り過ぎて行きました。

 

 

 

11月の営業予定

 

もう11月!

11月になると、急に「年末」と言う感じが出て来ますね~。

 

今年の秋は台風も多いですが、比較的過ごしやすい気温で、青空の美しい日も多いような気がします。いつもの年に増して、自然の中を歩きに行きたい!と感じることが多いです。

 

最後になりましたが、11月の営業予定をお伝え致しますね。

 

臨時でお休みとなるのは、16日(木)です。それ以外の日は、通常通り営業致します。

 

定休日は毎週水・日曜日、営業時間は11時~20時、施術の最終受付は17時(予約は前日までにお願い致します。)となります。

 

また、従来は男性のお客様は女性のお客様のご紹介がある方のみとさせて頂いていましたが、当院でご提供する施術の繊細さをご理解下さる方でしたら、男性の方でもご予約をお受けさせて頂く運びとなりましたことを、ここでお伝えさせて下さい。

 

 

 

すでに忙しい時期に入っている方もいらっしゃると思いますが、師走に入る前にご自身のメンテナンスの機会を持たれてはいかがでしょうか?

 

皆様のご来院を心よりお待ちしています!

 

自然の中で、童心に返る時間。/4~5月の営業予定

 

 

 

今年の桜は、

入学式にちょうど合わせた様に

ゆっくり咲き始めました。

 

すぐに散るかな?と思いきや、

強烈な雨風に幾度も見舞われつつ

のんびり咲き続けていた気がします。

 

4月7日の時点で

こんな感じ。

 

 

 

いつになく

長い桜の時期が終わると、

今度はあっと思う暇もなく初夏!

 

春と夏って、

こんなに近接していたかなぁ?

 

 

 

窓を開けていると、

強い日差しの中で

柔らかな新緑が輝き、

 

心地よく熱を含んだ風が、

葉の間をサワサワと

通り過ぎていきます。

 

明るく朗らかで豊かな季節。

外の空気を吸うたびに、

自然の中に飛び出したくて

ウズウズして来ます。

 

 

 

気持ち良く晴れた

先々週の日曜日のこと。

 

この時期は、

夕暮れ時もまた格別

美しいんですよね。

 

母と美しい時間帯の景色を

一緒に楽しみたいなと、

散策に出かけることにしました。

 

 

 

人を結びつける自然の力

 

私の自宅の近所には

自然公園があります。

 

公園とは言っても、

丘陵の一部をそのまま

公園にしているので、

散策路はいっぱしの山道です。

 

ちょっとした沢のある個所や、

木の根に頼りながら

急勾配をのぼるところなど、

規模は小さいながらも

山歩きの楽しさを十分味わえます。

 

私にとっては、

ここでの山歩きは

自然との繋がりを体感し、

新鮮な活力を充電するための

大切な時間になっています。

 

 

意識や心を開放する時間でもあるためか、

時には面白い出会いも起こります。

 

先日は、

お花にとても詳しい方に

途中で出会い、

しばらくご一緒しました。

 

色んな花の写真を撮っては

一覧表にして配っているそうで、

自作の資料を見せてくれました。

 

聞けば、

保育園の先生をしていて、

自然に興味を持ってもらえるように

子供達に配るのだと、

楽しそうに話してくれました。

 

人生の楽しみ方を

教えてくれる存在が身近にいるのは、

子供にとって貴重なことだと思います。

 

今すぐには芽が出なくても、

心に何かは必ず

残ると思いますから。

 

 

 

その日の帰りがけ、

公園のふもとにある

竹藪を抜けると、

お寺の境内に満開の枝垂れ桜。

 

「わ~…」

 

母にもぜひ

見せてあげたいなぁ。

そう思いながら帰途につきました。

 

 

 

痛みによって強まった、身体への信頼

 

母は73歳。

昨年、ぎっくり腰になりました。

 

その通院の中で、

知らぬ間に胸椎も

圧迫骨折していたことが

判明しました。

 

当初は痛みも強く、

背中や腰を伸ばすのは

かなり大変だったようです。

 

しばらくして受けた

健康診断の際には、

身長も縮んでしまったと

ガックリ。

 

でも、定期的に施術を

受けに来ることもあって、

1年以上経過した今では

背中が次第に伸びて来ています。

 

年齢には関係なく

身体はちゃんと変わるんだと、

母も自分の身体に

信頼を感じるようになったみたいです。

 

以前に比べると、

身体と相談しながら

無理せずに楽しく過ごしている、

そんな感じに見えます。

 

その様子を見るたびに、

ギックリも圧迫骨折も

決して無駄ではなかったのだな

と思います。

 

 

 

とは言え、長い距離を

楽しく歩けるようになるまでは、

まだ少し時間が必要そうです。

 

公園までは徒歩30分。

距離があるため、

車で向かいました。

 

 

 

駐車場に車を停めると、

お寺の境内に立ち並ぶお墓に

「お邪魔します」と断りしつつ、

枝垂れ桜のもとへ。

 

すでに散り始めてはいるものの、

濃いピンクの色味が美しく、

枝ぶりにも華やぎがあります。

 

 

しばらくすると、

母は下草を観察し始めました。

 

植物好きな人間にとっては

下草だって同じように魅力的で、

桜とも優劣はなさそうです。

 

沢山のスギナが生え、

風でフサフサと

柔らかく涼しげな葉が

豊かに揺れています。

 

その合間から、

沢山のツクシも

顔を出していました。

 

「あ~、つくし!」

 

 

 

近年はツクシを見かけることが

少なくなりました。

 

どこかで見つけたら教えてねと、

春の始めに母が言っていました。

 

それが、

こんな所に生えてた!

しかも沢山!

何だか嬉しいね~。

 

 

そんなことを話しながら

お寺の階段を下ってくると、

 

「ツクシだったら、

うちの竹藪にいっぱいあるけど、

採っていく?」

 

通りかかったおばちゃんが

ふいに声を掛けてくれました。

 

あまりに思いがけない事に

母と顔を見合わせていると、

 

「すごく沢山生えてるんだよ。

どうせ刈らなきゃいけないからさ。」

 

「ツクシを摘むのはともかく、

どんなに沢山生えてるか、

見てみたい!」

 

 

 

おばちゃんが向かった先は、

公園のふもとにある竹藪でした。

 

竹藪はかなり奥行きがあるのですが、

一番手前のお寺寄りのスペースは

下草の茂る野原になっています。

 

その一面を覆いつくす勢いで、

ツクシとヨモギが生えていました。

(写真を撮り忘れましたが~。)

 

ツクシの穂が

半分開いているものを摘んで

頭をちょんと突くと、

ふわ~っと霧のようになって

胞子が飛び出しました。

 

「ほら見て!ふふふ」

 

こんな些細なことで、

思わず童心に返ります。

 

豊かな実りのある土地があるって

良いなぁ~と思っていると、

 

「ここは、どうせ

刈ってもらわなきゃいけないんだ。

お金を払って

手入れしてもらわなきゃいけないから、

こういうのがあるってのも大変なものでね。」

 

なるほど。

じゃあ、遠慮なく

摘ませてもらっちゃいます!

おばちゃん、ヨモギも欲しいなぁ。

摘ませてください!

 

 

 

ツクシとヨモギだと、

今晩は天ぷらかな~。

 

十分に摘ませてもらって、

おばちゃんにお礼を言って

別れました。

 

おばちゃん家の夜の食卓には、

きっと「甘草」が出たはずです。

 

その日の昼間、

お寺の横の土手で

甘草を摘んでいた人達がいて、

食べ方を教わったのだそうです。

 

おばちゃんはきっと、

公園に遊びにくる人達と話すのを

楽しみにしているのでしょうね。

 

 

 

時の止まった路地

 

お寺から少し歩くと、

公園のふもとに沿って

不揃いな石畳が続く

小道への入り口があります。

 

左側の土手には、

夕日に映える赤紫のヤブケマン。

右側には古い農家。

 

 

懐かしい空気の漂う

この路地に来ると、

タイムスリップした気分になります。

 

入り口が狭く分かり難いこともあり、

元気で活動的だった頃に

この近辺は何度も歩いている母でさえ

この道は初めて来たとのこと。

 

初めてなのに

懐かしい空気の場所。

 

何だかお母さん、嬉しそう。

 

美しい紅梅のある家や、

花が咲いているアケビを見ながら、

夕日に向かってゆっくり歩きます。

 

 

この路地の終端には、

レンゲの花が咲く

田んぼがあります。

その向こうは、神社。

 

お寺から始まって

神社に続く道のり。

 

この日の最終目的は、

母にこのレンゲを見てもらうことでした。

 

 

 

田んぼ~童心を蘇らせる心象風景

 

私が小さかった頃、

自宅から少し離れた所には

田んぼの残る地域がありました。

 

稲を刈った後の田んぼでは、

地力を回復する為に

レンゲ草の種を撒いたのだそうです。

 

植物の中でも、

マメ科は栄養価があります。

 

馬の仕事をしていた時も、

馬達を放牧しておくと大抵は

マメ科かイネ科の植物を

好んで食んでいたのを思い出します。

 

休耕田にレンゲ。

きっとこの風景を見たら、

母も懐かしくて

喜ぶだろうなぁと

思っていました。

 

 

 

案の定。

 

レンゲを片手に、

顔がニヤけてますよ。

お母さん!

 

 

…ね!

子供みたいな良い表情!

 

 

 

今度は、

隣の田んぼにあぜ道を発見。

 

足元は大丈夫?

滑って落ちたら水の中だよ?

 

なんていう私の心配をよそに、

スタスタと慣れた足取りで

あぜ道を歩いて行く母。

 

 

 

あれれ、

コンクリの上よりも速いみたい。

 

キョロキョロと植物を見ながら、

あっという間に行っちゃった。

楽しそうだなぁ。

 

農家育ちですもの、

こういう道の方が

実は慣れているんだよね。

 

 

 

ほら!ここ、

こんなにクレソンあるよ!

 

 

 

うふふ、良かった。

去年は痛みとの闘いで、

花見も出来なかったんだものね。

 

一年間、

思ったように動けずに

元気のない様子をしていたけれど、

 

復活したら

以前よりももっと柔軟で、

自由に日々を楽しむことを

し始めた様な気がします。

 

健康でいる自分を、

心から楽しんでいるのだろうと

思います。

 

 

 

今日、誕生日を迎えた母に、

感謝の気持ちを添えて

この記事を贈ります。

 

 

 

4~5月の営業のお知らせ

 

最後になりましたが、

まもなくやってくる

ゴールデンウィークと

5月の営業のお知らせです。

 

それにしても、

ついこの間お正月だった

みたいな気がしているのですが、

もうゴールデンウイーク!

季節は本当に足早ですね~!

 

 

 

4月中の臨時休業はありませんが、

5月は5日(金)・6日(土)が

臨時でお休みとなります。

 

定休日は毎週水・日曜日です。

 

それ以外は、祝祭日に関わりなく

営業を予定しています。

 

 

 

以前施術を受けて下さった方が、

施術の終了後、

「新車になったみたい!」

と仰っていたことがありました。

 

身体がピカピカの

新品になったような感じがした、

と言うことだったようです。

 

普段は自分のケアに

ちゃんと時間を割く余裕がない!

