天使に願いを~ネガティブな思考や感情を楽しんで手放す方法/1~2月の営業予定

 

1月ももう下旬! 新年を迎えてのご挨拶が

大変遅くなりました~!

どんだけのんびりなんだ!

っていう感じですが、

 

本年もどうぞ

よろしくお願い致します!

 

今年の年始めは、

空気がとてものんびりと

しているように思いました。

 

例年は、元日に3軒

初詣のはしごを

していたのですが、

 

今年は 初詣に行かなやきゃ!

という気持ちを手放して、

 

本当に自分の好きなように

時間を過ごすことにしました。

 

 

 

そう言えば、

私が子供の頃のお正月は

市内のお店と言うお店の

シャッターが閉まっていて、

町中ひっそりとしていました。

 

三が日の間は

日中でも人の気配がなく、

 

静かで平和なその空気には、

子供心ながらに

特別さを感じたものでした。

 

今年のお正月は

本当に何十年ぶりかで、

そんな「特別」な感じに

近い感覚を味わえたような

気がします。

 

でもそれは、

マイペースに過ごしたから

というだけでは無く、

 

自分の内側に

起きつつある変化が、

反映されたせいでも

あったように思うのです。

 

 

 

ネガティブな思考を手放す

 

昨年の末頃、私は

ある取り組みを始めました。

 

自分の内なるおしゃべりに

自覚的になり、

 

そこで浮かんでくる

ネガティブな思いや考えをすべて

きれいに手放すことです。

 

言うのは簡単だけれど、

実際にやるとなると

どうしたら良いのかわからず、

かなり難しそうなことに

思えますよね。

 

でも、出来るんです。

と言うか、私には

必ず出来ると信頼を感じて

取り組み始めたことがありました。

 

 

今回の記事では、

それが実際に

どんな取り組みなのか、

その詳細について

お話しして行きたいと思います。

 

自分の意識を

クリアにしていく方法の

お話ですので、

 

瞑想をやりたいのに

雑念が浮かんで来て

上手く行かないと言う方や、

 

どうしても

ネガティブな思考から

抜け出せずに

苦しんでいる方には、

 

きっと役に立つ

内容だと思います。

 

その前にまずは

1~2月の営業予定の

お知らせを。

 

 

 

1~2月の営業予定

 

1月23日(月)と

2月27日(月)は

臨時でお休みさせて頂きます。

 

それ以外は通常通りの

営業となります。

 

定休日は毎週水・日曜日、

営業時間は11時~20時、

施術の最終受付時間は

17時とさせて頂いております。

 

施術のご予約は

前日までに

ご連絡下さいます様、

皆様にご協力を

お願いしております。

 

キャンセルや

日程のご変更の際には

ご予約2日前から

キャンセル料が発生

致しますので、

どうぞご注意下さいませ。

 

 

 

感情や思考は「感覚」から生まれる

 

ネガティブな思いや考えを

抱えている時は、

何よりも自分自身が

辛く感じるものです。

 

思いや考えには

「感覚」が伴います。

 

むしろ実際には、

まず感覚が生じます。

 

何かのきっかけで、

気付くか気付かないかの

かすかな感覚が生じると、

 

それはほどなく

「言語」の形態をまとって、

感情や思考として

意識に上ってきます。

 

 

 

浮かんできた思いや考えが

ネガティブなものである時は、

 

モヤッとしたり

イラッとしたりするような

不快な感覚が先行しています。

 

何せ不快なので、

身体はこの感覚を黙って

抱えたままにしておくことが

出来ません。

 

不快さを解消しようとして

身体は自ずと反応を起こします。

 

時には自分でも抑制できずに

相手に怒りをぶつけたり、

 

内側から出ようとする

衝動的な力を

ぐっと押さえ込もうと、

感情を飲み込んでいる自分に

気付いたりします。

 

