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筋膜は、過去を記憶する

筋膜は、過去を記憶する。

 

 

 

「筋膜などの結合組織には、記憶が保持されている可能性がある。」

 

そう述べているのは、

多くの公開実験を通して、オーラフィールドの構造や機能を

詳細に研究したロザリン・ブリエール氏。

 

彼女の実験の中には、筋膜を用いた施術として広く認知されている

ロルフィングの創始者・アイダ・ロルフ女史と共に行ったものもあり、

筋膜への理解の深さは実証的な裏付けのあるものと受け止められます。

 

今回は、ロザリン女史のこの言葉を追体験するような、

興味深い臨床についてお話をします。

 

 

筋膜は身体の各器官を包み込み、つなぎ合わせています。

体熱の保存や、循環系や神経系の機能の状態とも深く関わっていますが、

何よりも、私たちの身体の形を今あるバランスに保っている点で

特殊な重要性を持つと言えます。

 

 

本題に入る前に、

筋膜の性質について少しお話したいと思います。

 

皆さんは、膜組織と聞くと

「柔らかいもの」だと連想しませんか?

 

…柔らかいものが身体を支えるなんてあるわけがない。

支えるなら、やっぱり骨のように固いものでなくては。

 

私達には、無意識の先入観があります。

それは、物理学や化学や、地球の上での約束事を教育の形で学ぶ中で、

自然と「当たり前」だと覚え込んでいる様な事柄だったりします。

 

筋膜の施術をする前は、私自身、膜組織で身体が支えられているなんて

想像もしていませんでした。

説明されたとしても、イメージすることが出来ませんでした。

 

筋膜は、強度や形状がいかようにも変化します。

時には、「あれ?こんなところに骨があったかな?」

と軟骨と間違えるくらい、

固く固く凝縮することもあるようです。

 

鶏皮を剥がす際、薄く白い膜が身と皮をつないでいます。

あれは、筋膜の一つです。

薄いのに丈夫で、相当な力を加えてもなかなか剥がれません。

 

線維方向に沿って引っ張ると特に丈夫で、

冷えると固くなります。

 

弾力性のある線維構造で筋肉を包み込み、骨へと接合し、

骨格の配置を決定しています。

 

内臓を包んでいる腸間膜なども、

同じように内臓の位置を安定させる役割を持ちます。

 

柔らかい組織でありながら、身体を支える筋膜。

経年の身体の癖によって位置のズレた骨や筋肉を

筋膜が「能動的に」戻すことはありませんが、

それ以上のズレを生じないようにストッパーの役割は果たします。

 

ストッパーは多くの場合、

過緊張によって形成された筋膜上の局所的な拘縮やしこりが、

その役割を担います。

 

筋膜の緊張はバランスのストッパーであると同時に、

私達の動作の伸びやかさや軽やかさを始めとして、

様々な機能の自由度を削いでいくものでもあります。

 

一方では身体のバランスが崩れないように支えているものが、

一方では身体の機能を抑制する原因にもなっている。

 

筋膜は、両義的な性質を持っているとも言えるかも知れません。

 

 

 

この様に逆説的な性質をはらむ筋膜ですが、

そこへの情報の記憶とは、一体どのような形で行われるのでしょうか。

 

結論から先に述べてしまいますと、

物理的な形状として刻まれます。

 

形式は一つだけではないかもしれませんが、

少なくとも臨床で生じた現象を見る限り、

形が刻まれると考えられます。

 

臨床で目にしたのは、本当に見事な形状記憶でした。

「うわ~、身体に出来事そのものが刻まれるのかぁ!」

と思わず唸ってしまったほどですから。

 

 

 

Aさんは10年ほど前、

オイルヒーターの角でお尻を強打しました。

 

あまりの痛さで起きているのも辛い程でしたが、

海外旅行から帰国するための準備をしていた最中のこと。

そのまま帰りの飛行機には乗りましたが、

空いた席を借りて、横に寝た状態のまま戻ってきたのだそうです。

 

私もここ1年の間に尾骨を強打しましたが、

打ち方が悪いと尾骨は本当に辛いものです。

頭から一気に血の気が引いて急激な貧血状態になり、

しばらくは頭を上げられずにうずくまっていたのを思い出します。

 

Aさんには、今までに施術の中で何度か

尾骨のまわりにアプローチをしたことがありました。

 

(アプローチする箇所は、施術者が恣意的に決めることはありません。

身体が手放す準備の出来た所を示してくれるので、

それに従います。)

 

ですが、きれいに過去の傷跡が癒えた、という感覚はまだ得られておらず、

何か残っているんだなぁ、出るべきものが出てないなぁ

という感触が残っていました。

 

 

 

尾骨には、坐骨に向かって伸びる仙結節靭帯と、

坐骨棘へ向かって伸びる仙棘靭帯が付着しています。

靭帯もまた、筋膜と同じ線維構造の組織です。

 

二つの靭帯は、骨盤を構成している腸骨と仙骨をつなぎ、

互いの位置関係を安定させる役割をしています。

 

Aさんへの施術では、

尾骨の、しかも右側一帯ばかりに

集中的にアプローチすることになりました。

 

施術が経過して行き、

通常ならあるはずのない「溝」が突如として現れたのは、

まさにここでした。

 

溝の形状はまるで、

薄い板状のものが深く入り込んだ痕跡の様でした。

 

そうです。

ちょうど、薄い金属の板であるオイルヒーターがお尻にぶつかり、

勢いをつけて深く食い込んだ瞬間についた様な形状です。

 

 

 

施術の経過は、次のようなものでした。

ここからは少し専門的な説明になります。

 

施術は、まず骨格全体の安定性と歪みを検査しながら

骨と皮膚や筋膜などの結合組織との間の大まかなズレを修正して行きます。

 

その上で、今の身体の状態の中で

バランスを崩すもっとも大きな要因になっている箇所を特定し、

ポイントを絞ってアプローチします。

 

この時の施術では、

最終的に絞られたポイントは、腰仙関節(腰椎5番と仙骨の間の関節)でした。

 

最終的なポイントは、

ここで終了を意味するのではありません。

 

ここからいよいよ、施術の最重要部に入って行きます。

最終ポイントとしてなぜ腰仙関節に行き着いたのか、

腰仙関節と主訴や全身の状態とはどう関連しているのか。

 

本当の意味での根源的な原因を求めて、

筋膜上に記された痕跡を辿りながら

身体に刻み込まれた時間をさかのぼります

 

筋膜上の痕跡は腰仙関節から下に下り、

仙骨の中心線(仙骨稜)を辿って仙骨の先端(仙骨尖)の右側へと続いて行きます。

 

その周辺には前述のように、仙結節靭帯があります。

筋膜の痕跡はそこで進むのを止めると、

同じところをグルグルと巡り始めました。

 

仙結節靭帯の尾骨に近い辺りを行きつ戻りつ、

同じポイントに何度となく引き戻されながらいる内に、

「溝」は尾骨の右側に姿を現わしました。

尾骨を、右側からえぐるような角度で。

 

Aさんは、

左右のふくらはぎが外に開きやすく※

殿筋が上に上がりやすいという

身体の特徴をもっています。

仙骨も尾骨も、殿筋と共に上に上がっています。

 

※「深部の筋膜は両脚に特有な輪郭を与え、これを包み保護する」

~L.Chaitow 『軟部組織の診かたと治療』

この一説からも、筋膜によって身体の形状そのものが左右されていることが分かる。

 