という方にこそ、

 

連休などの機会を使って、

オーバーホールをするつもりで

全身の調整を受けて頂けたら良いな

と思います。

 

皆さんからのご連絡を、

心よりお待ちしています!

 

 

お節介な鳥と、いたずらな馬~12月と年末年始の営業予定

 

12月もすでに下旬!

 

年末年始の営業のお知らせを

早くしないと~!と思いつつ、

 

一緒にアップしようとしていた

記事がなかなか完成せずに、

今に至ってしまいました~( ;∀;)

 

今年はどうやら

人間に関する臨床例は

上手くまとめられない頭に

なっているみたいです。

 

最後こそはと

思っていたんだけどなぁ。

 

年の瀬も迫って来たので

抵抗するのはやめにして、

ここから年始にかけての

営業のお知らせと、

 

クスッとしたくなる

生き物の可愛らしいお話で

皆さんに和んでいただいて、

今年の締めにしたいと思います(^^♪

 

 

 

年末年始の営業の予定

 

年末までもう少しですが、

ここから先の12月の営業予定を

念のためにお知らせしますね。

 

23日(金・祝)、26日(月)

はお休みとなります。

 

代替として、

25日(日)、28日(水)

は営業致します。

 

年末は12月29日(木)まで、

年始は1月6日(金)からの

営業となります。

 

 

 

ご希望日の当日に

ご予約のご連絡を

頂くことがあるのですが、

 

長丁場の施術で

事前の準備なども必要ですので、

当日のご予約は

お受け出来ない場合が多いことを

ご理解頂けますと幸いです。

 

ご予約の際にはできるだけ

お早めにご連絡を下さいます様に、

ご協力のほどお願い申し上げます(^人^)

 

 

 

世話焼きのジョウビタキ

 

縁側に座り込んで

暖かな日差しの中で

歯磨きをしていた時のこと。

 

3メートルほど先の木の枝に

きれいなオレンジ色の胸をした

ジョウビタキが一羽、止まりました。

 

こちらの目と向こうの目が

正面からバッチリ合いました。

 

お、目が合った。

しかも、両目とも合ってるぞ。

こりゃ~逃げるだろうな。

 

ところが、

歯磨きをしている人間は

攻撃して来ないだろうと

見切ったのかどうかは

分からないけれど、

意外にもジョウビタキは逃げません。

 

むしろ、より近くの木に

飛び移ってきました。

 

 

 

冬のこの時期になると、

庭では椿が咲き始め、

 

南天や百両、

ピラカンサスなどの

様々な赤い実が生り、

 

初春の開花に向けて

ロウバイが蕾をつけ始めます。

 

赤い実もロウバイの蕾も、

鳥たちにとっては

恰好のエサとなります。

 

ジョウビタキは

ピラカンサスの実を

狙っていたようです。

 

ピラカンサスの向こうにある

椿の幹の前を通り、

私の視線から隠れるように

ピラカンサスの葉の茂みの

向こう側に止まりました。

 

人間と目が合っても

動じなかったのに、

椿の幹の前を通る時には

なぜかワタワタ慌て気味。

 

人目を感じたままなので

さすがに焦ったのか、

それともただ単に

不器用だったのか( ^ω^ )

 

何となく人間ぽくって

面白いやつだな~と気になって、

しばらく観察することに。

 

 

 

ジョウビタキの仲裁

 

庭には、他に

2羽のムクドリも来ていました。

 

ほどなくして、2羽は

ギャーギャーと争い始めました。

 

俺のいる枝に来るな、

お前こそあっちに行け、

…的なケンカのようです。

 

なかなか止む気配がないので、

途中で柏手を勢いよく

「パン!」と打ってみましたが、

 

足元で昼寝をしていた柴犬が

半ばビックリ顔で

「お仕事ですか!?」

と起き上がっただけで、

争いに夢中の当事者たちは

気づく様子もなし。

 

「困ったもんだね~。」

と犬と顔を見合わせていると、

 

先ほどのジョウビタキが

地面すれすれに飛んで、

2羽のいる木の下の方へと

移動して行くのが見えました。

 

2羽の方へ視線を上げると、

「チョ、チョ、チョ、チョ。」

と小さく鳴き始めました。

 

(「地鳴き」の中の、

低い音だけを出していたようです。

BIRDER.jp のサイトで鳴き声が紹介されています。↓

http://www.birder.jp/featureprograms/2015-01/2015-01-2.htm

 

何やってんの~、

ちょっと止めなよ~、

…的な感じ。

 

ムクドリと言えば

ジョウビタキの倍はあろうかと言う

身体の大きさ。

 

もし2羽のケンカに

巻き添えでも食ったら…

なんてことは、

ジョウビタキは考えていないようです。

 

勇敢と言うか

正義感が強いと言うか

向こう見ずのお節介と言うか(^▽^;)

 

関係のないことなのに、

わざわざ近づいて行ってまで

首を突っ込むとは。

 

でも、

小さく低い声で鳴いて

穏やかに話しかけるなんて、

気遣いも感じられます。

 

しばらくの間、

彼は小さく鳴き続けながら

2羽の仲裁を試みていましたよ。

 

平和や調和を

愛する鳥なんじゃないかなぁ、

きっと。

 

…さてさて。

いい加減に歯磨き粉も

流しに行かなくちゃ!(^▽^;)

 

 

 

ニワトリと馬の心理ゲーム

 

ジョウビタキの

思いやり溢れる場面を見ていて、

ふと昔見た光景を思い出しました。

 

まだ馬専門の牧場に

勤めていた頃のこと。

 

当時牧場にいた馬たちは

いずれ劣らぬ個性派ぞろいで、

 

丸太の様な胴体を

左右に揺らしてのっしのっし歩く

食いしん坊のおばちゃん馬とか、

 

狭いところが怖いのに、

超がつくほど真面目過ぎて

拒否することも出来ず、

鼻をフーフー言わせながら

一生懸命に狭いところを

通る馬とか、

 

とにかく色んな

面白くて可愛らしさのある

「濃ゆい」馬たちがいました。

 

 

 

源太は、馬のくせに

サラリーマンっぽい、

と言われていました。

 

どういう事かと言うと、

 

翌日も仕事があるから

目いっぱいやらない、

と言うことを

モットーにしている感じです。

 

重種の血が混ざる彼の馬格は

大きくてしっかりしていて、

与えられたお仕事は

真面目にやっているんだけれど、

 

いつもどこか余力を残していて、

お~い、一生懸命やってる!?

とついツッコミたくなる…(;・∀・)

そんなところのある馬でした。

 

 

 

ある日、

源太の小屋の窓枠に

ニワトリが止まっているのが

目に入りました。

 

何となく気になって

見ていると、

 

小屋の中にいる源太が

ニワトリの正面に立って、

 

ニワトリを鼻で

ツンと突つきました。

 

ニワトリは正面から押されて

バランスを崩し、

オトトトト…と

羽をバタつかせます。

 

のけぞった姿勢から

何とか立ち直ると、

まっすぐ止まり直しました。

 

それをじ~っと見ながら

待っていた源太は、

起き上がったニワトリを

再びツン。

 

オトトトト…。

 

 

 

羽をバタバタしながら

再び体勢を立て直し、

起き上がるニワトリ。

 

…源太はと言えば、

またもやツン。

 

オトトトト…。

 

ツン。

 

オトトトト…。

 

以下、繰り返し。

 

 

 

思いがけない場面を

目撃した私は、目がテン。

 

作業の途中だったので、

このやり取りの結末は

残念ながら見届けることが

出来なかったのですが、

 

目撃していた間だけでも

かなりの回数、

この起き上がりコボシ運動は

繰り返されていました。

 

 

 

小屋の窓枠の下には

飼桶が下がっていましたから、

 

ニワトリは

源太のご飯の残りを

漁りに来たのだろうと思います。

最初は。

 

それが

どういう風の吹き回しか…。

 

 

 

押されて嫌なら

ニワトリは逃げれば良いですし、

 

食事を狙われて嫌なら、

ニワトリが体勢を戻す前に

源太は何度だって

ツンと突っつく余裕がありました。

 

それに、突き方そのものを

もっと強くすれば、

ニワトリは簡単に

地面に落ちたでしょう。

 

あれは、源太に

知性と優しさがなければ

出来ないことだったと思います。

 

そして、お互いに

結構楽しんでいたんだと

思うんです。

今考えても。

 

 

 

ニワトリが

落ちるか落ちないか、

そのギリギリの力で押す。

 

押されたニワトリも、

懸命に戻ってくる。

 

ここで起きていたことは

傍から見れば

源太のいたずらなんだけど、

 

彼らの間には、

思いやりとか楽しさの共有

みたいなものがあったからこそ、

飽きもせずに何度も何度も

繰り返していたんじゃないかな

と思うんです。

 

ニワトリは後ろ姿だったから

表情は見えなかったけれど、

彼が起き上がって来るのを

見守る源太の目には、

 

「あ、戻って来た」

…的な感じで、

普段のサラリーマン源太にはない

楽しそうな色が

浮かんでいましたもの。

 

 

 

むすびに代えて

 

今年は年明けから

動物と関わることが

多い一年でした。

 

子供たちと交流する

お仕事をしているポニー達の

メンテナンスをさせて頂く

機会に恵まれたり、

 

足が変形して

跛行していた老齢馬に

定期的な施術をしたり、

 

チビ助の頃から知っていた

知人の猫が旅立ちの時を迎え、

その最期の3日間、

ヒーリングをさせて頂く

機会を頂いたり。

 

 

 

施術を受けている彼らが

時には寝落ちして、

行儀よく揃えて伸ばした前足に

きっちり乗せていたはずの小さな頭が

不覚にもカクッと横に滑り落ちたり、

 

鼻面を下げた状態で

ウットリと寝入ってしまって、

気づいたら長い鼻先が

すっかり地面にくっついていたりと、

 

心から施術を楽しんで

リラックスしてくれている

彼らの姿を目にして、

 

施術をすることの喜びと意味を

私も改めて感じた一年でした。

 

あ。

言葉を超えたところで

動物と交流していたせいで、

人間の臨床について

思考がまとまらなくなってたのかも~(^▽^;)

 

と言うのは半分本気ですが、

臨床で私自身が体験し、

目撃する「奇跡」を、

来年はもっともっと

表現していけたら良いなと思います。

 

 

 

それでは。

みなさんもどうぞ、

良き新年をお迎えくださいね。

 

今年も最後まで

お付き合い下さいまして、

ありがとうございました(#^.^#)

 

 

 

自然に倣って、草花を活ける~9月の営業予定

 

長く暑い夏を

ふぅふぅ言いながら過ごして来て、

やっと9月!

でも、まだまだ暑さは続きますね~。

 

すっかりブログの更新が伸びてしまい、

ほぼ2か月ぶりと

大変お待たせ致しました!