どちらの場合にしても、

不快な感覚は残念ながら

解消されることがないのは、

誰しも経験を通して

理解されていることだろうと思います。

 

 

 

意識が身体に及ぼす影響の深刻さ

 

ネガティブな思いや考えを

手放すことは、

実は私たちが

健康を保つうえでも

大変重要なことです。

 

私たちの身体は

「嫌だな~」

「失敗した!」

「急がなきゃ」

「なんで私って…」

と言ったような、

 

私たちが日頃

何気なく口にする、

些細な自己非難の

言葉にさえ反応しています。

 

私たち自身の

何気ない一言によって、

身体は緊張し、

身構えるのです。

 

特に緊張が起きやすいのは、

心臓や背中の辺りで、

時には後頚部にも

感じられるかも知れません。

 

私たちが意識せずに

「あ~」と思うたびに、

心臓や背中、首では

律儀に反応が起き、

緊張によって硬くなることを

繰り返しているわけですから、

 

一日経つ内には

身体は何もしなくても

相当バリバリです。

 

それを毎日繰り返すとなると…。

 

健康に良くないわけが

分かりますよね( ;∀;)

 

 

 

さてさて。

 

自己非難や他者への怒りなど

ネガティブな要素を含む

思いや考えは、

 

発散したり

抑え込むことによっては

解消できないことは

先に述べました。

 

これらを手放すのに

カギとなるのは、

「芽」の段階で

察知することです。

 

「芽」とはつまり、

感情や思考になる前の

感覚の段階を指します。

 

それは、

自分の胸の辺りや

みぞおちの辺りに

もわっと湧いて来たり、

 

時には頭の中で

カッと点火するような、

かすかで瞬間的なものです。

 

そうした感覚が

生じたことに気づいたら、

それを自分の中で

解消しようとせずに、

 

私たちよりも

高い次元の存在へと、

処理を委ねます。

 

 

 

天使に願いを。

 

自分の中に

不快さの「芽」が

生まれるのを感じるのは、

 

例えばこんな場面かも

知れません。

 

電車の中に、

大きな声で

電話をしている人が

いた時、

 

たまたま目のあった人に

不機嫌そうな顔で

にらまれた時、

 

朝、出勤前の

急いでいる時間に

父親がトイレを

占拠していた時、

 

いつもきれいにしている

自宅の前で、

タバコのポイ捨てを

発見した時。

 

 

どれも些細なことですが、

数限りない状況で

不快さの「芽」は

生じる可能性があります。

 

それに伴って

身体と心まで

緊張させてしまわない為に、

 

私は自分の守護天使に

「芽」を引き渡して、

光に変えてもらうようにしました。

 

不快さが

生じそうになったら、

心の中で

天使に呼びかけます。

 

「天使さん、

あの方に光と祝福をお願いします。」

 

こうして、不快さを感じる

きっかけになった人や物へと、

光を送ってもらえるように

依頼するのです。

 

 

 

急に天使が出て来たので、

驚いた方もいらっしゃるかも

知れませんね( ^ω^ )

 

この方法は、

ある書籍からヒントを得て

やり始めました。

 

その書籍には「祈り」について

こんなことが書かれていました。

 

「愛とは人の心を

開くエネルギーであり、

私たちは思いによって

それを送るのです。

 

私たちが純粋な愛の光を

人々に送ったとき、

天使の力が

それに結び付いて

奇跡を起こします。

 

もし、そのとき

天使に助力を

お願いすれば、

それはもっと

パワフルになります。」

 

「戦争の起こっている

場所のことを考えるときには、

そこで起こっている悪い事柄に

焦点を合わせないことです。

 

闇の力にエネルギーを

与えることになります。

 

その代わりに、光が

その場所に射しこむように

イメージしてください。

 

天使たちがそこにいる人々を

助けてくれるよう

お願いするのです。

 

あなたの祈りが、

天使たちがそこを訪れ

救うための

光の道筋となります。」

(引用:ダイアナ・クーパー著

『エンジェル・ストーリー』 p.34)

