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循環する波としての呼吸~呼吸の持つ力 /7~8月の営業予定

 

 

ここのところ、

東京でもやっと

まとまった雨が降り出しました。

 

今年は5月頃から

はやばやと気温が上がり、

 

梅雨に入ってからも、

暑さは湿度を伴って増す一方。

 

各地で豪雨などの

気象による被害が出る中、

東京の水源では渇水。

 

毎年、異常異常って言ってるけど、

これほど異常な暑さの年は

なかったわよね!?と、

クライアントさんに会う度に

言っていた気がします。

 

 

梅雨も終わるかな~という

今頃になって、ようやく

まともな雨が降り始めた感じで、

 

雨が運んで来る

涼しく心地よい空気には、

心底ほっとします。

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6月の梅雨入りの時期に

初めて山口を訪れまして、

夏みかんの香り漂う萩の町について

今回お話ししたいと思っていました。

 

萩と言う土地に触れてみて、

彼の地の持つ性質自体が

どうもそこで展開された歴史と

深いつながりがある様に思えて、

とても面白いなぁと思ったんです。

IMG_3426 松陰誕生の地より萩を眺望 (2)

吉田松陰の誕生の地より、萩城下町を望む。

 

でも、萩の歴史は

幕末・維新に関わっていて、

専門で研究している人も

いるだろうと思うと、

あまり適当なことを

書くわけにも行きません。

 

史実も少し調べて

検証を加えて…

などとやっている内に、

これは簡単にまとめられる

代物ではないということを

ヒシヒシと感じて来まして、

 

ハテどうしたものかと

思案に暮れていました。

 

 

そんなこんなで、

ブログをアップしないまま

7月もついに半ばまで

来てしまったワケなのですが、

(いつもながらの言い訳ですが~。)

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先日、頭を落ち着けようと

瞑想をしていたところ、

ちょっと面白い発見がありました。

 

萩と幕末・維新からは

まったくズレちゃうんですけれど、

それもまぁヨシでしょう!ヽ(^。^)ノ

 

と言うのも、発見があったのは

呼吸に関する事だったので、

興味を持ってくださる方も

多いのではないかなぁと思うので。

 

 

7月・8月の営業のお知らせも

いい加減にしなくては

いけないのですが(^▽^;)、

まずは先に、呼吸のお話から。

 

 

 

呼吸法はつらいよ。

 

世の中には

様々な呼吸法がありますが、

よく耳にする手法として

 

ゆっくり息を吸い、

吸い切ったらしばらく止め、

今度は細くゆっくり息を吐き、

吐き切ったらしばらく止め…

というように、

 

(吐くのが先だと言う方も

いらっしゃるかも知れませんが、

ひとまずそれは置いておいて。)

 

インターバルで

「停止」を入れるものがあります。

 

吸気、停止、呼気、停止。

各パートの長さは

吸気と呼気は10秒とか15秒、

停止は4秒とか5秒とか、

設定は色々のようですが、

 

忠実に秒数を数えながら

やろうとすると、

まぁぁ~、苦しいのなんの。

 

 

人によっては、

吸気の方が苦しいと

感じる方もいるかも知れませんが、

 

私の場合は、

吸気は比較的容易なのですが、

呼気はとてもじゃないけれど

10秒もかけちゃいられません。

DSC_0002_3

 

ゆっくり静かに

細い息を吐いて行くと、

 

ほどなくして、

気管分岐部の辺りで

ぎゅ~っと絞るような力が

勝手に入り始めます。

 

こうなった時には

実際に気道が緊張して

その内径が狭くなるらしく、

力づくで吐かない限り

息は出て来なくなります。

 

仕方がないので、

 

腹筋と横隔膜を強く緊張させて、

身体の奥底から絞り出すように

はぁぁぁぁ~っと

息を吐き出します。

 

これは相当に

苦しい状態です。

 

この後に呼吸の「停止」を

差し挟む余裕なんて、

これっぽっちも残りません。

 

吐き切った直後に

危機的な勢いで、

息をめいっぱい

吸い込む羽目になります。

 

こんなやり方では

かえって呼吸は乱れるため、

 

心身のバランスを整えたり

気持ちを鎮静させるなどの、

呼吸法が持つとされる効果は

引き出しようもありません。

 

それどころか、

呼吸法を練習する前段階で

つまづいている状態です。

 

 

 

人それぞれの、息の仕方

 

このように、

呼吸に関連する器官の

どこかに緊張が生じると、

 

上述したような手法に限らず、

呼吸法の練習はたちどころに

苦行へと様変わりします。

 

 

鼻、のど、気管、肺、

横隔膜、心臓、胸郭、腹筋…。

 

呼吸に関与している器官、あるいは

呼吸の動作に関わる器官は

多岐に渡ります。

 

図引用:ITHB_029『Inside The Human Body』The Pepin Press

図引用:ITHB_029『Inside The Human Body』The Pepin Press

 

普通に呼吸する際、

私たちは呼吸器のどこかしらを

息を吐き吸いするための

モーターのように使っています。

 

それは鼻孔かも知れませんし、

人によっては

ノドで息を吸っているかも知れません。

空気の出入口からは離れた

胸の辺りの場合もあるでしょう。

 

それぞれの人によって、

呼吸の仕方には

独自の癖があるはずです。

 

たとえば、

意識的にゆっくり深呼吸して

苦しくなり易いところは、

普段から呼吸をする際に

緊張させて使っている所だと考えられます。

 

呼吸をし始めると

勝手に力が入ってしまうのも、

そうしたパターンが

すでに身体の中に

出来あがっているからだと考えれば、

納得が行きます。

 

 

では、こうして

自動的に緊張してしまう部位を

リラックスさせて呼吸を行うには、

一体どうしたら良いのでしょうか?

 

 

 

息の「通り道」と、呼吸の深さ

 

通常の呼吸では

呼吸器のどこかを緊張させ、

その力をモーターのように用いて

息を吐き吸いしています。

 

「緊張」を利用して行う呼吸では、

息が通り抜けて行く「道」は

身体の表層近くになり易いようです。

 

普通の呼吸をしながら、

空気の通って行く道筋を

感じてみて下さい。

 

空気の通り道もまた

人によって細部に

違いがあるかも知れませんが、

 

たとえば私の場合は、

鼻孔から入った空気は

鼻孔の底の方を通って、

口蓋の奥に流れて行きます。

 

口蓋の奥では

軽い乱気流が起きますが、

鼻孔の上の方や奥の方へは、

気流はほとんど届きません。

(意識すれば、簡単に行きますが。)

 

口蓋の奥から気管、肺へと

空気は流れて行きますが、

 

ここで気流は

気管の前半分、すなわち

体表側を通り抜けると、

 

今度は肺の中と言うよりは

心臓の表面を下っていく様に

感じられます。

 

 

「呼吸が浅い」と言う表現は

よく耳にしますが、

 

これは、肺全体を十分に

伸展・収縮させることなく、

ごく軽い動きでこなす、

気流も気量も少ない呼吸のことを

一般的には指すと思います。

 

ですがこの場合には、

実際に息が通る道も

体表の浅い所を通っており、

幾重の意味でも「浅い息」に

なっているようなのです。

 

 

呼吸は、身体が生み出す

力強い「波」です。

 

その波のリズムが、

呼吸が身体や心をリラックスさせる

大きな要素の一つになっています。

am500_sc020

 

ところが

浅い道筋を通る息では、

リズムは身体全体に届きません。

 

さらに、波の流れも

途切れがちな為、

(詳細は後述します。)

 

自分の呼吸のせいで

かえって焦りを感じやすくなったり、

何かに追われている気持ちになる

というようなことも、

可能性としてありそうです。

 

 

 

深い息は、身体の軸も整える

 

浅い息の話をしたからには、

当然、深い道を通る

息もあります。

 

ちなみに、

瞑想中に気付いたのは

このことでした。

 

 

横隔膜の中心を起点として

身体が主体的に呼吸を行う場合、

(これも、詳細は後述します。)

息の通り道は深くなり、

 

背骨の前をしずかに

息がのぼったり下りたりする

感覚が生じます。

 

息が抜けて行く先は

鼻腔や鼻孔ではなく、

鼻腔の後ろを通り過ぎて

脳の方まで辿り着きます。

 

この流れを感じている内に

脊柱の緊張は自然とほぐれて、

身体の軸も通って行くように

感じられます。

 

 

 

呼吸の生み出す、大きな波

 

通常の浅い息では、

吐く息と吸う息は

それぞれ別の波を描きます。

 

吸気ならすぅぅっと

空気を吸い込んだ後、

その勢いは尻すぼみになります。

 

吸う流れの収束を待って、

呼気が始まります。

 

呼気の場合も、

ふぅぅっと吐いた息は

やはり尻すぼみになり、

空気の流れは一旦

収束に向かいます。

 

こうして、一呼吸する間に

二つの波が生じますが、

互いの間には断絶があって

別々の波になっています。

 

 

深い息の場合には

一呼吸の間に一つ、

大きな波が生まれます。

 

この大きな波は

一呼吸で一巡すると、

途切れることなく

次へと繋がって行き、

 

やがて、

脊柱の前側を這うように

ゆったり往復し始めます。

 

 

深いところを上下に伝う

大きな波のリズムは、

 

脊柱の中を上下する、

髄液のゆったりしたリズムと

互いに干渉し合って、

さらに大きな波を生んだり、

 

心臓の鼓動が速まるのを抑えて

気持ちを落ち着かせたりする

力を持ち、

 

私たちが身体の奥深くから

リラックスを感じることや、

 

自分で自分を

深いリラックスに導くことを

可能にしてくれるように思えます。

 

そして何よりも、

その循環する性質によって、

 

私たちが必要とするエネルギーを

呼吸を通して身体に十分に蓄えることを

可能にしてくれるようです。

 

 

 

練習に当たって注意すること

 

さてさて。

 

ここからはいよいよ、

呼吸器を緊張させずに、

深い息をする方法を

説明して行きますよ!ヽ(^。^)ノ

 

でもその前に、

注意事項があります。

 

ここまで、

深い呼吸をすると

こう感じるだろうという、

想定される感覚について

書いて来ましたが、

 

ここから先は

それをすべて忘れて下さい。

 

結果として現れるであろう感覚を

最初から味わおうとして練習すると、

どうしても力んでしまいます。

 

それでは全く

意味がありません。

 

また現れる結果や感覚も、

人によって異なります。

 

上述して来た事は

あくまで一つの参考例と捉えて、

 

練習してみた結果

自分の場合はどんなことを

感じ取れるのか、

それを楽しみにしながら

取り組んで頂けたらと思います。

 

 

姿勢は座位が好ましいですが、

無理に背中を真っ直ぐに

保とうとする必要はありません。

 

呼吸に合わせて

背中が丸まってしまっても、

最初の内はそれで

良い事にしてあげて下さい。

 

そして、決してムリはしないこと。

頭が痛くなって来たり

胸が苦しくなったりするようなら、

どこかが力んでいる証拠です。

 

思っている以上に、呼吸は難しいものです。

何事も最初からすべては

上手く行かないものだと考えて、

一つ一つの工程を一歩ずつ

丁寧に進めて行ってみて下さいね(*^^)v

 

 

 

主体的な呼吸

 

少し前の段落で、

「横隔膜の中心を起点として

身体が主体的に呼吸を行う場合、

息の通り道は深くなり…」

と書きました。

 

ここで言う「主体的な呼吸」とは、

横隔膜を意図的に動かすことを

指しているわけではありません。

 

この言葉が

伝えようとしているのは、

呼吸そのものに対する

認識の在り方です。

 

私たちは呼吸を、

外側にある空気が

体内に入って来るという、

受動的なイメージで

捉えていると思いますが、

 

ここでは呼吸を、

身体の内側から起きる風、

と言う様な能動的なイメージで

捉え直してみてください。

 

息をするとは、

「生きる」ことそのものです。

 

呼吸は、生きる意思を

反映するものとも言えます。

 

私たちは、空気があるから

呼吸をしているのではなく、

身体があるから

呼吸をしているのです。

 

 

 

イメージを用いた練習

 

呼吸を練習する上で重要なのは、

とにもかくにも、出来る限り

どこにも緊張を生じさせない事。

この一点に尽きます。

 

そこで、「イメージ」を

上手く使って行います。

 

横隔膜の中心を貫くように、

小指くらいの太さのストローや

管が通っているのを

イメージして下さい。

 

管の長さは、

ほんの5センチほどと

短くて構いません。

 

イメージの世界ですから、

水晶のように

透明できれいな材質のものが

心地良いかも知れません。

 

それは固すぎて嫌だわ

と言う場合には、

シャボン玉の膜でも構いません。

でも、イメージの中で

割れてしまわないように、

しっかりした強度にして下さいね。

 

 

横隔膜は、強い弾力を持ち、

程よい厚みのある

天然ゴムのようなイメージです。

 

ゴムに管を挿すと、

管のまわりには

ゴムが吸い付きます。

 

その状態で管を上げ下げすると、

ゴム=横隔膜もその動きに

一緒に付いてきます。

 

 

 

横隔膜の中心から呼吸する

 

イメージの中で

管を上に移動すると、

横隔膜もその中心部分から

上に持ち上がります。

 

 

この時、肺の空間は狭まり、

空気は外へ逃げます。

つまり、呼気となります。

横隔膜から生じる呼気

 

管を下に下げて

横隔膜も下に下がると、

 

今度は肺の空間は広がって

空気はおのずと

外から流れ込んで来ます。

これが、吸気になります。

横隔膜から生じる吸気

 

 

 

練習の重要なポイント

 

実際に鼻から空気を

吸ったり吐いたりする前に、

まずイメージの中で

横隔膜の中心に据えた管を

上げ下げします。

 

移動する距離は、

横隔膜の中心が水平位よりも

わずかに上下すれば十分です。

 