 

中には、neMu no ki は

活動しているんだろうか?と

心配して下さっていた方も

いらっしゃるかも知れませんが(^人^)

 

 

 

その人の歴史に触れる臨床

 

今年は年明けから、

ブログではなく施術のレポートとして

文章を綴って来ました。

 

今年は人だけでなく、

動物に施術をさせてもらう機会にも

何度か恵まれたのですが、

 

人にしても動物にしても、

一回一回の施術で触れるのは、

その存在の生きて来た

「蓄積された時間」そのものであり、

言わばその個人や個体の歴史です。

 

それはいわば一回一回の施術が、

それぞれ異なる存在を対象とした

フィールドワークになっている様な

感じでもあります。

 

そうした

重みと深みを持つ臨床を通して、

感じたり理解した体験の

できるだけ全ての側面を

言葉にしようと試みました。

 

それは、私自身が臨床を経験する中で、

「身体」は単なる物質ではなく、

私たちという存在の表現そのものであり、

身体が示す現象や事柄はすべて

私たちそのものである、ということを

理解するに至った為です。

 

だから、出来るだけ

その理解が生じた現場を

その時のままの形で

皆さんと共有できたらと、

そんな風に思いう内に、

レポートとしてのボリュームを持った

文章になって行きました。

 

 

臨床の一部始終を

筋道の通った文章として

再編成し直すのは、

予想以上に骨の折れる作業でした。

 

この作業に何度か挑戦した後、

文章を書く気力をすっかり

使い果たしたのでしょう、

 

ぷっつりと、書こうとする意欲が

途絶えてしまいました(^▽^;)

 

 

感覚や観察を通じて

感じ取ったり理解した事柄と言うのは

さながらプリズムのようなもので、

 

それは、文章にしたり

言葉に置き直そうとした時の

自分の意識の在り方や、

自分の意識の成長の度合いに応じて、

当初とは全く異なった意味合いを

持つものに見えて来たりもするものです。

 

その為、その体験を振り返る度に

それまでとは違う

解釈や気付きが出て来たりもします。

 

一つの体験が与えてくれる

様々な方向におよぶ豊かな気づきは、

体験した本人にとっては

どれ一つとっても重要です。

 

一つの骨子に沿って文章を書く時、

様々な方向に伸びた体験の枝葉は、

打ち落として行かなくてはいけません。

 

それはあたかも、自分の内側の世界で

バサリバサリと刀を振るって、

切った張ったの騒ぎを

やっているようなもので、

 

自分自身の内なる豊かさを

自ら削いでいく作業でもありました。

 

「言葉」はある意味、

本当に刃物なんですよね。

 

だからこそ、思った以上に

エネルギーを消耗したのだと思います。

 

 

こうして、

書くことに向かえなくなった自分を

見守りながらいる内に、

7月は書ける題材が浮かんで来ました。

でも8月は、復活ならず。

 

一旦頑張り過ぎてしまうと、

復活には時間がかかるものです。

 

9月に入ってから

ここ数日でやっと、

書こうかなという気持ちが

少し戻って来た様に感じます。

 

と言う訳で、性懲りもなく

臨床に関する話を少し

書き始めたのですが、

まとまるにはもう少し

時間が必要そうです。

 

もうすでに

9月は始まっているので、

今回のブログではまず

営業日のお知らせをしなくては。

それと、

 

neMu no ki の院内には、

いつも小さな活け花が二つ

飾ってあるのですが、

 

「どうしたら、

こういう風に活けられるの?」

とご質問下さるクライアントさんが

嬉しい事に結構たくさんいらっしゃいますので、

 

今回は、

野の小さな花を可愛く

バランスよく活けるコツについて、

写真を使いながらご紹介して行こうと思います。

(沢山の蚊に追い掛けまわされながら、

必死に撮影して来ましたヨ~!( ;∀;) )

 

 

 

9月の営業予定

 

9月は、10日と24日の土曜日、

27日の火曜日とが、

臨時でお休みとなります。

 

その代替日として、

ご要望に応じる形で

18日(日)と21日(水)は

営業を予定しています。

 

それ以外は、通常通りの営業です。

定休日は毎週水・日曜日、

祝祭日も、水・日以外は営業致します。

 

営業時間は11時~20時、

施術の最終受付は17時となります。

 

(集合住宅の一室ですので、

まわりへの影響を考慮して

最終受付は早めとなっています。

 

17時ではどうしても難しいという

ご事情がある場合には、

遠慮なくその旨をご相談ください。)

 

 

 

自然の中に在るが如く

 

花は、野にあるが如く。

 

これは、
茶花を活ける時の心得だそうで、

 

花を活けるコツと言えば

究極的にはこの一語に尽きるだろうと

まずは念頭に置いて頂いて(#^.^#)

 

今は、野辺や山道だけでなく、

住宅街の公園などでも

咲いている草花を摘むことは

禁止されている所が

多いかも知れませんが、

 

シチュエーションはともかくとして、

何種類かの花が咲いていて、

その中から花材を選んで

活ける場合を想定して

説明をして行きますね。

 

 

 

花は、生命力に余裕のあるものを選ぶ

 

まず一輪、

メインになりそうな顔をしていたり、

メインにしたいなぁと思える花を

選びます。

 

秋なので、

ホトトギスを選んでみました。

ホトトギス(地植え)

 

 

選ぶ際には、花弁の開き具合や

枝と花の角度などをよく観察します。

 

枝が曲がっていたりすると

後で他の花と合わせにくく、

活ける際の難易度が上がります。

 

花弁は、出来るだけ

きれいなものを選びます。

 

開き切っているものよりは、

まだ完全なる開花に

余裕を残しているものの方が

望ましいです。

 

開き切っている花は

花の持ちが悪いことが

多い為なのですが、

 

観る人にとっても、

生命力に余裕のある花の方が

観ていて元気になる感じがしたり、

ほっとする感じがあります。

 

「その花を目にする事で

自分はどんな感覚を感じるか」

ということを

意識的に認識しておくことは、

花を活ける上ではとても

重要になって来ます。

 

ちなみにホトトギスは、

私の個人的な印象ではありますが、

ひっそりと木陰に咲くけれども

凛として一本芯の通っている様な、

強く可憐な雰囲気の花に見えます。

 

それは、

ホトトギスの生えている場所から、

花の形や色味であったり、

枝のすーっと真っ直ぐ伸びている様子、

植物を構成している組織の強さまで、

 

ホトトギスの様々な特徴が

感覚的にまとまった形で受け止められる事で、

おのずとそうした印象に

見える様になるのだろうと思います。

 

メインの植物は、

葉の存在も大切です。

 

形の良い、合わせやすい葉を選び、

花の長さに合わせて添えます。

 

左手の中で、

花と葉のバランスを決めます。

ホトトギスの花と葉を、左手の中で合わせる

 

自然に咲いている状態で見ると、

ホトトギスの花の位置は

葉よりも高いというだけでなく、

うっそうと茂る葉群(はむら)から

伸びあがる様にして咲いています。

ホトトギスの枝ぶり

 

そのニュアンスを

殺さない様にして葉を添えると、

しっくり感じられるバランスを

見つけ易いのではと思います。

 

 

 

異なる花を合わせる:「空間」の中の関係性

 

ホトトギス一輪でも

十分に素敵なのですが、

もう少し賑やかにして行ってみます。

 

花を取り合わせる時に

「難しい~」と感じる方は、

「まとまり」のあるバランスを見つける事に

難しさを感じているのではないかと思います。

 

枝の伸び方や

花の付いている角度など、

同じものは一つとしてありませんよね。

 

それぞれ個性を持っている植物を

上手く合わせるには、

 

植物が「空間」をどの様に使っているか

と言う視点でもって、

メインの植物をよく観察してみます。

 

「空間」が把握出来たら、

その中でそれぞれの植物が

居心地の良い配置を見つけるようにすると、

植物同士の関係性には自ずと秩序が現れ、

調和して見える様になります。

 

 

具体的にやっていってみますね。

 

まず、ホトトギスの形を確認します。

 

茎から花にかけてのラインは

右に弧を描いており、

右下に空間があります。

 

ホトトギスをメインにするなら、

ホトトギスよりも前に配置するのは

ホトトギスよりも小さい植物、

 

ホトトギスよりも大きいものは、

後ろに配置します。

 

小さい植物は

ホトトギスの懐に入れる様なイメージで、

右下に開いた空間に配置します。

花のバランスをみる

 

ふたたび自然の状態を考えると、

隣り合って生息している植物は、

互いに枝葉を伸ばす領域を

調節し合っています。

 

中には精力が強いのでしょう、

他の植物のスペースをすっかり

侵食してしまうものもいますが(^▽^;)

 

長年、同じ場で

他の植物たちと共生しているもの達は、

 

枝葉が擦れて傷つくことのないよう、

相手が伸ばしている所は避けたり、

互いに伸ばし方を加減しながら、

上手く生きる術を知っている様です。

 

他の花を合わせる時には、

メインの植物が

空間を解放している部分を見つけ、

そこに配置してあげるようにすると、

植物は互いのスペースを邪魔することなく、

一緒に、心地よくいられるようになります。

 

 

 

加えたい要素を見つける

 

下の空間に配置する植物を、

ひとまず2種類選んでみました。

合わせる花のバランスを見る

 

ラベンダーに似ている花は、

ブルーサルビアの、まだ蕾です。

 

枝の枝垂れている濃い紫の花は、

デュランタ。

宝塚と言う品種名がついています。

 

花の大きさや量、

枝垂れの強度などによって、

どちらの植物も

華やかさが変わります。

 

地味目のホトトギスと比べて

目立ちすぎない様に、

適度なものを選びます。

 

 

う~ん。

紫だらけダ~!(^▽^)

 

3種類ともどちらかと言うと

シュッとした姿の細身の植物ですし、

何となく少なくて、寂しい気がします。

 

と言う事は。

色味に幅を持たせて、

全体的にボリュームが増すと、

雰囲気がだいぶ変わりそうです。

賑やかになって楽しそう!

 

 

ボリューム感があって、

賑やかな色の植物…

(と唱えつつ、庭の花を物色。)

 

あった!

オミナエシ。

オミナエシ

 

ちょっとくさいのが

玉にキズなんですけどね、

秋らしさもありつつ、

華やかで可愛い花です。

 

オミナエシは本当は

ホトトギスよりも背丈の

高い植物なのですが、

 

これだけのボリュームだと

ただでさえ目立ってしまうので、

一番下の方へ配置します。

 

足元の方に

ボリュームのある花を持ってくると、

花器の中にいれたオアシスも

上手く隠すことが出来るので、

一石二鳥です。

花器とオアシス

 

ちなみに、この写真の

注ぎ口のある小さな器は、

元々食器として作ったものを

花器として使っています。

 

中に入っている

緑のスポンジ様の物体がオアシス。

 

ダイソーなどの100均に行くと、

ガーデニング用品の売り場に

置かれています。

 

小さい花を活けるのに適した

丁度良い花器というのは

なかなか見かけないかも知れませんが、

 

例えば

小さな香炉と小皿を合わせるなど、

アイデア次第で使えるものが

きっとお家の中にあると思います。

花器の一例

 

月見ウサギの小皿の

真ん中にあるのは、

ウサギの香炉。

 

重さのある植物を立てると

倒れてしまうのですが、

ささやかに活けても十分、

存在感があります。

ほら、ね!

