ボルネオに行ったのも
もう2ヵ月前のことになりました。
つくづく、時間の過ぎる感覚は
東京にいると速いなぁと感じます。
日々、これをやらないとあれを終わらせないと、と
常に視線は遠くの前方を見て
やるべきことを鵜の目鷹の目で探す傾向にあるようで、
今この時に、
自分の感じている事や気になっている事に対して
十分に意識をとどめておくだけの余裕を持つことを
社会の流れが許容しにくいからなのかな、
と思ったりもします。
熱帯性気候のマレーシアは、
何と言っても植物の元気さが日本とは違いました。
市場で売られている葉物野菜はバカでかいですし、
見たことも無い種類の果物も、実に豊富にありました。
左の写真はスネークフルーツ、右はタラップ。
次の記事で、植物や果物の詳細をご紹介する予定ですので、
しばしお待ちくださいね!
そう言えば、こんなことを教えてくれた人がいました。
熱帯地方では、歩いていれば
どこかしらで食べられる物が生っているから、
あまり頑張って働こうという気にならないらしいよ!と。
…なるほど、それはそうかも知れないですねぇ(^▽^;)
そうそう!
食べ物は全般的に美味しかったですよ~!
料理は辛いし酸っぱいしで、味がはっきりしていて、
飲み物は概して甘すぎるくらい甘いんですけど、
味のバランスが取れているんですよね。
日本人の舌には馴染みやすいと思いました。
それに、とにかく安い!
大きなショッピングモールの中にはフードコートもあって、
マレーシアの人達が普通に食べる一般的な料理を食べられます。
ランチの時間には、地元の人達も大勢食べに来ています。
白いご飯の入った発泡スチロールの容器に、
好きなおかずを選んで自分で盛りつけて、
それをテイクアウトできたりもします。
おかずは量ではなくて品数で値段が決まる形式なので、
3品選んで、ご飯におかずの汁をたっぷりかけて行っても
レジで払うのはわずか5リンギット(約170円)!
感動的な安さなのに、どれもハズレなしの美味しさ!
他にも、海の近くには屋台街があって、
エビやら魚やらが山の様に積まれています。
食べたいものと調理法を選んでオーダーすると、
その場で大皿の料理を作ってくれます。
これは伊勢海老みたいなものだったかな?
見た目の鮮やかさで食欲が盛り上がって、
非常に美味しかったのです~!
数あるレストランの中には
東京と同じ相場のところもありましたけど、
何と言っても日本と違うと感じたのは、
食材そのものの力強さでした。
だから、たとえ安いものであっても美味しいし、
食べると本当に満たされて、元気が湧いて来ます。
今までは、身体の状態が良ければ
食べ物の良し悪しははさほど問題ではない、
と思っていた所があったのですが(身体バカですね~(^▽^;))、
毎日食べている食材の力がこうも違うと、
根本的な「生きる力」の強さが
かなり変わって来るだろうと思います。
それは、何かを生み出したり、
想いを形にする事に情熱を注ぎ続けられる力でもあると思います。
そうした力を支える源の一つが、食事なのだと実感しました。
少し話は変わりますが、
滝を訪れた自然ツアーでは、
緑の木立が作り出す空気が本当に心地よかったのですが、
その空気を吸うことで
肺が柔らかくなったような感覚を感じました。
美しいマフア滝。
流れの後ろ側に回って
滝を見上げることが出来る。
私たちが日頃接触する環境によって
例えば、リラックスし易いとか、いつも緊張しているとか言った、
いわば身体が帯びているムードみたいなものが
無意識的に左右されているのだと気づかされた体験でした。
食べ物にしても空気にしても
生きる上で最も基本的な栄養素ですが、
私たちの心身の状態は
思いのほかこれらの要素によって
大きく規定されてしまうのだと言えそうです。
ボルネオでの豊かな食体験のお陰で、
「こんなに元気のない食材なのに、
こんなに高いなんて!」と
東京で外食をする度に理不尽さを感じては
ひとり憤慨しております(;^ω^)
食事は「元気」とか「活力」を得るために
摂るもののはずです。
だとしたら、食事に払う対価は当然
食事で得られる元気に比例していないとおかしい!