そしてここが重要なのですが、

管を上下し終わってから、

管の中から気流が生まれることを

イメージします。

 

たとえば

息を吐く場合には、

 

①    管を上に少し移動する。

②    管の移動を止める。

③    胸やノドの空間を開き、緊張が無いことを確認。

④    管の中心から、上向きの気流が生まれるのをイメージ

 

管から気流が生まれるのと同時に、

鼻から空気が抜けて行きます。

(下図の①-①’)

横隔膜からの呼気(番号入り)

 

呼気を続けている間、

意識は管の中から生まれる

気流にフォーカスし続けます。

 

もしこの時、

気管を遡って行く流れの方に

思わず意識を合わせてしまうと、

呼吸器に緊張が生じて

苦しくなります。

 

どうしても苦しくなるなぁ

と言う方は、

 

自分の意識の焦点が無意識に

管から移動してしまっていないか、

何度も確認しながら

焦らずに試してみて下さいね。

 

 

管は細いですから、

中を流れる気流の勢いは

さほど速くはないはずです。

 

管をイメージする事で

呼吸は自然に細くゆったりになり、

落ち着いて安定したものになります。

 

この呼吸を練習する内に、

細く長い息を続けて

息を吐き切った状態で

停止するという、

呼吸法のやり方に

自然と近づくことが出来ます。

 

 

吸気の場合も

先ほどと手順は同じです。

 

①    管を下に少し移動する。

②    管の移動を止める。

③    胸やノドを開き、緊張が無いことを確認。

④    管の中心から、下向きの気流が生まれるのをイメージ

 

管の中で気流が生じるのと共に、

鼻からも空気が入って来ます。

(下図の①-①’)

横隔膜からの吸気(番号入り)

 

意識のフォーカスは、

常に管の中の気流に

置いておきます。

 

 

 

練習で難しさを感じたら

 

管の中を、

ゆっくり細い流れが通ります。

 

最初の内は、

呼気も吸気もそんなに長くは

持たないと思うので、

短い間隔で切り替えても

良いと思います。

 

各器官に緊張が生じないように、

体内の状態を感じとりながら

地道に丁寧に繰り返していく内に、

 

少しずつ、吐く量も吸う量も

増えて行きます。

 

 

呼吸が生まれるのは

横隔膜の中心ですから、

そこから生じる気流は、

脊柱の前面に沿って

上下することになります。

 

もし、脊柱に沿って

呼吸が通って行かない場合には、

 

横隔膜に挿した管の

軸が斜めになっていないか、

自分の中で浮かべたイメージを

確認してみて下さい。

 

管は軸を保った状態で、

きれいに垂直方向に動かします。

 

上下に移動している間に

軸が斜めにブレたり

捻れてしまった時には、

気流もまっすぐ通れません。

 

 

横隔膜はどうでしょうか?

 

水平を保ったまま

整然と上下しているでしょうか?

 

こちらも確認してみて下さいね(^▽^)

 

 

 

循環する波

 

インターバルの「停止」については、

あえて入れる必要はありません。

 

横隔膜の中心の管を

上下させる時に、

自然と「停止」が入っています。

 

 

ちょっと説明が重複しますが、

息を吐き切ったなら、

まず管を下に動かします。

 

管の位置が決まったところで、

その中から生じる

下向きの気流を感じます。

 

これを別の角度から見ると、

息を吐き切った状態を保ったまま

身体は次の吸気の準備に入っている、

と捉えることが出来ます。

 

 

通常の無意識な呼吸では

呼気も吸気もそれぞれが

独立した小さな波を描きましたが、

 

最大限に息を吸った状態から

息を吐くことが始まり、

最大限に息を吐いた状態から

息を吸うことが始まる

意識的な深い呼吸では、

 

波は大きく循環するものへと

その性質を変えるのです。

 

 

 

深い呼吸の、さらなる可能性

 

実際にこの呼吸を行ったことで、

思わぬ変化を感じたことがありました。

 

まずは、ジョギングです。

 

先日、走っている間に

横隔膜を意識してみたら、

呼吸と横隔膜の動きが

逆になっていたことに気付き、

 

呼吸の仕方を

修正しながら走っていたら、

心臓の下の力が

ふ~っと抜けました。

 

呼吸が生み出す「ゆらぎ」で、

心臓の緊張が解けた感じでした。

 

そう言えば今まで

長めの距離を走ると、

心臓の下あたりを中心に

膠着感が起きていました。

 

横隔膜の上下動が

呼吸と逆になっていたことで

横隔膜は緊張が高まりやすく、

 

その緊張感の影響を受けて、

横隔膜の上に乗っている心臓も

負担を感じ易かったのだろうと思います。

 

 

もう一つ興味深かったのが、

施術中の感覚の変化です。

 

浅い息と深い息とを

切り替えながら試してみると、

こんな違いがありました。

 

深い息:

今取り組んでいる事を

冷静に俯瞰している感覚。

思考によるやかましい分析が静まる。

 

浅い息:

深い息の時に比べると

思考で物事を把握しようとしがち。

今取り組んでいる事にも、

頭からのめり込みがちな感覚がある。

 

 

浅い息は

身体の表側を通るので、

頭部では前頭葉に

刺激が行きやすいのかも知れません。

 

頭からのめり込む感覚は、

思考をつかさどる前頭葉が、

対象と一体化しているような時に

生じるのかも知れませんね。

 

 

深い息は身体の中心軸を通るので、

辿り着くのは頭頂です。

 

奇しくも、頭頂にあるのは

運動野と体性感覚野。

 

動きや感覚と言ったものは

包括的な情報です。

 

たとえば、自分の

外側の動きと内側の感覚を

同時に感じ取って、

 

そこに分析や分解を加えずに

全体的な情報として捉えることを

得意とする部位とも言えます。

 

のめり込むことがなく、

落ち着いた俯瞰の感覚になることと

合致しているように思えます。

 

う~ん、実に

面白いですねぇぇ~(#^.^#)

 

 

 

日頃、

無意識に行う事の多い

呼吸。

 

自分の為に時間を割いて、

呼吸を改めて

ゆっくり丁寧に

観察してみると、

 

自分の身体を

再発見するための糸口を、

きっと与えてくれると思いますよ!

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7月後半・8月の営業予定

 

最後になりました!

7月後半と8月の営業のお知らせです。

 

この期間、

臨時でお休みとなるのは

8月19日(金)のみで

それ以外の日は通常通りとなります。

 

営業時間は11時~20時、

施術の最終受付は

17時とさせて頂いています。

 

(集合住宅の一室ですので、

まわりの方への影響を考慮して

最終受付は早めとなっています。

 

17時ではどうしても難しい

ご事情がある場合には、

17時半でご予約を承ることも

ございますので、

その旨ご相談ください。)

 

定休日は毎週水・日曜日、

祝祭日も、水・日以外であれば

営業致します。

 

皆様のお越しを、

心よりお待ちしています!

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筋膜から見た、馬体の力学的構造の特殊性:空間と構造 ~2月の営業予定

 

2016年になって、やっと

初めての記事をお届けできます~!(*’▽’)

 

大変たいへん遅くなりましたが、

みなさま、本年も

どうぞよろしくお願い致します!!

 

 

既に過去のことかも知れませんが(;^ω^)

新しい年の幕開け、

みなさんはどの様に過ごされていましたか?

 

お正月二日目、私は依頼を頂いて

ポニーに施術をしに行って参りました!

 

場所は、neMu no ki と同じ

国立市にある可愛い厩舎、

「馬飼舎」(まかいしゃ)です。

http://jack-dandy.cocolog-nifty.com/

 

元々は日野市の浅川沿いの

公園で暮らしていたポニー達でしたが、

諸事情があって一昨年、国立市の中でも

自然と清流が豊かに残る谷保地区に

引っ越して来ました。

 

 

私も地元は日野です。

まだポニー達が川沿いに居た頃、

休日のジョギング中に

厩務員さんとお話をしたのが

そもそものご縁の始まりでした。

 

奇しくも引っ越し先も国立市とあって、

勝手に深いご縁があるものと感じて

心の中でいつも応援しているポニー達です。

 

 

そのポニーくん達から

施術をお願いしたいと依頼を受けたのは、

昨年の年の瀬のこと。

 

2頭のポニーの内、

公共の施設(幼稚園などの)で

子供たちを乗せる役目を担っているポニーが、

いつもと違う挙動をするようになったと、

ご連絡を受けました。

 

びっこを引いているとか、

お腹を痛がると言った様な症状だったら、

装蹄師や獣医に依頼するところです。

 

でも、そういうはっきりした感じではない。

はっきりはしないけど、やっぱり何かおかしい。

 

10年以上も一緒にいて、ポニー達と

仕事をしている厩務員さん達には、

看過できない重要な兆しに感じられたのでしょう。

 

どうやら全体の

バランスの問題ではないのか?

そう感じた部分があって、

連絡を下さったとのことでした。

 

 

年始の暖かく穏やかな陽射しの中、

2頭のポニーへの施術を行いました。

 

その時の体験について、厩務員さんは

「richな時間だった」と

後に表現してくれました。

 

この時の詳細について、

今回から数回に分けて

ブログでご紹介しようと思っています。

 

書いている内に変わるかも知れませんが、

今の段階で書く予定をしている内容を

挙げてみますね。

(変わった際には、ご容赦ください!(^▽^;) )

 

 

1.          筋膜から見る、馬体の力学的構造の特殊性

2.          施術における馬体の構造の変化

3.          身体構造の安定化と心理的安定性

4.          施術から見えた、2頭のポニーの絶妙な関係性

5.          動物たちを見守る側の人間が持つべき意識-厩務員さん達から学ぶ

 

 

ちょっとゴツイ顔のテーマが並んでいて、

教科書か!?と画面に向かって

ツッコミを入れている方も

いるかも知れませんが(^▽^;)

 

少し吐露しますとですね、

この1か月間、この題材について

何度も書いては止め、を繰り返しました。

 

 

動物への施術と言うのは

言葉や思考が介在しません。

 

つまり、説明を通して

施術を思考の面から補う

ということは一切出来ず、

動物たちの反応や

現象として生じる変化で

すべてが決まるという、

シビアな一面を持ちます。

 

そうした真剣勝負の施術だからこそ、

その場の中で体験する事には

とても大きな意味が生まれると思います。

(人間の時だって、手抜きは一切ないですケドネ~!(;・∀・))

 

一部始終を見ていた

厩務員さん達に負けず劣らず、

私自身にとっても

ポニー達への施術は

とても意義深いものになりました。

 

ところがそれを

文章に書き起こす段になると、

重要な要素があり過ぎて、

まとめることが難しいんですね。

どれもこれも、削ることが出来ない。

 

色々と試行錯誤を重ねた結果、

その時の体験を時系列で追うよりも、

重要なテーマごとに記述した方が

文章が混乱しないで済むのではないか、

と考えた次第です。

 

 

と言う訳で、今回はまず、

2月の営業のお知らせをさせて頂いて、

「1.馬体の力学的構造の特殊性」について

お話して行きたいと思います。

 

 

 

2月の営業予定

 

1月については、

すっかり予定を

お知らせしそびれたまま、

終わりに近づいているので

ヨシとさせて頂きまして(;^人^)

 

2月は、臨時休業の予定はありません。

通常通りの営業となります。

 

開院時間 : 11時~20時

定休日 : 毎週水・日曜日(祝日も開院します。)

 

施術の最終受付は17:00とさせて頂いております。

ご事情のある場合には、17:30まで対応可能です。

ご相談くださいませ。

 

前日までにご予約のない時間帯に関しては、

臨時でお休みとなる場合があります。

ご予約の際には、なるべくお早めに

ご連絡を頂けますと幸いです。

 

 

 

筋膜から見る、馬体の力学的構造の特殊性

 

馬と取り組んだ日々

 

元日の夜、

翌日の施術に向けて

馬の身体構造についての

必要な予習をしておくことにしました。

 

根がのんびりしているので、

元日から勉強だなんて

初めてのことです。

 

 

私は、現在のように

ボディワークを仕事とする以前は、

馬事に携わっていました。

 

20代の6年半、

馬専門の牧場に住み込んで、

馬と一緒に起居する毎日を

送っていました。

 

私にとって馬は、猫や犬以上に

大変なじみの深い動物です。

 

 

勤めていた牧場では、

常時40頭近くの和種系の馬を

繋養していました。

 

馬の繁殖(種付けですヨ~、もちろん。)や、

飼育、調教、乗り方のインストラクション、

厩務作業、流鏑馬を含めた

日本の馬文化の研究など、

 

とにかく、馬に関わることは何でも

全部ひっくるめてやる、

少し変わり種の独創的な牧場でした。

 

 

牧場の馬達は、樹海や山の中を

お客さんを乗せて走ったり、

あるいはゆっくり安全に歩くのが仕事。

 

お客さんで来るのは、

必ずしも経験者ばかりではありません。

身体のバランスを

自分で保てない人間を乗せる事が

日常茶飯事です。

 

そうした人を乗せつつ、落ち着いて

安定的に動くことを求められる馬達の

身体には、負担がかかります。

故障が生じる事も度々ありました。

(経験者でも、バランスが取れている人はむしろ少ないのです。)

 

日々の負担の蓄積で

背中が歪んでしまっている馬や、

首がいつも片方に偏っていて

身体の真直性がなくなっている馬

などもいました。

 

そんな彼らに私がやれることは、

出来るだけ乗る時間を作って

彼らの身体の状態を感覚的に把握し、

バランスを整え直したり

馬の動きのリズムを整える作業を、

丁寧に行うことでした。

 

一生懸命にやっても、

運動によって改善できるのは、

緊張して固まってしまった所を

ほぐして、流れを回復することと、

リズミカルな動きの感覚を

馬に思い出してもらうこと位が

関の山。

 

身体を壊す根本的な原因のはずの、

構造の偏りや

ひずみ自体を取り除くことは

難しいというのが、

長い間の試行錯誤を経ての実感でした。

 

何が問題なのかを冷静に考えれば、

バランスの乱れた人間が

自覚なく馬に乗り続けることが

そもそも最も問題だと思えました。

 

かく言う私自身も、

身体に歪みがある事には

はっきりとした自覚があり、

何とか軸を整えるために

日々奮闘していました。

 

 

 

バランスを感受する馬の能力

 

馬は、乗り手のバランスに対して

どれだけ敏感なのでしょうか?

