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「青」と筋膜 ~11月の営業

皆さん、こんにちは~!

11月に入って、めっきりと冷え込む日が増えてきました。

neMu no ki では、すでに暖房がついております… 😆

 

11月の営業のお知らせの前に、

先月行った札幌での体験を少しお話させて下さいね!

DSC_0002_19

 

札幌では、エネルギーヒーリングの勉強をして来ました。

なぜ、整体でエネルギーの勉強が必要なの?と思いました?

 

neMu no ki で行う整体は、主に筋膜に働きかけます。

筋膜は単純に言えば筋膜を包んでいる膜ですが、

実際には筋肉を包んでいる膜から靭帯へつながり、

それが骨を包む膜につながり、

体幹の大きな構造を包む膜につながり、

内臓を包んでいる膜につながり…。

 

という訳で、身体の中にある

小さな器官や臓器から、大きな骨格的な構造まで、

ほとんど全てを包んでつないでいる、と言えます。

 

こうして大きく全体を包んでいる組織としては、

もっと大きな枠組みの名称である「結合組織」

と言う名前の方が相応しいかも知れませんが、

筋膜と言う名称の方がイメージが掴みやすく一般的なので、

筋膜という概念を最大限広げて使っています。

 

全体の大きな構造から小さな構成物に至るまで

様々なレベルのものを包んでつなげているという事は、

こういう風に言いかえることも出来ます。

 

すなわち、

体腔という大きな空間構造の中で、

それぞれの臓器の安定した位置関係を決めているのが、

こうした膜組織の役割である、と。

 

狭い体内にひしめき合っている臓器たちは、

お互いのポジショニングを結構厳密に取り決めています。

お互いが重なり合う場所は、ちゃんと凹んでいたりするんですよ。

例えば、肝臓の裏側なんかはこんな感じです↓

肝臓背面の圧痕

 

それがどこかで下がったりズレたりすると、

隣り合う臓器にど~んと重さや圧力がのしかかることになり、

それぞれの臓器が活発に活動するのを妨げる事になります。

 

病院の検査をしても何も異変は出ないけど、

確実に不調があって辛い…なんていう未病の状態は、

こうした膜組織による支持力不足が影響している事があるんじゃないかと、

まぁこれはあくまで、私の個人的な見解なんですけれど。

 

勝手にイメージをつけるとすると、身体の中で臓器同士が

「お前ちょっとあっち行けよ~。重てぇよ~。」

「俺だって狭いんだよ、そんなこと言われても困るよ~。」とか、

小突き合っていたり…なんて。

中には、文句も言い出せずに縮こまってるのも、

きっといるのでしょうねぇ(・ω・)

 

で、この構造を支えているという物理的な役割とちょうど重なる様に、

身体のエネルギーシステムである7つのチャクラでは、

肉体の鋳型(テンプレート)を保持していると言われる第5チャクラが

筋膜と関連しています。

 

チャクラに関して私は専門家ではないですし、

簡単に説明できるような事柄でもありませんので、

ご興味があれば各自調べて頂くとして…(^^)

 

筋膜の施術によって生じる身体の変化を見ていると、

骨格的な構造や身体の肉付きなど、

いわば身体の輪郭の変化が比較的顕著に、しかも容易に観察できます。

(その変化がその後安定して定着するかどうかは、また別問題です。)

 

身体の一部で起きた変化は、全身にすぐ伝わります。

そこには細胞同士の情報伝達や、

神経を介しての伝達などがあると思いますが、

筋膜の層で起きた変化の伝わり方はもっと三次元に広がる網の様で、

広範で複雑で、でも秩序立っているのが感じられます。

 

そうした感覚から、

単に膜を伝って変化しているだけではなく、

膜の上を電気がぱ~っと走り抜けるようにして

変化を伝播していく様子が浮かびます。

実際、筋膜は他の組織に比べて、

非常に通電性がよいのが特徴です。

 

このように、筋膜とエネルギーとは関わりが深く、

施術で生じる変化をきちんと理解しようとする時には、

エネルギーそのものについての理解が必要になります。

 

という訳で、エネルギーについて

科学的かつ理論的な視野で学ぶことの出来る講座に

参加してきたわけなのです。

(前置きがすごく長くなりました~(;・∀・))

 

今回特に面白かったのは、

ヒーリングの予備訓練の一つとして、

相手に色を伝える練習をしたことです。

 