ウサギ香炉を使ったミニ活け花

 

 

 

仕上げ:「あそび」を持たせる

 

花の取り合わせは、大体これで

ヨシとして。

 

でもね、何となくこれだと

アソビが足りない感じがするんですよね。

 

ちゃんとした顔の植物ばかりで、

風が吹いて来ても

そよとも揺れなそうな…。

 

そう考えると、

そよっとそよぐものは

決して花じゃないんですよね。

葉っぱの方です。

 

葉っぱも観察すると、

色んな印象のものがあって、

しかも活け花全体の雰囲気を

かなり変えてくれます。

 

丸い葉っぱは全体の雰囲気に

柔和さや可愛らしさを与えてくれるので、

個人的には好きでよく使います。

 

ここでは、

風の軽やかなニュアンスを

上手く表現してくれる葉っぱが

あると良いなぁ。

姫ススキ

 

これは、姫ススキ。

細くて強い葉っぱで、

先端まできれいに伸びています。

 

先端の方が枯れて来ているものは、

そこだけくるんと

美しい弧を描いていて、

「あそび」の感覚を与えてくれます。

姫ススキノ葉を添えて、ニュアンスを出す

 

 

姫ススキはシューっと立ち上がってるから、

風と戯れると言うよりも

凛と自立している感じカモ(^▽^;)

まぁ、それもヨシです!

 

少し客観的にバランスを観てみて…。

ふむ。

花が右に偏っているかな。

もう少し緑が多い方が

「自然」の感じに近いかも。

 

今度こそ、軽やかになったかな?

もみじを選びましたヨ。

モミジと姫ススキを添えて

 

ここまでバランスが決まったら、

これを仕上がりのイメージとして

覚えておきます。

 

あとは花器の大きさに合わせて

茎の長さを切り、

イメージに則して

オアシスに挿して行きます。

 

花を挿す際には

花を選んだ時と同じ順番で行うと、

イメージ通りのバランスを

保ちやすくなると思います。

ホトトギスにオミナエシ

 

 

もし花瓶に生ける場合は、

花瓶の口が大きすぎると

せっかく決めたバランスが

崩れてしまうので、

 

花瓶に生ける前に

花の根元を針金でまとめます。

これも、100均で

園芸用の緑の針金を入手できますよ~!

 

 

 

見えないものを見る訓練

 

自己流ながらも

お店の花を活け始めておよそ8年。

 

花を活けることって、

植物同士を取り合わせて

その中に自分なりの「調和」を

再現する事なんだと思うんです。

 

そして、花を活けることって、

実は人間を視ることと

同じじゃないのかなぁって思います。

 

「関係性」は目には見えませんが、

 

お互いのほんのわずかな距離感や

ほんのちょっとした言葉掛けや、

一見些細に思えることが

見えない関係性を作るうえでは

すごく重要な要素になっていたりします。

 

それを、植物の間にも

感じ取ることが出来るか。

 

花を活けることが、

実は施術者としての自分にとって

感覚を育てるための大切なトレーニングに

なっているなと思うんです。

 

 

秋は沢山の花が咲く季節。

「この花は可愛いなぁ~。」と

思わず目を惹かれた時には、

ぜひ時間を作って

植物と向き合ってみて下さいね!

nemu-ウキウキ

 

 

 

 

「形態」と「性質」~ドクダミの個性 /6月の営業予定

 

みなさん、お元気にされていますか~?

DSC_0002_27

5月で真夏日があったかと思えば、

6月に入ってからは一転、

朝晩が肌寒く感じる様な天候が

続いていますね~。

 

ピカピカに笑うお日様の

顔を見ることもなく、

いつのまにか本格的に

梅雨入りしてしまったそうでして、

ちょっと寂しいなぁ( ;∀;)

 

6月に入ってすでに1週間。

営業予定をお知らせするのが

またしても

遅くなってしまいましたが、

DSC_0002_25

その前に、少し

この時期の植物のお話を。

 

 

 

「光」を体現する植物

 

梅雨の季節と言えば、

何と言っても

紫陽花にカタツムリ。

 

一昨年のこの時期は、

紫陽花の「色」について

ちいさなお話を書きました。

https://inemurino-ki.com/2014/07/28/colour-hydrangea/

 

紫陽花の花の色は、実は

モザイク状に様々な色が

点々と混ざり合うことで

構成されているそうなんです。

玉あじさいー3-1

 

これってちょうど、

スーラを代表とする

新印象派が描いた様な

点描画の仕組みと

同じなんですよね。

 

Georges_Seurat_-_Un_dimanche_après-midi_à_l'Île_de_la_Grande_Jatte-PublicDomain

ジョルジュ・スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』 (図引用:Wikimedia Commons “File:A Sunday on La Grande Jatte, Georges Seurat, 1884.jpg” / パブリックドメイン)

 

物体そのものではなく、

そこに降り注ぐ「光」を描き、

それによって

光が物体に与える躍動性を

描き出す事を可能にした

点描の手法が、

 

実はすでに自然界の中に

紫陽花という形を取って

実体化していたなんて。

 

自然が凄いというべきか、

画家たちが天才だと言うべきか。

 

ちなみに、新印象派の

点描の理論的土台となっていたのは

ゲーテの色彩論だったそうです。

(参照:Wikipedia『新印象派』

 

現象を詳細に観察する事で、

恐らくは直観的に

自然界の仕組みを

深く理解していたゲーテは、

だからこそ天才なのでしょうねぇ。

 

それにしても、

お日様の力が不安定になる

この梅雨の時期に、

 

光の仕組みを体現する

紫陽花が盛りを迎えるというのも、

 

何だか深淵なる意味が

あるような気がします。

 

 

 

「形態」から知る、植物の個性

 

でもって、

今年の梅雨は何を書こう?

 

そんなことをぼんやりと

考えながらいたら、ふっと

ドクダミが浮かびました。

 

どこにでも生えていて、

気付くと増えている、

アレであります(^▽^;)

 

紫陽花だけでなく、

ドクダミにとっても

今は盛りの時期。

 

匂いが独特だからなのか、

地味な姿だからなのか、

どうも大事に扱ってもらえない

日陰の存在ですが。

 

ドクダミ的には

半日陰の環境が好みの様なので、

実は日陰の存在で

願ったり叶ったり…

だったりして。

 

 

でも、個人的には

結構好きなんですよね、

ドクダミ。

ドクダミ―1

 

引っこ抜いても引っこ抜いても、

ちぎれた部分からでも

蘇生して行くという

ゾンビ顔負けの逞しい生命力や、

(褒めてますとも。)

 

地下茎でどこまでも伸びて

思い掛けぬところから顔を出す、

その根回し力と神出鬼没さ。

(くどいですが、褒めてますヨ。(^▽^;))

 

力まずに着々と

自分の足場を固めて行く辺りは、

生き方として大いに

見習うべきものがあります。

 

 

通常のドクダミは、

花弁に見える

4枚の白い総苞そうほうと、

中央に黄色い芯を

持ちます。

 

中には、総苞部分が

幾層にも重なった形の、

いわゆる八重咲きのものもあって、

 

こちらは

ドクダミと言うのは

もったいない程、

可憐な姿なんですよ~!

八重咲きドクダミ-2 (2)

 

総苞は苞葉とも呼ばれ、

元々はつぼみを包んでいた葉です。

 

正真正銘の「花」は、

実は中央の黄色い芯の部分。

花穂かすいと言って、

小さな花が寄り集まっています。

 

サトイモ科の

ミズバショウや

ザゼンソウなんかも

似たような構造をしています。

 

ひょっとして

サトイモ科と近いの?

 

調べてみたら、

全然違ってました~(;^ω^)

 

でも、ドクダミ科は

モクレン類のコショウ目で、

コショウとは近い間柄。

へぇ~、何だか意外!

(参照:Wikipedia『ドクダミ科』

 

ちなみに、

コショウには総苞はなく、

細長く垂れ下がる

花穂だけなんですね。

 

下の図の中では、

白いヒゲのように

ヒョロンと伸びています。

 

図中の一番左下に、

花を拡大したものが描かれています。

(図引用:Wikimedia Commons "File:Piper nigrum drawing 1832.jpg" /パブリックドメイン)

(図引用:Wikimedia Commons “File:Piper nigrum drawing 1832.jpg” /パブリックドメイン)

 

「花」にも、

実に多種多様な形態が

あるんですよねぇ。

 

小さく密集して咲くと言う事は、

ターゲットにしている虫が

小さいと言う事でも

あるのでしょうね。

 

環境と、他者との関係性に応じて

自己の在り方を選択して行くのは、

どの種類の生き物にとっても

同じことなんですよね。

 

 

ドクダミは、

つぼみを守っていた葉を

総苞と言う形で大きく広げて、

目を惹くような十字形と純白へと

変化させて行くのですから、

 

半日陰が好きと言っても

決して控えめではなくて、

しっかり自己主張する

植物でもあるわけです。

 

それに加えて

花は花穂として

小さく密集させていますから、

守りも手堅い。

 

ふぅ~む。

いかに、生命力と共に

サバイバル力にも

長けているか、ですよねぇ。

ドクダミ

 

 

施術を通して

クライアントさん達の

身体を視ていると、

 

身体の「形態」と言うのは

その人の存在の在り方

そのものなのだなぁと

つくづく思います。

 

これはきっと、

植物でも動物でも

同じことだと思います。

 

決して科学的なアプローチでは

ありませんけれど、

 

姿かたち、「形態」から

受け取った印象と言うのは、

 

その存在の性質について

かなり正確な理解を

与えてくれると思うのです。

 

それに、印象は

直観的なものですから、

思っている以上に

正確で統合的な理解へ

導いてくれるのだと思います。

 

 

 

ドクダミの原産地は

日本を含めた東アジアで、

 

日本の書物の中では

平安時代から

ドクダミに関する記載が

あるそうです。

 

この頃には

蕺あるいは之布岐と書いて

シブキと呼ばれており、

 

現在のような

ドクダミという名称は、

江戸中~後期ごろからと

考えられている様です。

(参照:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1067471095

 

この名前の由来には

幾つか説がある様ですが、

 

一番信憑性がありそうだなと

個人的に感じたのは、

「毒矯み」説。

(参照:Wikipedia『ドクダミ』

 

矯めるとは

矯正するということで、

毒の効力を弱める

という意味になります。

 

生薬や漢方薬としては、

解毒はもちろんのこと、

整腸、利尿、緩下の作用を

発揮します。

(参照:http://www.yanagidou.co.jp/syouyaku-yakusou-jyuuyaku.html

 

これらは全て、体内から

排毒を促す作用なわけです。

(漢方では、魚腥草、

生薬としては十薬と呼ばれます。)

 

 

ちなみにドクダミの

学名はと言うと、

Houttuynia cordata。

 

Houttuynia は、

18世紀のオランダの

医師兼植物学者の名前だそうですが、

(参照:http://www.hana300.com/dokuda.html

 

cordataは、心臓型の、

という意味だそうです。

 

ドクダミの葉は、

まさしく心臓の形。

 

奇しくも

ドクダミに含まれている

化学成分の作用を見ると、

血管強化や血管の弾力性を

保つ効果があったり、

 

ドクダミ自体の効能としても、

動脈硬化の防止や

高血圧の予防などが挙げられ、

(参照:http://www.yanagidou.co.jp/syouyaku-yakusou-jyuuyaku.html

 

循環器系、つまり

心臓とはかなり

関連が深いのが分かります。

 

 

形態は、性質を現す。

 

いやむしろ、

性質が形態に

現れ出てくるのんじゃ

ないのかなぁ。

 

 

 

6月の営業予定

 

ではでは!