 

ここに、

それを体感させてくれた出来事が

2つあります。

 

 

1.おっとり図太い福ちゃん

 

福花は、木曽馬の中で

一番年長のメスでした。

 

以前ご紹介した

ブログ:「死の淵に立つ馬」の主人公、

木曽馬の岳が大好きだった馬です。

https://inemurino-ki.com/2014/03/23/horse_backtolife_1/

 

胴体は丸太の様に太く、

その太さのせいで

背中は幅広の真っ平ら。

普通は、背骨を中心にして

左右の背中には円を描くように

なだらかな傾斜があります。

 

でも、福ちゃんの場合は

むしろ背骨の両脇で

背肉が盛り上がっていました(;・∀・)

 

そのせいで、足もガニ股。

歩く時には、大儀そうに

身体を揺らしながら

ゆっくりゆっくり進みます。

 

当然ながらの、食いしん坊。

 

人間が小屋で談笑していると、

どしっどしっと音がして来て、

やがて黒い鼻面が

中をぬ~っと覗きます。

 

「何、内緒で

美味しいもの食べてるの~。」

とでも言いたげな表情です。

 

およそ馬らしい繊細さは、

感じられなかった福ちゃん。

…おほん、失礼(;^ω^)

 

 

ある時のこと。

福ちゃんの乗り運動をしようと、

ステップから福ちゃんの背中に

またがろうとしました。

地面から乗ると、

馬の身体への負担は大きいものです。

足を踏ん張って立っているのが

大変な馬の場合など、

状況によっては台を用います。

 

 

背中に腰をおろした瞬間、

私のお尻の下で、 福ちゃんの背中が

微妙にふいっと 動きました。

 

素早く、そして

ごくわずかな動きでした。

 

一瞬、あれ?と思いましたが、

その動きが何だったのか、

すぐにピンと来ました。

 

 

私の騎座(鞍に座るバランス)は、

中心がどうしても

少し左に寄りがちでした。

 

福ちゃんは、

そのバランスに丁度合う様に、

瞬間的に自分の背中の位置を

微調整したのです。

 

 

人間的な心情から行くと、

これは乗り手が安定し易いように

馬が配慮してくれたのかも!

と思いたい所ですが、

 

そこは福ちゃんですから、

まさかそんな殊勝なことは…(^▽^;)

 

恐らくは、そうする方が

福ちゃん自身にとって

楽だったのだろうと思います。

 

いずれにしても、

乗り手に合わせて、馬自身が

こんなにも工夫をしていたのかと、

申し訳なく感じると共に

驚きを覚えた出来事でした。

 

 

 

2.やんちゃ坊主の当麻

 

当麻は、

クリーム色の身体に

黒いたてがみを持つ、

アラブ馬と道産子の血が混ざった

やんちゃな馬でした。

 

馬は草食動物らしい敏感さを持ち、

遠くの方でおかしな音がしたり

妙な気配を感じると、

驚いて逃げ出したりすることがあります。

 

当麻は頭の良い馬で、

純血種なら

行き交う銃弾の中も走るという

勇敢なアラブ馬の血を

わずかながらも引いていたせいか、

 

本当は状況を理解しているのに、

わざと大袈裟に驚いてみて

面白がって逃げてみる…!

そんなケシカランところのある

馬でした(;・∀・)

 

そんなケシカラン感じが、

私は面白くて好きだったのですが。

 

 

その日、私は

自分でもそれまでになく

身体の軸が通っているのを

感じていました。

 

乗り運動のため、

当麻の背に乗りました。

 

私の騎座は

背中の真ん中にすんなりと、

気持ちよく安定して納まりました。

 

騎座がすっと納まると、

身体の軸に沿って頭まで

力が自然と伝わって行く

感じがしました。

 

その心地よい安定感を

ゆっくり味わう暇もなく、

当麻は急に

ぴょ~んと跳ね上がると、

一目散に駆け出しました。

 

 

それは

めちゃくちゃな走りようでした。

 

でも、

楽しくてしょうがないと言った様子が

伝わって来ます。

 

乗っている私も

何だか妙に楽しくなって来て、

制止も忘れて一緒に笑い出しました。

 

当麻とは、

何年もの付き合いでしたが、

そんな走り方をしたのは

それが最初で最後でした。

 

 

 

福ちゃんと当麻が

こうやって与えてくれた

貴重な体験は、

 

馬が思っている以上に

人間の身体の安定性を

敏感に感じ取っていること、

 

そして感じるだけでなく、

それを、身体を通して

馬達も共有してくれている

ということを、

教えてくれるものでした。

 

 

そして、

こうした体験によって、

 

人間の身体のバランスとは何か?

バランスが取れていると言うのは

一体どういう状態なのか?

 

私たちが

理解できている様に思っていて

実はちっとも理解できていない

こうしたベーシックな問いについて、

 

その根本から、きちんと

理解できるように学ばなくてはと

強く思うようになりました。

 

そしてそれが、

現在の道を歩むことへと

繋がって行きました。

 

 

 

身体構造の把握

 

人間の身体の構造について

理解が深まり、

 

身体の構造のひずみや偏りも

やり方によっては

改善に導く事が出来るのだと、

理論的にも経験的にも

確かに信頼できる様になった今、

 

立会人のいる中で

再び馬の身体と向き合う

機会を与えて頂いたことは、

私自身にとって心躍る出来事でした。

 

 

言うならば、今回は

ポニー達への施術を通して

私自身がお世話になって来た

馬達へ行う恩返しであり、

 

かつては手の届かなかった

馬体の構造の歪みへの

時を経たリベンジです。

 

予習だって、

思わず身が入ります。

 

 

施術を行うには、

馬体の構造の特色を

掴んでおく必要があります。

 

人間の場合は、

二足歩行です。

 

二足歩行を支える要は

大きく特殊に発達した骨盤にあり、

 

骨盤と言う、空間を内包する器の

状態を決定づける殿筋や腹壁と、

さらに腹腔に納まっている臓器などは、

 

いわば身体全体のバランスの

基盤として、とても重要です。

 

(実際には、ここに

横隔膜や股関節なんかも入って来て、

全身のつながりに発展して行きます。)

 

そこから、骨盤を土台にして

垂直方向に身体が展開することを

可能にさせている脊柱と、

 

脊柱の状態を大きく左右する、

独立した空間構造を抱える

胸郭や喉頭、顔面頭蓋…

 

人間の身体構造については、

こんな具合に理解しながら

施術を行っています。

 

 

これは、どこが最も重要かと

優劣をつけることとは違います。

 

どこの部分も

他の所とは替えようのない

重要な役割を持ちます。

 

一部で起きた変化は、

即全体に波及しますし、

逆に一部が働かない時には

全身でカバーします。

 

働かない一部に

取って替われるものはなく、

出来るのは全身を挙げての

工夫です。

 

どの部分も本当は 同じ様に重要です。

 

 

施術の目的は、

身体が本来の自然なバランスを

回復して行くことです。

その為には、構造全体の歪みを

把握する必要があります。

 

全体の歪みのイメージを掴むには、

どこをどう調べれば良いのか?

それを自分なりに

整理しておくことが肝心です。

 

 

本棚から

『家畜比較解剖図説』を

引っ張り出しました。

 

改めて馬体を眺めてみると、

何と効率的に

背中で重さが支えられるように

なっているんだ!と

思わず感心するばかりです。

 

(※ここから先のお話は、

数理的なデータや学説、

科学理論に基づくものではありません。

 

生きた身体が

施術によって変化して行く、

その過程の観察を積み重ねる内には、

「構造」というものを

感覚的に把握するようになって行きます。

鼻が利くようになる感じです。

 

そうした感覚に基づいて、

展開して行く考察です。)

 

 

 

空間と圧力

 

脊柱は、

人間の場合は「支柱」ですが、

馬の場合は

身体の一番上に位置する「梁」です。

 

その梁の下側には、

肋骨と胸骨で囲まれた

大きな空間構造があります。

 

この空間の中には、

沢山の臓器が納まっています。

 

図引用:『家畜比較解剖学 上巻』

馬の腹部臓器

(図引用:『家畜比較解剖図説 上巻』

加藤嘉太郎/養賢堂出版 上図はp.7  下図はp.243)

 

 

一見すると、

梁の下に籠がぶら下がり、

それが肢(あし)によって、一まとめに

持ち上げられているようにも

見えます。

 

ですがもし、肢が全てを

持ち上げているのだとしたら、

果たして馬は

あんなに速く動けるでしょうか?

 

一体何が、身体を

支えているのでしょう?

 

 

もちろん、筋肉も

支える力の重要な要素です。

力まずにきちんと機能している筋肉は、

身体が軽々と動くことを可能にします。

 

他にも、

見えにくいけれども

重要な要素があります。

それが、「空間」です。

 

 

空間は、その内側に

封じられた圧力を持ちます。

 

空間の内圧は

構造を外へと広げる力であり、

 

体内の内部構造に対しては

外から締め付ける力となる筋肉と拮抗し、

体内の空間的な広がりを

維持する力でもあります。

 

それは、厳密には

「支える」だけではなく、

身体の重さやその感覚を

変化させ得るものです。

 

構造は、

力の凝集によって重みを増します。

例えば筋肉に関して言えば、

その収縮は身体を支えていると同時に

身体を重くするものでもあります。

 

一方、空間とその内圧は、

そうした凝集する力に拮抗し、

分散させることで、

構造の重み自体を軽減させます。

 

胸郭の内圧を保持するのは

腹膜や胸膜、それぞれの

臓器を包む膜などの膜組織が

役割を担っています。

 

 

馬体の力学

 

馬の肋骨は18本あり、

人間に比べると

かなり腰に近い方まで

肋骨にしっかりと覆われています。

 

肋骨と肋軟骨、それに

胸骨と胸椎で形成された

鳥かごの様な骨格を胸郭と呼びます。

(ちなみに、馬は胸椎も18個あります。)

 

胸郭の前方部分は、

心臓と肺のある胸腔、

横隔膜を挟んだ後方部分は

消化器系や泌尿・生殖器のある

腹腔です。

 

肋骨の前方の8本は、

胸骨と直に接合しています。

肋骨の後方の10本は、

肋骨と胸骨の間に肋軟骨があります。

 

図を眺めている内に、

線を引っ張って見たくなりました。

 

馬体の構造のノート (2)

 

私の絵だと、馬体のバランスが

ちょっとアヤシイので(^▽^;)

ちゃんとした図を使って

改めて線を描き入れてみます。

 

馬体の力学線

(図:『家畜比較解剖図説 上巻』p.7 より引用の図版に、著者が加筆して作成したもの。)

 

一番上の青い線は、

首の根元(頸椎7番)から脊柱の下縁をとおり、

仙骨の後端までを示しています。

これが、いわば「梁」です。

 

 

緑のラインは、肩関節から始まり

18本の肋骨の下端を結んでいき、

(つまり、前方8本の肋骨‐胸骨の接合部と

後方10本の肋骨‐肋軟骨の接合部。)

寛骨の寛結節まで伸びます。

 

寛結節と言うのは、

人間でいう所の「こしぼね」に当たります。

解剖学的には前上腸骨棘と呼ばれています。

 

 

ピンクの線は

肘頭から始まって胸郭の下縁を通り、

緑の線と同じく寛結節へ。

 

肘頭と言うのは、私たちが

一般的に「ひじ」と呼んでいる所で、

関節の後ろの突出部にあたります。

 

一番下のオレンジのラインは、

体壁の表面を示します。

ラインの後端にあるのは恥骨結合です。

これは私たち人間と同じですね。

 

馬の骨盤のノート 馬の骨盤骨格ー寛骨

 

これらの線が示しているのは、

胸郭と腹腔を上へ持ち上げる

力の構造です。

 

まず 身体の後方(後躯と言います。)では、

真ん中の2つのラインが

寛結節で交差しています。

 

馬の駆動力は後肢にあります。

胴体の重さは2つの力の流れによって

寛骨の先端部に一旦全部集められ、

 

今度はそれが寛骨の傾斜を下って、

後肢を前へと駆動する力に

変わって行きます。

 

馬の寛骨の滑車構造

 

次に、

一つ一つのラインの特徴も

見てみましょう。

 

 

1.青のライン

 

梁である脊柱は、

最も重たい首と頭のその基部である

第7頸椎と同じ高さにあります。

 

もし、長い首の、

その根元が沈んでいると、

首は立ち上がりにくくなり、

頑張って持ち上げる必要が

出てきます。

 

今度は逆に、首の根元の方が

梁よりも上にあると、

首の重さがまともに肩に乗り、

肩はそれを支持するので精一杯で

身動きが取れなくなります。

 

つまり、梁と首の根元が

同じ高さにある事で、

互いの機能や構造にとって

効率的だと分かります。

 

 

2.緑のライン

 

肋骨と胸骨、あるいは

肋骨と肋軟骨の接合部では、

外からの力の伝導やエネルギーの

流れが変化します。

 

そこを結んでいくと、

前方では肩関節、

後方では寛結節に繋がる。

 

 

肩関節には、

前方へと向かう力が内在します。

 

馬体の関節内の力の方向性

 

一方の寛結節には、

前から来た力を後肢に送り込む、

滑車のような働きがあります。

 