例えば緑なら、

美しい緑の風景の写真や緑の小物などを用いました。

小物であれば実際に片手で触れながら、

もう片方の手で相手に触れます。

 

で、私がやってもらっていた時の体験はと言うと。

相手が小物から手を離している時とそれを触れている瞬間とでは、

触られている自分の目(と言うよりもオデコ。第3の目の辺りですネ。)

が感じる光の量がはっきりと違って感じられました。

 

写真の場合には、

相手の方が新緑の中にいる体感をアリアリと思い起こしていると、

触れられているこちらも、

あ~森の中だ~…陽光がチラチラしてる~…

みたいになります。

 

不思議でしょう?え、アヤシイ世界?(^▽^;)

でも、参加してた多くの人がそんな風に感じるんですから、

面白いですよねぇ~(#^.^#)

 

と、こんな感じで講座は4日間で終了しまして、

その後は2日間、自分の羽を思い切り伸ばしてきました。、

と言っても、行ったのは札幌のすぐ郊外だったんですけど。

 

一日目だけご紹介しますと、

馬に乗って林や川の中を歩いたり走ったり、

ケチャップ、水を飲む.

ケチャップ君

 

ダムのある緩やかな渓谷でインディアンカヌーを初体験、

インディアンカヌー

 

最後は、なぜかカレーが名物の温泉へ。

豊平峡温泉のカレー

 

…遊び過ぎですって?まぁまぁヽ(^。^)ノ

 

 

 

この温泉、豊平峡温泉っていうんですけど、

内風呂の床が温泉の成分で鍾乳洞みたいになっているという

垣根なしの源泉かけ流し。

非常にオススメの気持ちの良いお湯であります。

 

…でも、洗い場の水道のお水も温泉ぽいので、

見知らぬ若い女子たちは「洗ったらかえって汚くなる」と騒いでおりましたがネ。

 

この日は朝の内は曇天でしたが、

カヌーをし始めた辺りから美しい青空が広がり始めました。

折り返して川を漕ぎ戻って来る頃には、雲がほとんどなくなりました。

 

定山渓の紅葉

カヌーの上から撮った紅葉。ね、快晴でしょう?

 

自慢じゃないんですけど、晴れ女なんですよ、わたくし。

この日がたまたま誕生日だったカヌーのインストラクターさんが、

この日最後の仕事を美しく晴れ渡った空の下で出来たと、

とても嬉しそうな表情でした。

私も楽しかったな~!

 

温泉には大きな露天風呂があったのですが、そんな経緯で

青々と美しい空の下で、紅葉を見ながらゆっくり~(#^.^#)

はぁ~、極楽ごくらく~♫

だったわけです。

豊平峡温泉

(写真奥の壁の向こうが、露天風呂。)

 

突き抜ける様な青空を見上げている内に、ふと

講座でやった色の練習を思い出しまして。

青を見ていたら、全身が青のエネルギー(周波数)に

なっているんだろうなと思ったんですね。

 

そこから、ず~っとひたすら青空を見続けたんですが、

もういいかな~と言う気になかなかならない。

首が痛くなるほどではないですけど、

それでも40分ほどはそうして青空を見ていましたかねぇ。

最後は、自分が青を目から吸い込んでいるって感じがしました。

 

そろそろ風呂から出てもいい?と問いかける自分の思考と、

まだまだ、と粘る身体の攻防の末、

やっと「よし、もうOK!」という踏ん切りがついた時には、

「やっと自分に戻れた…」という実感がふっと湧いて来て、

その実感が身体にピタッとハマった感じがしました。

 

青色をめいっぱい吸い込んだことで、自分自身に戻る。

この体験を、私はこう理解しました。

青色(第5チャクラのエネルギーの色です。)によって筋膜が賦活され、

身体の構造の安定性が増したのではないか、と。

 

筋膜が整うと、

構造の枠組みがストレスの少ない軽やかな状態に変化します。

(その変化の過程の中では、必ずしもそうではないこともあります。)

そこでもたらされる構造の安定性は重々しいものではなく、軽やかで動きを好みます。

 

青く澄み渡った晴れの日。

私たちは屋内にいるのが勿体なく感じて

外に出て散歩をしたり、どこかに出掛けたくなったりします。

これは太陽の光や熱の影響ももちろんあるでしょうし、

気圧の影響もあるかも知れません。

でももしかすると、青空の、その青色そのものに

動かされているのかも知れないなぁ、なんて思うのです。

 

 

さてさて!

