そこかしこで、春の花が
満面の笑顔を見せながら咲き始めましたね~!
歩いていると、色んな表情の花に出会うのが楽しくて、
少し歩いては写真を撮り、
また歩いては写真を撮り。
なので今回は、
自然の中で目に留まった花の写真をアップします!
とか言って、
ここの所、梅の花やら桜の花やら、
自然の花の姿ばかりをブログに載せてる気もしますが~。
…いえね(*^^)
つい先ごろ、通信料を節約しようと思いまして、
長年利用していた携帯会社をエイヤっと乗り換えまして。
で、その際に携帯をiPhon6にしたのです。
(意外とミーハーって?えへへ、まぁ…(;^ω^)
でもね、お得だったのですよ~。)
通信速度の速さだとかシステム的なことは
凄さが良く分からないんですけど、
写真が本当~にきれいに撮れるので、感動です!
ついつい、撮るのが楽しくて、
色々写しまくっているのです!
そんなこんなで、
外を歩いていると良い被写体が沢山あり過ぎて、
遅々として前に進まないのでありますが…。
ほら~!
補色にあるオレンジと青のコントラストが美しい
街路樹の下のオオイヌノフグリとキンセンカ。
こちらは菜の花。
う~ん、陽の光を一身に浴びて、
黄色が何とも鮮やか✨
左上の方に、花弁にまざって黒く映っているのは、
蜜を一生懸命吸っていた虫のおしり。
葉っぱだって、
大きく開こうとし始める姿は十分に魅力的です。
うちの庭にも居ましたよ~!
じゃ~ん。
これね、ちょっとタワシみたいでしょ?
ところがどっこい、
「一人静」っていう優美な名がついているんですヨ。
こっそり見えにくい場所に咲いているから、
とか言う事ではなくて、
静御前の舞い姿になぞらえての名前なんですよ~。
ステキでしょ~(*’▽’)
蕾が開き始めたのは、1週間ほど前。
イガイガの葉っぱからツンツン頭が
のんびりと伸びをしながら出て来てる感じでしょうか。
何とも言えず可愛らしいですよね~。
本当は、摘んで来て
neMu no ki に飾りたいと思ったんですけど、
写真を撮っていたら情が移っちゃいまして。
摘むことは出来ず…。
なので、せめてここで皆様に見て頂けたら嬉しいなと!
(と言いつつ、結局、翌日摘んじゃってたりして…(;^ω^))
せっかくなので、
一人静の植物としての情報にも少し触れますね。
センリョウ科のチャラン属。
チャランは、茶蘭と書くそうです。
(以下、イー薬草・ドット・コムを参照。)
タワシのような形の、
白い針状の部分が花びらだと思うでしょ?
私はそう思ってました!
ところがあれ、実は雄しべだそうなんです。
一つの大きな(と言っても、小指の先端位ですが)花に見えるのは、
小さな花の集合した姿。
一つ一つの花は、3つの白い雄しべと
その根元にある緑の雌しべから成っていて、
花びらとガクはないんです。
(こういう形態の花を、裸花と呼ぶそうです。)
確かに、花が終わりに近づくと、
白い糸状の花びら(←しつこいですが、本当は雄しべ。)が
決まったように3本ずつまとまって落ちて来るので
何でだろう?と思っていたんですよネ。
なるほどなぁ~。
新芽や若葉は、山菜として食べられるそうです。
また、血行改善や利尿作用などの薬理効果があり、
全草を乾燥させて煎じたお茶は
神経痛やリウマチ、痛風などを改善するとして
中国で昔から飲まれているとか。
葉は少しごわごわとした感触ですが光沢があり、
茎は水分をたっぷり含んでいます。
そのせいか、摘んだ後の水揚げが難しく、
早朝に摘むか、茎を切った後にすぐに水につけないと、
あっという間に萎れてしまいます。
氷水につけてビックリさせると、復活したりもするそうですが(^ω^)
と言う事は、逆に考えれば
一人静は「水の流れ」への感受性が高いのかも知れないですね~。
自分の中の流れが繊細なバランスの上にあるから、
それが乱れると流れそのものが止まってしまう、という具合に。
そうした水への繊細な感受性が
血の巡りや利尿作用、リウマチや痛風など、
体内の水分の調節に作用する薬効という形になって、
私たちに恩恵を与えてくれるのかも知れないなぁなんて思います。
この理解が正解かどうかはともかくとして、
こんな形で、植物それぞれが帯びている性質そのものを
私たちに作用するエネルギーや力として理解し、
症状の緩和や状況の改善の為にその力を借りることは、
古来、当たり前にやって来たことなのですよね。
ちなみにホメオパシーやフラワーエッセンスは、
それを療法と言う形にしたものだと言えるでしょう。
(近縁の療法にアロマが挙げられると思いますが、
アロマテラピーは植物の性質よりも芳香を主眼とした療法です。
施術者のスタンスやアプローチの仕方によってはエネルギー的にも作用しますが、
それ以上に薬理学的と言えると思います。)
私たち人間も含めて、全ての生き物は
他者に働きかけて癒えるのを促したり
変容を助けたりする力を、
その存在そのものが本来持っているんですよね。
私たちの中にあるそうした性質であり作用であるものを、
北米の先住部族の伝統では「メディスン」と呼ぶのだそうです。