前後端で、互いに

逆方向に引っ張り合う様に働くことで、

緑のラインは胸郭全体を

上へ持ち上げる力となります。

 

 

3.ピンクのライン

 

10本ある肋軟骨は、

胸郭の下部を包み込むように

後ろから前へ向かって斜走します。

 

ピンクのラインはその下縁を通り、

胸郭内部の空間を下から支えます。

 

 

ライン前端の肘頭には

後方へ押す力が内在し、

内部空間の圧力を腰の方へと

押し上げる作用を生じます。

 

これは、身体の前方の重みを

より効率的に後方へ送ることを

助けていると考えられます。

 

胸郭の下縁が

もし肘頭よりも下にあったら、

胸郭の重みによって

前肢の動きは制限されます。

そうしたバランスを

元々持っているのが、牛です。

 

 

緑とピンクに

体壁のオレンジを含め、

3本の線によって

上へ押し上げられると、

 

胸郭の内部では

圧力が円形の肋骨を辿って

脊柱を押し上げる力となります。

 

 

 

合理的な空間構造

 

さらに胸郭の中を覗いてみると、

面白い構造が見えてきます。

 

ここまででだいぶ長くなっているので、

軽く説明しますね(;^人^)

 

 

頭を支える横隔膜

 

胸郭の前方3分の1ほどの所に

横隔膜があります。

 

横隔膜は、 胸郭を

胸腔と腹腔に分けています。

位置はこんな感じです。

 

馬の横隔膜

(図:『中国獣医鍼灸図譜 日本語版』p.72 より引用の図版に、著者が加筆して作成したもの。)

 

人間はほぼ水平位にありますが、

馬は垂直ではなく、かなり斜行しています。

 

よく見るとこの角度、

首とほぼ垂直の関係にあります。

 

馬/横隔膜-頭頚の直角

(図:『中国獣医鍼灸図譜』p.72より引用の図版に、著者が加筆して作成したもの。)

 

人間の場合、頭頚部の重さは

出来るだけ上部の方で支えて、

足を身体の重さから解放して

出来るだけ自由に動かせるように、

 

体内を幾つもの空間に区切って、

圧力を維持しています。

 

そうした仕切りを上から挙げると、

口腔底、

胸郭上口、

横隔膜、

骨盤底、

と言った辺りです。

 

首と直角を成す馬の横隔膜も、

胸腔内の圧力によって

頭頚部の重さを支えるには

最も効率的な位置関係だと思われます。

 

 

さらに胸腔の中を見ると、

縦方向に3つの空間に分かれています。

 

馬の胸内空間

(図:『家畜比較解剖図説 下巻』p.333より引用の図版に、著者が加筆したもの。)

 

仮に、

前上方から来る頭頚部の重さを

一つの空間で背負うと、

肩にもどっしりと重みが乗ります。

 

これを、縦割りの 左・中央・右の

異なる空間で負重することで、

左右の肩と、心臓にかかる負担を

それぞれ軽減する事が出来ます。

 

 

動きに適した腹腔

 

胸腔が縦割りなら、面白い事に

腹腔内は横割りの構造です。

 

馬の腹内空間

(図:『家畜比較解剖図説 上巻』 p.203より引用の図版に、著者が加筆したもの。)

 

後肢は、大きな駆動性を持ちます。

それを受け止める腹腔の

内部空間がもし左右に分かれていると、

 

後肢の運びに応じて

お腹はその内側から左右に揺れ、

身体の動きはバラバラになります。

 

そのため、

腹腔内は空間を水平に分割し、

左右が均質の空間である方が

理に適っていると考えられます。

 

(ちなみに人間は、腹腔の奥に後腹壁があり、

腹腔内は前後2つの空間に区切られています。

馬はおおよそ3つの空間ですが、 基本形は同じです。)

 

 

構造を空間に変える、筋膜

 

 

ふぅぅ~(^▽^;) さてさて、

馬体の構造の特性について

何とか整理が出来ました!

 

 

一本一本バラバラの肋骨も、

その内側に張っている

胸膜や腹膜などによって

互いに結び付けられ、

全体性へと還元されます。

 

大きな胸郭という空間は、

胸膜や腹膜などを介して

より機能的な空間に分けられ、

その中で各臓器は、

秩序ある形で配置されています。

 

胸膜や腹膜、 臓器を包む

膜や腸間膜などは、

膜様の結合組織であり、

全て併せて広義の筋膜と

捉えることが出来ます。

 

 

これらの膜によって

結び付けられ、

体内に生み出される作用を

観察する時、

 

そこに現れて来る身体は

もはや確固たる形を持つ

構造体ではなく、

 

空間を媒介として

協働して力の作用を生み出す、

いわば空間体なのです。

 

 

さぁ次は、

実際の施術に入って行きますよ~!ヽ(^。^)ノ

 

 

感覚を通して、自己の内なる変化を読み解く 。〜思考する感覚

 

ここのところ、
春のように温かい日が続いていますね~!

DSC_0002_18

 

肌で感じる季節感が乏しいせいか、
年末という実感がなかなか湧かず。

 

とは言え、
もうすぐそこまで
新年が来ているんですよね~!(^▽^;)

 

 

今回は、2015年度最後のブログです。
一年の総まとめを…と思ったのですが、
そんなに簡単にまとまらないので(;^ω^)

 

最後の2か月、
11月~12月に私自身が体験した
ちょっと面白い出来事をお話したいと思います。

 

この2か月間、なぜだか
物事を深く考えることが出来ませんでした。

 

普段、当たり前の様に出来ていた「思考」。
それが出来なくなったことで、
「思考する」とはどういう事かを、
思いがけない視点から見つめ直すことになりました。

 

 

思考する時に、
私たちにはどんな感覚が生じているのでしょうか?
今回はそんなお話を軸に、

 

思考に頼るのではなく、
感覚を通して理解することの面白さを
お伝え出来たら良いなと思います。

 

 

思考は、外からやってくる

 

この2か月の間、ほぼずっと
思考が止まっているなぁ~、
考える事に頭を使いたくないんだな、
と感じていました。

 

それが特に顕著に感じられるのは、
困ったことに施術中です。

 

当院の施術では、
クライアントさんの身体の状態を
全体的に把握する事が必要になります。
自分で言うのも何なんですが(;^ω^) 、
かなり思考力を使います。

 

ところが、頭を使いたくても
頭の方が考えるのを拒否すると来ているので、
他の方法で補うしかありません。

 

今までよりも意識的に、
かつ見落としが無いように、
身体を細かく観察しながら施術を行い、

 

そこから得た情報を元に
頭の中の計算機で一生懸命演算をして、
クライアントさんの身体に何が起きているか、
その答えを弾き出します。

 

我ながら、ガンバッタナァァ〜( ;∀;)

 

それに比べると、
頭がしっかり巡っていた時には、

 

身体の色んな部位で生じている
緊張や歪み、クセや症状が、
互いにどんな風につながりあっているかを
自ずと把握している実感がありました。

 

「自ずと把握している」
と感じられるのは、

 

自分の身体を通して
相手の身体の状態を感覚的に理解していて、
それが思考による理解と自然に合致する時です。

 

そうした状態にある時には、
施術を行っている最中にピカッと
閃きのように理解が生じることが多く、
無理に考えて答えを捻り出す必要は
ありませんでした。

 

…こうやって書いてみて気付くのは、
思考できないと感じていた時でも、
情報を集め、それをまとめることは出来た、
と言う事です。
本を読んだりするのも、
読むだけなら苦痛ではありませんでした。

 

一方で、思考出来ていた時に
「思考」だと感じていたものは、
集めた情報を一段違ったものへと展開させるような、
一種の「飛躍」を含んだものだと言えそうです。

 

 

 

 

少し話は変わりますが、
「思考場」という概念を
聞いたことがあるでしょうか?

 

そう質問している私も、
どこで学んだ言葉だか忘れてしまったので、
ウロ覚え、かつ自分なりの理解ですけれど…(;^ω^)

 

誰かとコミュニケーションをする際、
私とあなたの思考の間には、
共有する「場」が生じます。

 

その共有する場の中から、
私たちは無意識かつ自動的に
お互いの情報を得て、対話を行う。
そういう情報の保存された場を、
思考場と表現するようです。

 

例えば、
この人と話をしていると
すごくスムーズに話が出来るとか、
いつもより思考のまとまりが良い!
と言う事や

 

逆に、 この人の時にはどうも、
考えがごちゃごちゃして言葉が出にくくなったり、
自分でも何を言っているかわからなくなるなぁ~、
なんて感じること、ないでしょうか?

 

これは、私たちの意識していない所で
お互いがお互いの思考の場にアクセスして、
場の力を借りながら話している為だと考えると、
あ~なるほど~、と
すんなり理解できるのではないでしょうか。

 

 

 

思考が回転しない状態を、
意識的に体感したのは
初めてのことでした。

 

どんな体感だったかを 表現すると、

 

思考が巡っている通常の状態から
自分が抜け落ちた、と言う感じであり、

 

それこそ、いつも居た思考の場から
何らかの理由で意識が離脱してしまって、
そこへ自力で戻れない、
と言う感覚でもありました。

 

 

 

今までは、理解する事や考える事は
自力でやっていると思っていました。

 

視野が広がって、 徐々に多くのものを
理解できるようになることも、
自分の努力によるものだと。

 

それが、この時の感覚からすると、
考えることは自力ではないのかも知れない
と思えました。

 

思考の場の様な所に
無意識の内にアクセスしていることで、
思考の方が私たちの中に
生起してくるのではないか、と。

 

そう考えると、
思考力や理解力を磨く努力は
考える力を生み出すためではなく、

 

自分の求める情報が存在している「場」に、
的確にアクセスする道を
自分で少しずつ切り拓いて行く、
そんな作業なのかも知れませんね。

 

 

思考する感覚

 

またある時には、
こんな面白い感覚を経験しました。

 

物事を考え始めると、
頭の中の一点に向けて
何かが集まって来る気配が生じるのです。

 

ところが、
もう少しでそれが一点に凝集する
その肝心な瞬間の手前まで来て、
気配はしゅんと煙のように消えてしまいました。
考えていた事も、一緒に散ってしまいました。

 

考えるためには、脳の機能が
考えるテーマに向かって焦点化すると共に、
脳自体にも物理的な力の凝集が生じることが
必要なんですね。

 

一生懸命に何かを考えようとする時、
ついつい眉間に縦ジワを寄せたり、
頭を前に少し傾けて額に重さを集めたり、
その額を指で支えたりすることが
あると思います。

 

あれは、脳の中で
一点への集中が滞りなく生じるように、
身体が手助けをしてくれているのかも知れません。

 

 

 

思考停止の背後で。

 

それにしても、一体どんな理由で
今までの様に考えることが
難しくなっているのだろう?

DSC_0002_26

 

自分の身に起きた異変は、
身体や心、意識の仕組みを知るには
またとない機会。
自分に何が起きているのか、
色んな方面から見直してみました。

 

すると、この期間、
暇さえあれば熱中して
やっている事があると気付きました。
縫い物です。

 

まずは、
作ったものをお披露目~(#^.^#)

 

これは、
施術衣として使うブラウス。

hand made blouse

 

こちらは、
裏地を付けはじめたものの、
難しさに嫌気がさして
去年から作業を中断していたコート。

hand made coat-1

 

2年越しで、やっとのこと
完成を迎えようとしています~!
…ボタンホールを作る、
手強い作業が残ってマスガ(^▽^;)

 

 

 

縫い物は、一枚の布から
形あるものを作って行きます。
二次元的なものから、
三次元のものを作り出します。

 

また、同じ型紙を使っても、
使用する布の風合いや
縫う作業の丁寧さによって、
出来上がりの印象が変わります。

 

手縫いだけでなく
ミシンという器械を使っても、
針目には今の自分の状態が映し出されます。

 

縫い上がったものは
自分の在り方を表現した作品とも言え、
様々な意味で創造力を必要とする作業です。

 

 

 

縫い物→創造性と来て 、
次に連想したのは
「第1チャクラ」です。

 

チャクラとは、
身体に7つ存在する
エネルギーの中枢とされますが、
単に概念だけのものではありません。

Sapta_Chakra,_1899 PublicDomain-1

 

各チャクラには、
脊髄神経の神経叢や
内分泌腺との対応関係があり、

 

人によっては
チャクラが位置するとされる場所に
螺旋の流れを体感する事もある、
エネルギー的な構造体です。

 

第1チャクラは
生殖腺と対応しています。
女性なら、子宮と卵巣です。
7つのチャクラの中では最も下に位置し、
私たちの生命力を支える土台でもあります。

 

生殖器は、
新しい生命を生み出す力を持ちます。
第1チャクラが帯びる力は、
新しいものを創出する創造力です。

 

 

 

あ~、そう言えば…。
11月に、腹腔と子宮の状態に
大きな変化があったんだった。
やっと思い出した~!

 

それがきっと、
思考が停止したことと
何か関係しているに違いない!

DSC_0002_10

 

 

幼少時からの歪みが…?