それでは最後に11月の営業のお知らせです。

今月は臨時でのお休みは3日(月・祝)のみです(すでに過ぎましたが^^;)

それ以外は、祝祭日に関わらず

毎週水日が定休日

営業時間は11時~20時(最終受付は18時)となります。

 

 

今の時期は、急に厳しくなって来た冷え込みに

まだ身体が適応できていない為、

体調を崩しやすいと思います。

 

今からあまり暖かい格好をしていたら真冬が乗り越えられない!

なんてことを言わずに、

今だからこそ身体を冷やさない様に注意してあげてください。

 

身体は一度冷え切る体験をすると、

すぐに冷えるようになってしまいます。

足元が寒いな、スースーするなと思ったら、

我慢は厳禁、早めに対処をして下さいね!

 

この季節の変わり目を乗り越えれば

身体は寒さに適応するので、寒い冬だって大丈夫です!

…なハズです~ヽ(^。^)ノ

 

 

 

 

「敏感さ」や「イライラ」をエネルギー的に考えてみると。

先日、施術中に「エネルギー」の話になりました。
クライアントさんが 「それは分かりやすい!」と納得してくれたので、
今日はそのお話を。

 

久しぶりにいらしたYさん。
何だかスッキリしましたね~(^^)

 

「転職を控えての有給消化中で、
働いてないからじゃないかと思うんですけど。」

 

しばらく前から、 デザインコンペに思い付きで(と言っていたと思うんですけど^^;)
出した作品が入賞したり、転職先もご自身が本当に好きな分野で見つかったりと、

より自分らしく生きる方へ向けて
流れが変化して来ているように見えるYさん。

 

「でも、働いてないから気持ちはイライラしてないはずなのに、
最近やたらと細かいことが気になっちゃって。」

 

忙しさややる事に追われていると、
思い通りにいかない事があったりした時に確かにイラッとしたりしますよね。

 

でも、Yさんの言っているのは
そういう事ではないようで。

 

「ちょっと人がぶつかって来たりとかすると、
何かイラッとするんですよ。」
ははぁ、反応そのものが気になっていると言うより、
そんな風に感じるのは自分の性格が悪いんじゃないかと
考えていらっしゃる様子です。

 

でもね、私も実は結構ありますよ!
電車の中で当たられたりとか、
人に向けてクシャミして来たりとか、
風上からタバコの煙が流れてきたりとか。

 

こんなのと出くわすと、
もう、キ~ってなっちゃう。

 

コラお前ら、ちょっとは人の事考えろ~!
って心の中で突っ込んでます。
(たまに、呟いたのが聞こえちゃっても、素知らぬ顔してま~す^^)

 

私も、なんでかなぁって考えました。
でね、こういう仮説にたどり着いたんですけど…。

 

私たちの身体の周りには、
エネルギーフィールドがありますよね。
一般的にオーラと呼ばれたりもします。

 

「はい。」

 

【エネルギーフィールドとは:
イメージ的には、心理学の分野で言う「パーソナルスペース」を
想像して頂けたら分かりやすいかも知れません。

 

例えば話をする時に、これ位の距離は相手と離しておきたい、
と言う具合に感じる空間感覚ってありますよね。

 

それを無視して踏み込まれると、
非常に 居心地悪く感じます。

 

目には見えないけれど、厳然として
互いの間に境界線が存在している。
それを作り出しているのが、エネルギーフィールドだったりします。】

 

都会に住んでいる人間は、人口密度が高くて
互いのエネルギーフィールドがぶつかったりするので、
それをぎゅっと縮めてお互いの領域を守っていたりするんだそうです。

 

Yさんの場合、今は時間を自由に使っていらっしゃいますよね。
それと、自分らしい方向へと踏み出し始めている。

 

「うん、そうなのかな。」

 

そうだと思います。
もしそうであれば、望まない仕事をして狭い電車に押し込まれて生活している間、
ずっとぎゅっと縮こまっていたエネルギーフィールドが、
今は、自分らしい大きさに少しずつ戻ってきているのかも知れませんよね。

 

小さくてギュっとしている時には、外からの刺激や情報は自分の中に入らないように
ある程度シャットアウトされそうじゃないですか?