仙結節靭帯の尾骨寄りの辺りを集中的に辿っている間に、

まず骨盤(腸骨)から足先にかけての身体のアウトラインが滑らかになり、

筋肉の感触も柔らかくなって来ました。

 

同じ所をグルグルと経巡ることからやっと抜け出すと、

筋膜の痕跡はほんの少し下へ移動して行きます。

 

それを追いかけて、坐骨と尾骨の間に位置する

坐骨下枝にトンと軽く触れました。

 

触れた瞬間、

まるで合図を待っていたかのように右側の下肢のむくみがす~っと、

あっという間に抜けて行きました。

 

Aさんの下肢には以前からむくみが根強くあり、

十分な変化をなかなか示さない所でした。

 

周囲のむくみが抜けるに伴って、

トンと触れた辺りを中心にして

斜めに走る凹みが現れ始めました。

 

しばらくしてそれは、「溝」になりました。

通常は溝などあり得ない所です。

 

これは、あっと言う間の変化でした。

あまりにも唐突だったために、

傷跡らしきこの溝は、ひょっとしてパラレルワールドから現れたのでは…、

なんて考えも頭をかすめました。

 

この三次元世界と平行に存在している時空間、

そこに保管されていたAさんの傷跡が、

隠されていたスイッチを押したら飛び出て来たのかも…と。

 

身体が過去に経験したことが

そのまま立体的な記録として残され、

それが相当な時を経た後に現象として丸ごと再現されたのです。

 

 

 

出現した溝がAさんの過去の受傷に由来すると分かったのは、

身体が変化して行く過程で昔の傷跡や症状が一旦再現され、再体験するケースが、

今までにも何度もあった為です。

 

私自身も、小さい頃はよく坂道で転んでケガをしていたのですが、

よく傷を作っていた右膝が変化した際に、

皮膚表面にギザギザの傷跡が再現された体験がありました。

 

症状の再体験は辛いものであることもありますが、

潜在化してしまった原因を顕在化し、意識で捉え直すという大切な過程です。

それを経てこそ、身体に残され、隠されていた原因を、

身体自らが手放すことが可能になるようです。

 

 

 

再現された「溝」を埋めるのには、かなりの時間が必要でした。

溝のある辺りを、グルグル、ウロウロ。

筋膜上の痕跡をひたすら辿ります。

 

溝の辺りは、体組織が緊張で締まって凹みを形成しています。

次第にそれがゆるみ、溝がだんだんと浅くなって行きます。

 

やっと溝から抜け出すと、

尾骨の先端を通り抜けて左の殿筋へ。

左側でも、アプローチをしたのは仙結節靭帯でした。

 

左仙結節靭帯に触れた瞬間、

今度は右のふくらはぎが変化をし始めました。

 

先ほども述べましたが、

Aさんのふくらはぎは両方とも、外側へ張り出す形をしていましたが、

左仙結節靭帯に触れると同時に

右ふくらはぎが内側にす~っと寄る様な動きを示しました。

 

仙結節靭帯は、坐骨と仙骨・尾骨をつなぎます。

そして、坐骨においては大腿後面の筋肉の内、

大腿二頭筋と半腱様筋と直接接続しています。

 

大腿二頭筋は腓骨頭へ、

半腱様筋は脛骨の内側上部へ付着します。

つまり、靭帯・筋肉のつながりから見ても、

仙結節靭帯はふくらはぎと直接的につながっていると言えます。

 

しばらく、ふくらはぎの自発的な反応は続きました。

反応がひと段落した時には、ふくらはぎの輪郭はスッキリとして見えました。

 

 

 

筋膜の痕跡は再び移動を始め、

仙棘靭帯の付着する坐骨棘の辺りへと向かいます。

 

坐骨棘の辺りへアプローチし始めると、

今度は左の骨盤(腸骨)が閉じ始め、

しばらくして左ふくらはぎに変化が生じました。

 

先ほどの右ふくらはぎと同じように、

左ふくらはぎも形状が変わり、輪郭が整いました。

 

その後は、尾骨尖端へ移動。

尾骨尖端へのアプローチでは、

仙骨の内側面に付着する膜が下に引っ張られる様な反応を示しました。

 

Aさんの仙骨と尾骨には、

後ろへ飛び出る様な形の特徴がありました。

極端ではありませんが、出っ尻傾向と言えます。

 

尾骨尖端に向かって仙骨の内側の膜が下へ移動する感触と共に、

仙骨の内圧が抜けて来ました。

 

解剖学書を確認すると、

仙骨の内側面には実際に前縦靭帯が走っています。

脊椎の前面を走り、仙骨・尾骨まで続いています。

 

仙骨の内圧が抜ける感触と共に、

仙骨・尾骨が平らになって行きます。

通常よりも位置が上にあった尾骨も、

これに伴って下に戻って来ました。

 

こうして骨盤・下肢に変化が生じ、

骨盤全体の中にふ~っと緊張が緩む感覚が広がった所で、

施術は終了となりました。

 

 

 

Aさんの症例から、過去の傷跡が身体に刻まれていただけでなく、

それが今現在の身体的な特徴とも結びついていたことが分かります。

 

過去の傷跡が変化したことで、

その特徴的な形に見えていた部分も変化することが出来ました。

 

その人を特徴づけている部位や形状は、

変わることのない固定的なものではないことが分かったのと共に、

身体が変化して行く為には、アプローチの順序があったことも分かります。

 

過去の記録は、身体の中で静的に眠っているわけではありません。

常に生きて、活動しています。

新しく身体に蓄積して行く記録と密に結びつき、その形成に影響を与えているのです。

 

記録同士の結びつきは、時に幾つも重なり合い、

複雑になります。

 

その為、

身体の構造的なバランスを根本的に整え、

根源的な意味での健康を回復しようとするなら、

 

身体の声に耳を澄ませ、身体が私達に示してくれる順序を

尊重する必要があるのです。

 

 

 

 

 

 

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心のパターンと姿勢の関係性

 

 

今日は、心と身体がどんな風につながっているかについて、

分かりやすい表現をしてくれた二人のクライアントさんのお話を

書いてみたいと思います。

 

 

膝関節の複層化した捻じれ

 

Mさんは、身体に鮮明な捻じれの感覚を持ちます。

 

最近の施術の時に、左膝にあった捻じれが

施術すべきポイント*1として出てきました。

 

(*1施術ポイントは施術者が決めるのではなく、

身体全体の状態を細かく読み解き、整理して行く過程で、

身体の側から自ずと提示されます。)

 

施術を通して、捻じれは幾重にも複層化しているのが分かりました。

 

また、施術者の加える刺激に対しての筋膜組織の反応・変化が

他の部位に比べると非常にゆっくりで、

 

渋々動いているような、

動きたいけど重たいものを引きずっていて動けないような、

そんな感触が含まれていました。

 

最終的に、膝の関節を形成している脛骨が

外側にズレ、更に軽く内旋を起こしながら固まっていたのが分かりました。

 

筋膜の反応が進んで膠着が解けるにしたがって、

それらの癖は解除されていきました。

 

 

膝に捻じれの現れた理由とは?

