足裏に触れると、ひんやりしている。
奥まで冷え切ったように、シンとしている。
まるで雪の降る日の、染み透るような静けさのようだ。
しばらくすると、奥の方に小さな明かりが灯ったかのように、
微かな温かさが現れた。
ゆっくりゆっくり、小さな明かりが近づいてくる。
だんだん温かさがはっきりして来て私の手と触れ合った。と、
「エネルギーが流れてきた~」とのKさんの声。
「ね、私も今ちょうど、生体反応を感じたよ(笑)」
身体にも、受け入れる準備を整える必要がある。
こちらが一方的に与えよう、働きかけようとしても、
相手の身体の準備が整っていなければ働き掛けは生じない。
それを、改めて感じさせてくれた貴重な体験。
自然界には一方的な働き掛けは存在しないのだろうと、これは直観で思う。
例えば、稲光。天空から降りてくる稲光は、
大地から迎えに行く光の存在があって、落ちるべき場所に落ちていく。
生殖活動もそう。健康な女性性器は、
男性生殖器を自ら迎えに行く動きを示すのだと言う。
そう言えば、馬の仕事をしている時にも、同じことを感じたことがあった。
馬の調教は、「教える」という文字を使っているけれど、
実は教える事なんてできない。
馬が乗り手に耳を傾けて、
「なぁに?何て言おうとしてるの?僕に何をしてほしいの?」と
そういう意識を持ってくれて初めて、
こちらの伝えたい事、学んで欲しい事を伝える事が出来る。
こちらから教えるのではなく、相手が
学びたいと思う意識を作ることが調教。
それが、その時に学んだ大きな気づきだった。
施術でもまた、同じだと感じる。
施術によって身体に生じる変化は、実は
身体が施術に来る前にすでに準備をしているから起きる。
症状は、「これはもう手放したい。何とかして。」というサイン。
今までは、身体の全体性を保つのにどうしても必要だった緊張。
でも、もう今はいらない。
これがあると、今はかえってバランスが崩れる。
だから、何とかして欲しい、気付いて欲しい。
身体が手放す決意をしたからこそ、
意識はそれに反応して何とかしてくれそうな方法や施術者を探す。
ここのやり取りには、私達の顕在意識は介在していない。
だから、症状が起きている本当の理由や自分の内側で何が起きているかは、
本人には分かっていないことが多い。
蛇足ながら言うなら、これは身体の慈愛なのかも知れないと思う。
もし、全てのことを私達が知覚したなら、
きっと楽な日常生活は送れないだろうから。
そうやって、クライアントさん達は無意識や身体に突き動かされて、
ここを探し出して訪れてくれる。
だから、施術では身体の意志を尊重することを一番大切にする。
無理やりに「良くしよう」とせず、身体がどう変化したいのか、
どんな順番なら楽に今の状況を手放せるのか、
それを丁寧に身体から聴き取っていく。
施術者は、身体の鏡になる。
無理やりに力づくでやろうとすると、身体は抵抗を示す。
だって、自分で心の準備はしてきている訳で。
勉強しようと思っていたのに「宿題やったの!?」なんて言われると、
あぁ~もうヤメタ!!って思うのと一緒。
身体が自分で手放そうって決めて
ここを訪れてくれたことに感謝をしながら、
その動機を上手く後押しして行く。
他者である施術者にできるのは、それだけ。
そして、必要な後押しが出来たならば、その時にこそ
準備の範囲を超えて身体は大きく変容するのだと、そう思う。
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