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身体の錬金術 ~ neMu no ki 10年目に寄せて/6月までの営業予定

 

 

桜の時期があっという間に終わり、気が付けば花粉症も終盤となって、すっかり辺りは新緑の季節!

…すでに新緑も深まって来てるかな?

大変お久しぶりの記事となりました!皆さん、お元気に過ごされているでしょうか?

    ブログをアップしようしようと思いつつ…。

  花粉症に関連した記事を書いていたのですが、季節に追い越されてしまいました(;^ω^)

そうこうしている内に、4月下旬。実は、neMu no ki は4月の中旬に誕生しました。

2009年のことでしたので、今年で丸9年。10年目に突入、という計算になります。

ここまでの道のり、ずっと前を見ながら歩み、少しずつでも確実に成長して来れたなぁと、自分のことながら感じています。

初期の頃から変わらずに来院して下さっているお客様もおり、お客様に育てて頂きながらここまで来られたことに、深い感慨と感謝を覚えています。

皆さん、本当にありがとうございます。

そして、本当によく頑張って来たなぁ~。

    …と言うわけでして、予定変更。

今回のテーマは10周年に寄せて、改めて「身体」というものと私自身との関わりについて、自由に書いてみようと思います。

 

私たちは「身体」そのものではない

先日のこと。

施術が終わった後、クライアントさんに身体の説明をしていました。

何か日常的に気を付けることはありますか?と聞かれたので、意識的にやるべきことは特にありません。ただひたすら、身体がどの様に変化するかを見守り、観察してあげて下さい。と答えました。

クライアントさんは笑いながら、「まるで身体が自分と一体じゃないみたいですね。」と言いました。

その通りです。私たちは身体そのものではありません。

自分の中では当然のことになっていましたが、クライアントさんの意外そうな声を聞いて、「私たちが身体そのものではない」と言う事柄について改めて考えてみたくなりました。

 

意識の働きである「私」

「自分」が身体と一致していない、自分と身体は別物だと感じたのは、幼稚園の頃だったでしょうか。

家のすぐ近くには公園があって、そこへは坂道を下って行きます。

車の滑り止めなのでしょう、坂道には大きなドーナツ型の凹みが幾つもあり、公園に向かって駆け出そうとすると、必ずと言って良いほど足を取られました。

自分で思っている程、足が上がっていなかったのでしょう。バターンと派手に転倒すると膝小僧には大きな擦り傷が出来、ジクジクする痛みと思うように遊べないもどかしさで、悲しい気持ちになりました。

 

小さい頃、歌を歌うことも好きでした。

小学校に入る前からピアノを習っていたので、音程はちゃんと取ることが出来ました。

でも、ある一定の高音域になると、頭の中では音をイメージ出来ているのに、声は上がらなくなります。

理由はわからないけれど、喉が締め付けられる感じがして、潰れた声になるのです。

 

こうした体験を通して、身体は自分の思い通りにならない、身体は私を裏切っている。そんな風に思うようになっていました。

やりたいことを妨げ、自分を裏切っている身体は、自分と異なる異質なもの。

身体なんていらない。心だけで良いのに。

今となっては懐かしいです。当時はそんな捉え方をしていました。

この頃は、「自分は身体そのものではない」という表現にはなりませんでしたが、「自分」は心や意識と言う目に見えない「働き」であって、目には見えなくても、「私」という意識として存在している「自分」は、物質的な身体とは別物だ。ということを、体験的に知っていたと思います。

 

そして、小学校の中学年か高学年の頃になると、体育の時間、思ったように逆上がりが出来ない自分を前にして、こんな考えが浮かびました。今でもよく覚えています。

同じように手足を持ち、同じように全てに神経が通っているのに、運動が得意の人もいれば、自分のように苦手な人もいる。

身体を作っているものに差があるわけではない。私も健全な身体を持っている。それならこの能力の差は、一体どこから生まれるんだろう?と。

今にして思えば、これが「身体」と言うものへの私なりの探求の入口になっていたのだなと思います。

 