 

施術後、なぜ膝関節にしつこい捻じれが形成されたのか、

原因について考えたことを、Mさんと話し合いました。

 

施術中、私は膝の捻じれが変化していくのを見守りながら、

この捻じれの感覚はどんな「感情」や「気持ち」に置き換えられるかについて

感じ取ろうとしていました。

 

 

身体の形は、

世の中に対するその人の構えであり、向き合い方そのものです。

 

ここは、大切なポイントです。

心理的な要素が身体に反映されると考えるのが昨今では主流ですが、実際には

身体の形・構造が、コミュニケーションにおける心理パターンを作っている

と言っても過言ではないと、私は考えています。

 

この考えは経験から出て来たものですが、

先日初めていらしたクライアントさんが同じ考えを持っていた事で、

私の個人的な発想にはとどまらないことが分かりました。

 

 

身体の状態が、心の状態を引き戻す

 

このクライアントさんは、心を扱うセラピストでした。

耳にした音に色や形が伴う様な共感覚も持っています。

これは、生得的に持っている性質の様です。

 

その繊細な感受性ゆえに、幼少の頃から様々な問題を抱え込んでいたと言うRさん。

それらをクリアしないと、と言う意識はかなり早い段階から持っていたそうです。

 

心理面での問題に本格的に取り組み始めて20年ほど、

一つ一つクリアして来て、今は隠す必要のあるものはないと言います。

 

初回の施術が終了した時、

彼女はこんな感想を伝えてくれました。

 

「今日施術でたどった所は、

自分が一つ一つバラバラにクリアして来た所が(心理的な問題)

こんな風に繋がっていたんだ、という事を見せてくれました。

 

心理的なものは自分で解決出来たけど、

それと関連して身体に残っているものがあって、

何かの時には、決定的じゃないけど、それに引き戻される感じがありました。

それが消えないと、本当にクリアにはならないと感じていたので。

 

左の肋骨の下は、自尊心と関係してるんです。」

 

…今日の施術で、重点的にアプローチした所の一つでしたね。

 

「そう。私、前は自尊心が低かったんですよ。

その痕跡が、あそこに残ってたんだなって。」

 

Rさんが左肋骨弓と自尊心との繋がりに気付いていたように、

身体の部位を様々な感情との対応関係の中で理解する方法もあります。

 

彼女の場合は共感覚を持っているので、

その関係性についてははっきりした実感を伴って理解していると思われます。

 

 

姿勢と感情の関係性

 

私の場合は、

姿勢と感情を対応させて考えます。

 

これは、筋膜を通して自分自身のメンテナンスをする内に、

身体の形の変化に伴って姿勢が変化すると

外の世界に対する自分の気持ちの構え、向き合い方も変化することを何度なく体感したためです。

 

①ちぢこまる胸

 

分かりやすい例で言えば、

胸が縮こまっている状態は、自分の心臓を守る形です。

 

同時に、背中を伸ばしにくくなり、目線は下に下がります。

心臓=自分の本質を隠し、相手よりも下に構える姿勢になる為、

どうしても他者に対して遠慮しがちになります。

 

②太腿の盛り上がりと強く締まった下腹部

 

また、クライアントさんの中で比較的多い例として、

下腹部が強く締まって、大腿部が前に盛り上がっている状態があります。

 

下腹部をぎゅっと締めるためには、

上半身を強く起こさなくてはならなくなります。

 

腹に溜めることと言えば、本音です。

本音を隠して、上半身を大きく見せようと構えている事から、

他者に影響されまいとする警戒心や、弱さを見せまいとする強がりなどを

対応する気持ちとして考えることが出来ます。

 

 

膝の捻じれは、自分らしくいる事を難しくする

 

さて、Mさんの膝へと話を戻しましょう。

Mさんの左膝についても、同じように姿勢と感情の対比で捉えました。

 

膝と言っても、左右どちらへのアプローチかによって意味合いが変わる部分もありますが、

ここでは置いておきます。

 

膝は捻じれて、膝から下が外側に彎曲した様になっています。

これでは、膝から上の重さを支えることが困難です。

上半身がまっすぐに立つことを、膝で拒否していることになります。

 

まっすぐに立つというのは、自分が自分らしく存在しており、

それに満足している感覚を生みます。

 

膝が外側にズレている時の身体の感覚は、

自分を外の世界に見せる事から避けているような、

自分らしくいる事から逃げているような、

そんな気持ちの時に感じている内的感覚に近いと思うのです。

 

 

ドンピシャではないかも知れないけど、

そんな感じに近いのではないかと思うとお話しすると、

Mさんは「ドンピシャです~」と。

 

自分のすべてのストレスの元は家族なのだと話し出しました。

 

家族の中で一番年下のMさんは親兄弟の不満を蓄積した形で受けており、

今までかなり気を使ってあっちこっちと調整していた事に

最近気付いたのだそうです。

 

 

膝が伸びた際に、Mさんはこんな事を言いました。

 

「膝の関節がすり潰されるみたいな感じがあったんです。

 

骨はちゃんと伸びて成長したいのに、

まわりの筋肉とか筋膜とかが一緒に成長しなくて邪魔してるような感じで。」

 

(Mさんは、自分の違和感の原因を考えて調べる内に、

もしかすると筋膜ではないかと気づかれて当院にいらっしゃいました。)

 

これは、先ほどの家庭での状況と合致していることにお気付きでしょうか?

 

骨とは自分という存在を支える軸であり、自分そのものです。

一方の筋肉や筋膜は、外の刺激に柔軟に対応し影響を受けながら、折り合いを付けます。

 

骨と筋・筋膜の捻れた関係性は、自分自身の在り方を大切にしたいのに、

家族との関係性の中で在り方が左右され、

思った様な自分でいられない状態と相似形なのです。

 

 

捻じれも、自分を守るための工夫として生じた

 

ですが、骨と筋・筋膜との間にずっと捻れを感じ続けて来た事で、

Mさんは自分の中心軸まで影響されない様に、

しっかり自分を守って来たのだとも考えられます。

 

捻れなどの違和感を長い年月の間ずっと感じ続けるのは、

想像以上に大変なことです。

通常は、無視している内に感覚がマヒし、忘れて行きます。

忘れても捻れの存在は消えませんが。

 

その違和感から逃げ出さずに、捻れの感覚を直視し続けて来たMさんは、

外のどんな力にも屈することのない、非常に芯の強い人なのかも知れません。

 

実はすんごい頑固者だったりして~

 

そうお伝えすると、Mさんは、多分そうだと、楽しそうに笑いました。

 

 

身体の変化を求める際に、大切なこと

 

MさんとRさんの事例から、

身体の形は心理的パターンと対応しており、身体が整うことで

思いや考え方の癖も変化すると考えられます。

筋膜は、身体のペースに合わせながら、その変化を着実にサポートします。

 

ですがそれには、まずご自身で準備して頂くべきことがあるのも、

事例から汲み取ることが出来ます。それは、

 

自分を変えよう、成長しようとする意識を持つことと、

 

変化・成長とは、今までの自分の在り方を手放して行く、

決して楽とは言えない道のりだと理解すること、

 

そして、その道のりの中にあっても諦めず、

自分で自分を鼓舞し続ける強さを持つことです。

 

この準備が出来ていればこそ、身体の変化を、

身体だけにとどまらない深い体験として受け取ることが出来るのだろうと思うのです。

 

 

 

 

 

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体性感覚の過敏さ

 

「よかった~」 Mさんはほ~っと息を吐き出すと、
表情を崩して、そうつぶやきました。

 

「肘に捻じれがある。」

 

「足の外側*1に変な筋があって膝の上の筋肉*2が外に行くのを邪魔してる。
膝の上の筋肉は内側に寄ってしまっていて、気持ち悪いから外に戻って欲しいのに。」

 

*1右大腿下部の外側面/腸脛靭帯遠位
*2大腿直筋

 

