過去を記録する身体と、身体が導くセラピー

 

私たちが覚えていない
と思っている過去の体験でも、
身体にはその「記録」が
詳細に残っています。

これまでの臨床で、

楽しく幸せな体験が
そうした記録の形で
現れたことはありませんが、

辛さを感じながら
無理に行っていたことや、
身の危険を感じて思わず取った
無意識の防衛反応は、

きわめて正確に
身体に記録されています。

 

その記録は、「緊張」という
「物理的な力」の形でもって
全身に書き込まれています。

「緊張」という力を使えるのは
肉体の中では筋肉だけ
と私たちは考えがちですが、

緊張は表層の筋肉だけではなく
骨格を包む深部の組織や
内臓などの体内の深奥でも生じています。

 

それらの緊張は互いに結びつき、
身体の内外にまたがる
複雑で特殊な力のつながりを作り出します。

通常の整体などで体を整えても
元の状態に戻ってしまうことが多いのは、

身体が抱えている緊張と
それによって生じている
特殊な力のつながりが、

私たちの想像を
遥かに超える複雑さで
身体に根付いているためです。

 

この特殊な力のつながりは、
自分を守るための
「防衛反応」をきっかけとして、
身体に刻印されます。

大きな事故や事件に
巻き込まれた体験はないから
私は関係ないな…
と思われた方も、

小さい時に転んだり、
お友達とケンカしたり、
あるいは乳児の時に
親がうっかり取り落とす…
なんて体験があったかも知れませんし、

あるいは、
苦手な人と話をしたり
介助をしなくてはならない環境に居て、
自分の心を落ち着かせるのに
日常的に努力を必要としていたり。

このような場合にも、
私たちは「防衛」のために
無意識に身体の力を借りながら、
その体験に立ち向かっています。

 

楽しい時や嬉しい時にも
「緊張」を感じることはあるものの、
それが身体に記録を残さないのは、

同じ「緊張」ではあっても、
「防衛」という性質の反応では
ないためと言えると思います。

それではなぜ、
「防衛」による「緊張」が
複雑で特殊な力のつながりを作って
身体に残存するのかと言うと、

自分を守ろうとする瞬間に、
私たちが多様な反応を
幾つも重ねて行っているから、

そしてもう一つには、
防衛の前提にある「攻撃」の力も
身体にはセットになって残るため
と考えられます。

 

身体に残された
「力のつながり」の記録は、
実に膨大な情報量になります。

施術の場では、

そうした記録の中から
今の身体に大きく影響している
「今変化させるべきもの」
を選ぶ必要がありますが、

経験のある施術者と言えども、
私たちの通常の視野で捉えられるのは
非常に限られた範囲のものであり、

身体にとって本当に必要なものを
施術者が自らの「思考」で正確に選ぶのは、
不可能だと私自身は感じています。

 

私たちは、

「私」の人生から一時も離れずに
ずっとずっと「私」を支え続けている
自分の身体のことでさえ、
良く分かっていないのが現状です。

ましてや他者の身体となれば、
長い時間をかけて行う施術だとしても
その方の全人生からすれば
ほんのわずかな時間にしか過ぎません。

全人生に対して行う
わずかな時間での施術や診療。

それはまるで、濃霧の中を
何を探すべきかも分からないまま
手探りするようなものに思えます。

その方に、その方の身体に、
今必要な変化がもたらされるためには
どこからどうアプローチすれば良いか、

その重要な決定を行うのは、
プロであればあるほど
怖さを感じるものだと思います。

 

膨大な「力のつながり」の中の
どこから施術を始めるのが適切か、

それを選び出して示す力は、
実は身体自身に備わっています。

身体のそうした能力に気付くまでは
長い道のりを歩む必要がありましたが、

それに気付く機会を得られたこと自体が
非常に幸運なことだったと感じています。

 

当院の施術は、
身体が選んで示す情報を読み取り、
それを忠実に追いかける形で進んで行きます。

これは言い換えれば、
施術者の判断によって
施術を進めるのではなく、

身体自身の選択に基づいて、
身体が自らの力で
内側から変化を起こして行く、
ということです。

 

身体自身が変化の順番を決め、
変化を起こすために必要な
辿るべきプロセスを選ぶということは、

身体にとっても
クライアント様ご自身にとっても、

最も効率的でありながら、
身体自身がこなすことの出来る
無理のない安全な範囲で
変化が起きて行くということでもありますし、

立ち現れてくるプロセスそのものが、
その方の魂が辿ろうとしている道と
深くつながって行くことになります。