自己変容の夢

大学生の時、「錬金術」という言葉と出会いました。

選択必修科目に比較宗教学という授業があり、そこで初めて神秘主義的な世界を知りました。

中でも「錬金術」は特に興味を惹かれるものでしたが、それは卑金属が貴金属に変わる疑似科学としてではなく、純粋に形而上学的なものとして魅力を感じました。

二つの極にあるものを統合し、それによって「高く純粋なエッセンス」が物質の中に現れ出ると、鉛のように卑しい性質のものですら、金のように貴いものへと変容する。

 

ただ、それには大前提があって、それが可能となるのは、術者自身の変容が伴った時である。

錬金術は、私の中にそう響きました。

当時の私にとって卑しくて不要なものと言えば、何といっても「身体」でした。

10代の多感な時代、体験していた心理的な困難さもすべて含めて、あらゆる苦しみの原因は身体という物理的な姿形を持っていることにある、と考えるようになっていました。

自分の一部でありながら、嫌い疎んじていた身体ですが、その中からもし「高く純粋なエッセンス」を引き出すことが本当に出来れば、身体は尊いものへと変わり、自分という存在そのものが大きく変化するに違いない

 

錬金術と出会ったことで、自分でありながらコントロールの利かない身体と、それに苦しむ自分自身とが変容する可能性を、見つめるようになりました。

 

2つの原体験 ~ 弓と馬がくれた贈り物

錬金術と出会った前後の時期、2つの不思議な体験がありました。一つ目は、弓道場での出来事でした。

当時、弓道は習い始めてから1年経ったかどうかの初心者でしたが、私には一つのこだわりがありました。

それは、的を射ようと意図しないこと。

和弓には、動作の「型」があります。「型」に即して的確に身体を使うと、弓は驚くほど軽やかに、大きく開きます。

弓が楽に大きく開けば開くほど、矢は勢いよく真っすぐブレることなく飛んで行きます。

矢が的を射抜くかどうかは、弓を引く姿勢と動作の中にどれだけ調和と秩序を体現できたか、その結果でしかありません。

まず的を射ようと思わなければ的に矢は当たらないよ、とアドバイスをくれる方もいましたが、的を射るために弓を引くつもりはないという気持ちはどんな言葉にも勝り、決してブレることはありませんでした。

 

逆転した的と矢

ある日、弓を引き分け始めると、自分の身体の軸が真っすぐに立ち上がり、右半身と左半身のバランスがそれまでになく整っているのを感じました。

弓の張力も驚くほど軽く感じ、簡単に大きく広がります。

弓を最後まで引き分けると、矢は口の横に吸い付くようにピタリと添い、スッと静止しました。

全てが収まるべきところにある。

そんな感覚を感じながら、的を狙うでもなく息を詰めるのでもなく、ただ身体のバランスに確かな秩序があるのを感じながら、なおも弓を引き続けました。

 

矢は弓から離れた瞬間に、的に当たると分かりました。

矢は、放たれたと同時に的の中心と重なると、一つの点になりました。その点はまるで静止しているように見え、今は動かぬ点となったその矢に向かって、的が近づいてくるのが見えました。

的は次第に大きくなると、自らの中心に寸分の狂いもなく矢を真っ直ぐ受け入れました。

 

全ては滞りなく、当然のように流れて行きました。

全てはゆっくりと見え、一部始終がはっきりとしていました。

 

馬の気持ちに寄り添う

二つ目は、馬場での出来事でした。

当時所属していた大学の馬術部では、暑さを苦手とする馬達を連れて夏休みの間は長野で合宿をしていましたが、その年、合宿先の馬場が改築して、屋根付きの覆い馬場へと姿を変えていました。

普段乗せてもらっていた馬はチャウと呼ばれる雌馬で、落ち着いた大人しい性格でした。

合宿所に着いてほどなく、先発組の先輩がチャウに騎乗しているのが見えました。

…あれ?

