受容≠自分を抑えて全てを受け入れる

 
 
受容する。
皆さんは、この言葉はどういう意味だと思いますか?
 
 
 
「私は受容する能力が高いんですよ」
なんてたまに胸を張って言う人がいるけれど^^;
そんなことをワザワザ言っているところを見ると、
かなり頑張って意識的に「受容」しているんだな、と思うんです。
 
 
 
でも、本当の受容って、
きっと自分では意識すらせずに、
自然と相手の立場や考え、在り方を、
その「あるがまま」で良いのよね、
って受け止めていることだと思うんです。
 相手を認めることに何の抵抗もないし、その方が自分としても心地良い。
 
 
 
 ↑ この一文で気づかれた方もいるかも知れませんが、
そうなんです、受容を自然と行えるようになるためには、
自分の中の色々な問題や思考のクセ(パターン)がクリアになっていて、
内的な問題を自分の目に映る相手の姿に投影せずにいられるか(これは100%は無理ですね^^;)、
または投影している自分に自覚的になることが出来る。
・・・という内的な条件が整って来て、ようやく可能になることなんです。
 
 
 
 
相手のあるがままを受け止める、ということの中には、
自分自身を抑える、という要素は微塵も入る必要はありません。
相手を認めるのと同じように、それ以上に、自分自身も認めているからです。
 
 
 
ちなみに、もし相手を受容出来る人同士が会話をしたら、
互いが自由に繰り出す個性が響きあって、
思わぬ広がりを持った話に展開して、
非常にワクワクするんではないでしょうか^^
 
 
 
自分で自分を認められたら、
自分の良いところも悪いところも含めて、
全てがそれで心の底からOKだと思えたら、
もう無敵です。
自分の欠点(と相手が目している所)にどんなヤイバが差し込まれても、
「そうなんだよね~」と受けて、スルリと流せます。
自分の全体性には何の影響も与えません。
 
 
 
もし、自分自身を抑えている、という意識を伴っているのなら、
それは受容ではなくて我慢ですよね、きっと^^;