フィールドが広がって来ると、人のエネルギーとも
重なったりぶつかったりして来る。
それにギュっと閉じていた時よりも、外との交流も起こりやすくなるだろうと思うんです。

 

だから、ほんの些細なことが気にかかる様になる。
と言うよりもむしろ、
小さなことに気付けるところまで回復した、とも言えるんじゃないかと思うんです。

 

「…!今の、分かりやすいです!」

 

ふふふ、でしょ~^^
私の場合も、自分でメンテナンスしながら
肉体や心の緊張が解けて行っていると感じているのに、
なんで些細な事で腹が立つのかなぁ。

 

むしろ、反比例して
腹の立つ度合いが増えてる気もしたりして。
なんて思った時があったので。

 

でも、自分らしさを取り戻して
エネルギーフィールドが広がったからと言って
みんなが必ずしも小さなことにイラッとするとは限らないですよね。

 

「あぁ、そうですね。」

 

イラッとするのは性格の問題ではないけれど、
その人の持っている本質的な傾向性と関係していることは、
考えられるかも知れないですねぇ。

 

「?」

 

例えば、人のサポートをするのが好きな人は、
人の為にエネルギーを使うわけです。
だから、外からの刺激に対しても比較的寛容で、

 

自分のエネルギーを、例えば
自分の創造活動にすべて注ぐ必要のある人なんかだと、
極力自分の境界はしっかり 保っておきたいだろうと思うんです。

 

エネルギーをどこへ使うか、それは本質的な性質の違いを反映すると思います。
そしてそれが、外からの刺激に対する反応の速さや敏感さを
そもそもの部分で左右しているかも知れないなと。

 

「あ~。」

 

外の現象や外への反応として体験することも、
実はすべて自分の内側で起きていることだったりします。

 

内側で起きていることを私たち自身が見て、知るために、
外側への反応と言う形を取って現れるのだろうと。

 

でもそれは、自分がダメな人間だと
断ずるための情報ではないんです。

 

今、内側で起きている変化がどんなものか、
それを知ることで、

 

私たちは進んで行こうとする目的地へ
自分の歩みがちゃんと向いているかどうかを
確認することが出来るのだと思うのです。

 

 

 

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緊急時は、まず腎臓に手当てを。~エネルギー的現象を肉体から捉え直す