馬場の中にいるチャウは落ち着かない様子です。

 

乗り手の言うことがまったく耳に入らないようで、神経質に足踏みをし続けています。その動きは、何かがすごく気になっていてこの場から逃げ出したいけど、何とか我慢して自制している。けどとても怖い!と言っているように見えました。

そんなチャウを見ていて、ふと気付きました。

そうか、屋根が付いたことで知らない場所に来たと思って、不安に感じているんだ。ゆっくり歩かせればきっと落ち着くのに、と。

鞍上にいた先輩はこちらに気付くと、まるで私の心の声が聞こえたかのように、不意に乗り替わるように言いました。当時の私はほぼド素人でしたから、通常ならあり得ない危険な提案です。

でも、私には確信がありました。

上手く御すことはそもそも出来ないんだから、とにかくチャウを落ち着かせよう。きっと出来る。

 

信頼がもたらした奇跡の調和

チャウの背中からは、状況が呑み込めない事への不安が伝わってきました。彼女の焦りに巻き込まれないように、自分の意識と呼吸を鎮めます。やるべきことが、はっきり分かりました。

3~4歩進んだら、ゆっくり止まる。再び歩き出す時には出来る限りそっと指示を出して、チャウが安定した気持ちのままゆっくり歩き出せるようにする。これを、落ち着いたと感じるまでひたすら繰り返そう。

馬場を半周する頃、チャウの歩様がゆっくりになり、動きが自覚的になりました。

もう大丈夫。自分の置かれている状況が理解できたみたい。それなら今度は少し速歩(はやあし)をしよう。更に環境に慣れるように。

そう考えて、先ほどより少し素早く脚で指示を出しました。

すると、

ふわ…っ

チャウが足を前に踏み出すと、まるで雲に乗っているような浮遊感を感じました。

 

馬の速歩は上下動が大きく、リズムに合わせて乗るのはいつも一苦労だったのに。

言葉では表現し尽くせない、心地良く滑らかで軽やかな乗り心地、そして一体感。馬に乗ることが、こんなに気持ちよく楽しいことだったなんて!

今は馬の方がこちらの動きに合わせてくれていることは、明らかでした。寸分違わぬ完全なタイミングで、チャウがリズムを支えてくれています。

 

運動をしている間、私の手と馬の口とを繋ぐ手綱も、ロックされているかのように同じ長さに保たれていました。いつもは気付くと手綱がゆるんでいて、「ちゃんと握れ!」って怒られてばかりだったのに。

その手綱の張力を使って、チャウはきれいに首を丸めています。まるで、それが彼女にとって最も自然で楽な姿勢だと言わんばかりに、自ら屈撓していました。

チャウの信頼が伝わって来ます。

 

私の手が手綱を引いているのでもなく、チャウの口が手綱を引っ張っているのでもなく。

どこからか「調和」が降って来たかのように、私たちの間には完全に釣り合いの取れた「調和した拮抗」が存在していました。

 

体験の意味を求めて

これら2つの体験は、互いによく似ていました。

今思えば、あれは「高く純粋なエッセンス」が何なのかを知りたいという、私の願いに対する答えだったと分かります。

でも当時は、そこに通底しているものが何なのか、幾ら考えても分かりませんでした。

錬金術では、実践的・実験的であることが大切にされていましたから、錬金術的な世界観に大いに影響されていた私は、あの体験の意味を理解するために何か行動をする必要があると考えました。

そこで選んだのが、流鏑馬をやっている牧場で働くこと。

弓と馬という2つの原体験のど真ん中に、飛び込むことに決めたのでした。

 
 
 

中心軸を乱す力の発見

馬たちとの生活の中で何よりも大きく変化したのは、身体感覚の感受性でした。

馬たちの身体は、全身センサーとでも言えるような敏感さと繊細さを持っています。

彼らと肌を接して触れ合う内に、彼らが肉体を通して感じ取っていることを、共振的に感じるようになって行きました。

そうした彼らにとって騎乗されることがストレスとならないよう、毎日の乗り運動においては自分のバランスに細心の注意を払いました。

左右のバランスが崩れて馬の身体に歪みが生じないよう、自分の中心軸を通すことだけに意識を注ぎました。

中心軸に意識を合わせ続けている内に、身体の中にその軸を乱そうとする無駄な力が働いていることに気付き始めました。

例えば、一部の筋肉は意識が通いにくくなっていて、それが「思った通りに身体が動かない」という状況を作り出していたり、

またその逆に、使わない様に意識をしても勝手に作動してしまう箇所もあって、それが本来働くべき筋肉を制して先んじて動いてしまうことで、動きののびやかさや美しさが阻害される、ということが生じていました。

~同じ仕組みの身体なのに、なぜ能力に違いが生まれるのか?~

幼い頃に抱いた問いへの糸口が、見つかったと感じました。

 
 
 