「いつも顔の右側が引っ張られてる。
右目は爬虫類みたいに、目の表面の膜がずれてる感じがしていて。」

 

一言で言うなら、「体性感覚の知覚過敏」、でしょうか。
Mさんは長い間、こういう感覚を一人で抱え続けて来たのだそうです。

 

Mさんの話を聴いた時に、これは正しく 筋膜上で起きている感覚だと思いました。

 

この感覚を言葉で表現するのは困難で、 感じたことのない人には
「あぁ、なるほど。」と 分かってもらうのも難しいものです。

 

医者に説明しても、 自分の所では扱えないと言われたそうです。
分かってもらえないから、一人で抱えるしかありません。

 

この身体感覚は、「そんな感じがする」という 曖昧なものではなくて、
まざまざとそれを体験している、 現実感のある感覚です。

 

感じないふりは出来ないのに、人と共有することも難しい。
その為に、不安や孤独を感じさせるものでもあるのです。

 

こうした感覚には、 それに合致する現象が実はちゃんとあります。

 

ただそれは、表面からは見えないことの方が多く、
奥深くで複雑なつながりを持つものだったりします。

 

「肘の捻じれがあるのは分かるし、 肘(肘窩)に固い筋が出来てるから
(それが捻じれと関係していると感じて)
ほぐそうとするけど、ほぐれないんです。

 

だから、ほぐすとかそんなのじゃないんだなって。
でも、自分ではどうしたらいいか、分からなくて。」

 

この日、Mさんは2回目の施術でした。

 

初回では、腹部からノドにかけての施術で、
腹部と胸郭の位置が全体的に上に上がる変化を示しました。

 

ご本人も内臓下垂があると話していたので、 この変化は、
身体が内臓下垂を元に戻して行く為に 準備をし始めた兆候とも受け取れました。

 

身体は、その人本来の あるべき形・姿を知っています

 

人にはそれぞれ、身体の理想的な鋳型があります。 そしてそれは、
とても緻密なバランスの上に 設定されているもののようです。

 

社会生活の中で、私たちの身体の構造には
色んな事をきっかけにして狂いが生じ始めます。

 

でも、その狂いがどんなに大きくなっても、
ちゃんと元々の鋳型は身体自身に記憶されているようなのです。

 

例えば、捻じれていた腕が変化した時、 「元に戻った」と感じたりします。

 

なぜ、元に戻ったと分かるのでしょう?

 

骨、筋肉、筋膜、皮膚。 組織や器官は、どのように互いが接し重なり合うかを、
正確な位置関係で把握している証ではないでしょうか。

 

初回から1週間経ての、2回目の施術。
筋肉に以前よりも力が入り易くなったのか、 身体は全体的にしっかりしていました。

 

前回の施術の後でこんな変化が起きたと、 Mさんが話してくれました。

 

「胸からノドにかけて、ずっと縮まって
詰まってる感じがしていたのが、 伸びて起きてきた気がしました。
頭を(身体の)前で支えてたのが、 後ろでも支えられるようになって来た感じです。」

 

「足の付け根が捻じれで細く感じていたのが、
胴からの流れでそのままある、という感じになって。」

 

「今までノドの辺りだけだった自分の声が、
身体全体に響くようになって来ました。」と。

 

前回の時には、身体の反応の仕方に迷いがあるような、
身体がどう変化したいのかを なかなか決めてくれない感じがありました。

 

今回は、それが分かりやすくなり、
反応の仕方に淀みが無いように感じました。

 

筋膜の施術で起きるのは、身体の情報の整理です。
もう少し具体的には、 身体が帯びてしまった無駄な力の作用の 解除とも言えます。
身体がシンプルになって行くので、 反応にも迷いがなくなるのかも知れません。

 

ケガや心理的抑圧など、 日常にある様々な「緊張」の要素は、
筋膜に物理的な痕跡を残します

 

それが、ブロックとなって、 私たちの身体の形や構造を狂わせて行きます。
もちろん、動きにも影響します。

 

それを一つ一つ取り除いて行けば、
身体は自ずと元の自分の鋳型へと、 戻って行きます。

Gray112(肋骨弓)mini

 

2回目の施術では、右肋骨弓の緊張を解きました。

 

横隔膜の付着している所でもあるので、 ここが緩みだすと共に、
横隔膜と右肺とが広がっていく感触が生じました。

 

終了後、Mさんは呼吸が深くなったのを感じて、 とてもほっとされた様子です。

 

気になっていた肘の捻じれと足の外側の固い筋も
確認してもらいました。 こちらも改善しているとの事でした。

 

右肋骨弓で起きていた緊張で腹部が縮んでいた事で、
足や肘にも捻じれが引き起こされた可能性について、 細かく説明しました。*3

 

*3 あくまで私の個人的な見解だと、 お断りした上で説明しています。
また、緊張の蓄積の仕方によって、出方は異なります。

 

ご自身に起きていたことと説明とは、 感覚的に合致した様でした。

 

正解かどうかはともかくも、正体の分からなかった現象を
理解する手掛かりにはなったのだろうと思います。

 

「本当によかった~」 と笑ったMさんは、
大きく深く、安心した様に息を吐き出しました。

 

 

 

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死の淵に立つ馬④ ~勝利と歓喜

前回からの続き

 

岳が歩き始めるのと入れ違いに、
大きな注射を手に獣医が現れた。

 

馬の様子を 遠目に見ながら言う。
殺すことはいつでも出来る。
ここまで来たら、トコトン付き合おう。

 

他にも、患畜はいる。
牧場も、明日は連休の初日、来客がある。
いつまでも待っている余裕はない。

 

待つと決めるのは、リスクを負うこと。
覚悟がいる。

 

岳と一緒に歩いていた場長が、戻って来た。

 

動き出してる様な気がするんだよなぁ。(腸が。)

 

彼は、希望的観測ではものを言わない。
だから、言葉に信頼性がある。
みんなの気持ちが、すっかり明るくなっている。

 

止まると、また腹痛が来るかも知れない。
ひたすら、歩かせ続ける。

 

「生き物の世話って、
愚直じゃなきゃ出来ないよね。ふふふ。」

 

「あははは、そうそう!
アホになんないと出来ないよね~!」

 

いつ動き出すとも知れない馬の腸を思いながら、
スタッフが馬場の中を歩かせ続ける。
その横に立って、 岳の腰に手を当てながら一緒に歩く。

 

腰仙関節から エネルギーを通すことで、
少しでも腸が動いてくれれば。

 

岳の腰の高さは自分の肩よりも少し高い。
腕は疲れて来るが、
あれだけの岳の頑張りを見たらこちらだって頑張ろうと思う。

 

場長もスタッフも、昨日から
ほとんど寝ていないと言う。

 

岳には、縁の深い家族もいる。
そこの娘さんも、横に並んで一緒に歩き続ける。

 

歩きながら、思い出話に花が咲く。
岳が大好きだった雌馬の福ちゃん。
彼女が先に逝ってしまった後、岳は抜け殻みたいになっていたこと。

 

若いメスが牧場にやって来たら、
たちまちに元気を取り戻してお尻を追い掛けまわしていたこと。

 

ボロを溜めておく深い穴にハマり込み、
抜け出せなくて、死にかけたこと。

 

助け出す為に救助隊まで来たのに、
牧場スタッフが置いた板を渡って、結局最後は自力で脱出したこと。

 

「いつだって、人には頼らずに
自力で何とかして来たんだよね、岳は。
誇り高い馬だよねぇ。」

 