ショック状態になると、

腎臓のエネルギーが一気に消耗する。

それを放っておくのは

身体にとって危険なのだと、

以前さるヒーリングスクールで

教わりました。

ふ~ん、そうかぁ。

そんな程度に思っていたのですが、

つい昨日、「おぉ~、確かに!」 💡 と

身を持って知る機会がありました。

昨日、エアコンのファンに

指を突っ込みまして。

指を挟んで「ひぇぇ~」 😯

とショックを受けた後に、

腰の辺りが浮ついているような、

力の入りにくい感じがしているのに

気付きました。

少し細かく感覚を観察してみると、

胃の辺りにも下から上に向かって上る

モヤモヤとした感触があって、

それは身体の感覚なのに、

不快感と言うより

不安感に近い感じでした。

この一連の感覚が、

腎臓のエネルギーの急激な消耗の

現れなんだなと、過去に教わった記憶と

配線がつながって、合点が行きました。

こういう面白い体感や気づきをすると、

どうしても分析と洞察を加えたくなります。

…これはねぇ、趣味なんです。 🙄

身体の感覚や

身体に起きる変化や現象を

生理学や解剖学とすり合わせると

どう理解出来るか、

考えずにはいられないんです。

普段とは違った見方の中に

身体を放り込んでみると、

なかなか面白いんです^^

さらに違う発想にもつながったりして。

と言うわけで、私の趣味に

お付き合いくださいね 😀

腎臓の消耗、その時何が起きているか。

さて、緊急時の

腎臓のエネルギーの消耗と

一連の感覚には、

どんな結びつきがあるか。

それを解明してみたいと思います。

そもそもショックやパニックの時は、

闘争逃走反応と呼ばれる身体の

生理的な反応のプロトコルにしたがって、

脳からの指令を受けて副腎から

ホルモンが分泌されます。

副腎髄質からのホルモンは、

血管や心臓などの循環系を

コントロールする作用を持っています。

緊急時には

身体の基本的な機能を守ったり、

患部を素早く補修するために

循環系の制御が必要で、

副腎髄質は急激に

大きな仕事をこなす必要に迫られます。

短時間で大量の

ホルモンを分泌するために、

副腎では大量のエネルギー

=酸素と栄養が必要です。

副腎にそのエネルギーを

与えてくれるのは、

横隔動脈、大動脈、腎動脈から

それぞれ枝分かれして来る血管です。

血管のつながりから、

副腎で大量のエネルギーを

消費する時には、

横隔膜や腎臓の方で一時的に

在庫切れ状態になることが予想できます。

はい、腎臓のエネルギーの在庫切れです。

そう言えば・・・。

胃の辺りで起きた、

上へ抜けるような不安感は

貧血になりそうな時の感覚に

似ていたなぁ。

ショック反応の余波で腎臓が在庫切れ

=虚血になったのだと考えれば、

腰に力が入らないような

浮ついた感覚が起きた事とも

つじつまが合います。

さて、ではこの現象を

放っておくとどうなるでしょう?

横隔膜や腎臓で

血液やエネルギーが足りなくなると、

副腎も十分に活動が

出来なくなります。

そんな時、体内では

恐らくこんな光景が

展開されているに違いない・・・。

血中のホルモン濃度を通して

副腎の活動を監視している脳からは

「ホルモン足りないゾ。

もっと頑張って分泌しろ~」

と催促が。

分泌したくても

エネルギー源が十分にないので、

副腎は懸命に頑張ってるけど空焚き。

それでも

血中のホルモン濃度は上がらないので、

催促は矢のように来る・・・。

(まるで借金取りじゃ~。 😥 )

頑張り続ける副腎、

思ったように反応を返してもらえずに

イライラする脳みそ。

ついでに、その間で

右往左往する自律神経。

この状況、

抑うつとか、自律神経失調とか、

そうした症状に近い気がしませんか?

どうしたら、

こうした状況を解決できるのでしょう?

はい、副腎にエネルギーがまわる基盤を

整え直してあげる事ですよね。

つまり、横隔膜と腎臓の虚血を

解除するのが先決なんですね。

だから、緊急時、

ショックを受けた時にはまず

腎臓に手当、なんです。

何よりもまず腎臓に手を当てて、

腎臓がほっと

落ち着いたように感じられたり、

顔に血の気が戻ったかなぁ

と感じられるまで、

十分に労ってあげて下さいね^^

これもまた、災害時や

手助けの必要な場面に

知っておくと良い

実用的な知識だと思いますヨ 🙂

精油と音叉の力。

 

エアコンの中の

黒い斑点(カビです^^;)が

ず~っと気になっていたのを、

 

 

今日になって

やっとキレイに掃除出来た! 😀

のは良かったんだけれど、

 

 

ゴリゴリゴリ…

「あ!やった!!」

 

 

掃除が終わる直前に

エアコンを付けまして、

最後の作業をしたんですね。

 

 

そうなんです、

案の定、

回転式のファンに

指を突っ込みました。

 

 

慌てて手を引き抜いて、

右手の中指が削れてないかを確認。

 

 

ほっ 😯

ちゃんと先っぽまで

無事にお肉がついてる~。

良かったぁ。

 

 

そして、中指さん、申し訳ない!

 

 

回転するファンにぶつかった指先は、

ジンジンする痛みと共に

膨れるような感覚がします。

 

 

このまま放っておくと、

患部はより痛みが強くなったり、

治りが遅くなったりします。

 

 

なぜかと言うと・・・

 

 

中指の様子を調べると、

関節が不安定になり、

皮膚や筋肉も妙に柔らかくヤワヤワ、

 

 

骨の表面でズルズルと動いて

骨格構造の安定性を支える力を

失っています。

 

 

これでは血管も

緊張度が足りなくなっているので、

患部を再建するための材料を

運んでくる血液が

患部に十分に届きにくくなるんですね 😕

 

 

患部では、細胞は言わば

パニックを起こしている状態です。

 

 

強い衝撃が加わることで、

自分たちの正常な振動数を

失っている状態と

理解してもらうと良いかと思います。

 

 

組織や器官には、それぞれ

独自の振動数があるのですね。

 

 

それは、私たち人間一人一人に、

独自のペースや

生活のリズムがあるのと同じことです。

 

 

 

 

音叉や精油は、ケガにどう作用するか。

 

 

せっかくなので、指を材料に実験。

通常、皆さんに行う施術の様に

筋膜からのアプローチでも患部の組織を

整えることは出来ますが、

ちょっと時間が必要。

 

 

なので、今回は

精油と音叉を使ってみました。

 

 