筋膜的な感覚の世界

身体について理論と実践を交えて本格的に学び始めて1年を経た頃、「筋膜」という組織を扱う施術に出会いました。

筋膜には、身体の各部で生じている歪みや緊張がつぶさに投射されると知り、ここに求めている答えがある、と思いました。

とは言え、目には見えない体内の組織です。

実際に自分の手が触れているのが筋膜であることを信じながら、毎日、暇さえあれば筋膜を意識しながら自分の身体に触れては手の感覚を育て、また筋膜の中に歪みや緊張の兆候を探してはそれを整え直して、施術の練習を重ねました。

電車の中でも、テレビを観ている時でも、とにかく四六時中でした。

そうした中で、筋膜に生じている歪みの感覚は、ストッキングを捻じれて履いた時の何とも収まりの悪い気持ち悪さに似ている、と感じることが幾度か重なりました。

そして、たまたま目にしたロルフィングのwebサイトで、「筋膜はストッキングのようなもの」という記述を見つけます。

感じていたことは合っていた。

感じ取っていたのは確かに筋膜の感覚だと思わぬ形で太鼓判をもらい、自信を持って進みなさいと言われたような気がしました。

それ以降、筋膜に映し出される緊張や歪みの情報を正確に拾うことと、それらの背後にはどのような姿勢や動きの影響があったのかを丁寧に分析・洞察することに、一層力を注ぎました。

 
 
 

身体のブループリント

筋膜を通して身体と繋がり、身体が伝えてくれる感覚への信頼が深まると、身体は多くのことを教えてくれるようになりました。

感覚と感情は実は同じものであって、それを異なる入口から取り出しているだけであることや、

身体は自分が本来あるべき姿形を知っており、いつでもそこに向かって戻って行こうとしていること…。

そうなのです。

つまり身体は、本来のあるべき姿のイメージを自分の内側に青写真もしくは鋳型として持ち続けています

筋膜に生じている歪みや緊張が解けると、身体は秩序と調和のとれた形へと自ずと戻って行きます

無理に力を加えたりしなくても、身体自身の中で変化して行くべき方向性をちゃんと知っており、それを私たちに示すことも出来るのです。

身体の中に知性があると知った時、身体への敬意が生まれました。

そして、施術が施術者の判断によるのではなく、身体自身の意思と判断を尊重し、そこに純粋に寄り添うものになれたなら、身体にとっての「高く純粋なエッセンス」に他ならない身体本来の姿=ブループリントが、現実の身体として体現されるだろう。

そう思うようになりました。

 
 
 

6月末までの営業予定

最後になりましたが、ここから6月末までの営業予定をお知らせ致します!

臨時でお休みとなる日は、5月21日(月)、6月18日(月)となります。

(もし他にもお休みとなる日が出て来た場合には、ここに随時追加して行きますので、ご確認下さい。)

ゴールデンウイーク中も、通常通りの営業を致します。祝祭日に関わりなく、毎週水・日曜が定休日となります。

営業は11時から20時まで、最終の施術受付時間は15時半とさせて頂いております。

リピートで来て下さっているお客様は、ご事情がおありの場合は定休日でもご予約を承ることが可能ですので、必要な場合には遠慮なくお問合せ下さいませ。

それでは、皆様のお越しを心よりお待ちしています。

今後とも、neMu no ki をどうぞよろしくお願い申し上げます!      

つわりは、胎児の苦しみの反映③

 

目次

・個体発生は系統発生を繰り返す

・胎児は「上陸劇」を体験する 」①

・胎児の変容に関する三木成夫氏の研究

・発生過程は、折り紙に似ている

・つわりと、胎児が体験する「上陸劇」 」②

・生物の体を変えた、重力の作用

・母体が「上陸劇」を共有するメカニズム─筋膜的試論

・重力と歪みとつわり

・つわりに個人差があるのは、なぜか  」③

 

 

▼生物の体を変えた、重力の作用

 

「上陸劇」の最中にいる胎芽は、

生後4日目のニワトリの胎仔と同じ位で、

小指の爪の半分以下の大きさ。

胎芽(=胎児)を包む胎嚢で

5~13mm程度の大きさとのことです。

 

それにしても、

そんなにも小さな胎芽が、

大きな母体全体を揺るがして

「つわり」を引き起こすような力を、

どうしたら持つことが出来るのでしょうか。

 