 

 

 

これを読んだ時に、

こんな理解が浮かびました。

 

私たちは他者の配慮のなさや

思いやりのなさを見咎めて

ついつい責めたくなりますが、

 

その代わりに

その人に向けて

光と祝福を送って下さいと

天使に祈ることは、

 

その人に対して直接

天使が働きかけるための

光の道筋を作る事になり、

 

その人が本来持っている

配慮や思いやりの気持ちが

より良く機能するように、

 

間接的ながらも

サポートの手を

差し出すことになるのだ、と。

 

(天使は高い次元の存在で

高い周波数を纏っているため、

 

低い意識でいる人には

近寄りたくても

近寄ることが出来ず、

直接サポートすることが

難しいのだそうです。

 

そこへ、

その人へ向けて祈りが届くと、

 

それが天使の通る

光の道となって

天使がサポートすることが

可能になるようです。)

 

 

 

天使の存在を

信じているかどうかは

ここではひとまず

置いておいて頂いて、

 

願えば変化は起きます。

そして、それは

私たちの内側の感覚で

実際に感じることが出来ます。

(詳しくは後述します。)

 

 

 

あまりに腹が立つような時には、

相手のために祈るのは

難しく思えるかも知れませんが、

 

実際に試してみて、

祈ることで不快感が

解消されるのを

実感するようになると、

 

不快感を握りしめて

腹を立て続けるよりも、

祈ることの方が

明らかに実用的だと

感じられるようになります。

 

 

 

天使に祈った際には、

私たちが気付けなくても

天使はちゃんとそれに

応えてくれているので、

 

「ありがとうございます。」

 

とお礼を言い添えることも

忘れないようにします。

 

 

 

ジャッジの意識や過去の記憶も手放す。

 

実際に天使に祈る際には、

怒りや自己非難が生じそうな

場面だけではなく、

 

自分の中で

他者に対するジャッジが

起きそうになった時にも

必ず行うようにしました。

 

例えば、

目つきの悪い若者を見て

「わ、怖そう」

と思うようなことも、

 

道端で寝起きしている

人を見て、

「大変だろうな~。」

と思うようなこともです。

 

自分の価値基準や

先入観があると、

 

他者との間に

必要のない溝が生まれ、

その人の真実の姿を

見誤りがちになります。

 

ニュートラルに物事を

受け止められるようになるには、

 

小さなジャッジの「芽」も

天使にすべて引き渡して、

これもまた光へ変えてもらうのが

一番良いと思いました。

 

 

 

また、天使には

時空間をまたぐ移動も

可能なはずですから、

今現在における

ネガティブな思いや考えに限らず、

 

思い浮かんで来た

過去の出来事についても、

祈りの対象にしました。

 

過去の出来事で関わった人や、

その時の自分自身もです。

 

思い出した瞬間に、

少しでも自分の内側に

モヤッとする感覚を

感じそうなものは、

片っ端から祈りました。

 

 

 

過去の記憶は、

その痛みが本当に

解消された時には

思い出さなくなり、

 

仮に思い出しても、

その時の感情は伴わず、

冷静に見られるように

なります。

 

思い出す度に

実感を伴う内は、

 

それがまだちゃんと

処理できておらず、

手放せていない証拠なのだ

と言うことも、

 

天使の力を借りることで

改めて分かりました。

 

 

 

 

感情は、理解だけでは解消されない。

 

これをやり始めて数日は、

人とすれ違うたびに

立て続けに天使に向かって

祈らなくてはいけないような、

大変な状態でした。

 

いかに普段、

自分が些細なことに

頻繁に気を取られていたか、

嫌でも分かります。

 

その量の多さには、

自分でも心底驚き、

呆れました。

 

私は、

自分と向き合うことを

大切にできている人間だと

自分では思っていましたが、

 