最後になりましたが、

営業日のお知らせです。

 

もうすぐの事なのですが、

6月は9日(木)~11日(土)の間

臨時でお休みなります。

 

実はですね、

山口県を訪れて参ります!(#^.^#)

 

今回は研修などではなくて、

自分のルーツを知る為の

純粋なる旅行です。

 

山口は、私の家系を構成する

土地の一つなんです。

 

とは言え、山陰地方に

足を踏み入れること自体、

まるっきり初めて。

 

きっと関東とは

流れている時間の速さや

空気の穏やかさなどが、

違うんじゃないかなぁ。

 

検索してみると、

高杉晋作ばっかり

出て来るんですけどね(^▽^;)

 

自分の身体の中に

どんな性質を持つ

エネルギーが流れているのか、

 

その一端を

感じ取って来れたら

良いなぁと思っています。

 

 

それ以外の日程については、

いつも通りの営業となります。

 

定休日:毎週水曜日・日曜日

営業時間:11時~20時

(最終の予約受付は、17時とさせて頂いております。)

 

臨時のお休みの分、

定休日でもご希望がありましたら

開院しようと考えています。

 

ご要望がある方は、

どうぞお声を掛けてみて下さいね!

 

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グリーンフィンガーの庭 ~4月と5月の営業予定

 

 

4月も早々と3分の1が過ぎて、

桜の時期もすっかり終わりを迎えましたね~。

 

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桜散る、くにたち大学通り

 

今月は記事の投稿が遅くなりましたが、

みなさま、お元気ですか~?(^o^)

 

前回、前々回と

馬に関する記事を書いて来まして、

今回も残すところあと1頭、

ポニーの施術についての記事を

ご紹介する予定でいました。

 

無理をせずに、

文章が浮かんだら書く、

書きたいという意欲が湧いた時に書く。

 

訳あって、そんなことを

意図的にしていたんですが、

そうしたら、1ヵ月では

書き終わりませんでした(^▽^;)

 

なので、今回はちょっと横道。

これまた1年ぶりになるのですが、

植物についての記事と

今月と来月の営業予定について

ひとまずアップ致します!

 

 

4月と5月の予定

 

早くも、4月の末からは

ゴールデンウイークが

始まるんですね!

 

neMu no ki は、

世間の祝祭日に関わりなく

定休日の水・日以外は

営業する予定です。

 

とは言え、

きれいに青空が広がる予報で

しかも予約が入っていない!

なんて日があったりすると、

 

お店を飛び出して

自然の中に充電しに行く可能性も

十分に考えられます(#^.^#)

 

ご予約の際には

店主の身柄をつかまえられる内に(^▽^;)

なるべくお早めに

ご連絡くださいませ~!

 

 

4月は、11日以降は

臨時休業の予定はありません。

5月は、21日(土)が

臨時休業になります。

 

 

 

グリーンフィンガーの庭

 

【丹葉桜/ニワザクラ】中国より江戸時代に渡来したと考えられているバラ科の植物。(参照:http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/niwano-hana-april.html)

【丹葉桜/ニワザクラ】中国より江戸時代に渡来したと考えられているバラ科の植物。(参照:http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/niwano-hana-april.html)

 

店主の母親は

植物とお話が出来る人でして、

 

(本人が、大真面目に

そう言うておりまして。

 

わたくしめも、

そりゃそうだろうねと

これまた大真面目に

思っておる次第です(*^^) )

 

消え入らんばかりに

元気をなくしている植物でも、

 

その個体に合う適所を

探し出して植え付けると、

 

3年も5年も気長に待ちながら

見事に花をつけるまでに

回復・成長をさせてしまいます。

 

植物と仲の良い

そうした人のことを、

グリーンフィンガーと呼ぶのだと

教えてくれたクライアントさんが

いましたっけ。

 

今や、母親が管理する

店主の自宅の庭には、

200種類以上の植物が

それぞれに環境に適応しつつ

のどかに生息しています。

 

【デショウジョウ/出猩々】

【デショウジョウ/出猩々】 新芽~若葉が美しい赤色のもみじ。名称は、能の演目「猩々」に由来。めでたい演目で、赤髪に赤衣の猩々が酒を飲み、舞いを舞う。猩々は中国を起源とする精霊のような獣のようなものらしく、七福神に加えられていた時代もあったという。 (参照:①http://komorebit.exblog.jp/9635293/ ②http://www.kyosei-tairyu.jp/shichifukujinn/donnna/14.html)

 

 

neMu no ki に毎日活けている

小さな花々は、

そうして育ってきた

植物たちです。

 

わが母親から

丁寧に見守られ、

 

おのおのの物語が

母の中でいきいきと

生き続けているからなのでしょう、

 

彼らは一つ一つ、

はっきりとした存在感を

持っているように感じます。

 

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【白梅の実】 年始に花をつけていた白梅が、春と共に実をつけ始めました。 この樹は、店主よりもこの家に居る年数がほんのわずかに長く、今年で齢42。おばあちゃんが駅前で1800円で買って来たのよ~、と母。よく覚えてるなぁ(^▽^;)

 

 

neMu no ki の空気を作り出す花たち

 

花を摘む時には、

彼らの生命力の結晶を

頂いている気持ちになるので、

出来る限りの注意と敬意を払います。

 

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【白雪芥子/シラユキゲシ】薄暗い木の陰にひっそりと佇んでいるのに、思わず目を惹かれる可憐な姿。でも、日影が大好き。ケシ科の植物で、別名スノーポピー。水分の多い細い茎を折ると、明るいオレンジ色の液が出て来る。中国では血水草と呼ばれ、全草を乾燥させたものは生薬として黄水草と呼ばれる。(参照:https://minhana.net/wiki/シラユキゲシ(スノーポピー) )

 

まずは植物全体の

バランスを観てみて、

 

摘むことでかえって、

 

全体の形のバランスや

その形の中を流れる

エネルギーの循環が、

より良くなりそうな所に

咲いている花であることや、

 

また、その花の枝ぶりや

咲いている姿そのものに

風情があることなどを基準にして、

花や枝を選びます。

 

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【白花万作/シロバナマンサク】 洋名をフォッサギラ・マヨールと言い、アメリカ南東部(アラバマ州の辺り)に生息する落葉小低木。花弁に見える白いブラシ状の部分は雄蕊が密に生えたもので、花弁は持たない。(参照:http://hanazukan.hanashirabe.com/xs.php?fid=c0690)

 

選びながら、

「摘ませてもらっても良いですか?」

と、花に問いかけます。

 

その時に、何となく

視線の合わない感じのする花は、

摘むのを止めます。

 

【ツルニチニチソウ】俗にツルキキョウと呼ばれるが、同名の別の植物がキキョウ科にあり、2センチの小さな花を付ける。写真の花は6~7センチあり、本来の名はツルニチニチソウ。同じ種族のほとんどが毒を持つというキョウチクトウの仲間で、こちらのお方にも、アルカロイド系の毒があるそうな…。(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/ツルニチニチソウ)

 

正面を向いて、こちらに

まっすぐに視線を返してくれたり、

時にはニコニコと笑ってくれる花に、

「ありがとうねぇ。」とお礼を言って

摘ませてもらいます。

 

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釣り鐘型をした薄い緑の花は、バイモ属(貝母)のアミガサユリ。貝母とは、玉ねぎのように層状の根(鱗茎)を地下に二片持ち、それらが互いに貝のように接していることに由来する名。黄色い花は、ウンナンオウバイ(雲南黄梅)。モクセイ科ソケイ属と言って、ジャスミンと同じ種族。紫の玉っころが寄り集まっている花は、ムスカリ。元々の原種にはムスクのような香りがあったことから、この名があるそう。(参照:ウィキペディア内の各植物名)

 

そうやってneMu no ki に

来ることを承諾してくれた花たちが、

 

今度はここで、

クライアントさん達を快く

お出迎えしてくれています。

 

委ねること、受け取ること~犬の症例から / 1・2月の営業予定

 

 

2016年が明けて、

今回が初めてお送りするブログです!

 

いや~、大変遅くなりました!(^▽^;)

暖かかったお正月休みはどこへやら、

 

今週週明けの突然の大雪を経て、

急に真冬の寒さになりましたね~。

 

 

お正月休み、

みなさん良い時間を過ごされたでしょうか?

 

春のように暖かい日が続いていたので、

外に居ても気持ち良かったですよね~!(^^♪

 

私のお正月も、

お陰様で充実していました!(#^.^#)

 

年明け早々に、2頭のポニーに

施術する機会を頂いたんです。

 

 

動物への施術は、

以前勤めていた牧場に押しかけて行って

自分から馬の施術をさせてもらったことは

何度かありましたが、

 

依頼を頂いて施術する機会はなかなか無いので、

嬉しかったです~!

 

ポニー達への施術は

とても面白く意義深いものだったので、

皆さんにも是非ご紹介できたらと

記事を作成中です。

 

本当はデスネ、

新年のご挨拶と一緒に、

記事をアップしたかったんです。

 

でも、重要な要素が多すぎて、

思っていたよりも文章をまとめるのが

難しいのでアリマス(^▽^;)

 

煮詰まるまでに、

もうしばらく時間が必要そうなので、

 

まず今回は、1・2月の営業予定と、

ポニーへの施術の後で行った

我が家の犬の症例について、

お話をさせて頂こうと思います。

 

 

そして、

本当に本当に遅くなりましたが、

どうぞ皆さま

本年もよろしくお願い致します!(*’▽’)

 

 

 

1月と2月の営業予定

 

 

1月も2月も、臨時でのお休みの予定はありません。

通常通り、営業致します。

 

(前日までにご予約のない時間帯は

臨時でお休みとなる場合があります。

ご予約の際には、なるべくお早めにご連絡頂けますと幸いです。)

 

開院時間 : 11時~20時(施術の最終受付は17:30)

定休日 : 毎週水・日 (祝日も開院いたします。)

 

 

 

無駄吠え=心理的な問題?

 

 

我が家には、4歳になる柴犬がいます。

名前はくるみ。

家族からは、くうちゃんと呼ばれています。

 

くうちゃんが我が家へ来たのは、

東日本大震災のほんのわずか前の事。

まだ幼く、家にも家族にも慣れていない時に

大きな揺れを経験しました。

 

庭で私の母親と遊んでいたくうちゃんは、

余程怖かったのでしょう、

母のお腹に突進して来て、

頭を隠していたそうです。

 

 

怖がりで、少しカンが強い所があるのは

柴犬という犬種のせいなのか、

そうした幼少期の体験によるものなのか、

 

くうちゃんはなかなか心を開かず、

素直に従うこともないので、

しつけには手こずりました。

 

特に問題が浮き彫りだったのは

(いえ、今でもなお(^▽^;))

散歩と無駄吠えです。

 

散歩の時には人間の前を行きたがり、

そのくせ、車や自転車などの

スピードの速いものが横を通り抜けると

驚いて立ちすくみました。

そして一歩遅れて、今度は

懸命に追い掛けようとします。

 

散歩係の父と母は、

くうちゃんに引っ張られて

肩が痛いとか腕が痛いとか、

最初の内は散歩の度に

色々とボヤいていましたねぇ。

 

 

それでも、散歩に関しては

飼い主が迷惑するだけなので

まだ良いのですが、

無駄吠えは近所中に響き渡るので、

本当にシャレになりません( ;∀;)

 

最初のころは、ひどく吠えるのは

上空を飛ぶ軍用機に対してだけ

だったんじゃないかな、と思います。

 

私の実家は、

横田基地へ向かう軍用機の

航路の真下にあたります。

 

南の空から

低音のエンジン音が聞こえ始めると、

くうちゃんは鳴き声をあげ始めます。

 

中には、反応を示さずに

やり過ごす機体もあります。

どうやら、エンジン音によって

多少の快不快の区別はしている様です。

 

機体が我が家の真上を飛ぶ時には、

エンジン音は最大の音量になります。

 

くうちゃんの鳴き声も、

エンジン音が近づくにつれて

音程の高度と音量を増して行きます。

 

それが最高潮に達する時には、

それはもう~…( ̄O ̄;)

超音波並みの凄まじさ。

 

 

耳をつんざくような

ヒステリックな鳴き声がする度に、

ご近所に申し訳なく感じる私は

内心でヒヤヒヤし通し。

 

これが、

それ自体もうるさい飛行機だけなら

鳴き声も掻き消されるのですが、

 

他の犬が散歩しているとか、

家の外でよその子供の声が聞こえるとか、

朝の散歩になかなか連れ出してもらえない時とか、

果ては家人が帰宅した時まで(!)