何度も繰り返しますが、

三木成夫氏は、胎芽の変容過程を

生物の「上陸」を再現するドラマと表現しています。

 

生命進化における上陸のドラマでは、

重力の影響が生物の身体構造に大きく影響を与え、

その結果として呼吸の仕組みが

エラから肺へと大きく変化しました。

(詳細を知りたい方へのお勧め記事:

http://nishihara-world.net/app/Blogarticleview/index/ArticleId/29

 

 

 

胎児の変容の過程は、

遺伝子情報の中にシナリオとして組み込まれ、

それに沿って自動的に進行されるもの。

そういう印象を、私自身は持っていました。

 

つまり、時間さえ経てば

放っておいても始めから終わりまで展開される、

手間のかからない正確なプロセス、

というイメージです。

 

ですが、つわりが

その変容過程と密接に関わるとすると、

ただ単純に順を追って

さらりと再現されていくプロセスなのではなく、

 

周囲の環境をも

強烈に巻き込んで再現される、

思った以上に大掛かりな

生命ドラマだという事を

示している様に思えます。

 

周囲の環境と言えば、すなわち

母胎であり、母体です。

 

そしてそこに、

生物の体を大きく変化させた重力が

重要な要素として

関わって来るのではないかと思うのです。

 

 

 

▼母体が「上陸劇」を共有するメカニズム─筋膜的試論

 

私たちの身体は、

結合組織を中心とした膜構造によって

柔軟性を持ちつつ安定的に支えられています。

 

膜構造を通して見る身体は、

がっちりとした物質的構造というよりも、

むしろ「空間」として現れて来ます。

すなわち、空間構造としての身体です。

 

身体構造を支持しているのが

「膜」であることから、

体内空間では圧力の変化が容易に起こり、

またその調整が絶え間なく行われています。

 

上陸の際には、

生物の構造は重力の変化をきっかけとして

両生類へと大きく変容を遂げた訳ですから、

 

それを再現するには、胎嚢の中でも

同じような重力変化を

必要とするのではないかと思います。

 

とは言え、それは

全く同じ条件や環境である必要はなく、

「重力で作られるような

位置エネルギーの場があれば良い」わけです。

(中田力『脳のなかの水分子』p111 )

 

 

 

胎児の変容を促すには、

ホルモンなどの化学的な刺激が

その大きな役割を担っています。

 

ですが、ここでは化学的な作用ではなく、

物理的な刺激の方へ

焦点を絞って話を進めたいと思います。

 

物理的な刺激は、

私たちも身体で感じ取りやすいものであり、

直接的な感覚として理解し易い面があります。

 

生理化学的な側面への理解は大切ですが、

そこからは生身の生命同士の関わりは

実感しにくいものです。

 

母親は、つわりを通して

胎児の苦しみを共有しているのであれば、

それはもっと実感を伴った

直接的な仕組みによるのではないかと思うのです。

 

 

 

胎芽は、卵膜(羊膜、絨毛膜、脱落膜)の

前身である胎嚢(たいのう)に包まれ、

その空隙は羊水が満たしています。

 

羊水の分泌と水量の調整は、

羊膜によって行われています。

 

この時、羊水が減少すれば

胎嚢は陰圧で内に引っ張られて緊張を帯び、

あるいは胎嚢の収縮が生じれば、

胎嚢の内部空間では圧力が高まります。

 

残念ながら、

胎嚢内の羊水圧の変化については

それに関する研究を見つけることが出来ませんでした。

(血眼に探した訳じゃないので、

本当はあるかも知れませんが~(;^ω^))

ですので、あくまでこれは私の想像と

臨床での「膜」組織に対する感覚的な理解に基づいた、

試論です。

 

羊水圧が変化すると仮定して、

その理由としてはこんな事が考えられそうです。

 

胎芽で生じている変容は、

胎嚢内の空間に歪みを生み出します。

また、羊水の対流を引き起こすはずです。

これが、胎嚢に緊張を生む、というのが一つ。

 

またこの頃には、

心拍が確認できるようになります。

心拍の強く規則的な振動が加わることで、

胎嚢の強度にも変化が生じるかも知れません。

 