 

私は普段、
クライアントさんに行う施術を用いて、
自分にもメンテナンスをしています。

 

11月の初め頃、
そのメンテナンスの最中に
腹腔内が大きく変化しました。

 

腹腔には、腹膜腔後壁、
もしくは後腹壁と呼ばれ、
お腹の中の空間を前後に隔てている
膜があります。

 

この膜が非常に重要なので、
少し詳しく説明しますね。

 

後腹壁には、
大腸や小腸が緩やかながら
固定されています。
どのような構造かと言うと…

 

まず、一枚の布に、
ひだのたっぷりあるドレープを
縫い付けてあるとします。
そのドレープの端には縁取りがしてあります。

 

布が後腹壁、ドレープが腸間膜、
縁取りは、小腸や結腸(大腸)の管です。
ドレープを縫い付けてある部分は、
下図の中で 「腸間膜(根)」と
記載されている所です。

後腹壁ープロメテウス-4

 

布を縦に広げると、
縁取りしたドレープの重さで布は引っ張られ、
よじれが生じます。
ひだは潰れてしまいます。

 

この時、布の張りが
ドレープの重さに耐えられる位強ければ、
ドレープは美しく整い、かつ
ふんわりと余裕のある形状になります。

 

これは、後腹壁や腸に置き換えても、
同じ事が言えます。

 

小腸の長さは、弛緩時で
(解剖下で計測して)6~7メートル、
生体内で筋肉が活動している時でも、
2~3メートルあります。

 

これだけの長い物体がお互いにからまらず、
ある程度安定して納まっていられるのは、
後腹壁によるしっかりとした裏支えがある為
と言えます。

 

後腹壁はまた、その最下部では
子宮と直腸・肛門とを隔てています。
先ほどの図では「直腸膀胱窩」と書いてありますが、
女性の場合は「直腸子宮窩」と呼ばれます。

 

これもまた、子宮や直腸にとっては
後腹壁が位置の安定性を与えてくれる
支えの一つとして機能していることを
示しています。

 

身体構造にとって、
後腹壁がとても重要な役割を
担っている事が分かります。

 

 

 

メンテナンスの中で起きた変化とは、
その後腹壁の右側半分で
すぅ~っと膜が上下に伸び広がり、
それが同時に引き締まって強さを回復して行く、
というものでした。

 

例えるなら、
たるんでいた船の帆が、
ぴんと張り直された様な感じです。

 

後腹壁だと判断したのは、
変化する感覚が生じた位置と(深さ)と
広がりの大きさ、
腹腔内の冠状面で生じている
という特徴からでした。

冠状面 矢状面  Human_anatomy_planes-JA CC3_0

 

少し前の所で、
一枚の布とドレープを例に説明しましたが、

 

私のお腹の中でも、
今までは後腹壁がたるんでおり、
腸が腹腔内で潰れている
とまではいかないまでも、
腸にとって快適な状態ではなかったことが
想像できます。

 

また、後腹壁が
上下に伸び広がるように変化した点から、
今まで腹腔の右側には、
上下方向から圧縮が加わったように
ぎゅっと詰まった状態があったことも 分かります。

 

小さい頃、
私は大型の遊具から落ちて
背部を地面に打ちつけたことがありました。

 

その時に取っていた
右足を胸に軽く引き寄せ、
上半身を右に捻った姿勢が、
腹腔の右側に圧縮を作った
原因として思い当たります。

 

 

 

後腹壁の変化が、
次の変化への準備となったのでしょう。
翌日のメンテナンスでは
子宮と卵巣に変化が生じました。

 

まず子宮の右壁から右の卵巣にかけて
緊張が緩み始め、
しばらくして何かがす~っと
下に下がるような感覚が生じました。

 

この感覚から、今までは
子宮の右壁から右卵巣にかけて、
それらを上に引き上げるような
緊張があったことが分かりました。

 

子宮や右卵巣にしてみれば、
これまでずっと
引きつれた様な感覚の中にいたのを
想像することが出来ます。

 

でもこれで本当に、
子宮は、引きつれた不快感から
解放されたのでしょうか?

 

 

子宮の変化

 

まもなくして生理がやって来ると、
確かに子宮に変化が起きていたことが
分かりました。

 

前の月までは、経血は
暗赤色をした何かの残渣物といった感じで、
生命感が乏しい状態でした。
それが今は驚くほど鮮やかな赤色で、
水のようにサラッとしています。

 

そうか、経血は血液なんだ~!と
この歳になって恥ずかしながら…、
初めて実感!ヽ(^。^)ノ

 

私は小さい頃からお腹が弱く、
経血にも比較的早い内から
半流動的な塊が混ざっていたように
記憶しています。

 

今考えれば、恐らくは
背中を強打した影響によって、
後腹壁がよれ、
腹腔内の臓器が不安定な状態を
小さい頃から抱えていたのだと思います。

 

それがウン十年経って
急に健康な経血に変化したのですから、
おぉ~っ!?凄い!
となりますよね(^o^)

 

この変化は、私だけでなく
身体自体にとっても驚きだったはずです。

 

子宮にしてみれば、 今までは
持ってる力の3割ほどしか使えず、
常に徐行運転でいたのが、
急に全力を使えるようになったから、
高速走行しましょう!と
ムチャ振りをされた様な感じかも知れません 。

 

子宮は第1チャクラと繋がっていますから、
生命力そのものでもあります。

 

子宮が元気を回復したなら、
身体全体で使えるエネルギーの量も、
以前より大きくなると思われます。

 

でも、慣れていない力と言うのは、
扱うのが難しいものです。
身体もそれに慣れるためには
時間が必要になります。

 

しかも、生命力を支える
根本的な部分の変化であれば、
身体全体のエネルギーバランスを
足元から組み直す必要があります。

 

身体の中では、思っている以上に
時間のかかる大変な作業が
進行していたのではないか。
それは、実感としてもそう思います。

 

第1チャクラは、創造力の源でもあります。
活動力の増した子宮=第1チャクラに
まずは慣れるために、
縫い物で試運転をしていたのではないか、
と思うのです。

 

子宮は、ゆっくりとした
自然のリズムの中にあって、
「今」という時と共にいます。

 

一方の脳は、
過去へも未来へも自在で行くことが出来、
早い流れの中にあります。 そしてまた、
エネルギーの消費量も大きい…。

 

自然としての身体にとっては、
身体を再編成する間は
自分たちのペースを守ることが必要です。

 

その間、かしましやの脳には
ちょっと(いや、強制的に)
活動を控えてもらう…。
と言う様なことが 起きていたのかも知れません。

 

 

 

私たちは時に、自分が
自分でもよくわからない状況に陥っている
と気づくことがあります。

 

自分でも理由は分からないけど、
妙に何かが気になってそこに囚われたり、
あるいは熱中してしまったり、

 

逆に、いつも出来ていたのに
やりたくないと感じる様な事は、
きっと誰にでもあると思います。

 

そうした、自然発生的に生じる状態は、
意識下からの身体の働きかけによるものであり、
その背後にはそれが生じる理由や意味があります。

 

身体は、いつでも私たちの味方です。
私たちの知らない所で、
良い方向へ変化して行けるように、
自分への理解を深められる様にと、
いつも協力してくれています。

 

時にはそれが、思考停止や痛みなどの
嬉しくない現れ方をするので、
協力してくれている事に
私たちが気付かない場合も多いのですが(^▽^;) 、
そこには必ず、それが生じる意味があるのです。

 

 

結びにかえて~感覚との付き合い方

 

ここまで読んで頂いて、もしかすると
感覚ってそんなに信頼できるものなの?
と思われた方もいるかも知れないなぁ、
と思います。

 

感覚は、必然性を持って
自分の内側に生起してくるものです。
自分の意識によって、
恣意的に作り出しているものとは違います。

 

感覚的な情報を扱う上で
問題が生じるとすれば、それは、
感覚に対して解釈を加える際に起こります。

 

私たちは、自分が普段見ているものや
既に知っているものの中に、
起きてきた感覚を当てはめて
理解しようとしがちです。

 

感覚はおのずと生じるものです。
外部からの刺激や、内部での何らかの変化が、
感覚と言う形で意識にのぼって来ます。

 

感覚が何を表しているのか、
私たちに何を伝えようとしているのか。

 

それは、既存の、
形の決まっている考えに
力づくで当てはめようとすると、
その途端に見えなくなってしまうものです。

 

感覚を通して立ち現れてくるものを、
内側から自由に羽ばたかせる事、
その内なる意味が自ずと形を成すのを、
じっと見守ること。

 

これが感覚と付き合う上で
とても大切な姿勢だと、
私は考えています。

 

 

 

年末の慌ただしさを越えると、
新しい年は ゆったり流れる
穏やかな空気で始まります。

 

そんなゆっくりした時間の中で、
身体に静かに意識を向けると言う時間を、
ぜひ持って頂けたらいいなぁと思います。

 

整体院に足を運んで下さっている
クライアントの皆さん、
文章の長さにめげずに
ここまでブログを読んで下さった皆さん、

 

今年も一年、
心から ありがとうございました。
そしてどうぞ、
良いお年をお迎えくださいね~!

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つわりは、胎児の苦しみの反映③

 

目次

・個体発生は系統発生を繰り返す

・胎児は「上陸劇」を体験する 」①

・胎児の変容に関する三木成夫氏の研究

・発生過程は、折り紙に似ている

・つわりと、胎児が体験する「上陸劇」 」②

・生物の体を変えた、重力の作用

・母体が「上陸劇」を共有するメカニズム─筋膜的試論

・重力と歪みとつわり

・つわりに個人差があるのは、なぜか  」③

 

 

▼生物の体を変えた、重力の作用

 

「上陸劇」の最中にいる胎芽は、

生後4日目のニワトリの胎仔と同じ位で、

小指の爪の半分以下の大きさ。

胎芽(=胎児)を包む胎嚢で

5~13mm程度の大きさとのことです。

 

それにしても、

そんなにも小さな胎芽が、

大きな母体全体を揺るがして

「つわり」を引き起こすような力を、

どうしたら持つことが出来るのでしょうか。

 

何度も繰り返しますが、

三木成夫氏は、胎芽の変容過程を

生物の「上陸」を再現するドラマと表現しています。

 

生命進化における上陸のドラマでは、

重力の影響が生物の身体構造に大きく影響を与え、

その結果として呼吸の仕組みが

エラから肺へと大きく変化しました。

(詳細を知りたい方へのお勧め記事:

http://nishihara-world.net/app/Blogarticleview/index/ArticleId/29

 

 

 

胎児の変容の過程は、

遺伝子情報の中にシナリオとして組み込まれ、

それに沿って自動的に進行されるもの。

そういう印象を、私自身は持っていました。

 

つまり、時間さえ経てば

放っておいても始めから終わりまで展開される、

手間のかからない正確なプロセス、

というイメージです。

 

ですが、つわりが

その変容過程と密接に関わるとすると、

ただ単純に順を追って

さらりと再現されていくプロセスなのではなく、

 

周囲の環境をも

強烈に巻き込んで再現される、

思った以上に大掛かりな

生命ドラマだという事を

示している様に思えます。

 

周囲の環境と言えば、すなわち

母胎であり、母体です。

 

そしてそこに、

生物の体を大きく変化させた重力が

重要な要素として

関わって来るのではないかと思うのです。

 

 

 

▼母体が「上陸劇」を共有するメカニズム─筋膜的試論

 

私たちの身体は、

結合組織を中心とした膜構造によって

柔軟性を持ちつつ安定的に支えられています。

 

膜構造を通して見る身体は、

がっちりとした物質的構造というよりも、

むしろ「空間」として現れて来ます。

すなわち、空間構造としての身体です。

 

身体構造を支持しているのが

「膜」であることから、

体内空間では圧力の変化が容易に起こり、

またその調整が絶え間なく行われています。

 

上陸の際には、

生物の構造は重力の変化をきっかけとして

両生類へと大きく変容を遂げた訳ですから、

 

それを再現するには、胎嚢の中でも

同じような重力変化を

必要とするのではないかと思います。

 

とは言え、それは

全く同じ条件や環境である必要はなく、

「重力で作られるような

位置エネルギーの場があれば良い」わけです。

(中田力『脳のなかの水分子』p111 )

 

 

 

胎児の変容を促すには、

ホルモンなどの化学的な刺激が

その大きな役割を担っています。

 

ですが、ここでは化学的な作用ではなく、

物理的な刺激の方へ

焦点を絞って話を進めたいと思います。

 

物理的な刺激は、

私たちも身体で感じ取りやすいものであり、

直接的な感覚として理解し易い面があります。

 

生理化学的な側面への理解は大切ですが、

そこからは生身の生命同士の関わりは

実感しにくいものです。

 

母親は、つわりを通して

胎児の苦しみを共有しているのであれば、

それはもっと実感を伴った

直接的な仕組みによるのではないかと思うのです。

 

 

 

胎芽は、卵膜(羊膜、絨毛膜、脱落膜)の

前身である胎嚢(たいのう)に包まれ、

その空隙は羊水が満たしています。

 

羊水の分泌と水量の調整は、

羊膜によって行われています。

 

この時、羊水が減少すれば

胎嚢は陰圧で内に引っ張られて緊張を帯び、

あるいは胎嚢の収縮が生じれば、

胎嚢の内部空間では圧力が高まります。

 

残念ながら、

胎嚢内の羊水圧の変化については

それに関する研究を見つけることが出来ませんでした。

(血眼に探した訳じゃないので、

本当はあるかも知れませんが~(;^ω^))

ですので、あくまでこれは私の想像と

臨床での「膜」組織に対する感覚的な理解に基づいた、

試論です。

 

羊水圧が変化すると仮定して、

その理由としてはこんな事が考えられそうです。

 

胎芽で生じている変容は、

胎嚢内の空間に歪みを生み出します。

また、羊水の対流を引き起こすはずです。

これが、胎嚢に緊張を生む、というのが一つ。

 

またこの頃には、

心拍が確認できるようになります。

心拍の強く規則的な振動が加わることで、

胎嚢の強度にも変化が生じるかも知れません。

 

こんな風に、

胎嚢が帯びる緊張や収縮の増加、

あるいは胎嚢の強度が変われば、

胎嚢内の圧力は高まります。

 

上陸の際に生物が味わった重力変化は

疑似的に再現され得ると考えられます。

 

 

 

胎嚢を形成している3つの膜の内、

脱落膜は母体由来の組織で、

羊膜と絨毛膜は

胎児の中胚葉由来の組織です。

 

中胚葉とは、初期受精卵の中にあって

後に皮膚や筋肉、筋膜となる組織です。

つまり、身体の最外側にあって、

外界との境界面を担う役目を持ちます。

 