 

ごまかしようのないシチュエーションが

だんだんと増えて行きます。

 

それに、吠え声は年令を経るごとに

どんどん大きくなって来てもいました。

 

最初の頃は遠慮がちに鳴いていたのが、

だんだんはっきりと主張するようになり、

最近では、

 

まるで

自分の声で自分が煽られてしまって、

テンションが上がり過ぎて

自力で止まれない!

とでも言わんばかりの

吠え方になっていました。

 

う~ん。これは

非常にマズい…。

 

ご近所の方達は、

犬は鳴くのが仕事だからと

理解を寄せてくれている様ですが、

甘えてはいられません。

 

それに、ここまで来ると、

くうちゃんの内部で何か

心理的な問題が生じている可能性を

無視する事は出来なさそうです。

 

 

 

「幸せ」は、誰の責任か。

 

 

飼い主さんの中には、

ペットが問題を抱えているとなると、

自分が非難されている様に感じる人も

いることと思います。

 

そうした場合には、

ペットに問題が生じると

自分自身が至らないのだという

自責の念にかられてしまい、

問題を冷静かつ客観的に観る事が難しくなります。

 

確かに、ペットは

飼い主によって全面的に世話を受けており、

ペットが十分に幸せであるかどうかは

飼い主にかかっていると言えます。

 

 

まだ馬の牧場に勤めていた頃、

こんな言葉を言われた事がありました。

 

「きみが心配しなくても、

馬は自分の幸せくらい

自分で責任を取れるよ。」

 

馬が幸せを感じられているかどうか、

それは世話をし、調教をしている

自分の責任だと感じていた私は、

それが驕った考えであったことに

気づかされました。

 

庇護を必要とするような、

一見弱い立場に思える存在にも、

その存在自身の尊厳があります。

 

幸せとは、その尊厳の内側から

存在自身が自力で選び取るものであって、

外から与えられるようなものではないのですね。

 

外側の環境や与えられる条件が

どんなものであれ、

それを幸せとして受け止める力は

どんな存在の中にもあるのです。

 

 

 

問題の打開へ。

 

 

さてさて、話を戻します。

 

 

状況の打開をはかる為に、

犬のしつけ教室に参加する事や、

 

庭にある犬小屋の位置を変えて

なるべく門の外の音や動きを

気にせずにいられる場所にすることなど、

いくつか方法は考えてみました。

 

でも、提案はしてみたものの、

本心では決め手に欠けている様な気が

していました。

 

そして、実際に、これらの提案が

家族内で真摯に実行されるには

至りませんでした。

 

実行されなかったのは

諸々の現実的な事情によるものでしたが、

でも、もしかすると、

 

そうした方法では

問題解決にはつながらないのではないか

という漠然とした直観を、

家族も感じていたからだったのかも知れません。

 

施術をすると良いのかも知れないなぁ

と言う考えも浮かびましたが、

今ひとつ踏み切れないままになっていました。

 

 

今年の年明けに、

2頭のポニーに施術をさせて頂いた事は

冒頭で少し触れました。

 

この時の臨床は何よりも、

身体の変化を通して、

その存在の本質的な部分が

立ち現われて来るということを、

実際に目にする体験だったなぁと思います。

 

(次回以降で詳細なお話をご紹介する予定ですので、

楽しみにお待ちくださいね!)

 

身体の上には、

幾層も重なる網のように

複雑に絡まる緊張が生じており、

それらが構造を歪ませています。

 

施術で行うのは、

そうした複雑な緊張の網を解き、

構造的な歪みを整えて行く事です。

 

施術の経験を重ねていく内に、

身体の元々の在り方について

こんな風に理解するようになっていました。

 

 

それは、

歪みを解除して行くと、

身体構造がおのずと向かうのは

左右対称性と、円や球形を帯びた姿であり、

 

 

その個体が本来現すべき、

秩序と調和の取れた姿である、

ということです。

 

 

 

ポニー達が見せてくれたのは、

歪みの解除は

身体を本来の姿に回帰させるだけでなく、

性質的な面においても

その個体の本質を浮き彫りにできる可能性でした。

 

 

身体の側から、本質へも働き掛けが起きる。

もしそうならば、

くうちゃんの無駄吠えも

施術によって変化する可能性が

あるかも知れません。

 

 

動物の施術で大切な事

 

 

ポニー達の施術から数日後、

暖かく晴れた休日に

くうちゃんの施術をすることにしました。

 

 

家人に触られるのは大好きなのですが、

彼女はじっとしているのが苦手です。

 

 

撫でる人間の手を

一生懸命舐めようとしたり、

さすってもらい易いように

体勢を色々と変えてみたり。

 

 

その落ち着かない様子は、

撫でてもらうのが嬉し過ぎて、

その気持ちをどう受け止めたら良いのか、

その気持ちをどこへ持って行っていいのやらと、

 

まごついてジタバタしているようにも

思えるものでした。

 

 

あまり動かれては施術をしにくいので、

母親に補助をお願いして

軽くくうちゃんの身体を

押さえていてもらうことにしました。

 

 

 

押さえられている、

と自覚した途端に、

動物はたちまち落ち着かなくなります。

 

 

お座りの姿勢の時には

両脇や背中に軽く手を添えるだけ、

寝転がっている時には

お腹の上にそっと手を置くだけです。

手の重みもほとんど掛けないようにします。

 

 

くうちゃんがちょっかいを出してくると

ついつい母親は構いたくなるようでしたが、

 

 

施術者や補助者の

能動的に働きかける様な動きは、

犬の気を逸らし、意識の鎮静を乱します。

この場合には避ける必要があります。

 

 

 

施術で生じる身体の変化は、

音叉のような微細な振動の感覚を伴います。

 

 

それを振動として感じる人もいれば、

繊細な波が体内で広がりながら

組織が緩んでいく様に感じる場合もあります。

 

 

動物は、そうした感覚には

人間よりも敏感だと思われます。

 

 

変化をより良く感じ取れるように、

出来るだけ動物が

内側に意識を集中できるように、

場を設定する事が大切です。

 

 

 

 

動物だって、「委ねる」のは難しい。

 

 

施術では、まず全身の結合組織が

骨格に対して

どのような方向性で動きやすいかを調べます。

 

 

背部の稜線に沿って調べると、

尻尾から鼻先までは

後ろから前へ向かう流れがありました。

 

 

腹部の方はと言うと、

顎の下から腹部の方へ向かう

前から後ろへの流れです。

 

 

途中、ノドとみぞおちの辺りには

緊張の為に生じた組織の凝縮が

強くはっきりと出ていました。

 

 

それ以外にも、肋骨の捻れや

骨盤、肩甲骨、上下肢の状態など、

細かく調べたい所は沢山あったのですが、

くうちゃんはお構いなしに

作業する手にじゃれかかって来ます。

 

 

彼女にしてみれば

初めての体験です。

嫌な思いが残らない様に

無理な我慢をさせない範囲で

行う事にしました。

 

 

調べた部位を比較した結果、

ノドで生じていた緊張が

全体の構造の変調ー不安定さを

作り出している事が分かりました。

 

 

この時に調べることが出来たのは

全体からすればわずかな個所でしたが、

それでも、

 

 

腹部やみぞおちの状態からは、

くうちゃんがお腹をきゅっとすぼめながら

背中を丸めていると思われること、

 

 

背面の状態からは、

いつも前のめり気味で、理由もなく

焦りや不安を感じる傾向がある可能性が

推察されました。

 

 

そしてこれらの見立てはまた、

彼女が怖がりであることや、

興奮すると自分で自分を止められない傾向性とに、

それぞれ対応している様にも思われました。

 

 

 

施術を開始したのは、

舌骨の右側でした。

 

 

ちょうど下顎部とノドの境目で、

犬にしても人間にしても

顎を引いている時には

一番深い窪みとなる所です。

この部位を正式に何と呼ぶのか、

調べてみても分かりませんでした。

恐らくは、口腔底の外側面

という呼び方になるのかなと思うのですが。

 

具体的には、下顎骨の底面

(一般的な感覚からしたら、底縁の方が分かりやすいと思いますが。)

が作り出す馬蹄形をした水平面で、

顎下三角とオトガイ下三角と呼ばれる面を

2つとも合わせたところです。

 

 

舌骨の右側に片手で触れておきながら、

空いているもう片方で

そこに緊張を作り出している

更に奥なる原因へアプローチして行きます。

それは、力の網と言う形で現れます。

 

力の網は、身体の歪みの

いわば起点となっている所を的確に探して接触すると、

その接触の刺激を契機として筋膜が反応を起こし、

筋膜を通して体表に描き出されるものです。

(臨床で生じる現象を、私自身はこのように解釈しています。)

 

施術では、

こうして描き出されるラインに沿って、

力の繋がりを解除して行きます。

 

舌骨の右側から始まった力のラインは、

しばらくそこで留まったあと、

一旦は胸の方へ下りて行きました。

 

 

ここは首輪が常にあたっていて、

その習慣的な刺激のために

組織が膠着を起こしたのでしょう、

表面から触れると

わずかに凹みを生じているのが

分かりました。

 

この膠着は、

ノドを下に引っ張る作用を

生じていたと考えられます。

ノドを引っ張る力を解除するために、

ラインは一旦こちらへ下りて来た様です。

しばらくして、ラインは

再び舌骨の方へと移動し始めました。

 

舌骨まで来ると、今度は

下顎骨の後縁をまわりこみながら

首の背面へと上がって行きます。

 

頸椎の4番でしょうか。

後頚部の中央付近の、ひときわ

凹んでいる部分でラインはしばらく停止しました。

 

そこから頸椎に沿って頭の方へ移動し、

今度は頸椎と後頭部の境目で止まります。

 

動き出すと、両耳の頭にある

最も尖っている頭頂で止まりました。

頸椎と後頭部の境目と、

頭頂の間をラインは何度か往復します。

 

次第に首が伸び、

頭部の力が抜け始めました。

 

頸椎4番の凹みや

後頭部下縁と頭頂の間に生じていた緊張、

舌骨に生じていた緊張は、

頚部全体が詰まり気味であったことを示しています。

頚部が詰まっていると頭部の圧力は高まり、

血流は低下しがちだろうということも

想像することが出来ます。

 