こんな風に、

胎嚢が帯びる緊張や収縮の増加、

あるいは胎嚢の強度が変われば、

胎嚢内の圧力は高まります。

 

上陸の際に生物が味わった重力変化は

疑似的に再現され得ると考えられます。

 

 

 

胎嚢を形成している3つの膜の内、

脱落膜は母体由来の組織で、

羊膜と絨毛膜は

胎児の中胚葉由来の組織です。

 

中胚葉とは、初期受精卵の中にあって

後に皮膚や筋肉、筋膜となる組織です。

つまり、身体の最外側にあって、

外界との境界面を担う役目を持ちます。

 

この様に、胎嚢では

胎児と母親由来の組織が

互いに密に向き合っている状態にあります。

 

受精卵がどんなに小さくても

そこでもし圧力変化が生じれば、それは

母子のいわば接触境界である胎嚢から

子宮内膜に伝わり、

母体全体に伝播するはずです。

 

この時、圧力刺激を伝達するのは

筋膜を中心とする

結合組織のネットワークの役割です。

神経よりも速いスピードで、

全身に情報を伝達します。

(参照:https://www.youtube.com/watch?v=uzy8-wQzQMY)

 

 

 

▼つわりと歪みと重力と

 

胎嚢で生じた圧力刺激が

つわりの諸症状に変換される理由は、

以下の様に考えられそうです。

 

ここからは、少し

突飛な話に感じるかも知れませんが、

本人的には至って真面目にお話します(;^ω^)

 

 

 

主なつわりの症状を見ると、

吐き気、嘔吐、味覚や嗅覚の変化、

胃や胸のむかつき、唾液の増加など、

様々ありますが、いずれも

身体の正中線上で起きている事が分かります。

(参照:http://www.marienremedy.com/column/c1060/c0004.html

 

そして、子宮もまた

正中線上に位置しています。

 

5~13mm程の胎嚢内の変化は、

現実的な物理力として母体に作用するには

あまりに小さすぎて、

とても想像しにくいことだと思います。

 

おそらくは、

物理的な力による押し引きと言うよりも、

胎嚢で生じている「歪み」が母体に伝わり、

 

その「歪み」の感覚が、

私たちの正中線に作用する「重力」を重くさせ、

そこに位置する臓器に

影響を与えると思われます。

 

これには、もう少し説明を加えますね。

 

「重力」とは、空間に「歪み」を生む力です。

これはアインシュタインが説いたことで、

惑星などの大きな質量を持つものを想定して

考えられた理論です。

(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F

 

ところが、私たちの身体の中でも、

この「重力」と「歪み」の関係性を

みる事が出来ます。

 

(これは、

筋膜と言う「膜組織」を通して施術を行い、

空間構造として身体を捉えていることで、

分かって来たことです。

一般的な考え方ではありませんので、

ご注意くださいね(;^ω^))

 

 

「重力と歪み」の実例を~

 

 

 

▼ホログラフィックな身体

 

もう一つ考えられるのは、

私たちの身体が持つ

ホログラフィックな性質です。

 

例えば、リフレクソロジーなどは、

足裏に全身の情報が投射されていると

考えています。

 

東洋医学では、舌診と言って

舌の様子で全身の状態を診ます。

 

以前、血液観察会に参加した時には、

血液一滴の中に全身の情報が入っていると

教えてもらいました。

 

私自身も、施術の中で

頭部で起きている歪みや捻じれは

胴体でより大きく分かりやすく展開されますし、

胴体で起きている変調もまた、

頭部に同じ形で現れるということを

経験しています。

 

 

 

 

 

それがホログラフィー的に

母体全体に展開されている

 

 

 

 

 

 

その後の約3週間、妊娠8~11週目は、

母体につわりが生じやすい期間となります。

 

胎児は、人として必要な「形」を

第7週までに備え、

次の3週間ではいよいよ

 

それまで母親が補完してくれていた機能を

各器官でしっかり果たせる様に、

急速に成長が進んで行きます。

(参照:『こうして生まれる』アレグザンダー・シアラス p.224)

 

こうした急激な成長を受けて、

この期間は卵膜の内圧も歪みも

刻々と変化すると考えられます。

 

その目まぐるしい変化が、

母体につわりを生じやすく

させているのではないでしょうか。

 

 

 