先日、思うところあって、

音叉と精油を用いる

ヒーリング手法を学びました。

 

 

レインドロップといって、

カナダの先住部族に伝わる治癒方法を

元にしているセラピーです。

 

 

精油も音叉も品質が確かなものは

一定の安定した周波数を生じます。

 

 

その力を借りると、

急なケガや打撲で

パニックになっている患部を、

効率的に落ち着かせることが

期待できます。

 

 

パニックが落ち着くと言うことは、

患部がそれ以上広がるのを

防ぐことにもなります。

 

 

まずは精油。

ヴァラ―というブレンドオイルを

左手に取り、痛めた右中指を包みます。

 

 

患部が落ち着いてきたからでしょう、

3分ほどの内に

腕~肩にかけての力が抜けました。

 

 

エアコンに巻き込まれた瞬間に

反射的に手を引っ込めた際に、

腕に力が入ったんですね。

 

それと、

驚いたせいで腰も力が抜けて

浮ついた感じでしたが、

それもふっと下に降りました。

 

 

腰が落ち着くと、

気持ちも落ち着きました。

 

 

指の状態を再度確認してみると、

関節はグラグラしていたのが止まり、

 

 

皮膚や筋肉組織も

ズルズル動いて遊ぶことはなくなり、

骨の表面で安定しています。

 

 

ここに、さらに

音叉を当ててみました。

 

 

音叉を3回、

患部の上で振動させます。

 

 

細かい振動が伝わると、

最初は痛みを感じます。

3回目にはそれが治まり、

指先の輪郭がはっきり

意識出来るようになって来ました。

 

 

処置の直後は、指先の皮膚感覚は

マヒしていましたが、

30分経って

軽い痛みと共に感覚も戻りました。

 

 

5時間経った今、

かれこれ2時間以上

PCに向かっていますが、

 

 

中指の痛みが気になって打てない・・・

なんてこともないです。

 

 

話は少し変わりますが・・・。

 

 

今の世界では、災害が増えて、

いつ何時ケガをする可能性や

ケガをしている人を

介助する可能性が

高くなっていると思います。

 

 

そんな場面に会わないに

越したことは無いけれど、

もし出会った場合には

自分に何が出来るのか 🙄

そんなことをよく考えます。

 

 

音叉も精油も軽く持ち運べるもの。

そして、誰でもかなり簡単に扱えます。

 

 

こうしたお助けアイテムがあったら、

いざという時に自分にも人にも

サポートの手を容易に

差し出すことが出来るんじゃないかな~。

なんてことを、

中指を見ながら考えています 🙂

 

 

 

青写真~京都オープンスクールより

人は、青写真を持って生まれて来ます。
この人生では何を学ぶかとか、
何を目的にして生きるのかについての計画表であり、
地図のようなものです。
私たちの周りには、オーラや生命場
という名でも呼ばれている、
エネルギーの場(フィールド)が取り巻いています。
私には残念ながら見えませんが、
施術をしていると「あるのだなぁ」と
感じることは出来ます。
エネルギーフィールドは、体の内側から
外へ向かって7層に分かれているそうです。
(詳しくは、ロザリン・ブリエール「光の輪」を参照。)
それぞれの層は異なる役割を持っており、
7つのチャクラの役割分担と相関しています。
1つ目の層は肉体を司どり、2層目は感情。
3層目は精神性、4層目は他者や異次元とのインターフェイス。
そして5層目が、今回のブログのテーマ、
青写真を保持する場です。
ここで言う青写真は、概念的には
プラトンの言う「イデア」とちょっと近いように思います。
イデアとは、単純に言えば「原型」です。
存在の中に共通する普遍性であったり、その人を
その人たらしめているエッセンスみたいなものでしょうか。
例えば、私とあなたは全く違う存在でありながら、
やはり人としての共通性を持ちます。
柴犬とダックスフンドだって全く違うけど、
でも同じ犬なんですね。
人を人たらしめているもの、
犬を犬にしているもの、それがイデアです。
理想形のイデアから、個々の存在へと
物質化する過程で多様化が生じるのですね。
現実世界は、別次元にある「イデア」の
似姿に過ぎない、という考えです。
と、ここまで書いて思いました。
青写真は、個々の存在それぞれに異なる、
丁寧に作られた地図です。
イデアはそこから見ると、十羽一絡げ的で、
目の荒いザルな気もしますね・・・。
役割分担のあるエネルギー場は
人間だけにあるものではなく、
生きる者には全てあるそうです。
と言って、植物や動物はもちろん、
土地にもエネルギーの色があって、
担っている役割があるんですって。
大地も、生き物なんですよね〜[#IMAGE|S37#]