この様に、胎嚢では

胎児と母親由来の組織が

互いに密に向き合っている状態にあります。

 

受精卵がどんなに小さくても

そこでもし圧力変化が生じれば、それは

母子のいわば接触境界である胎嚢から

子宮内膜に伝わり、

母体全体に伝播するはずです。

 

この時、圧力刺激を伝達するのは

筋膜を中心とする

結合組織のネットワークの役割です。

神経よりも速いスピードで、

全身に情報を伝達します。

(参照:https://www.youtube.com/watch?v=uzy8-wQzQMY)

 

 

 

▼つわりと歪みと重力と

 

胎嚢で生じた圧力刺激が

つわりの諸症状に変換される理由は、

以下の様に考えられそうです。

 

ここからは、少し

突飛な話に感じるかも知れませんが、

本人的には至って真面目にお話します(;^ω^)

 

 

 

主なつわりの症状を見ると、

吐き気、嘔吐、味覚や嗅覚の変化、

胃や胸のむかつき、唾液の増加など、

様々ありますが、いずれも

身体の正中線上で起きている事が分かります。

(参照:http://www.marienremedy.com/column/c1060/c0004.html

 

そして、子宮もまた

正中線上に位置しています。

 

5~13mm程の胎嚢内の変化は、

現実的な物理力として母体に作用するには

あまりに小さすぎて、

とても想像しにくいことだと思います。

 

おそらくは、

物理的な力による押し引きと言うよりも、

胎嚢で生じている「歪み」が母体に伝わり、

 

その「歪み」の感覚が、

私たちの正中線に作用する「重力」を重くさせ、

そこに位置する臓器に

影響を与えると思われます。

 

これには、もう少し説明を加えますね。

 

「重力」とは、空間に「歪み」を生む力です。

これはアインシュタインが説いたことで、

惑星などの大きな質量を持つものを想定して

考えられた理論です。

(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F

 

ところが、私たちの身体の中でも、

この「重力」と「歪み」の関係性を

みる事が出来ます。

 

(これは、

筋膜と言う「膜組織」を通して施術を行い、

空間構造として身体を捉えていることで、

分かって来たことです。

一般的な考え方ではありませんので、

ご注意くださいね(;^ω^))

 

 

「重力と歪み」の実例を~

 

 

 

▼ホログラフィックな身体

 

もう一つ考えられるのは、

私たちの身体が持つ

ホログラフィックな性質です。

 

例えば、リフレクソロジーなどは、

足裏に全身の情報が投射されていると

考えています。

 

東洋医学では、舌診と言って

舌の様子で全身の状態を診ます。

 

以前、血液観察会に参加した時には、

血液一滴の中に全身の情報が入っていると

教えてもらいました。

 

私自身も、施術の中で

頭部で起きている歪みや捻じれは

胴体でより大きく分かりやすく展開されますし、

胴体で起きている変調もまた、

頭部に同じ形で現れるということを

経験しています。

 

 

 

 

 

それがホログラフィー的に

母体全体に展開されている

 

 

 

 

 

 

その後の約3週間、妊娠8~11週目は、

母体につわりが生じやすい期間となります。

 

胎児は、人として必要な「形」を

第7週までに備え、

次の3週間ではいよいよ

 

それまで母親が補完してくれていた機能を

各器官でしっかり果たせる様に、

急速に成長が進んで行きます。

(参照:『こうして生まれる』アレグザンダー・シアラス p.224)

 

こうした急激な成長を受けて、

この期間は卵膜の内圧も歪みも

刻々と変化すると考えられます。

 

その目まぐるしい変化が、

母体につわりを生じやすく

させているのではないでしょうか。

 

 

 

▼つわりに個人差があるのは、なぜか

 

つわりは強く出る人もいれば、

軽くて済む人もいます。

 

出方の個人差が大きい理由は、

一つには

①受精卵の着床の位置の違いと、

もう一つには、

②子宮の状態の違いが考えられそうです。

 

②の方から説明しますと、

例えば子宮に緊張が無く、

内側で育っていく胎児の変化を

子宮がリラックスした状態で受け止められるなら、

つわりは強く出ずに済むと思います。

つわりは、胎児の苦しみの反映①

 

目次

・個体発生は系統発生を繰り返す

・胎児は「上陸劇」を体験する 」①

・胎児の変容に関する三木成夫氏の研究

・発生過程は、折り紙に似ている

・つわりと、胎児が体験する「上陸劇」 」②

・生物の体を変えた、重力の作用

・母体が「上陸劇」を共有するメカニズム─筋膜的試論

・つわりに個人差があるのは、なぜか  」③

 

 

▼個体発生は系統発生を繰り返す

 

胎児は、母胎で過ごす初期の期間に

その姿が魚類から両生類を通り抜け、

哺乳類に至るまで変容することを、

ご存知でしょうか?

 

19世紀に唱えられ始めたこの説は反復説と言い、

「個体発生は、系統発生を繰り返す。」

という言葉で知られています。

今もこの考え方は、発生学の一翼を担っているようです。

(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%AB

 

ちなみに、

うちの母に知っているか尋ねたところ、

そんな話初めて聞いた~!とのこと。

 

あら~、思っていたほど

一般的な話ではなかったのか~(;^ω^)

 

 

 

水中でエラ呼吸をしていた所から、

陸上に上がって肺呼吸をするようになり、

ついには二足歩行へ。

 

こうして、形態と機能の変化を繰り返しながら

地球上には生物の種が発生して来ました。

このことを、系統発生と呼んでいます。

 

 

 

▼胎児は「上陸劇」を体験する

 

解剖学者であり発生学者であった三木成夫は、

生物が水から上がり陸上に生息し始めた出来事を

「上陸劇」と呼んでいます。

 

そして、この「上陸劇」が

胎生初期のわずか40日程の間に

胎児の体内で再現されることを

明らかにしています。

 

私が筋膜療法を教わった師匠は、

三木成夫に深く傾倒していました。

授業では何度となく彼の話が出て来たのですが、

当時(10年前!)は、まだ

その重要性がよく分かっていなかった私。

師の話はするりと耳を抜けていた様な…(;・∀・)

 

最近、違う方面の勉強に参加をしていて

再び三木成夫の名前を耳にしました。

お~、こんな所で出会うとは!

それを機に、

著作を読み直し始めました。

 

その中で、

「へぇ~!なるほど~!」と思う記述を発見。

それは要約すれば、

 

つわりは、

胎児が体験する「上陸劇」によって起こる、

というものでした。

 

つわりが起きる原因は、通常

ホルモンバランスの変化であったり

母体が胎児を異物と認識して起こる

免疫反応であると考えられており、

まだ正確には、

メカニズムが解明されていないものなんですね。

 

胎児が成長過程で体験する苦しみを

母親も一緒に共有している、

それが「つわり」だとしたら。

 

お母さんが辛いつわりを味わい、

乗り越える事の意味も、

全く違って来ると思うんです。

 

 

 

蛇足ながら、正確に言えば

この時期はまだ胎児ではなく、

胎芽と呼ばれます。

 

耳や手足などの

人間としてのパーツがそろい、

初期の軟骨が骨に置換され始めて、

頭が少し起き、身体が少ししっかりするのが

胎生8週目頃。

それを境に、「胎児」となります。

(参照:①『こうして生まれる(a Life Unfolds)』 アレグザンダー・シアラス

http://www.ikujizubari.com/jiten/taiga.html

 

 

 

今回のブログでは、

つわりと胎児の「上陸劇」の関連を

三木氏がどの様にして気付いたのか、その過程を

著作『海・呼吸・古代形象』の中の

記述に基づいて説明した上で、

 

胎児の体験が母体に伝わるメカニズムについて、

筋膜的な考察を行っていきたいと思います。

 

長くなること必至なので(;^ω^)

数回に記事を分けてアップする予定です。

 

 

 

▼今後のアップ予定

 

第2回内容:

・胎児の変容に関する三木成夫氏の研究

・発生過程は、折り紙に似ている

・つわりと、胎児が体験する「上陸劇」

 

第3回内容:

・生物の体を変えた、重力の作用

・母体が「上陸劇」を共有するメカニズム─筋膜的試論

・つわりに個人差があるのは、なぜか

 

つわりは、胎児の苦しみの反映②

 

目次

・個体発生は系統発生を繰り返す

・胎児は「上陸劇」を体験する 」①

・胎児の変容に関する三木成夫氏の研究

・発生過程は、折り紙に似ている

・つわりと、胎児が体験する「上陸劇」 」②

・生物の体を変えた、重力の作用

・母体が「上陸劇」を共有するメカニズム─筋膜的試論

・つわりに個人差があるのは、なぜか  」③

 

 

▼胎児の変容に関する三木成夫氏の研究

 

三木氏は実証主義であったようで、

ご自身の感覚や経験を非常に大切にされていたことが、

著作から伝わって来ます。

(以下は、『海・呼吸・古代形象』/三木成夫を参照。)

 

 

胎児の姿が系統発生を辿って変容する事は、

多くの胎児の奇形の心臓標本を

目にする機会を通して、

直感したようです。

 

奇形の心臓は一見、

無秩序な異形に見えますよね。

 

実はそれが、

様々な古代生物の心臓とそっくりだ

と気づいた事が、

探求の始まりだったようです。

 

 

 

直感を裏付けるための

学問的な実験と観察は、

ニワトリの胚を用いて行われました。

 

小さな小さなニワトリの胎仔の心臓は、

生後2日目の卵の中で動き出します。

その心臓に墨汁を入れ、

肺の血管の出来る過程を調べました。

 

生後4日目の間だけ、

墨汁の注入が難しくなる事から、

体内で大きな変革が生じている事を察知します。

 

4日目の胎仔は

「小指の爪の半分もない。心臓はケシ粒くらい」

という極小サイズ。

その中で起きている事を調べるために、

三木氏は時間ごとの標本を作りました。

 

その日いち日の間に生じていたのは、

「魚類のエラの血管が、みるみるうちに

両生類の肺の血管から、爬虫類の肺の血管に変身してゆく」

という、驚くべき変化でした。

 

「原始の肺静脈から浮き袋の静脈にいたるまでが、

ほとんどいっせいに現れ、しかも

次第次第に消えてゆくのです。」

※「 」内は原文引用。『海・呼吸・古代形象』p.93

 

 

 

▼発生過程は、折り紙に似ている。

 

生命の発生の過程では、

一旦形作られたものが、

あるものは変化を遂げつつ残り、

あるものは消え去っていく。

 

三木氏の記述からは、

そうした様子を窺い知ることが出来ます。

 

その過程を経て、

私たちが今ある姿が

ここに現れて来るわけです。

 

これは、

生命が「順番」を持って生まれて来ること、

 

そして順番を追わなくては、

今ある形態を個々の生命の中に

再現することが出来ないと言う事を、

示しているのではないでしょうか。

 

形の上では消滅したように見えても、

実はその過程を踏むことで、

目には見えない必要な機能や

つながりが獲得され、

 

今度はその機能やつながりを足掛かりとして、

形態は次へと展開して行くのだと思います。

 

こうした過程は、例えるなら、

折り紙に似ています。

 

先々の作業で

キレイな立体構造を作り出すために、

一旦折っては折り目をつけ、

それをまた広げ直す。

 

後々の工程で実際に使われるのは、

そうして跡付けした「線」だけです。

 

ですが、こうして「線」が活かされることで、

折ったという作業自体も、一つとして

無駄にはなっていないわけです。

 

 

 

▼つわりと、胎児が体験する「上陸劇」

 

個々の生命が系統発生を繰り返すことを

更に確認するべく、三木氏は

標本瓶の中にいる胎芽の顔を確認しました。

 

心臓にピッタリくっついている顔を見るために、

胎芽の首を切り落とすわけです(;・∀・)

 

その顔からは、

以下の様な類似性が観察されました。

 

胎生32日目頃 :古代ザメ「ラブカ」=軟骨魚類

胎生34日目  :ムカシトカゲ=爬虫類(上陸後の生物)

胎生38日目  :ミツユビナマケモノ=哺乳動物

 

これらの調査を踏まえて、

奥様が2人目の子供を妊娠した際に、

三木氏はつわりと胎児の関連に気付きます。

(以下、抜粋。「 」内は、原文引用。『海・呼吸・古代形象』p.95)

 

胎生30日を過ぎた頃から

奥様の「顔つきに茫洋とした雰囲気が漂って」来て、

 

「爬虫類の三十六日がやってきますと、

ついにつわりが始まったのです。

拒絶反応なんぞと言われますが、

そんなに単純なものではない。

あの古生代の終わりの一億年をかけた、

上陸の歴史で、まさに、母親の身体を舞台に、

激しく繰り展げられている。

母親はそれじっと抱え込んでいるのです。

そしてナマケモノの三十八日が来た時、

とうとうダウンしました。

黙って床を取って一日中横になっていました。

私はただ、唖然として、それを眺めていたのです。」

 

 

 

ネット上で調べてみると、

おおよそつわりのピークは

妊娠7週目に来るようです。

 

妊娠7週目は、

胎生期に換算すると5週目。

つわりのピークであると共に、

流産し易い時期でもあります。

(参照:http://www.pixy.cx/~kamosika/1/syusu.htm

 

三木氏が奥様を通して観察したことは、

母体全般に通底していることと考えられそうです。

 

 

百鬼丸ー散逸した身体を、取り戻す。

今回お話するのは、

私が臨床を通して感じ取って来た

身体の性質について。

 

身体が日頃、どんな工夫をして

私たちを一生懸命に支えてくれているか、

それを知って頂けたら良いなと思います。

 

 

私たちは、

みな身体が一つであると考えています。

それは、鏡で見たり

自分の目で身体を見ることで

そう判断することが出来ます。

 