自分の意識が

これほどまでに外側に

向いている状態だったかと、

初めて気づかされた思いでした。

 

 

 

自己弁護をするようで

恐縮ではありますが(^▽^;)、

 

施術者と言う仕事柄、

自分の内的な問題とは

今までかなり丁寧に

向き合って来ていると思います。

 

学びを深めて行くと、

 

自分の外側に見えているものは

すべて自分の内側の世界の

「投影」であることを、

理解するようになります。

 

その理解は、

自分の内側で起きる

感情のカラクリを

見破ることを

可能にしてくれますが、

 

腹が立つことや

感情の波が起きること自体を

無くしてくれるわけでは

ありません。

 

そのために、

学びが深まって行くほどに

かえって自分の感情に

出口を見出せなくなるという、

 

難しい循環に

嵌まり込んでいた可能性も

あったのかも知れないと

思います。

 

 

 

知っている人だと、腹は立たない。

 

天使に向かって祈ることで

面白いと感じたのは、

 

モヤモヤとした感覚が、

胸の辺りからスッと

引き抜かれるように

消えて行くことです。

 

不快さの「芽」自体を

摘んでもらったから

なのでしょうね、

 

モヤモヤがぶり返すことも

ありません。

 

 

 

祈っても

不快さが消えない時には、

祈り方をより

詳細にしてみます。

 

自分が不快に感じたのは

何に対してだったのか、

それを具体的に

把握し直した上で、

改めて祈ります。

 

私の場合は、

不快さを感じるのは

大抵の場合、

配慮と思いやりの欠如を

感じる時なので、

 

「あの方の配慮と

思いやりの気持ちを浄化し、

光で満たしてください。」

と言うような感じになります。

 

 

 

他の例も挙げてみるなら、

 

家族のケンカを見ると

辛い気持ちになる場合や、

 

人前に立つと

緊張を感じてしまう場合は、

 

ケンカをしている当人達や

その場に同席している人達に向けて

 

「彼らの理解力と受容力に

光と祝福をお願いします。」

というような感じになります。

 

 

 

もう一つ

興味深く感じたのは、

 

天使を通じて

祝福をお願いした相手は、

不思議と身近に感じることです。

 

祈る前に比べると、

「知っている人」という

感じがするのです。

 

失礼があると

知らない人だと立つ腹も、

知っている人だと

意外と「まぁいいか。」

となったりしますよね。

 

祈ることで現れる親近感は、

エネルギー的に

同期が生じることを

示しているのかも知れませんが、

 

理由はともかく、

祈るとその人のことが

気にならなくなったりします。

 

 

 

内側の静けさが、自分を自分と向き合わせてくれる。

 

始めの頃に比べて

不快さを感じる場面が

次第に少なくなり、

 

頭の中で

勝手に起きていた

ネガティブなおしゃべりも、

随分と静かになって来ると、

 

自分の内的世界に

静けさと穏やかさを

感じるようになりました。

 

散歩をしたり

瞑想をしたりしていて

雑念が浮かぶことも

少なくなりました。

 

頭の中のおしゃべりや

勝手に浮かぶ雑念とは、

処理できていなかった

ネガティブな思いや考え

そのものだったのでしょう。

 

そして、

こんなことに気づきました。

 

自由な時間が出来た時、

今までの私は

何となくテレビを見たり

ネットで物色をすることで

時間をつぶしがちな傾向が

あったのですが、

 

それは自分の内側に

つねに不快感が

くすぶっていたせいで、

 

静かにして

自分と共にいようとすると

それが浮かび上がって来る為、

 

無意識的にそれを

避けようとしていたのだな、と。

 

 

 

今でももちろん

テレビやネットは

見る時もありますが、

 

以前に比べてずっと

多くの時間を、

 

自分の内側に意識を向けて

自分とゆっくり一緒にいる、

ということに

使えるようになったと思います。

 

 

 

 

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