お能の世界

不肖わたくしイイジマ、20代前半の頃にほ~んの少しだけ謡曲を習っておりました。
練習ぎらいの弟子だったので、習っていたなんて言うのもお恥ずかしや。
 
 
先日、かつての師匠からのお誘いで、本当に10年振り位で能の舞台を観て来ました。
と言っても、素人の方がメインの発表会的な舞台ですが。
 
 
伝統芸能の世界は全般的に高齢化が進んでいるようですが、能も例外ではありません。
 歌舞伎や狂言は表現が大きく、観ていて華やかさもあるしわかりやすいので、若い方たちも強く惹かれると思いますが、
能は、・・・まぁ難しい。
 
 
 
動きは無駄が一切省かれ、声明から発達したとも聞いた謡(うたい)は、現代の歌に比べると抑揚が少ないし。
なんの知識もなくて観ていると、全く何の話なのか内容の見当すらつかないことが、ままあります。
 
 
 かくいう私も、その難解さには閉口し、かと言って食らいついて勉強を深めるような気合いもなく、
忙しさにかまけて稽古からはすっかり遠のいてしまいました。
 
 
 で、実に久方ぶりに観たお能。
こんな仕事をし始めて、目には見えないエネルギーの世界のことにも少し感覚が働くようになったせいでしょうか。
以前とは異なった意味合いを持つ芸能として、お能の奥深さ、面白さみたいなものがちょっと分かる気がしました。
 
 
それでもって、何を感じたかというと。
能の最小限の動きや抑揚を抑えた謡は、能役者が場の中のエネルギーに生み出す変化を、
より明確に鮮明に表出させるための装置なのではないか、ということ。
 
 
動き=仕舞や、声=謡の抑揚の中には、感情の変化がさざ波のように現れる。
目や耳で感じ取れる謡や仕舞などの物理的な刺激が単調である分、
その奥から、役者という存在の内側から表出してくるエネルギーの強弱や色味の違いが浮き彫りになる。
 
 
能の舞台は、きっとその「場のエネルギー」とそこに役者が作り出す変化の波を、
わかりやすく感じるための空間だったのではないか。
そんな風に思ったのです。
観阿弥・世阿弥は、そういう空気感を作り出すのが非常に巧みだったのではないかと。
 
 
ひとりの人間の体から発せられる、乙女の空気、天女の空気、鬼の気配、弱った老人の気配。
その変化がぴりぴりと肌を通して感じられたとしたら、きっと私たちは人間の心が何なのかについて、
深く体感出来そうな気がしませんか。
 
 
 
 
 
 

カラーセラピーの奥深さ

去る6月19日、neMu no ki のごくごく近所にある cafe Topinambour さんにお邪魔して、カラーヒーリングのワークショップに参加しました。地元で活動している人達とのつながりをとても大切に思っているので、イイジマはこんな風に国立の街中に繰り出したりもします。
国立市は本当に面白い活動をしている人が多いようで、Topinambour のオーナーのヨシさんも、そんな興味深い人のお一人。料理をフランスとかイタリアとか日本とかという地域性で区切るのではなく、「野菜」といういわば「横のつながり」で切って見てみようというスタンス。それこそ、世界のいろんな所に行ってインスピレーションを受けて、奥行きのある、素材を大切に大切に考えた、美味しい野菜料理を提供してくれます。
カラーヒーリングの講師を務めてくれた maria さんも国立在住の方。ベースはオーラソーマを学んでいるようですが、幼少の頃から第六感が発達していたそう。クライアントさんの顔(と、その背後にいらっしゃる方たちも^^;)を見て、直感で受け取る情報を伝えてくれます。
この日は、2011年という年が時代の流れの中で重要な転換期になっているという話を聞いた後(これは、また別に説明しますね。)、ぬりえをしました。
ぬふふ、ぬりえ、可愛いですよね
参加者は同じ絵柄の入った紙を渡されて、自分がとても好きなことをイメージしながら色を塗って行きます。他の人と一緒にやっていると、思いがけないところに自分では発想することのない色を使っている人がいたりするんですね。それぞれの個性がその人なりの色の調和性(そう、調和の在り方も、十人十色なんですね。)の中に見事に反映されているのが見えて、本当に面白いです。一人だけでやっていては味わえない、ワークショップの醍醐味です。