ですが、実際には

物理的にはつながっているように見えても

身体の中であるべき「連携」がない場合が

とても沢山あります。

 

 

 

これは私自身のことなのですが、

私は幼少期に背部を強打しており、

その影響で身体の内部に

幾層にも重なる歪みを持っていました。

 

正面から普通に見るとまず分からないのですが、

何年も前にクラニオの講義を受けた際、

一緒に受講していた生徒の一人が

仰向けになった私の顔を頭の方から逆さまに見た時に、

左右の顔面が、上下にズレているように見える、

と気づきました。

 

正面から見ても気づかないのは、

私たちが普段、自分の姿を鏡などで見る事により、

意識の力によって身体の歪みがカバーされているからです。

 

 

臨床経験を通して気づいたのですが、

身体には幾つもの「緊張」が、

層状に蓄積されているようです。

 

緊張が解けると、

かえって身体が隠していた歪みが

一旦表出して来ることがあります。

 

身体が自然で楽な状態を取り戻すには、

まるで身体を覆っている拘束具のような

その幾層もの緊張を解いていく必要があるのですが、

 

表層の緊張は下層の緊張を封じ込める封印であり、

それと同時にその支えになっていたりもするので、

緊張を解くのには慎重さを必要とします。

 

表層の緊張が覆っている事で、

下層の緊張はカバーされ、隠されています。

その一方で、下層の緊張は、

時系列的には表層のものよりも先に出来た可能性が高いものです。

 

緊張がある部分では、歪みが生じています。

その歪みが一定以上強ければ目で見ても分かるわけですが、

そうならない様に、ストッパーとして新たな緊張が形成されます。

 

この時、これ以上歪まない様にするには

どこに緊張を作って歪みを支えれば良いか、

身体の中で自動的に判断されます。

 

この判断を助けるのが、

「自分の姿を目で見て、確かめる」という

私たちの意識的な作業だと思います。

 

私たちは、自分の姿を固定的に捉えます。

真ん中に垂直軸があり、左右が対称である事、

対称性は、肩の高さや耳の高さが左右揃っていて…など、

身体の輪郭を捉えるポイントとして

幾つか無意識の内に習慣的に確認している部分があります。

 

その際、もう少し右肩が上がっていたらとか、

もう少し左目が大きかったらとか、

これまた無意識の内に、左右を比較して

自分の身体への評価を行うわけです。

こうした無意識の内に下した裁定が、

身体が自分の「形」を保つ自助努力を行う際の、

判断材料の一つとなっていると思われます。

 

 

その為、表層の緊張を解くと、

下層にあった緊張と、それに伴う歪みが

はっきりと姿を現すことがあるのです。

 

施術をすることでかえって歪みが強く出るなんて、と

驚く方もいるかも知れませんが、

それは、身体の変化は良い方向へ向かう一本道だと考えていたり、

現れた結果のみを見て判断しているからかも知れません。

 

施術を、身体が本来の状態を回復して行く

大きなプロセスを支えるものとして捉えれば、

隠されていたものが一旦表に出て来てくれることは、

その緊張や歪みを身体が手放して行く為の

下準備であることが理解できます。

 

 

 

耳は、外からの音を集めると言うだけではなくて、
集めた音を全身に効率よく広めるための、
拡散のための器官でもあるようだ。
耳の奥深くにある「蝸牛」。
振動として伝わって来た音の高低を区別し、
それを電気信号へと変換して脳へ伝える役割を持つこの小さな器官は、
自然界のリズムを表すフィボナッチ数列に基づいた、
美しい曲線を描く。
脳神経学者の中田力氏は、
その著書『脳の方程式 ぶらす・あるふぁ』の中で
こんな主旨のことを記している。
ドレミファソラシドの12音階をその波長の長さに従って並べると、
音階は螺旋を描き、その螺旋が、
すなわち蝸牛の形と合致していると。
宇宙の始まりは、一つの音と
その振動が描き出す「形」によって始まったとされる。
蝸牛は、そうした音の描き出す形を
そのまま実体化したものだとも言えるかも知れない。
耳には計り知れない神秘性があるように思える。
耳に音叉を近づけて行くと、
耳から入ったその振動が
身体全体に伝わるのを感じ取ることが出来る。
(音叉には肉体用とエーテル用があるが、
肉体用の場合には特に振動が体の中に広がり、
エーテル用のものは体の外を覆う様に感じ取れるように思う。)
身体の全ての細胞が、同じ微細な振動に浴している感覚だ。
もちろん、皮膚からだって振動は伝わっている。
だが、一旦は集音器である耳介から耳孔に取り入れた振動を
耳では更に増幅して、あるいは抑制して脳や身体に伝達する。
鼓膜の奥にある中耳腔を通って蝸牛のある内耳に音が到達するまでの間に、
その振動は20倍ほどの大きさに変化するのだそうだ。
(大きすぎる音の場合には、
耳小骨をつなぐ耳小骨筋の収縮力によって
耳小骨の振動幅が抑えられる。)
こうして適正で、かつ十分な大きさになった振動は、
一方で電気信号として脳へ届き、
一方では振動のまま全身へ伝わっていくことになる。
これの意味するところは一体何だろうか?
単なる外側からの情報の収集と言うだけに止まらない、
音を自分の内的な空間へと広げていき、むしろ
そこに自分を浸透させていくことを促す器官だと言えるのではないか。
霊的な知覚能力の開発は、
まず耳から行われると言う話を聞いたことがある。
耳を通して様々な音を体験することが、
同時に高い次元を実際に体感することにつながり、
自らの思考や精神と言った霊的な部分の成長を
効果的に促すことが出来るということなのだろう。
だとすれば。
耳の成り立ちについて、
こんな疑問を抱かずにはいられない。
そもそも耳は、危険を察知するためのツールとして
生じてきたのだろうか?
耳だけではない。
その他の様々な器官・機能の発生に関しても、
私たちは今までこんな風に教わって来ている。
すなわち、生命としての生き残りや種族の保存という動機に基づいて、
生物の進化が起こって来たのだと。
もしかしたら、
食物連鎖や種の保存と言う考えを基盤にして
生命や生物を理解する事自体が、
何か間違っているのではないだろうか?
何かもっと違った基盤、違った叡智に基づいて、
私たちは変化・成長を遂げて来ているのではないのだろうか?
(そもそも、他の種よりも秀でて唯一生き延びるのが目的ならば、なぜ、色彩や香り、音といった、異種同士であっても共通して感じ取ることの出来るサインを伝達の媒介とする必要があるのだろうか?
危険察知や食糧の獲得に際して異種生物を理解していることの必要性を理由の一つとして挙げることは出来る。だが、時には獰猛な虎やワニでさえも私たちに柔らかな愛情を見せてくれる時、私たちの認識が彼らを獰猛な存在に仕立てあげている可能性を考えずにはいられない。)
植物でさえ、音楽を聴くと生育の仕方に変化が生じると言う。
宇宙の成り立ちは一つの音と、その振動が描き出す図形によって始まった。
だからこそ、いかなる生命も音に対する感受性を持っており、
また、音に対応する形への感受性も持っている。
確かに、地球上を見渡せば、
そこには生命を奪い奪われる関係性が成り立っている。
でも、そこに私たち自身の意識がフォーカスしているからこそ、
生物同士の関わりの中にそうした側面ばかりが見えて来るのではないだろうか?
視点を変えれば、そこにはもっと
生命そのものを与え受け取るといったような、
偉大なる関係性が見えてくるのではないか?
例えば、アイヌの人々と熊の関わりのように。
私たちはきっと、最も根本的なところで、
私たち人間を含む生命というものに対する大きな誤解をしている。
錯誤する様に仕組まれた壮大なる目眩ましの中にいる事に、
気付かずにいるのだ。
そうして曇らされた私たちの目には、知らぬ間に、
私たち自身が根底的に自己保存を最大の欲求として持つ
エゴイスティックな存在として映るようになる。
そして、搾取し合うことあるいは殺し合うことすら
私たちの自然の一部だから致し方ないのだと、
是認させられているかも知れないと言うのに。

自己再生する身体



目次
1.治癒の前段階としての「組織の溶解」
2.トカゲの尻尾に負けない!? 驚きの指の再生劇!
3.思い込みを手放し、真摯に現象と向き合う

 

治癒の前段階としての「組織の溶解」

 

湿潤治療、という傷の手当法を

聞いたことがありますか?

 

従来の傷の手当では、

まず傷口の細菌の増殖を防ぐために乾燥させ、

傷口を消毒するのが定番でしたよね。

 

これは、傷口を治す為と言うよりは、

傷口からの細菌感染を防ぐための治療だったのだそうです。

 

傷そのものを癒すわけではないのに、

これをなぜ「治療」と呼んで来たのかは、

今となっては理解に苦しむところです。

 

一方、傷口から出る漿液に注目し、

そこに含まれる細胞の再生を促す物質の力を上手く生かすことで、

「傷そのものを治す」ための治療法として考え出されたのが

湿潤治療です。

 

私の場合はクレラップを使うという手前療法なのですが、

傷の手当てはいつも湿潤治療を念頭において行っていますので、

その実力の凄さはわが身を持って実感している所です。

 

先日も、石につまづいて転んだ際に手指を石の角で打ち、

小さい範囲ではありますが肉がえぐれてしまいました。

出血も大げさにありました。

 

傷口には小粒の石が入っていましたが、

無理に取ると痛そうなのでそれはそのまま、

流水で汚れを流しました。

 

精油や植物性油脂を混合したクリームをクレラップに塗り、

クレラップごと傷口にペタリ。

様子を見ながら必要に応じて張替えをします。

 

翌日にはすぐに、傷口周辺の組織が

十分な湿り気によってぐちゃぐちゃになりました。

 

出血は止まっています。

傷口の小さな石も自ずと浮き出て、取れました。

 

ぐちゃぐちゃと書くとあまり良い印象ではありませんが、

実はこれは変化として悪いものではないのです。

 

細胞や組織には、今まで整然と配置されていた

その配置の構造があります。

 

この変化は、一旦その枠組みを解き、

必要な所へ組織や細胞を再配するための

準備だと受け取ることが出来ます。

 

翌々日あたりには、

裂けてしまった皮膚の間に早くも肉が盛り上がり始め、

早くもえぐれていたのが分からなくなりました。

 

…と、この様な感じで、

非常に治癒の過程が早く進み、

しかも傷口そのものもかなりきれいに解消されます。

 

トカゲの尻尾に負けない!? 驚きの指の再生劇!

 

12月11日、

たまたま目にした「ニュースの巨人」に、

湿潤療法の提唱者である夏井睦(まこと)氏が出演されていました。

 

番組の中では、

事故で親指の先を無くしてしまった人が、

湿潤療法で指を取り戻した症例を紹介していました。

 

写真でケガの回復状況を記録していて、

それを何枚か見せてくれたのですが、

最初の状態は、見るも無残です。

 

爪根を残してはいるものの、

親指の第1関節のほぼ半分から上が飛び、

ギザギザの痛々しい切り口が真っ赤に染まっています。

 

それが60日程の間に、

爪と共に指の肉が隆起し、

見事に指として復活して行くのがはっきりと見て取れます。

 

155日後には、

指先が無かったなんてイメージも浮かばないくらい、

普通の指です。

 

これを学会などで見せると、

会場にどよめきが起こると夏井氏は話していました。

 

夏井氏は講演会などで用いるためのスライドを

公開していらっしゃいますので、

そこから当該症例の写真を引用させて頂きますと…。

 

湿潤療法①

なかなかの凄まじさを見せる怪我ですが、確かに

へぇぇ~、こうもきれいに再生するの~!?

と誰しもが驚くべき、見事な治癒過程を示しています。

 

(当初、参考映像として

沖縄徳洲会病院での夏井氏の講演会のYoutube動画

【https://www.youtube.com/watch?v=0WtEpFnuj84】

をリンクしていましたが、

上記のリンク先が削除されたため画像のリンクはしていません。

 

ご興味のある方は、

Youtubeに夏井氏のお話が沢山アップされているようですので、

探してみて下さい。)

 

 

この映像を見た時には、

すごい!という興奮と共に、

やっぱり~、そうだと思った~!

と言う思いが浮かびました。

 

身体の能力は私たちが知っている程度のものじゃない、

果てしない可能性を持っているものだ、

と自分の中では確信していたものを、

やっぱりそうなんだと強く再確認させてもらった感じがしました。

 

人間の身体は

トカゲの様に再生する事はない、

そう私たちは教えられてきました。

 

でも実際には、

身体の力を本当に上手に引き出して

身体の意図に沿ってその力を用いることが出来れば、

ちゃんと再生だってするんですね。

 

思い込みを手放し、真摯に現象と向き合う

 

ちなみに先ほど参考として挙げたURLの映像には、

一旦は黒く壊死する所まで行ってしまった大きな傷が、

湿潤療法で復活する症例もあります。

 

ソバ打ち機に手を挟んで指先が飛んだ症例です。

縫合して縫い合わせたものの、

縫い合わせた指先が乾燥して黒く壊死した状態でした。

 

縫合部分には感染が起き、

それが骨髄に達する恐れがあるため

指を根元から切断しなくてはいけない、とまで言われたそうです。

 

切断を回避できる方法を探して、

湿潤療法を始めたのは受傷から11日後。

 

それだけ時間が経っていたら

ダメだろうと諦めてしまいそうですが、

そこから黒色壊死が溶解して白い壊死に変わり(!)、

指が再生して行きます。

 

壊死した指先に付いていた爪も新生します。

 

えぐいのは苦手…と言う方もいらっしゃいますよね。

ごめんなさい。

でも、こちらの症例の画像もありましたので、

引用させて頂きますと…。

 

湿潤療法②

こうなると、「壊死」などの言葉自体にも

問題がある気がして来ます。

 

「死」と言われてしまうと、もう再生する見込みのないもの、

と断定されているように感じてしまいますから。

 

私たちは、

普段何気なく使い、耳にしている言葉や表現によっても、

かなり認識を左右されている事が分かります。

 

そして、それは必ずしも真実でないばかりか、

むしろ異なる可能性を探すための

思考の柔軟性を削ぐ危険性のあるものだという事に

気付く必要がありそうです。

 

自然の中で生じる現象には、

どんな小さな事柄にも必ず意味があります。

…と、これは私が馬と仕事をしていた時に、

馬から教わったことの一つなのですが。

 

例えば今回の話の中で考えるなら

傷口にジュクジュクと出て来る漿液ですね。

 

ジュクジュクとして汚く感じたりするからなのでしょうか、

私たちはそこに大きな意味がある事を

今まで見落として来たわけです。

 

こうした見過ごしは、多分

数えきれない程あるのだろうと思います。

 

目の前にある小さな現象や事物をよく観察して、

その背後にある意味や理由を理解する。

自分の都合や脈絡で考えるのではなく、

自然の摂理に即して、です。

 

それを本当に丁寧に行っていくことが出来れば、

今までの私たちの視野の中では見えなかった

自然や身体の驚くべき大きな可能性に

出会うことが出来るのだろうと思います。

 

そうやって気付いたことが、今度は

私達一人一人が本来の自然や身体の在り方と繋がり直すことを

可能にしてくれるのだろうと思うのです。

 

 

子宮が、「底力」を生む。

 

子宮。

 

この単語を聞くと、

皆さんにはどんなイメージが浮かびますか?