つまり、何もしていなくても、

身体の構造の歪みによって

くうちゃんの脳には常に緊張があったと

考えることが出来ます。

 

 

 

それまでお座りの姿勢を

取っていたくうちゃんは、

右側面を上にして横になりました。

 

ラインは頭頂から

今度は左の下顎の後縁をまわりこみ、

右側の舌骨まで戻りました。

 

開始点であった舌骨に

再び戻ってきた時、

くうちゃんの首回りが

大きくゆるみ始めました。

 

首の奥の方から、

組織がふわ~っとゆるみながら

広がって行くような感触です。

 

その感触が生じ始めると共に、

くうちゃんの頭の力が抜け

重みが手の中にふっと落ちて来ました。

 

この瞬間に、あぁそうだったのか、

と思いました。

 

 

そうです。

今まではそれだけ、緊張していたんですね。

 

くうちゃんには、

撫でて欲しいとか撫でられて嬉しい

と感じる様な場面で、

気持ちをどうやって表現したら良いのか分からず、

ジタバタするところがありました。

 

それを見ていて、もっと自然に

ただ受け止めれば良いのになぁ、

と感じていたのを思い出しました。

 

くうちゃんは、

我が家に来てから数年経たいまでも

実は緊張を抱えたままでいて、

そのせいで「甘んじて好意を受け取る」

ということが出来なかったこと、

 

そしてそれを実は、私も

無意識の中では知っていたのだなと、

この時に気付きました。

 

 

 

ラインは舌骨で止まったまま、

しばらくはそこから動かずに

体内で起きる反応を見守りました。

これには時間が掛かりました。

今までのくうちゃんなら、

こんな時にはじっとしていられず、

人間にちょっかいを出しまくるはずです。

 

でも、もう今は違います。

多少身動きはしますが、

動きがゆったりしていて

落ち着いています。

くうちゃんが気持ちよく感じて

リラックスして委ねられている様子が

伝わって来ました。

 

首周りの緊張が

どんどん抜けて行っていることが、

手の感触からも伝わって来ます。

 

筋肉の緊張が抜けて

組織がゆるみ広がったことで、

首には太さが戻り、

骨格を筋肉がやんわり、かつ

しっかり包んでいる状態を回復しました。

面白い事に、

首周りから肩にかけての毛も

ふわふわの手触りに変化しました。

まるで、一本一本の毛に

空気が通ったようです。

 

恐らく、毛根の細胞への血流が回復したことや

細胞の配置が安定したことで、

毛が根元から立ち上がったことで、

手触りに変化が出たのだろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教えるのではなく、「学ぶ意識」を引き出すことの重要性~馬との体験から

 

 

クライアントさんの中には、
私が前職で関わっていた馬について
興味を持って下さる方が
意外と多くいらっしゃいます。

馬からは、本当に沢山のことを学びました。
それが、施術に取り組む際の、
私自身の姿勢の礎になっていることは、
HPやお店のリーフレットなどで、ごく簡単にご紹介しています。

 

馬から何を学んだか。
これは多岐に渡っていることなので、
かいつまんで説明するのは難しく、

 

せっかく施術の間にご質問頂いても、
なかなかちゃんと満足にはお伝え出来ないところです。

 

そこで今回は、
そうした馬との思い出の中から、

 

「意識」の重要性について
初めて気づかせてもらった体験を、
詳しくお話してみたいと思います。

 

 

日本固有の馬:在来和種馬

 

山梨の牧場で馬と共に生活をしていたのは
6年半の間でした。

 

ここでは、厩務作業や調教やお客さんの指導や、
馬に関わる様々なことを仕事として行っていました。

 

馬に乗り始めたのは大学からでしたが、
それ以降、牧場に勤めるまでの間はずっと、
人が調教してくれて、すでに乗れるようになった馬に
乗せてもらっていました。
はい、まさしく、乗せてもらっていた、意識でした。

 

 

日本の乗馬クラブや観光牧場では、
主に競馬場などで初期調教を終えた馬を購入して、
そこからそれぞれの運営方針などに合わせて
さらなる調教を加えて行く事が多いと思います。

 

私が勤めていた牧場では、当時はまだ
乗り馬としては活用されることが珍しかった
和種馬を用いていました。

 

和種馬(主に木曽馬)を育成・調教して、
富士の樹海の中を馬に乗って
歩いたり走ったりする「外乗」体験を、
一般のお客様に提供するのを専門とした牧場でした。

 

和種馬は、
乗り馬として調教してあるものもまず珍しければ、
乗るのに適した体型をしている個体も限られていました。

 

人が乗るための馬の体型は、
首が高く扇形で、背中が緩やかに下向きのカーブのものが
理想的とされています。

 

先の大戦の際に、日本では国策として
馬格が大きく、戦力になる洋種馬を導入したそうです。

 

和種馬も、 戦国時代には戦場を駆けていました。
ですが、その小振りな体型のために洋種馬に取って代わられ、
以降は、主に荷駄として使われるようになりました。

 

使役されるのは、農作業や林業の現場です。
そうした場所では、乗るのには望ましい
駆動力が高く、敏捷性や反応性に優れた馬は、
残念ながら扱いにくいものです。

 

その為、ゆっくりと歩き、忍耐力があり、
荷を負うのが得意な馬が残されるようになり、
その結果、人が乗るのに適した性質と体型を持つ和種馬は
少なくなって行った、と言う話を聞きました。

 

 

野生性との格闘

 

乗り馬として用いることが出来る個体を求めて、
私が勤めていた牧場では、
場合によっては山奥から半野生のような和種馬を
連れて来ることもありました。
もちろん、それを、私も含めた牧場のスタッフが
調教していました(;・∀・)

 

(現在では、牧場での新生馬の生産が安定した為、
危険性の伴う半野生的な馬は扱っていません。)

 

そうした馬たちも、
人の管理している放牧地で育っています。
ですが、そこは人里離れた山深い所であることがほとんどです。

 

人の姿を見る事もほぼなければ、ましてや
人を乗せている馬の姿を目にする事もありませんから、
「人を乗せる」ということへの理解は、
ハナから持ちようがありません( ;∀;)

 

彼らにしてみれば、理由もわからずに、
背中には重くて硬い鞍を乗せられ、
腹はきつい帯で締められるなんて、
不愉快だし、十分に恐怖なはずです。

その上、さらに
二足歩行で直立姿勢の人間を乗せれば、
安定した四足のバランスは大きく揺らぎます。
馬の感じる怖さは、想像の仕様がありません。

意外に感じられるかもしれませんが、
馬は強い闘争心を持ちます。
危険を感じれば、尻尾を巻いて従うよりも、
誇り高く闘うことを選ぶ性質を持ちます。

 

さてさて、その様な誇り高き半野生馬との
格闘が始まりました。
何とか背中にまたがる間は我慢してくれますが、
初動、つまり一歩踏み出す瞬間が危険です。

 

馬が歩き出す瞬間、背中がごとりと揺れます。
それと同時に、
乗り手のバランスはわずかであっても乱れます。

 

すると、馬はここぞとばかりに背中を丸めて跳ね、
あるいは身体をくねらせたりして、
人間を落とすことに全精力を投入して来ます(^▽^;)

 

あの頃は、
落馬するために乗ってるんじゃないかと思う位
まぁぁ~、落ちました!

 

日課のように落馬している内に、
さすがに受け身も上手くとれるようになりまして。
お陰で、落馬のプロという称号まで頂きましたヨ!(;^ω^)

 

 

馬の感覚と意識

 

私が落馬のプロなら、
馬の方はさしずめ「落としのプロ」ですよね。

 

何度も乗っては落ちを繰り返す間に、
私の体重が馬の背中にかかった瞬間に、
そこに緊張が走るのを感じ取れるようになりました。

 

緊張は、
背中をわずかに丸める様な形で生じました。

 

つまり、乗り手に隙があれば
いつでも振り落とせる体勢を
馬が作っていたということです。
これはもう、条件反射になっていたんだろうと思います。

 

「落としのプロ」の立場で考えれば、
私の身体のバランスが悪かったために
背中の感覚が気持ち悪かったことも、
我慢できなかったのかも知れません。

 

当時はバランスの良し悪しが
どれだけ心理面に影響を与えるかや、
馬が持つ調和感覚の繊細さには
全く理解が及んでいませんでしたから。

 

では他の乗り馬(調教の出来ている乗れる馬)はどうかと言うと、
こちらも背中には力が入ります。ですがそれは
乗り手の体重をはねのけるためではなく、
支え上げるためです。

 

背中を丸めるのではなく、逆に
乗り手の体重を受け止めて少したわんだ状態で、
背中にぐっと力が籠ります。

 

そして、個体によって程度の差はありますが、
「理解しよう」という方向を持った意識が感じられます。

 

乗り手が背中に乗ると、
背中の方へ耳を向けて
乗り手の挙動を耳で聞き分けようとする馬や、

 

逆に耳を前方にすっと向けて、まるで
首筋全体で後方を感じ取ろうとするような馬もいます。

 

ちなみに上の例の内、後者の反応は、乗り手の指示が
どこから来ても即反応出来るように、
馬が自分の体全体を
意識で捉えようとしていた姿勢のように思えます。

 

反応や集中の仕方もそれぞれに異なりますが、
彼らには乗り手の存在を認め、
そこに応えようとする意識の流れがあります。

 

…と、
馬の背中の感覚や意識の流れについて
詳しく言葉で説明して来ましたが、
当時はこんな風には理解できていませんでした。

 

ですが、強烈に体感したものと言うのは、
記憶の中で色褪せることがないのですね。

 

それを、 今現在の思考や
理解力によって解釈し直してみると、
その体験にどのような意味や重要性があったのかが
広がりのある視野の中で初めて見えてきます。

 

 

牡馬を扱う

 

馬によって鍛えられて、
安全に落馬する技術もさることながら、

 

根性と勇気(無謀さとも言う…σ(^_^;))も合わせ持つ
立派な落馬のプロになった頃、
満2才の木曽馬のオスの調教を任されました。

 

オス馬(おすうま/牡馬)と呼ぶのは、
去勢していない種牡馬のことです。
去勢したものはセン馬(せんば)と呼びます。

 

オスは力が強くて気が荒い傾向があるし、
何かのきっかけで急に
人間を振り切って逃げ出したりするゾとか、

 

メスを見ると二本足で立って追いかけるから
(そういうのも実際にいたそうなんですねσ(^_^;) )
絶対に放馬だけはするなヨ!とか、

 

その扱いについては
周りの人からだいぶ脅かされました。

 

私の担当した牡馬は、蘭丸と言いました。
彼には恐れていた様な荒々しさはなく、

 

むしろ一生懸命に
人の言っている事に耳を傾けようとするような
愚直なまでの真面目さがありました。

 

とは言え、一度だけ、
急に何かに驚いて駆け出した蘭丸に、
長い距離を引きずられたことがありましたっけ~(;^ω^)

 

いえね、
蘭丸的にはイタズラをしてやろうとか言う意図ではなく、
ただただビックリして、必死だっただけなんですよネ。

 

途中で大きな石でも出てきたら
頭を打って死ぬかもなんて思いつつ、
引きずられた距離は50メートル位だったでしょうか。

 