と思う訳なのです。
生きる事に最低限必要な「食べる」という事にさえ
こんなに費用がかかり、
しかもそれに見合ったエネルギーを持たない物を
食べることになっているだなんて。
日本は豊かな国だと言われていて、
私も以前は特に疑問も無く
そうなんだろうナと思っていたけれど、
一体豊かさとは何が基準なのかと
今は首を捻らずにはいられません。
憤慨しているだけでは成長しないので、
自分なりに出来る方法で、
食べ物に元気を取り戻してもらう方法を考えてみました!
ちょっとアヤシイ方法だなぁと
思う方もいらっしゃるかも知れませんが、
そのご意見もそれはそれで有りとしつつ、
ご紹介してみますねヽ(^。^)ノ
先日ある書籍を読んでいた時の事。
消化についての面白い一節を見つけました。
それは、
食物は光を持っていて、
真っ暗な消化管を通る時に
私たちはその食物の光を吸収する、
というものでした。
光とは、マナとか気とかエネルギーという様な概念に
置き換えられると思います。
消化管が真っ暗闇であることにも理由があったのかと、
妙に納得。
身体を物理的に構成する栄養素としてだけではなく、
食物が持つ光のエネルギーも
私たちは分け与えてもらってる事になります。
そう考えると、加工された食品よりは、
生に近いものの方が光を多く含んでいそうです。
ローフードやリビングフードには賛否両論ありますが、
良い面に関しては
食物の持っている生きた酵素をそのまま摂れるから
という理由をよく耳にします。
ですがもしかすると、食物の持っている光を
最大限吸収し易かったりするからかも知れませんよね。
一方で、生の野菜であれ果物であれ、
私たちの口に入るものの多くは
色んな薬剤をかけられて
育った地から遠く離れた所へ運ばれてきています。
彼らの身になって想像してみると…
店頭に並ぶ頃には頭は朦朧とし、
半ば冬眠した様な状態で、
自分がどこの誰だったのかも
分からなくなっている…かも知れません。
口に入れてしまう前に彼らの目を覚ませれば、
食材としての元気=光を取り戻せるのではないか、
なんていう発想が浮かびました。
で、実際に何をするかと言いますと。
いわば食材へのヒーリングです(*^^)
手で食材に触れながら、
彼らがまだ土に根を張っていた頃のイメージを
出来るだけ詳細に想像して伝えます。
土や空気の匂い、
風のそよぎ、陽の光の暖かさ、
そういったものを実感を伴う様にイメージして、
自分は本当は湿った香りの土から生まれた人参だったとか、
陽を浴びて輝いていたトマトだったとか言うことを、
ちゃんと思い出してもらいます。
そうするとどうなるか?
さぁて。
その効果のほどについては、
是非ご自身で試して
確かめてみて下さいね!(*’▽’)
そうそう、ボルネオの食事と言えば、
伝統的なバナナリーフでの食事もして来ましたよ!
大きなバナナの葉の上に、
ライスを中心に色んな種類のおかずを盛りつけます。
ちなみに、
一緒に出て来た魚の頭の料理は定番らしいんですが、
こちらはいささかコワモテ。
伝統食を食べる時には手を使うのですが、
これがなかなか難しい。
インドで正式な食べ方を教わった友人の説明によれば、
使う指は右手の3本。親指、示指、中指。
おかずとライスを混ぜて一口大にまとめ、
3本の指で掬いあげます。
示指と中指に乗せた食べ物を、
最後に親指で押し出すようにして口の中へ。
むむ、
知らぬ間に指4本汚れている。
なぜだ…。
とまぁ、かような感じで、
意外にも技術が必要です。
でも、手で食べるのは、
思っていた以上に
良い風習だと思いました。
ご飯やおかずなどの
ぐちゃぐちゃとしたものを手で混ぜるのは
気持ち悪そうだなぁと思っていたのですが、
実際にやってみて気づいたのは、
これから食べる物を
口に入れる前に手で確認する事になるんですね。
それが、非常に健全だと思ったんです。
日頃、テレビを見ながら食事をするのが
当たり前の習慣になっていましたが、
そのせいで自分が何を食べているのか、
ちゃんと意識せずに食べていました。
食べ物に対して失礼という以上に、
自分自身に対して失礼なことをしていたな、と。
これから体内に入って
自分を構成してくれるはずの物を
その都度、認識せずにいたのですから。
手で混ぜる工程が入れば、おのずと
何を食べるのかに意識が行きます。
何が自分を形作ってくれるのかを
ちゃんと把握しながら食べる事は、
自分という存在の土台をしっかり認識し、
自己の同一性を安定させる事にも
繋がっているような気がします。