百鬼丸ー散逸した身体を、取り戻す。

今回お話するのは、

私が臨床を通して感じ取って来た

身体の性質について。

 

身体が日頃、どんな工夫をして

私たちを一生懸命に支えてくれているか、

それを知って頂けたら良いなと思います。

 

 

私たちは、

みな身体が一つであると考えています。

それは、鏡で見たり

自分の目で身体を見ることで

そう判断することが出来ます。

 

ですが、実際には

物理的にはつながっているように見えても

身体の中であるべき「連携」がない場合が

とても沢山あります。

 

 

 

これは私自身のことなのですが、

私は幼少期に背部を強打しており、

その影響で身体の内部に

幾層にも重なる歪みを持っていました。

 

正面から普通に見るとまず分からないのですが、

何年も前にクラニオの講義を受けた際、

一緒に受講していた生徒の一人が

仰向けになった私の顔を頭の方から逆さまに見た時に、

左右の顔面が、上下にズレているように見える、

と気づきました。

 

正面から見ても気づかないのは、

私たちが普段、自分の姿を鏡などで見る事により、

意識の力によって身体の歪みがカバーされているからです。

 

 

臨床経験を通して気づいたのですが、

身体には幾つもの「緊張」が、

層状に蓄積されているようです。

 

緊張が解けると、

かえって身体が隠していた歪みが

一旦表出して来ることがあります。

 

身体が自然で楽な状態を取り戻すには、

まるで身体を覆っている拘束具のような

その幾層もの緊張を解いていく必要があるのですが、

 

表層の緊張は下層の緊張を封じ込める封印であり、

それと同時にその支えになっていたりもするので、

緊張を解くのには慎重さを必要とします。

 

表層の緊張が覆っている事で、

下層の緊張はカバーされ、隠されています。

その一方で、下層の緊張は、

時系列的には表層のものよりも先に出来た可能性が高いものです。

 

緊張がある部分では、歪みが生じています。

その歪みが一定以上強ければ目で見ても分かるわけですが、

そうならない様に、ストッパーとして新たな緊張が形成されます。

 

この時、これ以上歪まない様にするには

どこに緊張を作って歪みを支えれば良いか、

身体の中で自動的に判断されます。

 

この判断を助けるのが、

「自分の姿を目で見て、確かめる」という

私たちの意識的な作業だと思います。

 

私たちは、自分の姿を固定的に捉えます。

真ん中に垂直軸があり、左右が対称である事、

対称性は、肩の高さや耳の高さが左右揃っていて…など、

身体の輪郭を捉えるポイントとして

幾つか無意識の内に習慣的に確認している部分があります。

 

その際、もう少し右肩が上がっていたらとか、

もう少し左目が大きかったらとか、

これまた無意識の内に、左右を比較して

自分の身体への評価を行うわけです。

こうした無意識の内に下した裁定が、

身体が自分の「形」を保つ自助努力を行う際の、

判断材料の一つとなっていると思われます。

 

 

その為、表層の緊張を解くと、

下層にあった緊張と、それに伴う歪みが

はっきりと姿を現すことがあるのです。

 

施術をすることでかえって歪みが強く出るなんて、と

驚く方もいるかも知れませんが、

それは、身体の変化は良い方向へ向かう一本道だと考えていたり、

現れた結果のみを見て判断しているからかも知れません。

 

施術を、身体が本来の状態を回復して行く

大きなプロセスを支えるものとして捉えれば、

隠されていたものが一旦表に出て来てくれることは、

その緊張や歪みを身体が手放して行く為の

下準備であることが理解できます。