理解しにくい、1+1=2の理屈。

先日クライアントさんと話していて、こんなテーマが出てきました。
1+1がなぜ2になるのか、その時点で理解につまづいて算数が出来ないお子さんがいる、と。
 
 
かつて、私が短い間ながらマンツーマンの塾講師をしていた時にも居たので、
思っているよりもそういうお子さんは多いのかも知れません。
 かくいう私自身、1+1が何で2になるのか意味が分からない、と小学校で習った当初に思った記憶があります。
 
 
仕事からの帰り道、自転車を漕ぎつつ、
「1+1=2」 このどこら辺に幼い自分は違和感を感じたのか、
遠い記憶をう~んと絞りながら掘り起こしてみました。
意外とすぐに出てきましたよ、答えが^^
 
 
それは、「足す」という言葉で子供の私が思い出すイメージと、
算数の中での「タス」と言う単語が意味するところとの違いです。
 
 
日常生活の中で「たす」という言葉を使うシチュエーションと言うと、
どんな情景が浮かびますか?
お醤油がなくなったら注ぎ足しておいて!とか、お風呂のお湯を足しといたよ~、とか。
そう、流動体のものに対して使うことが多いと思うんです。
流動体に流動体を足したら融合してしまうので、いくら足しても個数としては1なんですよね。
 
 
言葉は、それをよく使う場面とイメージの中で強く結びつき、それによって意味も限局されます。
厳密に言ったら、「リンゴ」という言葉で浮かべるイメージは百人百様、一つたりとも同じものはないわけです。
子供は大人よりも具象性に近いところで生きている
(思考という抽象性の高い世界に囚われがちな大人に比べ、
現実に何を体験しているか、子供はそこに意識が集中している。)と思うので、
一つ一つの言葉は、日常生活の中の具体的な状況におのずと強く結びついて記憶され易いでしょう。
いったん言葉の意味に具体的な枠組が出来てしまうと、
その言葉で表現されたことは、例え内容が違ってもすべて同じ枠組みのものと捉えがちになります。
 
 
なので、1タス1 と言われると、
いくら例題がリンゴであっても、子供の頭の中では2つのものは足したら融合してしまうわけです。
それゆえに、なぜ2になるのかは謎・・・なのではないかと思います。
 
 
さて、ではこの誤謬を引き起こすのを防ぐにはどうしたら良いか?
更に自転車を漕ぎつつ、考えました。
夜風が気持ちよか~♪
 
 
記号=算数のお約束事として使っている「タス」が、
日常の言葉「足す」が持っている意味と微妙にズレた意味で使われているのが問題なのだから、
それを合致させれば良い。
 
 
1に1を「加える」、だと、まだ流動体のイメージから抜け切れない。
個体のイメージが浮かびやすそうな言葉・・・「付ける」ならドウダ!
一つのリンゴの横にもう一つリンゴを持ってきました、というイメージが、
「足す」よりも浮かびやすくないでしょうか?
 
 
「付ける」を、記号らしい単語にするなら・・・「ツキ」・・・いや、おかしい。
「ツク」・・・1ツク1=2。ふむ、なかなか語呂が良いではないの^^
「足す」が「ツク」なら、「引く」は・・・「トル」よね!
 
 
我ながら、なかなかシャレの効いた解決案を考え付いたもので^^
ウキウキしてテンションが上がってしまいました

 
 
ちなみに、1+1が何で2になるのかを理解するのに苦しむ子の話は比較的耳にしますが、
他の、引く・掛ける・割るについては、聞かない気がしませんか?
基本中の基本である足し算が分かれば、他のはその応用だから。
それもそうかも知れませんが、
引く、掛ける、割るは、あまり日常の会話の中で出てこない(特に子供の場合は。)表現のように思います。
日頃使わない分、言葉のイメージがさほど固定されておらず、
数式の中の記号としての意味と、日常の中での意味との間に
あまりギャップを感じずに済むのかなぁ、なんていう風にも思います。