「岳って、馬主がいたことあるの?」

 

「なかったと思いますよ~。
それに岳は、誰の馬にもならないですよね。ふふ」

 

「あはは、それもそうね!
誰も自分の馬には出来ないわね。」

 

岳の為に集まったのは、全部で9人。

 

人間の言う事は聞かないどころか、むしろ分かってて裏をかいて来る。
仕事だとあからさまに仮病を使うし、いい加減に自由気まま。

 

木曽馬の名誉のために言うなら、
彼らの多くは、真面目な性格。

 

岳は破格に、天真爛漫で、
縛る事の出来ない自由な魂なのだと思う。

 

だから、みんな時間を割いて、
一頭の馬の為にこうして集まっている。
いや、むしろ…

 

珍しく早めに帰宅する予定だった私の他に、
腰痛でたまたま仕事を休んでいた者、
雨天で仕事が流れて身体が急に空いた者。

 

偶然は、2つ重なると偶然ではないという。
こうなると、時間を作れるタイミングで集められたという気がして来る。

 

「俺が辛い思いしてるのに、
耳の傍でうるせえなぁって、
きっと今思ってるんだろうね~、ふふふ。」

 

岳の足取りは、少し落ちて来る。
でも、思ったほど重くはない。

 

大丈夫かも知れない。
でも、どうするかは 岳自身が決める事。

 

やれることはやった。
これで永の別れになっても、悔いはないだろう。

 

家へと戻る電車の中、メールが入った。

 

難産の末、
疝痛の原因と思しきものが除去された、と。

 

ここ最近で、こんなに心の底から
喜びを感じた事があっただろうか。
心臓からワクワクした感覚が上がってくる。

 

岳は、本当に生き返った。
…私達は、勝ったんだ。

 

闘っていた相手は、死ではなく
自分たちの中の都合や諦め。

 

もう終わりにしようと、
状況を明け渡したくなる誘惑。

 

…難産って、もしやほじくり出した?

 

そう、獣医さんが直腸からね!
30分格闘したのよ~!

 

みんなが帰途についた後、
岳の容態は一度急変したそうだ。

 

馬の心拍は、通常30~45と低い。
岳はずっと90で持ち堪えていた。
通常の倍。

 

120になると助からない。
一時、危険水域の100を上回った。

 

みんなの様子が明るかったから
獣医も迷いが出たんだろう。

 

全てが終わったのちに、
場長は振り返ってそう言った。

 

これで最後だから、
薬殺の前に腸の詰まりの除去を試みよう。

 

実力行使をすれば、腸壁を傷付ける。

 

そこが取り除けても、腸全体が
活動を取り戻す保証もない。

 

獣医が勝算を見ていたのか
一か八かだったのか、
それは分からない。けれど

 

最後は、プロの意地
だったのではないかと思う。

 

その後、朝までに
自力での排便が2回あった。
もう、本当に大丈夫だ。

 

ボロには最初、血が混ざったという。
岳と獣医の、奮闘の証。

 

これだから、
獣医は辞められないんだよなぁ。

 

そう言って、岳が助かったのを
一番喜んでいたのは獣医だった、と場長。

 

獣医は、
命を奪う行為の実行を許されている。
生殺与奪の責任を負う。

 

一方の牧場長は、
最終的に生殺与奪の決断をする。
その実行のタイミングを決めるのは、彼の責任。

 

思えば、姿の見えない時間が結構あった。
出来る限りタイミングを 引き延ばそうと、
獣医から離れていたらしい。

 

岳の様な厳しい状態から
復活する馬もいるには居る。
けれど、数は少ない。
獣医は、現実を見据えながら
現実的な判断をする。

 

場長は、馬をよく知り、
その個体の可能性を見ている。

 

どちらも、正しい。
立場と判断基準が違うだけだ。

 

最後の最後は、岳の底力。
でも、全てのタイミングが
噛み合わなければ、こういう
結末にはならなかったかも知れない。

 

横隔膜へのアプローチで、
少し腸が動き出したこと。

 

岳が倒れた時に強く腹を押して、
物理的に腸内のボロを
出口へ送ろうとしたこと。

 

獣医の手の届く範囲にボロがあって、
最終的に掻き出せたこと。

 

そして、みんなが岳に
気持ちを寄せ続けたこと。

 

「俺ってこんなに
人気あるんだって思って、
張り切っちゃったのかもね(笑)」

 

それぞれが持てる力を出し合えば、
状況は変えられる。
予想を覆すことだって出来る。

 

この経験は、私達を
一回り大きくしてくれた。
そう思う。

 

貴重な体験を与えてくれた岳に、
心から感謝を捧げよう。
そんな殊勝なことを言ったら、
きっとあの馬は
ニヤリと笑うだろうけれど。

 

 

終わり

 

 

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死の淵に立つ馬③ ~岳の生還

前回からの続き

 

岳に会いに来ていた人たちが、首元に集まって岳に触れる。
寂しい思いをさせずに、苦しませずに逝かせてあげたい。

 

荒い呼吸の鼻先に、
精油を塗った手のひらを差し出す。
少しでも、痛みの意識が緩和できれば。

 

獣医が、そろそろかなと
ゆっくりした足取りで車へ向かう。

 

生殺与奪の権利は、
いつだって行使するときには
迷いが生じるものなのだろう。

 

本当に、あそこで逝かせて良かったのだろうかと。

 

その判断に
唯一人で責任を負う存在だから、
あの背中は寡黙なのだろうか。

 

スタッフの腹を押す手は緩まない。
岳は白目を剥いたまま、次第に
全ての動きが収束していく。

 

しばらくの空白。
首元のまわりにいた者は、覚悟を決めた。
腹を押す場長たちは、手を止めない。

 

…獣医はまだだろうか?
…と、

 

ガバッ!!

 

岳が急に意識を取り戻した。
それと同時に、凄い勢いで起き上がった。

 

と言っても、後足が弱まり、
体重を支えられない。

 

頭を高く上げて
よろけながら踏んばる岳を、
場長が叱咤する。
立ち上がる気持ちが途切れないように。

 

木曽馬は、体重が300キロ以上ある。
横に倒れたままでは
自重で肺がダメになるらしい。

 

4時間が限度。それ以上は肺に水が溜まって来る。
そう、獣医が教えてくれる。

 

末梢循環も低下しやすい。
寝たままだと、 褥瘡も起きやすいと言う。

 

同じ重力下でも、
人間と馬の受けている引力の強さは
違うのかも知れない。ふと思う。

 

人間は立位だから、
重力の掛かる水平面の面積が狭い。
馬は、広い背中で重力を受け止める。

 

馬は、大地と共にあり、
大地の力の中で生きる生命なのだと
改めて思う。

 

かろうじて起き上った岳は、
四肢すべてがちゃんと地面についた途端、
急に足早に歩き出した。

 

しっかりした足取り。
今まで、じっとしていたのが
まるで冗談のよう。

 

腹痛に波があるのは、
誰しも経験のあることだろう。
岳は白目を剥き
気絶をするほどの激痛の波に襲われ、
そこから戻ってきた。

 

まわりの人間は、
この時、覚悟を決めた。
もう逝くのだろう、と。

 

墓穴を掘る者、
阿弥陀経を唱える者。
送る準備が整いつつあった。

 

それを振り切って起き上った岳は、
意外なほどにピンピンして見えた。

 

私たちは、 しばし呆気に取られた。

 