 

閉経の声がそろそろ聞こえ始めている方や、

すでに閉経しましたという方達と話していると、

ホルモンバランスが崩れることはあるものの、

生理がなくなって楽だという意見が意外と多く出て来るように思います。

 

と言う事は、子宮と言えば、

生殖器→月経→面倒くさい…

という図式になっていることが多いのではないかと思います。

 

それに、子宮は新しい生命を育てる、いわば

器(生殖器)として学校教育では教わりますから、

子供の為の臓器ではあっても自分の為のものだという認識は

育ちにくいのではないでしょうか。

 

身体にあるエネルギーシステムであるチャクラなどの勉強をしている方だと、

子宮は第1チャクラとつながっており、

子供を育むだけでなく自らの創造性と関わる大切な臓器だと

感じられているかも知れません。

 

 

先日のことです。

子宮も卵巣も、実は私たち自身の身体の安定性に

非常に大きく貢献している事に気付く出来事がありました。

その時に、子宮や卵巣が、生命を支える土台になっていると言っても

過言ではないと感じました。

 

今回は、その時のお話を

詳しく述べて行きます。

 

 

 

◆エネルギーヒーリング

 

先月の始めのこと。

施術の練習を友人としていました。

 

エネルギーの手で内臓を触り、

臓器の輪郭や質感、臓器の内部の様子を触知していくヒーリング手法です。

…こう書くと凄そうでしょう?

でも、ちゃんと分かる様になるには、

まだまだ訓練が必要なんです^^;

 

この手法の講義も数週間後に控えていたため、

予習も兼ねて、部位を選んでの練習でした。

 

 

 

まずは腎臓と膀胱。

 

臓器に触れていると、臓器は必要なエネルギーを自分で吸収して行きます。

もういいよ~、満腹!という合図が来た時には、

臓器はピカピカで元気になっています。

(これは、人によって感じ方が異なります。)

 

腎臓がエネルギーで満たされていく間には、

腎臓に生じていた配置のズレや捻じれが自発的に戻り始め、

腎臓を固定している腹膜を介して

全身骨格にもその変化の波が広がって行きました

 

内臓は、胸郭や骨盤と言った骨格の中に納まっています。

「納まっている」という受け身なイメージが強いので、

内臓の方から身体の構造に影響を与えることがあるとは、

通常ではあまり考えられない事だろうと思います。

 

ですが、実際にこうしたことは起きています。

内臓も、物理的な重さと質量を持つ

物理的な構造物だという事を想像してみてください。

 

例えば肝臓などは、1キロ以上もあります。

(ちなみに肝硬変の酷いものになると、10キロにもなることがあるそうです。)

それが、横隔膜の下に、

膜によって固定されています。

 

膜は靭帯のように伸縮性を持たないわけではなく、

内臓がある程度自由に動くのを許しています。

内臓下垂などが起こり得るのはこのためですが、

下垂した内臓は、膜を介して付着する骨格を引っ張ります。

 

こうしたことは

私自身も幾度となく体験していますので、

また別の機会に、詳しく実例を紹介しようと思います。

 

 

 

腎臓の後は、右の輸尿管を下って膀胱へ。

 

練習台になっている友人からは、

膀胱の右半分だけ流れが良くなって左右差を感じる、との声。

 

輸尿管はただ表面を辿っただけだったのですが、

それでもエネルギーの流れは変化したのだと分かります。

(と言っても、辿ったり触れたりした程度で起きる変化は、一時的なものです。

肉体にちゃんと変化が生じ、それが身体に定着するには、ある程度の時間や回数が必要です。)

 

泌尿器の後はリンパ系。

体表でリンパに触れやすい部位に、左右対称に手を置きます。

ごくごく表層に接触すると、しばらくして

反応は網状を呈して全身へと広がって行きます。

 

時には、身体の奥の方へと反応の流れが潜って行きます。

その影響で手が中へ引き込まれる感じがすると、

体表に触れている手にはうっすらと、力が入ります。

 

するとすぐに、「もう少し手が軽い方が良いなぁ」と声が掛かります。

微妙な力の変化を重たく感じるのですから、

リンパはきっと、とても微細かつ敏感な器官なのでしょう。

 

身体の中でリンパが大きな流れに合流した感触が生じて、

リンパ系全体がぼわんと大きくなったように感じられます。

もうお腹イッパイ、の合図の様です。

 

 

◆エネルギーヒーリングでの子宮の変化

 

泌尿器系にリンパだなんて、解毒三昧だね~!と笑いながら、

最後が子宮でした。

これで、解毒系に併せて骨盤内臓を網羅です。

 

輸尿管の時と同じく、卵管を片方だけ通ると左右の感覚に差異が出るので、

一旦、左右両方の卵巣から卵管をたどり、

子宮へアプローチしました。

 

左右対称になっている臓器では、

右の卵管の方が分かりにくいとか、左側は少し前に移動している様だとか、

位置や形状に微妙なズレや歪みがあることを

比較的容易に気付くことが出来ます。

 

子宮へアプローチを始めると、

静かにゆっくりしたリズムで、子宮が反応し始めました。

 

友人との交換練習ですから、

練習台にもなりますし

施術者の役割もします。

 

そしてお互いに、今感じていることを

細かくシェアしながら練習を進めて行きます。

その中には、互いに共通して感じているものが出てきます。

 

ふにゃりとしていた子宮が起き上がったり、

大きくなったりする感覚。

左右のどちらかに傾いたり撚れていた子宮体の配置が戻る感覚。

 

こうした子宮が変化する感覚は、

先ほどの腎臓で起きていたものとも似ています。

ですがここから先は、とても興味深いものでした。

 

子宮の筋肉層に自発的な収縮が生じ、

子宮が上へ伸びながら立ち上がる感覚。

 

子宮の強い収縮に伴って、

子宮に向かって吸引されていく様に骨盤底が中央から持ち上がり、

さらにその力が内転筋から足の親指の先まで上へ引っ張り上げる感覚。

 

これらの感覚は、

練習台になっている側も、

施術をしている側も、

同じ様に感じ取っていました。

 

そして、内臓が身体の構造に影響を与えると先ほど述べましたが、

ここでは身体に大きな変化が生じていました。

子宮へのヒーリング練習が終了した後のお互いの様子の変化は、

目を見張るものがありました。

 

ベッドから立ち上がると、

骨盤がきゅっと締り、

足の付け根が楽に閉じているのを感じました。

骨盤によって支えられて立っている感覚で、

立つのがとても楽に感じます。

 

これは、子宮に筋力が戻った為に

内側から骨盤がしっかりと締まり、

骨盤の器としての安定性が増した為だと感じられました。

 

また、面相にも変化が起きました。

下顎のまわりがスッキリして、

顔の輪郭線に無駄がなく、若返っています。

目にも、輝きがあります。

 

腹部では熱を生じているのが感じられ、

力んでいないのに力強さがあるのを感じます。

ドッシリとして、安定しています。

言葉で表現するのが難しいのですが、

この感覚は自分の存在としての大きさや安定感を自覚させてくれ、

弓でも矢でも何が来てもビクともしない、という感覚がありました。

 

 

 

子宮の持つ物理的な力強さは、

私達に肚の据わった感覚と気持ちの余裕を生み、

 

またその上に向かう力のベクトルは、

重量のある足を胴体の方へと引き寄せながら、

なおかつ骨盤の底にあって全ての内臓を上に向かって支え上げているのです。

 

つまり、私達と言う存在を

その根底から支えている力の源なのだと、

この時、実感を持って理解しました。

 

 

 

腹部が温かく充実している感覚は、

その日一日続きました。

 

しかし大きな変化は、そこで安定して終わりではありません。

翌日には、更なる変化の兆しが現れました。

(次の変化が現れるのは、人によってタイミングが違います。私の場合は、自分自身のメンテナンスを暇さえあればしていることもあり、変化の統合と、更なる変化の出現のサイクルが、早いようです。)

 

子宮は、骨盤底にあった歪みに巻き込まれていた様です。

子宮が安定したことでその歪みが表面化したのか、

はっきりした感覚となって意識に上って来ました。

 

交換練習の後にはきゅっと締まった骨盤と股関節で歩きやすかったのが、

今は左の骨盤底が広く、左の足は身体から離れている様に感じます。

一歩ごとに、違和感と不調和があります。

 

筋膜的なアプローチで原因を調べてみると、

やはり卵巣と子宮の辺りからの影響のようです。

 

 

◆エネルギーヒーリングと筋膜のアプローチの違い

 

エネルギーヒーリングと筋膜のアプローチの違いを

私が理解している範囲で簡単に説明してみます。

 

エネルギーヒーリングでは、

エネルギーの不足している部位に手を当てると、

身体はエネルギーを勝手に吸収し、

必要としている所に受け渡してくれる、という考え方をします。

 

身体は十分なエネルギーさえあれば自ら修復・治癒する力を持つので、

ヒーラーは足りない所に過不足のないエネルギーを受け渡す事が役割になります。

 

エネルギーには周波数がある為、接触する箇所に合わせた周波数を用いる事で、

その部位により効率よく速やかにエネルギーの供給を行い、

またその後の統合を無理のない形で促すことが出来ます。

 

筋膜的アプローチでは、

身体は自分に蓄積し、症状や歪みを作り出している情報の全てを把握していますが、

それが毛糸玉のように重なり合っている為に自力で解くことができない、

と理解しています。

 

もつれた毛糸玉を解いていく糸口は

身体がサインとして体表に示してくれます。

 

それをつぶさな観察と検査によって見つけ出し、

細かく糸の所在に触れることで、身体に自覚してもらいます。

 

糸を解いていくのは身体が自分自身の力で行うのですが、

それに伴って構造の自由さや柔軟性が回復されて行きます。

 

こうして説明するとかなり異なる様に見えますが、

どちらも身体そのものや臓器・器官の

自然で理想的な状態を回復するサポートと言う意味では同じです。

 

 

 

◆筋膜的アプローチによる子宮の変化

 

 

アプローチをしたのは子宮の左上、

左の卵管口がある辺りでした。

 

アプローチの箇所は、通常は移動して行くことが多いのですが、

この時はこの一ヶ所から長い事動くことなく、

ず~っと反応が起きていました。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、この時は何となく卵管が見つからないというか、

ドンピシャでアクセスできている感じがしなかったのですが、

よくよく調べてみたら、

 

子宮から卵管は後ろの方へと伸びており、

卵巣は骨盤の背面の方、腸骨動脈が内外の二股に分かれた

その分岐部に頭を突っ込む形で固定されている事が分かりました。

固定装置は筋性の靭帯で、卵管提索、または骨盤漏斗靭帯と言います。

 

更に重要な事は、

この分基部は仙腸関節の内側面に当たる位置にある、と言う事です。

卵巣に配置のズレや歪みがあれば、

それは直接的に腰部や骨盤全体の安全性に影響を及ぼすことが理解できます。

 

また、子宮の方は、

間に直腸を挟む形で、こちらも靭帯で仙骨に固定されています。

 

子宮は仙骨に固定されている一方で、

実は仙骨の骨格としての安定性を、子宮の力が裏打ちしています。

これは、施術に伴うクライアントさんの身体の変化から気づいた事ですので、

こんな事を言っている人は他にいないかも知れません。

 

施術では、はじめにクライアントさんの背面の状態をチェックします。

その際に仙骨にも触れるのですが、

施術の中で子宮へのアプローチが必要だったクライアントさん達の場合は、

仙骨が中に空気を含んでいる様な、それでいて表面が固い、

独特な不安定さを共通して持っていました。

 

力なくふにゃりとした感触だった子宮も、

施術を経て筋力が回復すると、自力でぐいっと立ち上がります。

あるいはそこまで変化せずとも、全体的にふっくらして大きさが増します。

(この感触が、物質的な子宮の大きさの変化によるのか、子宮の帯びるエネルギーの大きさの変化によるのかは分かりませんが。)

 

その変化の後で仙骨を触ると、

中身がしっかり詰まった安定感と、

最初よりも少し平らでスッキリした手触りに変わっています。

 

 

 

 

 

 

 

こうした変化を感じて、

産後のお母さんの子宮はケアする必要があるね、

という話が出ました。

出産後にエネルギーを使い果たしたままでは、

 

 

 

 

 

…と言っても、これも場合によって違うようです。