▼つわりに個人差があるのは、なぜか

 

つわりは強く出る人もいれば、

軽くて済む人もいます。

 

出方の個人差が大きい理由は、

一つには

①受精卵の着床の位置の違いと、

もう一つには、

②子宮の状態の違いが考えられそうです。

 

②の方から説明しますと、

例えば子宮に緊張が無く、

内側で育っていく胎児の変化を

子宮がリラックスした状態で受け止められるなら、

つわりは強く出ずに済むと思います。

身体は弱さを隠す。/顎関節の痛み①~顎関節の形の変化とその過程

開院してまもなくの頃から
来院して下さっているAさん。Aさんの症状は繰り返し
同じところに出る傾向が強いのですが、

その中でも変化の起きにくい手ごわい症状が、
顎関節の痛みと右のこめかみの上辺りに起きる偏頭痛でした。

ご自身も医療関係のお仕事をされており、
他者の心の動きに非常に繊細に反応される方です。
それでいて深刻さがなく、明るく朗らかで、
ほっとするような温かさのあるお人柄

 

そのお人柄にたがわず、身体の反応もとても早くて素直。
にもかかわらず、顎関節に関しては手こずりました。

施術を通して徐々に全身のバランスが修正され、
当初の、口を開ける時に顎関節に痛みが出て大きく口を開けられない、
という不具合を感じることは少なくなっては行きました。

ですが、これは「癒えた」のとは違います。
外側から顎関節に触れると、まだ内側から強く外に押し出されたかのように
出っ張った形をしています。左右両方とも。

 

この内側からの力が消えない限り、
顎関節が本当に楽になるわけではないな、そう感じました。

 

はっきりと違和感のある手触りなので、施術の度に気になる。
そう感じる所と言うことは、やはり正常な状態ではないのですね。

Aさんの施術は、ほぼ1か月に1度のペース。
10月にいらっしゃったとき、顎関節が大きく変わりました。
内側から関節を押し広げる力が、消えたのです。

原因は、首でした。
首の一番上、後頭骨と頸椎の1番をつなぐ関節部分が詰まっていたんですね。
少し、捻れも加わっていた様です。

早い段階でここに施術していたら、もっと早く改善したのでは?
そう思われる方もいると思います。

身体は、弱点を巧みに隠しています。
緊張を塗り重ねて念入りに固め、
そこには問題がないかの様に気配を隠します

そこが重要な所であればある程、
隠し方には念が入っています。

隠されたものに姿を現してもらう為には、
上塗りされた緊張をひたすら、根気よく丁寧に剥がして行きます。
そして、現れる時を注意深く見守ります。

 

後頭骨の下縁にある緊張を、
細かくこまかく丁寧に解いて行くと、

首の後ろ側の緊張がゆるみ・・・、
頸椎の並びが滑らかになり・・・、
だんだんと色々なところが変化して行きます。

さらに細かく、深く、ただ黙々と、
後頭骨の下縁の緊張を解いて行きます。

その果てに、やっと一番上の頸椎がゆるみ始め、
ここの骨がこんなに固まってたとは~!
と状況がはっきりと分かり始めた時に、

 

顎の関節の内側で、圧力が抜け始めました。

 

(施術は主に右手で刺激、左手で
身体全体に起きている反応をモニターしています。)

 

外に出っ張っていた左右の顎関節。
その内側で力がす~っと抜けて行き、出っ張りが平らになりました。

 

ご本人にも確認してもらうと、
「関節の所がスッキリ、滑らかになってる。
顔の皮膚も柔らか~い!良かった~」と。

 

こうした変化は、身体による自発的で能動的な反応。
そこには脳によるコントロールは介在しません。

 

細胞同士が、互いの間に生じる張力の変化を感じて、
当意即妙、自ら動き出します。

 

こうした動きを感じる時、
身体の中に隠された秩序、身体の知性に触れた…!と感じます。
施術の深い面白さを実感する幸せな瞬間です。

 

これは本当に楽しくて幸せで、
一人で味わうのはとっても勿体ない!
だから、こう思いながら施術します。

 

クライアントさんにも同じように体感してもらえたら。
そうしたらきっと、

身体の素晴らしさや神秘を実感してもらえる。
身体との信頼関係を深めてもらえるだろうなぁ!

 

 

 

 

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