死の淵から、岳が戻った。
みんなの緊張の糸が切れた。
空気が変わりつつある。

 

「もうダメだと思った!
すっかり覚悟を決めたのに~」

 

笑いながら言うと、
一気に場に笑いが弾けた。

 

人間が諦めの気持ちのままでは、
踏んばる岳の足を引っ張るだけだ。
それは、避けたい。

 

「きっと、あっち(彼岸)にいる福ちゃんに
蹴り返されたんだよ!」
応える声があった。

 

みんな、楽な気持ちで
岳を見守る姿勢へと切り替わった。

 

死を迎えようとする深刻でかび臭い場が、
明るく風通しの良い空気へと一変した。

 

岳の疝痛の原因は
いまだに腹の中に納まっている。
でもこれで 、流れの先は変わったのかも知れない。

 

 

 

…続く

 

 

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死の淵に立つ馬② ~それぞれの立場で出来る事。

前回のあらすじ~
2日間の疝痛の果てに、
 腸の動きが止まった木曽馬の岳風。
 見守る人間たちの、
 それぞれの立場での努力が始まった。

 

 

自分の手だけでは、
弱った馬の肉体に変化を促すには 心もとなく感じた。

 

獣医に断わって、
精油や音叉も使いながら 腹部を刺激してみる。

 

動物は、音叉には敏感だという。
腹に刺激が入って腸が動くことで痛みが生じるのだろうか。
後ずさりをする。

 

出来るだけ痛みが生じないよう、
身体にどんな変化が起きているかは
つぶさに把握しておきたい。

 

やはり自分の手で、
細胞と岳の息遣いを感じながら手当をしよう。

 

人間と同じ構造なら、
横隔膜から伸びた内側脚が腰椎に付着しているはず。

 

横隔膜の端と端を押さえるように、
腰仙関節とみぞおちにアプローチする。

 

2か所に精油を塗布し、同時に触れる。
精油が、エネルギーの伝導を助けてくれるだろう。

 

横隔膜の広がりを意識で捉えながら、
反応が起こるのをじっと待つ。

 

横隔膜全体が、
意識に入ってくるようになった。
これは、ひとまず横隔膜全体に
エネルギーが通ったという目安。

 

獣医が、心拍と腸の動きを聴きに来る。

 

今まで動いていなかったところが
動いてきているかも知れない、と。

 

ただ、40メートルの腸。
外側で聴診出来る範囲は動いても、
その奥がどうなっているかは分からない。

 

肌寒い早春の夜、
「冷たい」と言いつつ片腕を水で浸した獣医は、

 

おもむろに直腸検査を始めた。
肩まで、肛門の中へと消えていく。
ちなみに、獣医は女医さんだ。

 

生き物を扱う人の潔さは、独特だ。
それは、 生き死にと
当たり前の様に背中合わせでいる事から来る、
厳しさと覚悟と、そして
その底に大きな優しさがあるからなのだろうと思う。

 

肩まで入るほど
奥深くに腕を挿し込むと、

 

「ガチガチだと思ってたけど、少し凹むな」

 

思っていたよりボロの固さは
柔らかかったようだ。
少し、望みが強くなる。

 

直腸検査からしばらく経って、
痛さをおくびにも出さず
静かに我慢し続けていた岳が

 

腰から崩れるように
ゆっくりと倒れた。

 

張りすぎた腹が邪魔をして、
上側の足は浮いたまま。
目が力なく閉じ始める。

 

眠ってはマズいと自分で分かっているかのように、
必死に瞼をしばたたいて 目を開けようとしている。

 

やがて痙攣のような動きが起き、
目がグルグルと彷徨う。

 

これはマズいな。
白目を剥き始めた…。

 

足を大きくバタバタ動かしている。
苦しい腹を蹴ろうとしている様だ。

 

それを察した場長とスタッフが、
腹を強くたたき始めた。

 

人間が相手なら、
苦しんでいる所を強く叩いたり押したりするのは、
あり得ない。

 

心臓マッサージだって、
相手の意識がない状態で行う。

 

可哀想という言葉は
誰からも出なかった。重要なのは、
タイミングを外さぬこと。

 

今この瞬間にやるべきことを、
やれることをやるだけ。

 

馬がしようとしている事の
意を汲んで、 それを実行に繋げる
反射神経があるかどうか。

 

行動の表面がどんな形かに囚われず、
その意図が馬の意思を支えるものなら、
迷っているヒマはない。

 

場長は、空を蹴る岳の脚を見て
何が必要かを瞬間的に嗅ぎ分け、
行動した様に見えた。

 

 

…続く

 

 

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死の淵に立つ馬① ~馬への筋膜的アプローチ

「岳がひどい疝痛で
もうダメそうなんだ。
腸の動きも止まっていて。」

 

岳は、30歳になる高齢馬。
人間でいうと、90を超えているだろうか。

 

正式には岳風(たけかぜ)という。

 

風の強い日には、馬は走る。
その性質と、岳の持つ武骨さとを
よく表した名前だと思う。

 

2日前くらいからボロ(糞)がろくに出ず、
お腹がガスでパンパンに張ってしまっているらしい。
腸の動きが止まり、ひどく苦しい状態にあるという。

 

痛みどめが切れる5~6時間後に、
あまりに苦しむようなら
薬殺せざるを得ないかも知れない、と。

 

連絡をくれたのは、
岳が身を寄せる牧場の場長。
私が馬の牧場で働いていた時の先輩でもある。

 

早く帰って家で仕事をするつもりだったこの日、
急遽、岳と先輩のいる埼玉県の東松山へと足を向けた。

 

岳は何度も死地を脱している
百戦錬磨の馬。

 

岐阜・長野地方を中心に
生育されて来た木曽馬の岳は、
狡知に長けて我慢強く、弱みは見せない。
野武士を思わせる粘り強さがある。

 

岳がそう簡単に死ぬわけはない。
私に出来ることは多くはないかも知れない。
でも、やれるだけの事はやって来よう。

 

筋膜の施術を始めて間もない頃、
まだ牧場で働きながら整体の学校に通っていたので、
馬にも施術の練習台になってもらっていた。

 

まだまだ自信を持てずにいた私にとって、
嫌なことは嫌だと素直に態度で表し、
それでいて腹を立てることのない馬の存在は
有り難かった。

 

人間よりも感覚が鋭く、変化も分かりやすかった。
施術をする内にびっこが緩和したり、
去勢してショゲていた馬が
雌馬のお尻を追いかけまわすようになったり。

 

肉体の元気さは、心も元気にする。
心と行動の直結してる馬だからこそ、
そんな当たり前の事を改めて現象として観察出来た。
教えてもらえることはいっぱいあった。

 

岳は、そんな馬達の精神的な要の存在。
馬のくせに、カリスマ性を感じさせられる大きな器でもある。
岳への手助けは、馬全体への恩返しになる。

 

自分の手と、精油と、音叉と。
身体を助ける力になりそうなものを集める。
これが今の私に出来る、精一杯の武装だ。

 

牧場に到着すると、
闇に包まれた馬場の入り口近くに
岳が佇んでいた。

 

神妙な面持ちで、覇気がない。
こんなに意気消沈している姿は
初めてみる。
思っていたよりも、
事態は深刻なようだ。

 

前日から、牧場のスタッフと獣医とが、
付きっきりで様子を見ているらしい。
岳だけじゃない、人間も相当すり切れて来ている様だ。

 

岳のお腹は、本当にパンパンだった。
妊娠していると、馬は横に腹が張り出す。
岳も、妊娠中と見まがうようだ。
腹部だけ横幅が1.5倍になっている。

 