絶対放馬しちゃいかん~!と引き綱にしがみつき…。
私も蘭丸に負けず劣らず、生真面目だったんですね。
この時に地面に擦って出来た傷痕は、今も
手首に勲章のように残っています。

 

ちなみに、少し離れたところには
その様子を見ていた人たちが結構沢山いました。

 

どうして馬を止めてくれなかったのかと聞いたところ、
「だって、鞍を引きずってるんだと思って~。
あんな距離だもん、まさか人間だと思わなかったよ!
夕方で暗かったし、ごめ~ん(笑)」とのこと。

 

…こら~、笑い事じゃな~い!(T_T)

 

人はつくづく当てにできんなと、
この時強く思ったのでした(^▽^;)

 

さて、くだんの蘭丸。
穏やかな性質の反面、
多少ヘタレな所もありましたが、

 

(後年、牝馬からとてもモテた蘭丸ですが、
必ず尻の下に敷かれていたのは
この性質のせいではないかな~。)

 

なによりも理解力が高く、
集中力や注意力も高い馬だということが
次第に分かってきました。

 

この様子なら、
少し難しい運動も出来るのではないか
と思うようになりました。

 

木曽馬をはじめとする和種馬は、
日本原産の馬です。

 

日本と言う風土の持つ力の作用なのでしょう、
和種馬も日本人と同じように
どちらかと言うと小さくてがっちりまとまった、
いわゆる胴長で短足の傾向がある、
親近感の湧く(;^ω^)体型です。

 

頭も西洋の馬に比べると大きく、
この重い頭と体型のせいで
優雅な動きや細かい足さばきは出来ないと
残念ながら決めつけられている節がありました。

 

私個人としては、理解力があって
そこそこバランスのとれた馬なら、種類に関わらず
ある程度の難しい動きだって出来るはずだと、
そう信じていました。

 

ましてや思考力が優れていれば、
もし体型によるペナルティがあったとしても
カバー出来るはずです。

 

 

調教

 

進む、止まる、走る。
これらの動きは馬が自然と行うものなので、
その初動が来る時の気配やタイミングを
乗りながら感覚的に把握して行きます。

 

そして、今度は
鞍への体重の掛け方や
身体のバランスを工夫しながら、
その初動が起きた時の体勢を乗り手が作り出し、

 

乗り手のバランスに馬が反応して
要求された動きを行う様に導いていきます。

 

訓練が目標とするのは、
心理的には興奮せずに、
身体的には無理のないスムーズな動きで、

 

指示に応じて前進の速度を
自在に変えられるようになることです。

 

蘭丸はまだ子供でしたから、
無理は禁物でした。

 

肩よりも先にお尻が成長して
身体の構造的な均衡がとれていない為、
無理の出来ない時期でもありました。

 

訓練は骨格の成長や筋肉の安定性を見ながら、
時間をかけて行います。

 

 

混乱するほど、考えて。

 

ここまで出来るようになったのを見届けて、
斜めに歩かせる動きを教え始めました。

 

馬は左右半身の片側で体重を荷重し、
浮いた半身の前後の脚を
荷重している脚の斜め前に進ませます。

 

前から見ていると、前後の脚で
同時にXを描くように動きます。

 

基本的には、馬は
同側の前後の脚がバラバラに動きます。
これを斜体歩(しゃたいほ)と呼びます。

 

同側の脚を同時に動かす斜め歩きは、
従来とは質の違う動きになります。
どうやって動いて良いのか、
蘭丸自身も分かっていませんでした。

 

最初はまず、反対脚の斜め前に
こちら側の脚を動かして出す、
と言う事を覚えさせるために、
試行錯誤しました。

 

まずは乗った状態で、
自分の身体の軸を微妙に傾けたり
馬の片腹を自分の膝下で押したりと、
乗り手の体勢で動きを伝えようとしました。

 

ある時、練習中に
自分の動きでよろめく程、
蘭丸が頭を左右にブンブンブンと、
大きく振りました。

 

この仕草にセリフを付けるとすれば、
「うわ〜ん、もぉぉぉ~~、どうすりゃいいのさ、
困ったよ〜!」です( ^ω^;)

 

蘭丸も、
必死にこちらの意図を汲み取ろうとして、
苦しんでいた事が分かりました。

 

この様子は何とも可愛くて
思わず笑ってしまいましたが、
それと同時に
「あぁ~、可哀想なことをしてしまった~。」
と思いました。

 

私自身も斜め歩きの正しい感覚が不確かだったため、
身体のバランスから正しい動きを汲み取るのが難しく、
混乱させてしまったようです。

 

 

「未知」の理解

 

そこで、今度は馬の横に立ち、
ハミ(馬の口に嵌める道具)と調鞭(長めの細い鞭)を用いて、
まず動くべき方向性だけを理解させる様にしました。

 

口があっちに押されて、
鞭がこっちのお腹に触れたら、

 

あっちのお腹に体重を移動しながら
こっちの脚を向こうに動かすんだよ~、
といった具合です。

 

馬は刺激から逃げようとするので、
行かせたい方向が馬にとって逃げ道になる様に計算して
刺激を加えます。

 

そして、こちらの加える刺激と
馬の動きとが結びつくようになるまで
地道に練習を繰り返します。

 

その内、動きの方向性に確実さが出て来ました。
蘭丸が理解し始めたと感じられたので、
乗馬しての練習に切り替えました。

 

背中に負荷がかかった状態になると
感覚そのものが全く変わる様で、
それまで出来ていた様にはなかなか出来ません。

 

何となく応えようとしてくれている気配は感じるものの、
実際の動きは伴わず…という期間がしばらくありました。

 

ある日、
何かのきっかけにふいっと、
蘭丸の腰が斜めに動きました。
たった一歩だけ。

 

でも、確実な斜め歩きでした。
思い切り、ほめちぎりました。

 

蘭丸の様子から、
要求されていた動きがこれだった!と
彼自身も理解したのは明らかでした。
まるで、配線がつながった、と言う感じでした。

 

重要だったのは足の運びではなく、腰を入れる動きだったのです。

 

その後は、指示に応じて迷いなく、
スムーズに斜めに動くようになりました。

 

 

この時、ふと
馬に教えたのは私ではない、と思いました。

 

馬は苦しみつつ自分で考えて、
理解するに至ったのです。

 

乗り手である人間が出来るのは、
学ぼうとする意識状態に
馬を上手に導くことだけでした。

 

 

 

 

実はこの時の気づきが、

施術者としての今現在のスタンスに

強く結びついています。

動きのイメージは私の中にありましたが、
どうするべきかの答えは、蘭丸の中にありました。

美味しいラベンダー ~7月と8月の営業予定

 

営業日のお知らせが、

大変遅くなりました!

 

遅くなりついでに、7月と8月とを併せて

お知らせ致しますね!

 

でも、お知らせの前に。

ちょっとだけ植物のお話を。

 

 

皆さんは、

ラベンダーって食べた事ありますか?

 

 

neMu no ki では昨年の冬から

ラベンダーの苗を育て始めました。

 

と言っても、玄関先に置いて

様子を眺めているだけなんですケド(;^ω^)

 

一つの鉢に、

2種類のラベンダーを植えました。

 

強くて大きい方の株は

ゆっくりゆっくり、自分のペースで、

でも着実に成長して行きます。

 

それはもう、とにかくマイペース。

何だか自分を見ている様な気がして

妙に励まされたりして…。

 

もう一方の背丈の低い株の方は

しばらくすると下の方の葉が黒くなって来て、

元気が無くなりました。

 

ラベンダーは「蒸れ」が嫌いだそうです。

小さい株だと地面に近いし、

大きい株の下に潜りがちなので風を感じられず、

きっと居心地が悪かったのでしょうね~。

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黒い葉っぱはもちろん、

下の方の葉っぱをきれいに取り除いて、

風の通り道を確保し直しました。

いらない枝を落として

植物の基礎代謝量も減らしました。

 

植物全体で消費するエネルギー量を小さくすると、

根っこに養分がしっかりまわるので

元気を取り戻せるんですね。

植物は、根っこが命。

 

こんな風にして、小さな株も何とか復活。

今年は花を付けませんでしたケド…( ;∀;)

でも、とっても元気になりましたよ!

 

大きい株の方は、

初めてにしては沢山の花を

咲かせてくれました!

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ラベンダーは、

小さな花が沢山集まった花穂だけでなく、

葉や茎からも芳香性の油分(精油)が分泌されます。

 

葉っぱや茎の方が、

花よりも香りが強い位かも知れませんねぇ。

 

ラベンダーには

ヨモギの様に産毛がびっしり生えていますよね。

その隙間に、分泌腺があるのだそうです。

 

 

7月に入ると

花の時期もそろそろ終わりになって来て、

花穂の中にまばらに茶色が混じり始めました。

 

茶色くなった小花を取り除いていると、

5~6個ほど取った程度で

手がものすごくベタベタして来ました。

 

油分かな?

ペロリ。

おぉっ!?甘~い!!DSC_0002_22

 

 

すごく小さな花なんですけど、

その根元に、ちゃぁんと

蜜が蓄えられていたんですね。

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ラベンダーそのままの良い香りのする、

とても甘い蜜でした。

 

こう書いちゃうと、

当たり前じゃない!って思うでしょ?

これがね、どっこい(古い…)、実際に食べてみると

感動するんですよ~!

 

舐めた後は、

鼻の中の爽やかな香りと

口に残る心地よい甘さに、しばし浸らん…。

はぁぁ、何たる幸せ~(#^.^#)

 

 

茎を切ってからしばらく経った花よりも、

土に根付いて

植物として生きている花の方が

甘味が濃くて、

何と言うか、深さがある様に感じました。

やっぱりねぇ~。

 

あ、ちなみに!

葉っぱも食べてみたんですよ!

そうしたら、

後味ならぬ後香りが、何かに似ているんですよねぇ。

とっても。

 

鼻孔を広げて

息をゆっくり吐き出しつつ、

口腔内に残った香りをじっくり嗅ぎます。

(傍目にはちょっとアヤシイ…。)

 

只今、匂イノ記憶ト照合中。

 

…あ~!

ヨモギ!

 

そうなんです。

ヨモギと後味がそっくり!

ラベンダーの種類にもよるのでしょうけど、

 

それぞれがシソ科とキク科を代表する

薬効の高さを持つラベンダーとヨモギ。

その優秀な植物同士が似た香りだなんて、

意外な発見!

 

こう言う発見って、嬉しいんですよね~(#^.^#)

植物とちょっぴり仲良くなれた気がして。

 

ちなみに、このラベンダーは

スコティッシュラベンダーだったと思います。

…たぶん(;^ω^)

 

 

 

では!

最後にやっとこ、営業のお知らせです!

(どれだけ待たせるんだか~。

ごめんなさい!)

 

<7月>

臨時休業:特になし

定休日:毎週水・日(祝祭日は営業)

営業時間:11時~20時

予約の最終受付:17時半

 

<8月>

臨時休業:8日(土)

定休日:毎週水・日(祝祭日は営業)

営業時間:11時~20時

予約の最終受付:17時半

 

一人で運営しておりますので、

ご予約は前日までにご連絡くださいます様に

皆様にご協力をお願いしております。

(ご事情のある場合は、

当日のご相談もお受けしています。)

 

皆様のお越しを、

心よりお待ちしています!

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