ぬりえが終わると、その色合いを見ながら maria さんがリーディングをしてくれます。絵のそれぞれの部分の表す意味とそこに塗った色が表現すること。私の場合は自分の生きる意義にかかわる大きなテーマが表れていたようで、話を聞いていておもわずほろり。
同じ絵柄を使っているので、読み取れる事柄はみんな似たようなことなのかと思っていました。でも、その絵の中に何が象徴されているか、言葉を変えれば、その絵の中にその人が何を投影しているか、それはその人が持っている意識によって異なるんですね。maria さんの凄さは、ぬりえを見ることで、そこに表現されたその人自身の意識の状態を読み取る、ということです。・・・このスゴサ、伝わったでしょうか?
  今回は、6月末頃のneMu の花~
なんと可憐なナデシコ!純白にレースのような繊細な花びらが涼しげデス^^ 一番手前がガクアジサイ、淡い赤が可愛らしさを添えてくれます。紫がかかって見えるのはフウロソウ。まだ蕾で、素知らぬ顔で後ろに立っているのが、アカバナ。

呼吸=霊の活動

 
ジョギングやウォーキング中は、呼吸が深くなる。
その呼吸に合わせて、視界に景色が引き込まれてくる。鮮明な空気感や色合いを伴った、実存性が高い視野と言ったら良いだろうか。
初冬の黄色みの強い、枯葉の匂いを感じさせる陽の光や、冷たい鮮烈な空気を想起させる空の澄んだ青。五感全てに直接的に響くようにして、目に飛び込んでくる。世界は美しいなぁ・・・としみじみ思わされる。

自転車だと、同じ景色でもさらっと見流していたんだとも気付く。
自転車に乗っているときは先を急ぎがちで(通勤時が多いし・・・)、呼吸よりもペダルを漕ぐことに意識が行きがちだ。一方、ジョギングやウォーキングでは足がリズミカルに動くため、それに合わせて自然と呼吸が安定するのだろう。
呼吸が安定すると、脳波が安定する。ヨーガなどでも、瞑想に先立って呼吸を行うのはこうした呼吸の効用について知悉しているためだ。
 
「呼吸は霊の活動そのもの」と言ったのが、誰だかは忘れてしまった。でも現実に、呼吸が景色を自分の内に引き込んで来るのが分かった。自分の体験する事柄を、強い実感を伴う豊かなものとして味わえるのは、呼吸=霊の働きのゆえなのだろう。そんなことを、ふと思った。

映画「アバター」に見るエネルギーの描き方

chiezouは、水曜日はオフの日です。

今週の水曜日は、久しぶりに映画を観に行きました。

金スマでゴローちゃんが「アバター」をお薦めしていたので、ついついそれに乗っかっちゃいました[E:bleah]

で、その「アバター」。3Dの技術は評判に違わず、すごかった![E:happy02]

映像に奥行きがあると、自分が実際に画面の中の世界を共有している感覚が強烈に強くなるんですね。2次元の平面では、視覚から情報を受け取るだけの感じですが、3次元になるとそこに体感覚も加わるようです。登場人物の浮遊感やドキドキ感といったものを、より生に近い感じで味わっている様に思いました。

ことほど左様に素晴らしい映像でしたが、それにも増して感銘を受けたのは、何よりもエネルギーの描き方が素晴らしかった点です!青い原住民=ナヴァ族は太古からの神であり、自然の力であり、また祖先の声でもあるエネルギーの源泉と直接接触する方法を代々受け継いで来ているのですが、そんな彼らの体表にはエネルギーラインが走っているんですね。もし経絡が可視化できたら、あんな感じなのかも知れないなぁと思います。

アバターの描き出している世界というのは、ヒーラー、セラピストなどの施術者が触れている世界に通じるものがあると思いました。施術に際しては、何(組織・細胞)にどういう風に触れてどんな変化が起きているのかについて、施術者が明確かつ詳細にイメージ化出来れば出来るほど、被施術者の身体に起きる変化の速度や確実性も高まる様に思います。

chiezouも筋膜を媒体にして施術をしていますが、筋膜を通っていくエネルギーのイメージというのが、この映画を通じて視覚的にも感覚的にもよりはっきりと掴めた様に思いました[E:shine][E:shine][E:catface]