触ると、ビクともしないくらい
ガチガチに固い。

 

獣医によれば、
左の結腸曲の辺りに ボロがかたまって詰まっていて、
更にその前方には どれだけ詰まっているか分からない。

 

仮にボロ自体の量はそれ程ではなくとも、
ガスが溜まって腹は膨らんでいく一方の様だ。

 

馬は、腸の中にものすごい種類と
量のバクテリアがおり、
馬自身の消化酵素で分解できない繊維質は
こうした微生物によって分解・消化される。
その過程で、ガスは発生する。

 

馬の腸は長い。
40メートルある。
それが狭い腹腔の中に
グルグルと収まっている。

 

どこかで管が詰まってパンパンになると、
その膨らみに押されて
折り重なっている腸管がつぶされ、
通りが悪くなる可能性も考えられる。

 

そうなると、原因が二重三重に重なって、
回復はとても難しいだろう。

 

お腹まわりは、左右側面も下面も、
どこもかしこも張りが強く、
全く皮膚に遊びがない。

 

これでは、筋肉・筋膜などの結合組織と
骨格とのズレを戻していく
筋膜のアプローチは難しい。
限界まで張りつめた組織を
無理に動かすのは、効率的ではないし、
大した変化は期待できない。

 

(※筋膜による整体は症状への治療を目的とするものではなく、
全身の構造的な整合性を回復することが目的の施術です。
症状の改善は、構造の変化・統合に付随して自ずと生じるものです。)

 

さて…。どうしたら腸が動くか。
少しでも可能性のある所はどこだろう。

 

最近の臨床の中で、
いくつかあった事例を思い出す。

 

横隔膜の緊張が抜けて動きの柔軟性を回復すると、
腸の動きも付随して良くなることがあった。
腹圧が腸に掛かりやすくなって、
排便を助けるのではないだろうか。

 

横隔膜、
試してみる価値はあるかも知れない。

 

岳の胸の辺りに触れてみる。
腹腔の内圧に押されて、
胸の辺りは前にせり出ているようだ。
横隔膜も固く縮んで感じられる。

 

胸骨と腹部の境目、
人間のみぞおちに当たる部分に
手を当てる。

 

反応は起きている。
胸の辺りに余っていた皮膚が伸び始め、
張っていた腹部の方へと移っていく。
腹の表層に、ほんのわずかだが
余裕が出てきた気がする。

 

岳が大好きだと言う近所の女性が、
ずっと頭の近くに寄り添って優しくなだめている。

 

獣医が来て、
腸の動きを聴診し始めた。

 

…前の方で、腸が動き出してるな。
触ってもらってるお陰かも知れない。

 

でも、後ろの方は固まったままだな。
少し動いても焼け石に水だなぁ。
なぁ岳よ、スポンと抜けてくれないかな?。

 

長い時間の看病は、
体力も気力も奪う。
昨日から睡眠もろくに取らず、
ずっと張り詰めたままなのが伝わる。

 

少しであっても、
変化が起きていることは分かった。
のれんに腕押しだろうが
焼け石に水だろうが、
出来ることはとにかくやってみよう。

 

岳はまだ諦めていない。
人間がそう簡単に
諦めるわけには行かない。

 

 

…続く

 

 

 

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臨床より:真っ直ぐな背骨は、キマジメさんの証し。

 「お医者さんから
ストレートバックだって
言われました。」

クライアントさんの中には、
そうおっしゃる方が
結構いらっしゃいます。

皆さん、どれだけ
真っ直ぐな背中かと言うと・・・。

胸郭の厚みが薄くて、
背骨がもう~・・・[#IMAGE|S9#]あらら~、本当にまっすぐ。

前後の湾曲がないんですが、
かと言ってその分
左右に出ているわけでもない。
定規が入っているかのように
まっすぐ。

一体、本来の物理的なカーブは
どこにどうやって
吸収されたんだろう?[#IMAGE|S39#]って
不思議になるくらい。

彼女達には、性質の
共通点があります。
それは、とても誠実で
真面目であること。

自分を律しようとする意識が高く、
責任感も人一倍あるのが分かります。

自分の感情と深く向き合い、
自分の感情を他者へぶつけないようにと
自己抑制する力も持ち合わせています。

こうした方達がいてくれるから、
社会の中で、互いの立場を大切にして
敬意を払い合おうとする意識が
保たれるのだと、私は思うんです。
言うなれば、人間関係の秩序を
守ってくれるガーディアン。

その一方で、
意識的であれ無意識的であれ、
いつも正しい存在であろうと
努力をしている。それが、次第に
感情を抑え、自分を律し・・・。

それとシンクロするように、
背骨は前にも横にも
行き場を失って、
自由でしなやかな
湾曲を描くことを、
忘れてしまっているようです。

ただ、真直ぐな背骨と言っても、
それを作り出している原因は様々。

ある場合は
背骨全体に絡みつくような
緊張が形成されていたり、

またある時は
腕や肩の関節の弱さから、
背中や肋骨まわりの力が援用されて、
背骨が特定の方向から
引っ張られていたり。

先日、そうした
クライアントさんのお一人へ
施術を行った際、
身体がとても意義深い変化を
見せてくれました。

この時身体に起きた変化は、
単なる構造上のものでは
ありませんでした。

見えたのは、身体の「質」の変化。
もっと細かく言うなら、
身体の帯びる「性」の変化。

身体と心の関係性について、
はっとさせられた機会でした。

次回の記事で、
施術での身体の変化を
細かく追いかけて行きます。~


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臨床より:指先と爪の緊張 / 創作作家さんの事例

7年間、布と針を使って
創作活動をしているOさん。

一度、
個展に行かせてもらったことが
あるのだけれど、

とぐろを巻いたような可愛い鍋敷きや、
細かな刺繍のタペストリー、
布で蝶を模した繊細なオーナメントなど、

いずれも、繊細なワークの上に作られた、
彼女ならではの世界観を感じさせる作品。
眺めていて時が経つのを忘れるくらい。[#IMAGE|S16#]

そんな作品は、
刺繍でさえも下絵なしで、
頭の中の構想を
布に直に挿し込んでいくらしい。

図柄の構成力と共に、
スゴイ集中力が
必要とされる作業だろうなぁ![#IMAGE|S45#]

そんな彼女が、
先日久しぶりに
施術を受けに来られました。

主訴は
後頭部から背中にかけてと胸の苦しさ。

つまり、胸が閉じて
背中が猫背になっている。
背中も胸も苦しい。

しかも、猫背になっているのに、
肩甲骨が背中に
埋まっている感じがする、と。

他にも違和感を色々と
挙げてもらいましたが、
一番気になっていたのは
この症状とのことでした。

説明から想像すると、
胸は後ろからも前からも
ぎゅっと縮んでいる感じなのでしょう。
窮屈で、呼吸が気持ちよく入らないのが
容易に想像できます。

制作中は床に座り、
片膝を交互に立てる姿勢で、
針にう~んと目を近づけているとのこと。
背中を丸め、
息を詰めて作業している様子が浮かびます。

検査をして行ったところ、
現在の彼女の体の中で
バランスを崩す原因になっている箇所は
3か所ありました。
右足首、右上顎骨、右手。
奇しくも、全て右側。

その中で、
全身に対する影響力が最も強いのは
右手だと分かりました。
肘関節のくぼみの少し下、
肺経の孔最というツボに当たる所から
アプローチを始めます。

孔最からアプローチを始めると、腕に形成された緊張が
ライン状になって現れて来ます。

筋膜バランス整体では、
このラインを便宜的に
力のネットワークと呼んでいます。
(後日、これは詳述しますね。)

この力のネットワークは、
肺経に沿うように手首へ降り、
親指の根元の骨のまわりを経めぐりました。

ちなみに、ネットワークの走行は、
人によっても症状によっても異なります。
固定的なつながりではありません。[#IMAGE|S34#]

この時のOさんの場合は、
孔最から手首、そこから人差し指を辿り、
最終的には人差し指の爪へ出ました。

爪に施術?
少し不思議に思われるでしょうか^^

Oさんは、長年「針」を使ってきたのですね。
細い針を親指と人差し指で持ち、
針の頭を人差し指で上から押さえる。

この形で繊細な作品を作るので、
針の動きを制御のするのに
想像以上に指の力が使われているはずです。

さらにOさんの
熱意と集中力が加わるので・・・
人差し指さんの気持ちを代弁してみるなら、

「いや~、役に立てるのは
すごく嬉しいんだけどね、
責任とプレッシャーが半端じゃないのよ!」
っていう感じでしょうか^^;
その緊張感の強さたるや、
推して知るべし、です。

人差し指の爪は、
骨と爪との間がガッチリ固まって
くっついていました。

通常の爪なら、
骨との間には柔軟性があります。
これを「遊びがある」と言います。

物を持つ際に、
指の腹をまっすぐに当てずに
斜めから持ったとしても、
ちゃんと力を入れて持てます。
それは、爪が力の入ってくる角度に合うように、
動く柔軟性を持っているからです。

爪が固まってしまうと、
斜めに持った時には
指の関節に痛みが生じやすくなります。

爪の中に生じている緊張のせいで、
人差し指の爪の表面は
細かく凸凹があります。
その緊張を、
丁寧に細かく解いて行きます。

Oさんのお腹が鳴り始め、
胸骨と肋骨の固さが緩んできました。

大腿部の筋肉が柔らかくなり、
手の平も柔らかさを取り戻し始めると、

「体があったかくなって来ました。
(最初は足が冷たかったけど)
全然寒くないです。」
とOさん。

手の平の根元の固さがゆるむと共に、
手の甲で飛び出ていた骨も
戻り始めました。

「人差し指がこんなに影響してたなんて、
・・・全然考えもしなかった。
指そのものには
痛みなんてなかったのに。」[#IMAGE|S5#]

終了後は、呼吸がしやすくなり、
胸が楽に感じる、と教えてくれました。

さて、問題は今後の人差し指。
創作活動の要なので、使うなとは言えません。

そこでふと思い出したのが、
フラメンコギターの奏者が
爪を接着剤で固めて保護しているという話。

私達の指先が
これほどまでに細かく、
しかも強く力を使えるのは、
指の腹から入る物理的な力を
受け止めとめてくれる
爪があるから。

指から入る刺激を減らせないなら、
受け止める側の強度を上げればよい、
という発想です。

そしてもう一つ、
作業をした後には
爪の表面から、爪を強くこする事。
これで少し、爪の緊張を
ほぐすことが出来ます。

Oさん。
ちゃんと気にかけてあげたら、人差し指は
Oさんの仕事をきっと
喜んで手伝ってくれるはずです。
素敵な世界を縫い上げていって下さいね![#IMAGE|S12#]

実は私も、
フェルティングと言う
細かい針仕事をします。
自分でも、作業の後には
手入れをしなきゃな~。

と言うか、施術そのものが
ものすごい指の負担になってる!
・・・人には言っても、
自分ではなかなかやらなかったりして[#IMAGE|S26#]

私の人指し指も、もし口が効けたら
すごい勢いでグチを言い出すかも!
ひえ~[#IMAGE|S42#]

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身体も、変化を受け入れるには準備を必要とする。

 

足裏に触れると、ひんやりしている。

 

奥まで冷え切ったように、シンとしている。
まるで雪の降る日の、染み透るような静けさのようだ。

しばらくすると、奥の方に小さな明かりが灯ったかのように、
微かな温かさが現れた。

 

ゆっくりゆっくり、小さな明かりが近づいてくる。
だんだん温かさがはっきりして来て私の手と触れ合った。と、

 

 

「エネルギーが流れてきた~」とのKさんの声。
「ね、私も今ちょうど、生体反応を感じたよ(笑)」

 

身体にも、受け入れる準備を整える必要がある。
こちらが一方的に与えよう、働きかけようとしても、
相手の身体の準備が整っていなければ働き掛けは生じない。
それを、改めて感じさせてくれた貴重な体験。

 

自然界には一方的な働き掛けは存在しないのだろうと、これは直観で思う。

 

例えば、稲光。天空から降りてくる稲光は、
大地から迎えに行く光の存在があって、落ちるべき場所に落ちていく。

 

生殖活動もそう。健康な女性性器は、
男性生殖器を自ら迎えに行く動きを示すのだと言う。

 

そう言えば、馬の仕事をしている時にも、同じことを感じたことがあった。

 

馬の調教は、「教える」という文字を使っているけれど、
実は教える事なんてできない。

 

馬が乗り手に耳を傾けて、
「なぁに?何て言おうとしてるの?僕に何をしてほしいの?」と

 

そういう意識を持ってくれて初めて、
こちらの伝えたい事、学んで欲しい事を伝える事が出来る。

 

こちらから教えるのではなく、相手が
学びたいと思う意識を作ることが調教。
それが、その時に学んだ大きな気づきだった。

 

 

施術でもまた、同じだと感じる。

 

施術によって身体に生じる変化は、実は
身体が施術に来る前にすでに準備をしているから起きる。
症状は、「これはもう手放したい。何とかして。」というサイン。

 

今までは、身体の全体性を保つのにどうしても必要だった緊張。
でも、もう今はいらない。
これがあると、今はかえってバランスが崩れる。
だから、何とかして欲しい、気付いて欲しい。

 

 

身体が手放す決意をしたからこそ、
意識はそれに反応して何とかしてくれそうな方法や施術者を探す。

 

ここのやり取りには、私達の顕在意識は介在していない。
だから、症状が起きている本当の理由や自分の内側で何が起きているかは、
本人には分かっていないことが多い。

 

蛇足ながら言うなら、これは身体の慈愛なのかも知れないと思う。
もし、全てのことを私達が知覚したなら、
きっと楽な日常生活は送れないだろうから。

 

そうやって、クライアントさん達は無意識や身体に突き動かされて、
ここを探し出して訪れてくれる。

 

だから、施術では身体の意志を尊重することを一番大切にする。

 

無理やりに「良くしよう」とせず、身体がどう変化したいのか、
どんな順番なら楽に今の状況を手放せるのか、
それを丁寧に身体から聴き取っていく。

 

施術者は、身体の鏡になる。

 

無理やりに力づくでやろうとすると、身体は抵抗を示す。
だって、自分で心の準備はしてきている訳で。

 

勉強しようと思っていたのに「宿題やったの!?」なんて言われると、
あぁ~もうヤメタ!!って思うのと一緒。

 

身体が自分で手放そうって決めて
ここを訪れてくれたことに感謝をしながら、
その動機を上手く後押しして行く。
他者である施術者にできるのは、それだけ。

 

そして、必要な後押しが出来たならば、その時にこそ
準備の範囲を超えて身体は大きく変容するのだと、そう思う。

 

 

 

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